第六章 アンファングリア旅団


 春は日ごとに勢力を増し、冬を追いやり、樹々は芽吹いた。

 やがて陽光は煌めくばかりとなり、雲白く、葉は青々とし、星暦八七六年は七月を迎えている。

 仮称ダークエルフ旅団改めアンファングリア旅団は、編成を終えた。

 当初は、あの不屈の精神を持つディネルース・アンダリエルを以てしても途方にくれるばかりだった作業は、人員の割り振りが完了した五月ごろになって急速に進むようになり、各地から必要な兵器、需品、装備の類が次々と到着した。

 ディネルース以下旅団幹部たちはその対応にまた忙殺されつつも、それは明らかにいままでの労苦より手ごたえのあるものばかりだった。

 混乱のなかから光明がさし、努力は徒労と化すこともなくなり、くっきりとした道筋が見えるようになってきたのだ。

 まず、被服類が整った。

 最も困難が予想されていたのは、軍装のなかではいちばん高価な、それでいて一兵士に至るまで支給されることになっていた軍靴の大量調達だったが、これはオルクセン陸軍省が外国からの革生地輸入をも行い、ダークエルフ族とオーク族とは体格の異なる点を考慮して市井の革職工にも発注されて、むしろそのため国内の被服廠革工部製よりも質のよい軍靴が製造され、届けられた。

「いい靴だな……!」

「ああ、いい靴だ!」

「これさえあれば、何処へだって行ける!」

 一口に軍靴と言っても、騎兵のそれと猟兵のものでは作りが異なっていた。

 騎兵たちには、乗馬用の長靴。脛までを覆う長いもので、かかとの部分には拍車を帯びる。オルクセン陸軍式に、棒状の突起のついた「棒拍」という形式である。馬に前進の合図を送りたいとき、それも強い興奮を与えたいここぞという場合に、扶助としてこれを用いるわけだ。

 猟兵隊には行動の軽便さを考慮して、筒丈の短い、重いが頑丈で分厚く、底にはびようと金具の打ってある編上靴が支給された。これに柔軟なゲートルガマツシユを帯びる。

 オルクセンの靴は作りが丁寧で、如何にも職工の腕自慢の国の産物らしく、ダークエルフたちを感嘆させたものだった。

 ヴァルダーベルクへと、次に届けられたのは小銃だ。

 あの高性能を誇るエアハルトGew七四系統の銃が、五丁一組で木箱に納められ、一度にではなかったものの、陸続として軍用馬車に載せられて到着した。

 どれもこれも造兵廠で製造され、検品を終えたばかりの、銃床にとりつけられた真鍮製板に打刻の製造番号も真新しいものばかり。

 これはたいへんな厚遇だった。

 Gew七四は、まだ採用されて二年ばかりである。

 国内に二つある小銃製造能力を有する造兵廠は、年間これを計一二万丁生産できる能力があるとはいえ、未だオルクセン軍全部隊の前世代小銃を更新するには至っていない。そのうちの八〇〇〇余丁を割かれたというのは、軍上層部で何か思い切った処置が成されたに違いなかったのだ。

 騎兵用の騎銃、猟兵や工兵、砲兵用の短小銃、あるいは、射撃技量優良者に与えられることになっている小銃……

 銃が届くと、執銃訓練───銃を携えた教育が、実感を以て一挙に進むようになった。

 それまでも、基礎体力作りや、整列、行進や行軍といった兵士としての基本的動作の訓練は行われていたものの、小銃を模したかたちで木材を加工しただけの木銃や、あるいはそれさえ不足して棒くれを用いていて、ごく僅かに前世代銃のGew六一があっただけだから、真新しい小銃が届きその木箱が開封されるたびに、営庭のあちこちで歓声が上がった。

 次に、オルクセン国内最大の鉄鋼及び鉄鋼製品製造会社にして火砲メーカーであるヴィッセル社から、山砲や山野砲が届いた。

 ヴィッセル五七ミリ山砲M/七二、同七五ミリ山野兼用砲K/七二……

 もちろん、砲のみならず、砲兵観測機器、弾薬を搭載する前車や弾薬車、予備品車、馬匹にこれらを牽引させるためのオルクセン式頸圏式輓馬具といったものも、定数いっぱい。

 輓馬具は、オルクセン軍の輓馬用のものは非常に大きいので、サイズを若干改定して新規に製造された、アンファングリア旅団専用のものだ。

 これら砲兵器材の到着には、本当に助かった。

 砲兵は、砲がなければ訓練をやれない。

 もちろん観測術や操砲法そのほかの座学はやっていたが、それまでは同じく首都にえいじゆする第一擲弾兵師団から予備砲を一門ずつ借り入れさせてもらって、砲兵配置になる者たちが順繰りに操作し、習熟に励んでいたのだ。

 砲兵の任務は、砲を撃つだけではない。

 その牽引。展開。陣地転換。そして日常的な整備。

 そういったものへの実感を持てる訓練は、やはり数が揃ってこそ一挙に進むようになった。

 ちよう馬車や野戦炊事馬車も届いた。

 メラアス種でのばんいんには、オルクセン軍の重輜重馬車や大型野戦炊事車は重すぎ、全て軽量型を以て編成を行うことになっており、旅団への配備がここに終わった。幌の側面に、レマン国際医療条約に基づく赤星十字を描いた医療馬車も同様。予備車両、予備品類もまた。

 最後に数が揃ったのは、そのメラアス種の乗馬や軍馬だ。

 これには、オルクセン国内最大の総合商社であり軍御用達の物品調達業社でもあるファーレンス商会が大いに働き、東にある人間族の隣国ロヴァルナから、大量のメラアス種輸入に成功した。

 ロヴァルナは星欧諸国のなかでも指折りの馬産国であったし、そのオルクセンとの国境地帯には低地オルク語を話す地域があり、同地で育てられた馬が最適だと判断された結果である。

 馬は賢い生き物だ。

 言葉を聞き分ける。

 その馬たちが、今後も使用することになる言語環境で育てられたものだというのは、たいへん重要なことだ。

 流石にロヴァルナ産だけでは全てを賄えず、西隣のグロワールや、海を越えて隣り合わせるキャメロット産の馬も幾らかあったものの、それらも聡明な選りすぐりの馬ばかりで、早晩、隊になじんでくれるに違いない。

 騎兵連隊に配される将兵たちは、さっそく乗馬での教練に励んだ。

 将兵たち本人の習熟のためでもあったが、それは同時に乗馬や軍馬たちの教練でもある。馬は本来、群れをつくる生き物だ。だが中には、同輩といえども見ず知らずのものと集団で行動することを好まない、プライドの高いやつもいて、これらを徐々に慣らしていかねばならなかった。

