「…………」
「始めは単に、異性に興味がないのかと思っていた。だが貴方……これは私の勘違い、傲慢かもしれないが……グスタフ、貴方。この私には興味があるのだろう?」
「…………」
「貴方のまなざし、言葉。心遣い。ここしばらく接してみて、確信が持てるようになった。そして私の種族は、容姿としては極めて人間族に近い」
「…………うん。君に惹かれているのは、否定はしないな」
グスタフは初めて口を開いた。
「……そうか。安心した。断っておくが、光栄に思っている。最初は我が種族から何も差し出すものが無いゆえ、我が命も体も捧げると言ったが。いまでは本心からそうなってもいいと思っている」
「……そうか」
彼は目頭を揉んでいた。
──ここまで言ってやっても、踏み込んで来ない何かがあるな、やはりこの王には。
最後までやるしかあるまい。
「そして、あの魔術そのもの」
──天候を操れる。
あんな魔術は、あり得ない。
世の魔術とは、まるで異質だ。
そしてあれほど絶大な魔術力を持ちながら、通信や探知は出来ないという。
「あのとき貴方が使った詠唱。まるで言葉の響きがこの星欧のものとは思えない。どこかもっと別の、まるで言語体系の異なる国のものだろう?」
「……聞いていたのか」
「ああ。我らは〝耳〟がいい」
「……そうか。あれの、あの詠唱の言語体系が異なるだろうというのは、正解だ──」
「…………」
「あれは、この世界でいえば、ずっと東の、道洋の、その果ての国が使っているものに近い」
「…………この世界でいえば、か」
「……ああ、この世界でいえば、だ」
彼はもう、半ば認めてしまっていた。
「あれは言っておくが、魔術の詠唱などではないのだぞ? ちょっと願を掛けるくらい。私の──私の中の記憶にある故郷だった地域で、そんなときに唱える言葉だった。そもそも私がいたその世界には魔術なぞはなかった──」
グスタフは、ぽつり、ぽつり、と語った。
彼のいた世界は、魔種族や魔術などまるで存在しなかったのだそうだ。
大鷲族よりもっと巨大な、人間がうんとたくさん乗れる金属の空飛ぶ乗り物や、このオルクセンの都市が一日は食べていけるほどの量を運べる船や、数時間で星欧を横断できてしまうような速度の鉄道が走っていて。
そのように進んだ科学技術による産物を使って、この世界で言う魔術通信のようなもので、やろうと思えば世界中の誰とでも会話できるような、そんな世界だったらしい。
「オークとしての子供のころから、あの言葉だけは記憶にあった。ロザリンドの会戦のあと、あれを唱えると雨を降らすことができ、それからその世界のことを思い出すようになった。その点、君の考察は当たっているよ」
「…………」
「最初は、何か夢を見ているのだと思ったな。だんだんあちらの世界の記憶が鮮明になっていって。挙句には、どちらが夢なのかわからなくなったこともある。今でも時折、ふとそう感じることがあるな。この世界は、微妙にあちらと似ているんだ。地理も、歴史も」
「……大変だっただろう?」
「ああ。大変だった。我ながら、必死にやってきたな。私のいた世界の側にも、異世界に転生する物語はあったんだ。神話や伝承などではなく、作家たちが作り出す完全な夢物語だったから、まさか我が身にそんなことが起きたとは、信じられなかった」
「……そうか」
「どうやって、あちらの世界で生を終えたのか。どうやってこちらに来たのか。何故魔術が使えるのか。それらはいまだに私にもわからない」
「…………」
「ともかくも、必死にやってきた。夢物語では、さも簡単に出来るように書かれていた改革や革新は、これは私の才の無さもあったのだろうが、そんな一朝一夕にやれることではなかった」
「…………」
「一〇〇年。そう、一〇〇年かかった。何もかも上手くいくようになってきたのは、私の感覚でいえばごく最近のことだな。私にとって幸いだったのは、私を盛り立ててくれた者たちが、そんな私の特異性まで理解した上で側近になってくれた事だ」
「……ゼーベック上級大将、シュヴェーリン上級大将、ツィーテン上級大将か?」
「ああ。うん、鋭いな、君は。ただ、それに、アドヴィンもだぞ」
やはりか。
彼がどれほど改革や革新を思いつこうと、周囲の者が従わなければ実現は不可能だ。
このオルクセンという国でそれを為してきたのは彼らだろうと、だいたい察しはついていた。
彼らの結束は、あの魔術を核に集まっただけにしては、異常といっていいほど固かったからだ。
──アドヴィンもというのは、意外だったが。
「アドヴィンには驚いたよ。ロザリンド会戦のあと、私は自ら降らせた雨のために崖下に転げおちてね。そのとき出会って、助けてくれたのが彼だ」
そんなことが。
「気が付くと目の前に巨狼がいて。怖かったな。喰われると思った。だが彼は私を一目見て言った。貴様、オークではないな、と」
そうして彼を助け、崖上まで持ち上げてくれ。
ゼーベックやシュヴェーリンの前に、彼を連れていった。
「つまりアドヴィンは、オーク族と他種族を結んだ、最初の一頭だったんだ。シュヴェーリンは、私が落っこちたあとずいぶん探してくれたらしい。でも泣く泣く諦めていた。もちろん、今じゃ恨んでなんかいない。彼はたくさんの同族を本国まで連れ帰ろうと、必死だったからね。お互いに、いまでは当時のことを冗談にもする」
──この悪党!
