
──土の匂いがする。
星暦八七六年八月上旬。星欧では北方に位置するオルクセンにおいても、
アンファングリア旅団は、練成作業を本格化させている。
旅団の猟兵連隊に属するウルフェン・マレグディス二等兵は、中隊ごとに行われる実弾射撃教練を迎えていた。
シルヴァン川国境近く、中央分水嶺地域に位置する山村の出身。うねるような赤毛の髪をした、周囲からは勝気な顔つきに見える兵だ。
ようやくか、という思いがしている。
オルクセンに限らず何処の軍隊でも同様だが、兵になったからといって、いきなり小銃を撃たせてもらえなどしない。
いくらエルフィンドで国境警備隊にいた経験があろうと、考慮もされなかった。
まず被服類の支給と貸与から始まり、四日ほどかけて身体測定や健康診断をやる。おまけにアンファウングリア旅団は新規編成部隊であったうえに、オルクセン軍にとってダークエルフ族の部隊は彼女たちが初にして唯一の存在であったから、被服の調達も遅れ気味になった。
基礎体力作り、基礎動作習得、行進訓練といった兵としての根幹的部分を仕込まれたあと、射撃に関していえば小銃や弾丸の仕組み、弾道についてなど、基礎知識の座学を施されてから、やっと実弾射撃に移る。
オルクセン軍に特徴を見出すとすれば、座学が詳細を極めたということだろう。
「実包装薬は、雷管を撃針で打撃することにより点火され云々」
などという構造解説から始まり、照準のつけ方には弾道学まで含まれていた。
周囲には、実戦経験もない教官からの座学など何の役に立つなどと
ともかくも──
この日、ウルフェンは射撃教練に臨んだ。膝射と、伏射の二種類。それぞれ五発ずつ。
オルクセン軍は、散兵戦術の導入以来、伏射を重んじている。
ただ、まずはイロハを学ぶために膝射からだ。
立ったままの小銃射撃──立射は、やらなかった。これはもっと基礎的な扱いだというので、執銃教育の一貫として兵としての動作や銃の操作、照準のつけ方のみを学ぶ過程に組み込まれ、実弾射撃そのものは省略されていたのだ。
ウルフェンにとって、オルクセン軍の小銃──Gew七四は、驚異的な産物だった。構造が精緻なうえに、製造工作精度が良く、しかも設計に配慮が満ちている。例えば彼女がいま手にしている、猟兵用の銃身の短な型と同系譜になる騎兵用の物は、弾を込めたり射撃後の薬莢を排出するために使う
──騎兵は、その背へ斜めに銃を負うから、槓桿が当たって痛くならないように。
なるほど、一度目にし、耳にしてみれば当然のことだが、随分と感心した。
ただ、故郷で使っていたキャメロット産の小銃とは余りにも構造に差があり、戸惑いも多い。射撃に要する所作に、やたらと拘るオルクセン軍の教令にも。
そもそも、立射での実弾射撃教育を省くとは。密集隊形による横隊射撃をいまだ根幹に置いたエルフィンドの教令を経験している身からすると、ちょっと信じられないところがある。
これらの困惑は、ダークエルフ族側の士官や下士官となった者たちにも、正直なところ同感だという空気が滲み出ていて、ウルフェン一個の感情というわけでもなかった。
それでも、彼女は見事な成績を収めた。
周囲には怒鳴り散らされている兵も多いなか、彼女たちの後方で見守っていた少隊長に、ほう、と感嘆の吐息を漏らさせている。
三〇〇メートル離れた位置に造作された
事故防止のために赤い手旗を振ったあと、担当の兵によって確認された命中弾は、五点に一発、四点に三発、三点に二発。
「マレグディスは見込みがあるぞ」
少隊長は、傍らの軍曹を振り向く。
「は。では?」
「うん」
定められた手順通りに、側にいた所属班の伍長から「射手交替」を告げられ、立ち上がりかけていたウルフェンは、やってきた軍曹から、
「マレグディス、もう一度撃ってみろ」
告げられた。
「はっ」
伍長から、もう五発の一一ミリ小銃弾を受け取る。
槓桿を引き、弾を込め、構える。
狙いをつけ、
その動作を、淡々と繰り返す。
五点一発、四点三発、三点一発。
「……マレグディス二等兵。故郷では何をやっていた? まあ、だいたいのところは想像はつくが」
「猟師を。キツネ撃ちをしておりました」
「うん──」
警備隊では下士官にまで進み、あの困難な脱出行で後衛戦闘にも参加したという軍曹は、唇の端を捻じ曲げた。
まるで性格悪く見える。
「結構なことだがな。猟師のころの撃ち方は、ひとまず忘れろ。教本通り肘を横へ伸ばせ」
「はっ」
「よし。貴様は明日から選抜射手訓練を受けろ。特別扱いはせんぞ。実包訓練は起床時間前になる。いいな?」
「はい!」
やがてウルフェンは、
肩肘張った教本通りの撃ち方よりも、猟師として身につけた射撃法のほうが成績も良いというので、これを許されてもいる。
オルクセン軍では、彼女のような者を伝統的に「
「特別扱いしない」という軍曹の言葉は、現実とは相反した。
周囲と同じ猟兵用の短小銃型を使うのではなく、工作精度の良いGew七四を選び抜いた物が与えられたのだ。銃身が長い故に、射距離もあるし、命中弾も得やすい。ウルフェンはこの小銃をこそ、何よりの誇りに思った。
彼女は誰よりも早く起き、与えられた小銃を分解整備し、訓練にも励んだ。
通常の兵と同じく、前夜には皮革装備の手入れなどもあったから、大変な努力であることは言うまでもない。
狙撃手は、隊から離れて単独で行動することもあるからと、体力技能教練にも怠りがないとあっては尚更である。
ウルフェンのような役割を負った者は、各小隊に一名の割でいた。
これにはちょっと別事情も絡んでいて、最新鋭小銃Gew七四系列はいまだ全軍に行き渡っておらず、なかでも短小銃型はバリエーションも多いため、生産は遅れ気味だ。
そこで名目上、猟兵小隊当たり一名、既に一定の生産数がある長銃身のGew七四を配して、短銃身型の必要数を節約したのだ。
各隊の中には、決して射撃優秀者とは言えないがGew七四を与えられた者や、名目上は長銃身型が配されたことになっているところも多かった。
だがウルフェンは違う。
彼女の射撃技量と、寡黙なまでの努力とが、与えられた小銃を「正統な代価」だと周囲にも認めさせるに至った。
誰もが彼女を頼りにし、同隊であることを誇りに思った。
「……ウルフェンの奴は、一体いつ眠っているのかね? いつも一番に起きていやがる」
「気迫が違うよ。あいつの村は──」
「うん?」
「氏族長まで、白どもに連れ去られたのさ」
「……そうか」
同隊の兵たちは、そんな噂を囁き合った。
ある兵は、事情を知ると、背筋を震わせた。ウルフェン・マグレディスには、そのような気負った雰囲気がまるでなかったからだ。何処までも寡黙で、冷静で、淡々と技巧を磨き続けている。
「……獲物を狩ろうとするときの巨狼だな、まるで」
巨狼は獲物を追うとき、三日でも四日でも、仕留めるまで諦めない。
猛り狂っているというのとは違う。何処までも畏怖の対象だ。
ああ、と誰かが頷いた。
「そんなときの狼は眠らない」
《了》