 始めは小隊。

 次いで、騎兵にとっての基礎戦闘単位となる、中隊。

 そして中隊がまともに動くようになって初めて、連隊での教練──

 ダークエルフ族の者たちは馬を扱うことに長けていたが、個人での騎乗技巧が優れていることと、集団としての技量が優れていることは、必ずしも同義ではない。

 彼女たちは懸命に、そして愛情を以て、それぞれの新たな相棒となった愛馬たちと相互に信頼感と技巧を深めていった。

 まさしく、騎兵とは乗り手と馬とが一体となって初めて実現するものである。

 ──ともかくも。

 ここにアンファングリア旅団の、部隊としての態がようやく整った。

 騎兵連隊三個、山岳猟兵連隊一個、山砲大隊一個、工兵中隊一個、架橋中隊一個、弾薬中隊一個、輜重大隊一個、野戦衛生隊一個、野戦病院部一個。総兵員数八三一〇名、馬匹四九〇二頭、五七ミリ山砲一二門、七五ミリ野山砲一八門、各種軍用馬車約三〇〇両──

 それは旅団と呼ぶにはあまりにも大規模な部隊で、一個の独立した作戦遂行能力を持ち、小さな師団のようなものだった。内容と規模からいって他国なら騎兵師団と呼んでいてもおかしくない。

 しかも最初から諸兵科連合の編制を採り、完全に充足されてもいて、つまり、即応力、機動力、戦闘力の全ての点において極めて高い。

 ディネルースは編成の完結報告書に署名し、陸軍省、国軍参謀本部、そして国王グスタフ・ファルケンハインに送った。

 ───編制、編成。

 軍隊の用語は、やはり面倒くさい。

 編制とは、平時からの法令や予算措置上の用語。例えば、これこれこういう部隊を作りますよという文書に見られる。官庁でいえば陸軍省が財務省に提出する書類など。部隊の定員や、装備の定数がこれによって決められている。

 アンファングリアが旅団を名乗ったのは、実はこのためである。オルクセンの場合、国防法と呼ばれる法律で師団の全体数が決まっていて、法改正もなく師団を名乗らせるわけにはいかなかったのだ。

 一方「編成」とは、この編制を基に新規の部隊を作り上げること。あるいは演習や戦時等で臨時に他部隊を組み込んだり、損害を受けた部隊を現地で集め直すような場合を指す。前者を「新編」といい、既に作り上げられた部隊を改正編成することを「改編」、集め寄せることを「集成」などとも称する。

 以上を踏まえて──

 通常、諸兵科連合部隊は、必要に駆られて様々な部隊を臨時に組み合わせて──つまり「編成」して作る。

 ところがアンファングリア旅団の場合、最初から騎兵を中心にして、猟兵や、砲兵を組み込んだ「編制」になっていたことに、最大の特徴があるわけだ。

 もっとも、ディネルースに言わせるなら、錬成はまだまだといった状態にある。

「錬成」とは、これが果たせた場合、対象部隊がいつでも戦場に投入できますよと太鼓判を押せる、種々様々な訓練を深め、兵たちが士気の面においても技量の面においても円熟した存在に到達できた状態を指す。錬成未熟であれば「練度不足」ということになる。

 つまり、アンファングリア旅団の現状は「新規に予算が組まれ編制された部隊が、編制通りに編成された状態」。そして、見た目こそ出来上がったが、まだまだ練度不足というわけだ。

 ともかくも、内外へのお披露目にあたる編成完結式をやろうということになった。

 グスタフ王臨御のもと、軍の高官、官僚、有力者、更には諸外国の公使及び駐在武官、内外の報道機関なども招き、閲兵式を行う──

 隊の工兵隊の手を使い、第一擲弾兵師団から応援も来て、旅団衛戍地の営庭に巨大な雛壇状の閲兵台が作られた。白地に黒の横帯、つまりオルクセンの国旗の色合いで装飾の幕もふんだんに掛けられる。

 軍楽隊もやってきた。アンファングリア旅団には流石に軍楽隊は属しておらず、こちらもやはり第一擲弾兵師団のものだ。

 初夏を迎えても、首都ヴィルトシュヴァインの気温はそう上がらない。

 摂氏二四度。

 湿気もなく、風は清涼なばかりで、過ごしやすい。

 気持ちのよい陽光が降り注ぎ、樹々の青々とした葉を煌めかせる。

 この日が素晴らしい気候になることを、ディネルースは既に知っていた。

 前日に二度、そしてこの日の早朝に一度と、あの大鷲族のヴェルナー・ラインダースが自ら首都上空を三度も飛んで、きっといい天気になると、魔術通信を寄越してくれたのだ。

「旅団の編成完結を祝す」

 と、通信の末尾にあり、ディネルースは、

「貴殿のゆうに感謝す」

 と返した。

 式典開始二時間前には、続々と参列者が来賓した。

 軍や政府の高官。

 各国の公使。駐在武官。

 国内の有力者。どういう立場にある者なのか、やたら派手に着飾ったコボルト族の貴婦人までいた。

 グスタフはかなり早く、ゼーベック上級大将と、陸軍大臣のボーニン大将、騎兵監のツィーテン上級大将を伴い到着し、式典開始までの控室となった旅団長室でディネルースの成果を讃えた。

「よくやった、少将」

 しごくあっさりとした言葉だったが、その力のこもり具合、握手の熱さ、瞳の色などから、彼の配慮が深く感じられた。

 ディネルースの、年齢に練られた観察眼によれば、どうもこのときの彼はあれこれ面倒くさくなってこのような挨拶をしたらしかった。

 この王にとって生来の照れ屋の地が出てしまい、余計な装飾をねぎらいに施して、いえいえ王のおかげですなどと返されるのは面倒だったし、このあと式典で鹿爪らしい挨拶をしなければならないのが、やはり面倒だったのだ。

 ボーニン大将とツィーテン上級大将には、既に面識があった。

 とくに後者の印象は深い。

 陸軍における騎兵科の統括者で、この国に三名しかいない上級大将のひとり。

 気難しそうな顔つきをした老将であり、リューマチの持病があるためあまり表には出てこないものの、この国の軍隊における騎兵科の親玉だというので、ディネルースのほうからこの年の春のうちに挨拶に出向いたことがある。

 彼は、オルクセン陸軍ではまま扱いされがちな騎兵を、辛苦の挙句、まがりなりにも形あるものに育て上げた根っからの軍人で、ロザリンドの会戦にも、デュートネ戦争にも従軍したというふるつわものである。

 ゼーベック上級大将やシュヴェーリン上級大将とともに、草創期の新生オルクセンを支えた牡──つまりグスタフの最側近のひとりでもあった。

 言葉少なく寡黙な性格だったが、どういうわけかディネルースのことを気に入ってくれたようで、教えを乞うという態で挨拶に訪れた彼女に、

「なんの、なんの」

 儂なんぞからは教えることは何もないと謙遜しつつ、ロザリンド会戦やデュートネ戦争の昔話を幾つか聞かせてくれた記憶も新しい。

 ──この式典より、少しばかり後日のことだが。

 ツィーテン上級大将が、かつてこの国の騎兵にもっと機動性を与えようと何度も試み挫折していたこと、それゆえにアンファングリア旅団に理想を託そうとしていたこと、あの演習終了後にシュヴェーリン上級大将がこの朋友を訪れディネルースのことをおおいに褒めて北部に還っていたこと、そしてそれらの結果、旅団の軍馬調達のために関係各所への発破をかけてくれていたことを彼女は知る。