──誰が悪党です! また転びますぞ!
そうか。冗談めかしたあのやりとりには、そんな意味が。
「しかし、なんだ。君でも読み切れないことはあるんだな?」
グスタフはくすくすと笑った。
「残念だが、それはたくさんある。とてもたくさん、な。一つ、どうしても最後までわからなかったこともあるくらいだ」
「ほう? なんだい?」
わかっているくせに。
「グスタフ。貴方。どうして私に手を出そうとしないのだ。なぜ踏み込んでこないのか。これだ。どうとでもなっただろう? 貴方の立場なら。その気なら、最初からどうすることも出来たはずだ」
「あー……うん──」
彼は少しばかり悩んだあとで、告げた。
「それ。その立場というやつだ。まず、君はあのとき、大変な苦境にあった。ようやくそれから脱したあとだった。そんな君の、こう言っては何だが半ば自暴自棄めいた忠誠を利用して手を出そうなど、人のやることではない。私はそう信じている。あー……いまの私は人ではないけれどね」
なるほど、な。
──やはり、このお方は優しい。
根の彼は、彼の中身である本来の「彼」は、ただただ優しい人物なのだろう。
おそらく、それを信念にもしている。
損な性分でもあるかも。本来なら、王など引き受けるべきではなかったほどの。
──ディネルース、よく戻ってきた。よくやったぞ。
──降りるなら今のうちだぞ。
──演習中止! 中止だ!
──オテントサン オテントサン
思えば、ずっとそうだった。
やはり、いい牡。
──いや、いい男だ。
「そして今は……その。私はオークだよ。中身はどうあれ。オークだ」
なんだ、それは。
そんなことで悩んでいたのか。
それはよくわからん。
「私は、気にしないが。もう、そんなことは気にならなくなっている。貴方が相手なら」
「……ありがとう。いや、本当にありがとう……とても嬉しい」
あ、照れた。
意外というか、案の定というか。可愛い目をするな、このお方は。
「でもな、そういうことじゃないだ。そうではなく。あー、どういえばいいんだ。君は妙なところで鈍くなるな──」
「…………?」
「私は、オークのなかでも体格はいいほうだ。つまり、その、目方も重ければ、その……」
──あ。
「そういうことか……」
「……ああ、うん。わかってくれたか」
な、る、ほ、ど。
なるほど。なるほど。
つまり、私を壊してしまうかもしれない、と。
確かにそれは、私のほうが鈍かった。
なにしろ私は、そういった方面の経験はないからな。我が一族には女しかおらん。いやまあ、女同士でそうなる趣味のやつもいるが。
ずいぶんと長い間生きてきたが、女の悦びを知るのは初めてのことになる──
「……ダークエルフは、人間ほどやわな存在ではない。たぶん……そう、たぶん大丈夫だろう。試してみなければ、わからないが」
「…………」
なんだ、そのあんぐりした顔は。
今度は大胆過ぎたか。
まぁ、止むを得まい。
私はもう、とっくの昔に娘と呼ばれるような年齢ではなくなっている。
かれこれそう、何年になるか──
三〇〇歳を過ぎたあたりで、数えるのはやめてしまった。
そういえば、この男、気になっているであろう素振りはあるが、私の歳は聞かないな。
どうせ、女に歳を聞くのは失礼だとでも思っているのだろう。そう信じているのだ。だから絶対に聞きはしない。
まったく、この
「……それほど心配なら。エリクシエル剤でも用意しておいてから事に臨もう」
「……軍医も待機させておくか?」
「いいな。なんならエアハルト銃と野砲も」
「……ふふふふ。ははははは! 君は本当に面白いな」
「ふふ。まあ、戦争みたいなものではあるらしいからな」
「ふふ、ふふふふふ。たしかに」
ようやく、区切りがついたか。
まあいい。
これで、何かがまた始まった。
私としては、今夜はどう振る舞うか、その戦術方針を考えるとしよう──
《了》