 それらの事実は第三者より知らされて、さてそこまで気に入ってくれていたのかと驚きもしたし、またそのような密かな配慮を成し、これを黙してもいたツィーテン上級大将への好感を深くしたものだった。

「少将、準備のほうもたいへんだろうから、私たちのことは気にしなくていい。私たちは式典までのんびりしておくから」

 グスタフの言葉は、王としてはどうなのかというものだったが、有難かったのも事実だ。



 軍の式典というものは、厄介なものである。

 ましてや、主催者役ともなると。

 開始されるその瞬間まで準備に忙殺されつつ、周囲からはさも余裕があるような、見栄えの良さを演出しなければならない。

「では」

 ディネルースは敬礼し、ありがたく退出した。

 ただし、いくら彼女でも、王と将軍たちに熱いコーヒーと、菓子を出させるくらいの配慮はやっている。

 式典は、午前一〇時に始まった。

 まずは、軍楽隊の演奏。

 オルクセン国歌「オルクセンの栄光オルクセン・グローリア」が吹奏され、来賓者も全員が起立、国旗と国歌に対して敬意を表する。公式な式典ゆえに、珍しく軍用兜を被り、雛壇中央の閲兵台についたグスタフもまた、例外ではない。

 この王は、常に己を国家という存在よりも下に扱った。われ即ちオルクセンであるとか、至高であるといったような傲慢は決してやらなかった。それどころか誰よりも真っ先に、国家に仕える者であろうとした。そこが如何にもグスタフらしい──

 オルクセン・グローリアは、管楽器を多用し、軽快さと重厚さを兼ね備えた曲だ。デュートネ戦争の、国土防衛戦の最中に作られたもので、行進曲としての側面もある。


 母なる大地 母なる国よ

 母なる大地は 我らのもの

 母なる豊穣は 我らのもの

 黄金色の麦

 白銀色の山河

 黒き森の樹々

 護るにあたりて

 家族の如き団結あらば

 誓ってそれを成し遂げん


 曲の成り立ちが成り立ちゆえに、行進による軍靴の響きもまた曲の一部だという捉え方をされている。

 ゆえに、閲兵式の場合は国旗の掲揚式はなく、演奏の開始とともに受閲部隊の営庭進入は始まり、その最先頭に国旗を掲げた兵がいる。来賓者たちは、この国旗が通過するまで、立ち続けるのが公での習いということになる。

 白地の上下に太い黒の横帯、中央やや左寄りに跳ねる猪。

 オルクセン国旗だ。

 見栄えのため、旅団のなかでもとくに体格のよい旗手が選ばれ、これを高く掲げて入場した。

 旅団旗と、騎乗したディネルース以下旅団幹部は、その後ろへと続き──

 その背後に、受閲全部隊が連なる。

 アンファングリア旅団の旗は、オルクセン国軍の多くの部隊の軍旗と同じく、黒地だ。

 ただし、そこには殆どの場合国旗と同じ跳ねる猪か、交差した牙が白く描かれているのだが、アンファングリアの場合は違っていた。旅団名称の由来に合わせ、高く吠えあがる巨狼の姿があった。

 続いて、旅団の主力たる、騎兵連隊三個。

 三二騎の小隊ごとに二列横隊となり、これを四つ縦列に重ねて、騎兵部隊の基本的な戦闘単位による密集行軍隊形、一五九騎の騎兵中隊縦列を成す。

 アンファングリア旅団にはこの騎兵中隊六個で編制された騎兵連隊が三つあったから、総じて一八個中隊。各連隊本部も加えると、二九五二名、二九八二騎。

 全員があの黒の熊毛帽に、白銀絨の縁取りや飾線、飾帯入りの肋骨服、乗馬仕立ての軍用ズボンという姿であったので──

 まるで黒色の奔流、波濤、津波のようだ。

「おお……」

 参列者たちの口々から、歓声と感嘆、嘆賞が漏れる。

 流石に馬の毛色までは揃っていない。

 だが集団の先頭にあって、グスタフへとサーベルを捧げるディネルース・アンダリエルの乗馬は、見事なものだった。

 艶やかな青毛に、額から鼻筋にかけてダイヤ形をした白毛がある。

 これは旅団に到着したメラアス種のなかで最も美しく、それでいて逞しい、持久力や肝力にも申し分のない素晴らしい牝馬で、旅団の総意によりディネルースが乗ることになった駿馬だ。

 本人としては若干の面映ゆさもあったが、配下の者たちにしてみれば、あの苦難に満ちた脱出行からこれまでの彼女の労苦に対する正当な供物といったところだ。

 ディネルースはこの見事な馬を、シーリと名付けていた。

 彼女の軍帽には、あの大鷲族ラインダースから贈られた大鷲の羽根も飾られていたから───

 どこか神話伝承上の登場人物めいてさえ思えるほどの、見る者を惹きつけてやまない何かがあった。

 ディネルースは、元より美しい。

 それは線の細さや可憐さのような深窓のものではなく、眉根と目元に不屈や不譲があり、長身の四肢には逞しさとしなやかさがあって、野趣美の極致といえた。

 そんな彼女に続く約三〇〇〇騎が連綿としてサーベルを捧げ、グスタフ王の前を通過したときには、はやくも式典は最高潮に達した感があった。

 陽光に煌めくサーベルの林が、一斉に捧げられる様は、華麗であり、壮麗でありながら、この集団が合わせ持つ禍々しさも想起させずにはいられない。

 デュートネ戦争から六〇年。

 火器の発達著しいなかにあって、騎兵はいまだ一種の戦略兵科だと捉えられている。

 その奔流こそが戦場の勝敗を決すると信じている者も多く、そのような者たちにとって三〇〇〇という数はこの上ない勇壮にして武威、明白な脅威でもある。とくに人間族の国々の駐在武官たちから注がれる視線は真剣だった。

 軍歌の調べが変わった。

 鼓笛や軍鼓をふんだんに取り入れた軽快な前奏に、管楽器の響きが重なる。

 陸軍公式行進曲「嗚呼、我らが王デア・マイン・ケーニヒ」。

 やはりデュートネ戦争の最中に作られた、グスタフを称える目的で楽譜が書き上げられたという、勇壮な曲だった。

 グスタフ本人は曲そのものはともかく、題については「もうちょっと何とかならんかったのか」と感想を漏らしたことがあるらしい。勘弁してくれ、そう言いたげだったといい、彼の性格をわかりかけてきたディネルースには、そりゃそうだろうなとも思える。

 ただし、確かに曲そのものは素晴らしい。

 その調べに合わせ、営庭を反時計周りに巡っていく騎兵連隊に続いて現れたのは、アンファングリア山岳猟兵連隊。

 総勢、二〇九六名。

 小隊二列横隊を重ねた中隊縦隊をさらにまとめ、三つある大隊ごとの密集行軍隊形。

 こちらもまた、黒を基調に白銀絨の軍装である。ただし肋骨服ではなく、将校たちはダブルブレスト、兵たちはシングルブレストの、比較的装飾美のないもの。

 ただオルクセン陸軍の同兵種とは明確に異なる点があって、彼女たちはその全員が庇つき筒型軍帽ケピを被っていた。

 グロワール式のものに近かったが、フェルト製で、帽芯はない。帽の天の部分より胴のほうが長く、天の前緑にはかたちを保つための山形の縫いがあり、一種独特である。

 これは、彼女たちの尖耳を邪魔せぬよう、なおかつ山岳地での行動を考慮し、あれこれ試した上で採用された意匠だった。もちろん、左側面にはダークエルフ族部隊を示す、白銀樹の葉を模した金属飾りが全員にある。

 羅紗製の、フード付きで腰丈までのケープ型外套は民族衣装の特徴を取り込んだもの。

 そして腰の右には、銃剣とは別に、革鞘に収まった大振りの山刀があった。鉈に近く、柄が湾曲した形状をしていて、ダークエルフ族独特のものだ。

 困難辛苦を極めたシルヴァン川脱出行を乗り越えてなお皆が皆故郷から携えてきたもので、枝を掃うにも、物を割くにも、何にでも使えて、山に入るなら欠かせない必需品と彼女たちは見なしており、正規の部隊装備品になった。

 彼女たちの主武装は、短小銃だ。

 長さは騎兵銃と代わりない。ただ、サーベルを帯びる騎兵のそれには銃剣の着剣機能がないが、こちらにはある。

 小隊に一名の割で、短小銃より長い、通常のGew七四小銃を持つ者もいた。

 射撃技量が格別に優れていると選抜された兵たちで、彼女たちはダークエルフ族の特性を活かし、長射程射撃や狙撃を受け持つ。

「かしらぁ、右!」

 猟兵に限ったことではないが、軍隊において銃を携える兵は、一種独特の敬礼をする。

 敬礼を受ける者──この場合はグスタフに対し、号令一下、一斉に頭を右に向ける動作で礼を示すのだ。さきほどの騎兵連隊がサーベルを捧げた所作もこの一種で、同様の敬礼は、猟兵の指揮官ら将校も行う。

 また軍旗を掲げる者は、この際にこれを前方に寝かせる動きをする。アンファングリア猟兵連隊の場合、連隊旗と各大隊旗の四本だ。

 猟兵連隊の行進もまた、招待者たちに感銘を与えた。

 彼らが日頃見慣れているオークの軍隊は、どうしても足が太く短く見える。

 巨躯を揺らせて行進する様には特有の重厚感と武威があり、おまけに地響きまで実際に伴っていたが、華麗さや壮麗さには程遠い。アンファングリアにはそれがあった。

 その総員が女だということもあるが、これはもうシルエットの問題だった。ダークエルフは、種族の特徴として、みな脚が長い。それが一斉に揃っている様は、この国の軍隊としてはやはり彼女たち特有の陰影といえるだろう。

 行進曲は、次なる調べへ。

 面倒な前奏などなく軽快な管弦とともに一気に始まったのは、行進曲「進め、兵隊フオアウエルツ・ソルダテン」。

 この曲の歌詞は、ちょっと面白い。


 兵士たちが進むとき

 彼らは戸惑い 怒鳴りあう

 進め!

 なんだって?

 進め!

 なんだって?

 何言ってるのかわからねぇよ

 もう一度言ってくれ

 いいから進め! そら進め!

 トテチトテチタ トテチトチトタ

 わからなくてもいいや もういいや

 トテチトテチタ トテチトチトタ

 可愛いあの娘のため 進むとしよう


 この曲、デュートネ戦争のころはまだ低地オルク語が浸透しきっていない環境下で、出征したオーク、ドワーフ、コボルトたちが互いの言葉を聞き返し、尋ね合い、戸惑いながら戦場を駆けたため、彼らのなかから自然発生的に生まれたものだという。

 だから、比較的意味が通じやすかった、擬音まで歌詞になっている。曲自体は、オルクセンの一〇月に全国的に開かれる、豊穣祭における定番民謡が元になっていた。つまり、誰しもが聞き慣れている調べだ。

 当時、最大の流行歌だったと回顧する者もいる。即ち「オルクセンの栄光」や「嗚呼、我らが王」よりも。

 軍歌というものは面白い。

 上が作ったものほど荘厳で、鹿爪らしく、真面目にできていて、このように兵士たちのなかから自然発生的に生まれたものほど、無垢で、ぼやきに満ち、感情が溢れ、それゆえに耳にした者の心を掴むところがある。

 「可愛いあの娘のために」の部分など、いまでこそちょっと微笑ましいが、デュートネ戦争当時としては艶めかしささえあったかもしれない。

 流石にこの閲兵式では歌唱までは行われなかったものの、オルクセン各地各部隊なりの替え歌も数え切れぬほどあり、この曲を好む者はいまでも多かった。

 この軽快な調べに乗って閲兵場に現れたのは、砲兵たち。

 猟兵連隊の五七ミリ山砲中隊二個一二門と、旅団山砲大隊の七五ミリ野山砲一八門だ。

 四頭、あるいは六頭で馬匹牽引された砲そのものと、その弾薬を納めた前車や弾薬車。

 兵たちは砲車や前車に乗るか、馬匹に騎乗している。

 火砲は、魁偉だ。

 見る者を圧しながらも魅入らせてやまない、そんな禍々しさがある。

 その様子と、軽快な曲は一種の対比になって相乗し、よく合った。

 猟兵連隊山砲隊の一二門という編制は、やや奇異に思える者もいたが、これは軽歩兵科独特のものだ。

 大きなくくりでは同じ歩兵である擲弾兵は、オルクセンの軍制ではその大隊に自前の五七ミリ砲を二門持っている。連隊には六門の七五ミリ野山砲が連隊砲としても存在した。

 だが軽快な機動を旨とし、山岳地にまで展開することを目的とした山岳猟兵大隊は、純粋に猟兵だけで編制されており、必要に応じて連隊から砲を配することになっている。

 まず、このための山砲が六門。

 猟兵連隊には三つの猟兵大隊があったから、運用的には二門ずつ配る。そして猟兵連隊本部が直接的に手元で管轄する、連隊砲としての山砲が六門。

 なんのことはない、最初から配ってあるか必要に応じて配するという建前の違いだけで、合計の門数だけは同じことだった。ごちそうの卵を個別に持っているか、まとめて籠に盛ってあるかの違いといえばわかりやすいかもしれない。全て山砲なのは、やはり兵種の目的ゆえ。

 彼女たちに続く、旅団直轄の七五ミリ野山砲一八門から成る山砲大隊が、アンファングリア旅団最大の火力ということになる。

 オルクセンの軍制にはもっと火力の大きな編制の野砲大隊や連隊、旅団、あるいは攻城戦にも使える重砲旅団もあったが、それらは部隊規模として大きく、また運動性の点において重厚にすぎ、快速な機動集団を目指すアンファングリアの編制には取り入れられなかった。

 オルクセンの優れた七五ミリ野山砲が、その名の通り、山砲を兼用できる程度には重量を抑え込みつつ、他国の野砲を凌駕するほどの性能を有していた影響もあった。

 どちらの砲兵たちも、基本的には山岳猟兵連隊と同じ軍装をしていた。

 砲兵が自衛用に使う銃もまた、短小銃型で変わりはない。

 続けて、工兵中隊と架橋中隊。

 どちらも同じ工兵科だが、前者は前線近く、あるいはときには前線そのものにまで直接追従して、爆薬等を使用し、敵の構築した障害を破壊処理する。そうやって味方の進撃路の確保、また本部や砲兵陣地の構築、障害物のリスト作成など防禦全般の支援に当たる。

 後者は、浮橋を架けて渡河作戦を支援することが主たる任務だが、そういった必要のない場合には陣地構築支援等にも回る。

 軍事上の分類では、戦闘工兵と建設工兵という分け方をすることもあった。

 彼女たちは、徒歩と、機材を収めた軍用馬車隊の隊列で閲兵を受けた。

 輜重馬車隊や衛生隊は、その全力は閲兵式には参加しなかった。

 彼女たちの数が多すぎたという理由もあったが、何もオルクセンの軍制全てまで諸外国に披露することはあるまい、という判断による。

 営庭の中央部に、閲兵参加の諸部隊が集結を終えたところで、演奏曲もまた楽譜を改めた。

 第一擲弾兵師団の軍楽隊は、儀仗役を務めることが多いだけに手練れていて、鼓笛と軍鼓による間奏を挟ませて、たいへん上手く間合いをとった。

 演奏されたのは、お披露目としてはこちらも今日が初めての曲になる。

 騎兵の蹄音に負けぬよう故意にゆったりとした曲調で作られ、またダークエルフ族の民族音楽の調べを取り入れてある。

 新たに作詞作曲された、旅団歌だ。題は隊名そのままに「アンファングリア」。


 アンファングリア

 アンファングリア

 我らにもはや白銀樹は無し

 許容も慈悲も 既になし

 憎しみは無尽 渇望の如し

 乾いた顎で 喰らいつけ

 血濡れた顎で 噛み殺せ


 この場では歌唱こそされず、調べはたゆたう大河の流れにさえ聞こえたが、その歌詞は凄絶極まりない。

 旅団のなかで、詩作の得意な者が歌詞を編み、楽器演奏の心得のある誰かが譜をつけて作り上げたものだ。

「白銀樹は無し」とは、彼女たちの護符の習慣に因んでいて、生まれ故郷はもはや存在しない、という意味である。

 既に旅団内には、流布している。

 ダークエルフ族は、元々楽曲や舞踊を好む。

 各小隊に一名くらいは、リュートや横笛、コンサーティーナなどの得意な者が必ずいて、なかにはそういった楽器を後生大事に抱えシルヴァン川を渡ってきた者もいる。

 このヴァルダーベルクで、夜になり、酒肴が入ると、彼女たちも最初は、故郷の歌謡などを歌っていた。

 だがやがて、時期的には旅団の名が決まったころ、自然発生的にこの曲と歌詞が生まれ──

 編成が進めば進むほど、浸透した。

 彼女たちにしてみれば、この曲が、この曲こそが、故郷を思い出させた。そこであったあの凄惨な虐殺をありありと想起させることが出来た。

 脱出直後こそ、触れたくもない過去だった者も当然いた。

 だがいまでは、誰もが歌う。

 まるでくらい情熱であり、古傷を自ら開いて塩を塗り込むような、他者からすれれば目を背けたくなるような自虐があった。

 だが彼女たちは口を揃えるだろう。

 ──同情も憐憫も無用。

 だから。

 ──とっとと喰い殺させろ。白エルフどもを。

 ダークエルフ族は、決して可憐な妖精などではない。むしろその決意と選択は凄絶であり、迷いなどなく、きっぱりとしていた。

 オルクセン軍の上層部としては、配慮のひとつとして彼女たちの部隊歌を作ろうとしたに過ぎない。そしてこの式典に合わせて楽譜を書きあげようとディネルースたちに相談したのだが、実にあっさりと、間もおかずにこの曲と歌詞が戻ってきて、若干戸惑いもしたのだ。

 演奏が終わると──

 営庭中央部に、アンファングリア旅団のほぼ全貌が揃っていた。

 ある者は見惚れ。

 ある者は同情の念を抱き。

 またある者は、彼女たちの瞳に宿る昏い感情に気づき、おののきもした。

 王グスタフ・ファルケンファインがどのような感想を抱いたかは、公式にはつまびらかになっていない。

 だが少なくとも、ディネルース・アンダリエルには、わかったような気がした。

 訓示を述べる前、王はそっと彼女と視線を合わせ、小さく頷いてみせたからである。


「兵士諸君。

 アンファングリア旅団の兵士諸君。

 ゆえなくして故郷を追われた君たちを、我がオルクセンは心より受け入れる。

 この新たな地を以て、平穏安寧に暮らしていく選択肢も君たちにはあった。

 我が国はそれでも君たちを受け入れただろう。

 だが自ら銃をとり、くつわをとり、砲を備え、我が国に仕えてくれる選択を君たちは為した。

 私はその選択を決して忘れない。

 決して!

 だからもう、ここは君たちにとっても祖国だ。

 新たな祖国だ!

 豊穣の大地、黒き樹々、たゆたう河川。

 北の海、果てなき空、恵みの太陽。

 ここは君たちの母なる国だ!

 君たちはそれを忘れないでほしい。

 決して忘れないでほしい。

 胸を張って誇ってほしい。

 我らと糧をともにしていこう。

 この言葉を以て、旅団編成の完結を祝す。


 星暦八七六年七月四日

 オルクセン国王グスタフ・ファルケンハイン」


 ──さてさて。エルフィンドはどう出るかな。

 表情や姿勢を緩めず、グスタフの祝辞に込められたものに心を揺さぶられ感謝もしつつ、ディネルース・アンダリエルは昏い炎で自らの感情を弄んでいた。

 彼女は、アンファングリア旅団の編成が、政治的目的を含有することも理解している。

 これで、ダークエルフ族がこれほどの集団を以てオルクセンに亡命し、武装し、牙を研いだ事実が内外に知れ渡ることになったのだ。招いた各国の公使や新聞記者たちが、その事実を彼ら人間族の国々にまで広めるだろう。

 王は、しっかりとその理由にも触れている。

「ゆえなくして故郷を追われ」

 さてさて。

 さて、さてさて。

 エルフィンドはどうするか。

 きっとグスタフ王の周辺や、オルクセン外務省が、より詳しくいったい何があったのか、周辺国からの問い合わせに応じるかたちで「漏らし」もする。

 これでエルフィンドという国の持つ、楚々として、平穏で、神話上の妖精じみた可憐で清廉な国という心象は吹き飛んでしまうだろう。

 演説はオルクセンがどう対応するつもりなのかも、きっぱりと示していた。

 そのダークエルフたちを「本人たちの選択のもとで」武装させたのだ。


 ──機会を得ればエルフィンドをぶっ潰す。


 そう宣言したに等しい。

 楽しくて仕方がない。

 楽しみで仕方がない。

 もっと牙は研ぐ。研ぎ続ける。

 我が祖国だったもの、エルフィンド。

 せいぜい、もがき、苦しみ、嘆き、じたばたと踊ってほしい。

 我が旅団が。

 あの誇らしき旅団歌で伴奏して差し上げる。



 アンファングリア旅団は編成を終えると、錬成を深めつつ、徐々に実働任務を負いはじめた。

 グスタフの構想通り彼の直轄部隊となり、ヴァルダーベルクから騎兵一個中隊ずつを国王官邸に派遣して、官邸及び国王警護の任を担当したのだ。

 毎朝一〇時ちょうどに首都近郊北西にあたるヴァルダーベルクを出発し、衛戍地前のシュッチェ通りを西へ。

 そこからグランツ大通りを南に折れ、市内を東西に流れるミルヒシュトラーセ川を、アルデバラーン大橋を使い、渡る。

 するとデュートネ戦争戦勝凱旋門のあるフュクシュテルン大通りとの交差点に入るので、東に折れ、すぐ南に曲がると、まず国軍参謀本部の巨大極まる大理石造りの建物が見え、あの毎週土曜に朝市が開かれるヴァルトガーデン前。左を、西のほうを見れば国王官邸の裏門に到着する──

 行程約八キロ。

 メラアス種による騎兵のなみあしで一〇分とかからない計算になるが、途上の交通状況等を含め余裕を見込んで、一五分弱といったところ。

 国王官邸は、上空から見ると凹型をしていて、窪んだほうが裏側だ。くぼみは中庭兼馬車口で、中隊はここに馬を繋ぐ。

 午前一〇時半より、官邸前にてそれまでの当直たちと、交代式。

 国王官邸衛兵となった彼女たちは、ここから二四時間、翌日の交代まで正門や裏門、あるいは国王外出時の警護につく──

 たいへん信じられないことだが、それまでオルクセン陸軍には近衛師団や親衛隊の類が存在しなかった。強いていえば、儀仗部隊の役割も担ってきたあの第一擲弾兵師団がこれに近いが、彼らの任務は国王の警護ではなく首都防衛とされていた。

 国王はどこに赴こうと在所の部隊をいつでも指揮下に入れられるのだから、それでよしとされてきたのだ。

 一二〇年前、ロザリンド渓谷の戦いで没した先王は、国内から特に選りすぐって集めた巨躯のオーク族兵を近衛連隊として使っていたものの、これとて現在は通常の軍部隊となっている。

 ではいままで国王官邸の警護は、どうしていたのかというと──

 ヴィルトシュヴァイン警察から警察官が派遣されてきており、ただそれだけだった。

 過度な装飾を嫌う上に、何処へでも微行で赴きたいグスタフの性格が理由だったのだが、いまや星欧屈指の列商国の一つともなっているオルクセンの最高権力者の警護としては、なんとも不用心なのも事実ではあった。

 元々、どうにかしてはどうかという意見はあったらしい。

 であるから、アンファングリアが国王官邸及び国王周辺警護を担うことには、さほど反対はでなかった。長きにわたるグスタフ王の治世下で、初めて近衛らしい役割を担ったのが彼女たち、というわけだ。

 配置は正門に一個小隊、裏門に二名。そして、官邸の中枢たる国王執務室前に二名。

 熊毛帽に肋骨服というあの常装に、騎兵銃とサーベル、それに拳銃を装備する。

 拳銃は本来なら将校の自弁品になるが、任務の性質上、二個中隊分の部隊装備品が用意されて、警備に就く中隊はこれをヴァルダーベルクで帯びてくるわけだ。

 アンファングリア旅団による国王官邸警護は、すぐに市民たちの話題になった。

 その往復の騎行も、官邸での配置も。

 背丈があり、美形揃いで、尖耳をしていて、どこかしなやかな猛獣を思わせる彼女たちの姿は華麗、美麗、勇猛に見え、その様子を一目見ようと最初のうちは野次馬が並び、とくに小銃操演ライフルドリルを含む交代式が注目を浴びて、落ち着いてからも一種の観光名物のようになった。

 ──要はこれも政治だな。

 ディネルース・アンダリエルはそのように理解している。

 もちろん、実務上の役割を負っているのも確かだ。

 だがオルクセンの国王官邸に彼女たちが警護に就けば、当然ながら社会の耳目を集め、話題となる。

 市民はおろか、外交筋を含む人間族の口にも上ったし、外電で新聞記事にもなった。

 つまりエルフィンド側からすれば、強烈な嫌味でしかない。

 痛快ではあったが、だからこそ、手は抜けなかった。

 なにか粗相をしでかせば滑稽な話題となってしまい、むしろ逆効果となる恐れまである。

 制度が始まって最初のうちは、警護に就く各騎兵中隊にディネルース自身が付き添い、丁寧に指導もし、また自身もこれを第一の任務とした。

 何しろ、彼女の目から見れば旅団はまだまだ練度不足だ。この任務自体が練度の向上にも役立ったものの、心配でいけなかった。

 旅団における書類決済のあれこれは、急を要するものがあれば騎兵なら誰でも伝令のために腰に備えている革製図嚢におさめて運んできてもらい、衛兵たちの詰所となった部屋の一隅を借りて、そこで処理をした。

 ただ、これはこれで問題がある。

 あまり鹿爪らしく何にでもついて回り、細かく口を挟み過ぎれば、兵たちの過度の緊張を招くし、正式な衛兵司令役を務める各中隊長の顔を潰しかねなかった。だから衛兵詰所に居続けるわけにもいかない。

 だがせめて、一八個の中隊がその役割を一巡するまでは見ていてやりたかった。

 最初のうちは、警護のためもあって官邸各所を見せてもらったり、ついで国王副官部の連中と親交を持ったりで時間を潰したが、やがてやることもなくなって、どうしようかと思っていると、

「いい加減にしておけ。そんなに閑なら昼飯の相手でもしろ」

 グスタフに呼び出されるようになった。

 この王は、臣下たちの姿の見るべきところは見ている。

「少しは部下を信用せんか。上に立つものの普段は、下からは閑そうにしているように見えるくらいで丁度いいのだ。立ち上がるのは何かあったときにだけで十分だ」

「……そんなものか」

「ああ。そんなものだ」

 自然、王からの相伴の誘いが増え、親交の機会が深まった。

 共通の話題となったのは、書籍についてだ。

 意外なことのようだが、私人としてのディネルースは本をよく読む。

 とくに神話伝承、奇談奇譚や怪談の類が好きで、本人自身が妙な趣味だと思っているが、思い切り強い火酒を飲みながら、夜そのような内容の書を読むのは夢中になれた。

 グスタフは、かつて許した通り双方日常通りの口調で、彼女の故郷の神話伝承などを聞きたがった。

 国交を断っているオルクセンにしてみれば、世で最も手に入りにくいのがエルフィンドの書物で、そこに書かれていることは彼の知的好奇心の対象になったのだ。

 昼食の席と、それに続く午睡の時間に、よくそんな他愛もないがゆえに楽しさばかりの歓談をした。

 そのような機会が増えると、これは以前からディネルースも認識してはいたが、グスタフの知識量はたいへんに豊富だった。

 南の、ずっと南の大陸には、大陸が二つに分かれていく大断崖と大瀑布があるだとか、遠くマウリアの地には何と三〇〇以上の藩王がいるであるとか。

 海のむこうの国キャメロットの、そのまた海の向こうの国センチュリースターから西に広がる大瞑海パンサラツサにはずっと嵐が荒れ狂って、何度も挑戦はされているが、いまだその大海を渡った者はいないのだとか。

 東の果て、道洋の、大瞑海との境にある絶道の島国には、うんと勇敢でいながら精緻な美術品を作る民族がいる等々。

 年齢を重ねてはいるがエルフィンドしか知らないディネルースには、ちょっと俄には信じられないような、世界の興味深く不思議な話の数々を、巧妙かつ軽妙洒脱な口調で聞かせてくれた。

「ともかく、世界各地の伝承や歴史、地理地勢を調べれば調べるほど、世の成り立ちでこの星に大きな星が落ちたのは間違いないようだね」

「本当に? エルフィンドのあの伝承にも残る、私たちの種族の成り立ちに関わっていたという、あの、か?」

「ああ。そんな伝承はエルフィンドだけではない。世界中にある。この星には一二個の大小様々な月があり、ひと月ごとに順に入れ替わってどれかがいちばん近くに来るわけだが、どうもかつてはもう一つあった。その一つが、あの巨大極まる大瞑海に落ちた。私はそう思っている」

「そんな馬鹿な……」

「信じられないのも無理はないが。そのとき、剥がれ落ちたという欠片かけらの落下した場所は、この星欧大陸でも実際に見つかっているからね。間違いないと思うな。我らオークの祖は、そのうち一つの黒き塊に触れて、言葉を解するようになったとも伝わっている。磁針も証拠の一つだ。大瞑海に向かって、西のほうを指す。ちょっとあり得ないことなんだがね、これは。何か磁力のあるうんと大きな、星の固まりが落ちて。その中心がいまだにあの海では渦を巻くように嵐を起こしているのだと、人間族の学者たちは言っている」

「ふむ……」

 やがて王は、彼の所有する、膨大な蔵書量を誇る図書室に出入りを許してくれるようになり、好きなものをどれでも読んでもいい、何ならヴァルダーベルクに持ち帰っても構わない、ただし読んだあとは元の場所に返しておくこと──そのように許可を与えてくれた。

 これには、国王官邸副官部部長のダンビッツ少佐などはたいそう驚いたものだった。

 掃除清掃の者はともかく、王の図書室を自由にしていいと言われた者が出たのは、グスタフ王の治世始まって以来のことだったらしい。



 図書室は、圧倒されるほどの空間だった。

 国王官邸の階層はどの階もうんと天井が高いが、その構造を利用して中二階式に内部を区切り、分厚く立派な書架がずらりと並んでいる。

 真鍮製の手摺を備えた青銅製の螺旋階段が何か所かあって、それを登ればまた書架が。蔵書数は、万を超えているのではないかと思われた。書物特有の、柔らかな革と、質のよい紙のココアにも似た匂いに満ちていて、圧倒されるようだ。

 また一隅には、グスタフの趣味を伺わせる存在があった。

 丁寧にファイリングされた各国の切手、硬貨、紙幣。

 壁や陳列棚に収められた、古今東西の銃器、蝶や鉱物の標本。

 グスタフが彼自身のために書籍を取りにきたときなど、それらの解説をしてくれることもあった。

「綺麗だろう? それはアカボシウスバシロモルフオチョウ。ロヴァルナから、ベルリアント半島まで渡ることもある。珍しいものだよ、それは」

 熱心に語る彼の横顔には、学究的というよりも、もっと稚気めいた、蒐集家の雰囲気があった。

 所々に、革張りで詰め物のたっぷりとした椅子があり、品のよいサイドテーブルとランプとがあって、そのテーブルの棚にはカットグラスと彼お気に入りの林檎の蒸留酒が常備してあり、どこでも気の向いた場所で読書を楽しめるようになっている。

 ──なるほど、確かに。ここは王の隠れ家というわけか。

 ディネルースは、衛兵交代を見守って、配置具合を眺め、図書室で本を読み、昼食を相伴に授かり、彼との会話を楽しんで、本を借りてからヴァルダーベルクへ帰り、午後はそちらであれこれ書類の決裁や旅団の指揮と指導をするという毎日を過ごすようになった。

 そのような日々を送っていると。

 ──おやおや。

 おやおやおや。

 こいつは驚いた。

 グスタフの様子に気づくものがあり、初めは己の勘違いかとも思ったが、どうにもそれは誤解ではないようだと確信が持てるようになってきた。

 彼の瞳の具合や、言葉の端々や。

 八月を迎える前に、まだ珍しく、高価なものだという、いままでの物と大きさはさほど変わらないのに信じられないほど遠くまでくっきりと見える野戦双眼鏡を贈られたとき、彼の様子から、女ならではの勘の鋭さと、重ねた年齢ゆえの他者を見る目で、間違いはないようだと思えた。

 ただその問題についてはそれ以上王のほうから進展させるつもりはないらしく、むしろ彼自身が戸惑っている様子も感じられた。何か、他者が踏み込んではならない、壁のようなものがグスタフには確かにあった。

 また彼とのそれまでの時間から、以前抱いた疑念を深めるようにもなってきた。

 このふたつには、彼女自身がこれからの選択を為すためにじっくり思量を重ねてみたところ、根を同じくする部分が潜んでいる。

 どうしたものか、と思う。

 心を持つ者同士の、距離、間隔、情緒というやつほど厄介なものはない。

 何かをきっかけにそれまでよりずっと深まることもあれば、下手に弄ると時間をかけて築きあげたものを一瞬で壊してしまうことがある。

 改めて振り返ってみると──

 ディネルースは、この奇妙なほど平穏な日常に安息を覚えてもいた。

 考えてみれば、あの虐殺とシルヴァン川からの脱出行以来慌ただしいばかりで、ようやくに一息ついたような、そんな心身の緩慢と弛緩、静穏があったのだ。

 寧日が訪れた頃合いも良かった。あの脱出行の直後ならそのようなものを楽しめもしなかっただろうし、多忙は自らの傷を癒してもくれたのだろう。その果ての平安だった。

 何もそれを自ら壊すこともあるまい、とも思える。

 だがそれではグスタフの瞳に潜んだものを放置することともなり、おそらくはそれを救えるのは己だけなのではないかという心境にもあった。

 それに──

 こんな日々は、そう長くも続くまいとも思えた。

 彼女には大願があり、それはあまりも苛烈で、不穏で、剣呑な内容のものだ。エルフィンドと実際に戦争になる日はそう遠くなく、大乱となれば血と硝煙と弾雨にまみれた果てに、生を失う可能性も高い。

 ──やるには今しかあるまい。



 一度決断を下すと、彼女は慎重に思慮を組み立てた。

 抱いた疑問の根底部分は、あまりにも大胆なものであり、己自身でもまさかと信じかねる部分がいまだにあった。

 触れた光景の数々を想起し、分析し、吟味して、そうとしか思えないとまた確信が持てたが、積木細工の一部が欠落したように、どれほど考えても思考の穴が埋まらない箇所もある。

 どうにか他の部分で補完できると踏んでから、ようやく具体的な手段について考えることが出来た。

 計画と言葉とを選んで、相手の反応を想像し、一つ一つ検証する──

 機会を待ち、実行に移す日取りを選んだときには、狩りに出る日を思い出すようでもあり、面白みまで覚えてしまった。

 下準備も入念に施した。その日までに幾らかきっかけとなりうる話題を仕込んでおいたし、当日はいつもの相伴に呼ばれた際、グスタフの側に常に控えている巨狼、アドヴィンに少し頼み事もした。

「……今日は、今日だけは、王とふたりで話がしたいのだ」

 彼女がそっと願い出ると、アドヴィンはあの灰色の瞳でじっと彼女を見上げ、しばし沈思し、

「……よかろう、貴殿にしか為せぬこともある」

 了解してくれた。

「ありがとう、アドヴィン」

 この平穏の日々で、ディネルースが母なる白銀樹に感謝したことの一つが、この巨狼ともずいぶんと親交を持て、すっかり馴染めたことだ。

 理由も告げていない願いに同意してくれたことは、アドヴィンのほうでもそのように捉えてくれているあかしと思えた。

 どうやらこの巨狼は、さほど年齢を重ねておらず、おそらくグスタフよりも若いのではないかと、ちかごろのディネルースはみている。

 幸い、グスタフはいつも近くで寝そべっているアドヴィンがいないことに不信を持たなかった。彼の執務室の、まるで重厚で軍艦の装甲のような扉には、アドヴィンだけで出入りできる潜り戸があり、そこからどこかに行ってしまうことも、ままあったからだろう。

 この日の昼食は、北海の海産物が出た。

 ニシンの酢漬けにオリーブ油をまわしかけ、夏のトマトとマスタードをソースに。

 旬のホタテの貝柱をからりとフライにして、ワインヴィネガーとレモン、岩塩を添えたもの。

「これはこれは」

 ディネルースは大いに喜んだ。

 ニシンの酢漬けは、故郷でもよく夕餉の食卓に上った。

 山岳民族であるダークエルフにとって、日常的に食べることの出来た、数少ない燻製や干物ではない海産物だ。魚料理といえば、湖沼のますやパイクのほうが印象にある。

 一方のホタテは、オルクセンに来て初めて舌にのせた。

 産地である北海沿岸はともかく、鉄道と、食料の冷蔵保存技術が進んでからこんな内陸部でも生で流通するようになったのだといい、それまでは海水とともに水運で運ぶしかなく、ごくまれに食べられる貴重なものだった。

 いまでは街の食堂などでも供され、さほど高価でもないが、皮膚感覚としてはいまだ「ご馳走」。

 首都ヴィルトシュヴァインでは、バターソテーやフライにして、食通たちの前菜に好まれる。

 初めて食べてみたときはおっかなびっくりだったが、たちまちその味にディネルースは魅了されたものだ。

 滋味。旨味。清廉。肉厚。

 精緻があって、緻密があった。

 おまけに国王官邸ちゆう部のコックたちの腕は折り紙つきだから、ごく薄い衣に技巧がある。含むとさっくりとし、温かで、身の柔らかみとの対比と相乗とに申し分ない。

 彼女からみれば、火酒にも合う。

「ふふふ、ディネルースはホタテが気に入ったね」

 グスタフにとっても好物のひとつだという。

 どうにかもっと食べられるようにと、北海でまだ歴史が浅い養殖を増やすよう奨励してもいる、と。

 食後の濃く熱いコーヒーが出て、互いにパイプと葉巻の火を点けたところで、彼が興味を抱いていた、エルフィンド歴代女王のひとりの話をした。

 神話伝承の時代の、初代から数えて三番目の女王。現代のエルフィンドの国制の、ほぼ大筋を作り上げたと伝わっている。数々の改革を為し、しかもそれらをほぼひとりで思いついた、いってみれば中興の祖ということになる──

「これはまた信じられないことだが、神代のエルフ族には、元々は雌雄の別があったという。他の生物と同じく、男女の交わりによって子をなしていた。だがこの女王が、エルフはより完全な存在でなければならぬと、女だけにしてしまったのだともいう」

「……ほう」

 グスタフは聞き入り、感嘆したものだ。

「触りだけは耳にしたことがあったが。いやはや、興味深い……」

「この女王がちょっと面白いのは、ここから先だ」

 さて。あ、さて。

 どう出るかな。

「ふむ?」

「女王は元は人間だったと。彼女自身が流行り病にかかっての死の間際、そのように告げたらしい」

「…………人間族がエルフに? どういうことだ。そんなことが……」

「人間族が、というのは正確ではないな。これもまた俄には信じられないかもしれないが、この世とはどこか別の世界があって、そこから魂だけが女王に生まれ宿った、元人間だったというのだ」

「…………」

「エルフィンドの伝承には、しばしばそんな者がいたと残っている。エルフとして生まれ変わった者、あるいはある日突然、その別の世界の、人間の姿のままエルフィンドに降ってきたものもいた、と」

「…………降ってきた」

「そう。自他ともに、そうとしか説明がつかなかったそうだ。ある日忽然と、森や、平野や、丘や、湖のほとりで見つかった。何度かそんなことがあったうちに、エルフ族のほうでも半ば慣れっこになってしまったのだそうだ」

「…………」

「彼らは何故か、最初からエルフ族に好意を持っている者が多かった。そうして、まだ降星の混沌に満ちた、エルフィンドに色々な知恵を授けてくれた。農業や、科学や、鉱業の」

「…………」

「彼ら自身の言葉によれば、転生者ヴイラールという。本来は、諸々の力、とでもいう意味だ。ヴィラールは複数形で、単数形はヴィラ。女性形だとヴィリエラ。古語でそんな言葉があるほどには、ありふれた存在だったのだろうな」

「…………」

「流石に我が目にしたことはなかった私は、まるで信じてはいなかった。おとぎ話の一種として楽しんでいたくらいだ。だが、この国に来てから……いや──」

「…………」

「貴方と接するようになって少し考えが変わった。あり得るのではないか、と」

「…………」

「王。我が王。グスタフ。貴方もそうなのではないか? 貴方は、どこか別の世界の、元人間なのではないかな?」

 沈黙が満ちた。

 グスタフは否定も肯定もしなかった。

 目を伏せ、感情の読めないまま、指先でパイプを弄りつつ、静かに紫煙を吐き出しながら、

「……どうしてそう思ったんだ?」

 それだけを尋ねてきた。

「ひとつには、貴方の才能」

 ──農業、科学、工業、軍事。

 比類なき才。

 この国での殆どは、彼が思いついたのだとゼーベック上級大将たちも言っていた。

 彼だけで!

 どれほど才能があったのだとしても、そんなことはあり得ない

 技術の発展や熟成というものは、相互に影響しあってようやく成せるものだ。

 何かもっと異質な、初めからそのようなものがあると知っていたのだとすれば、納得がいく。

「貴方がときおり語る、貴方が記憶や書籍のなかから探ったという専門用語の多くもそうだ」

 国家総力戦。

 諸兵科連合戦術。

 旅団戦闘団。

 空中偵察。

 紙の上の戦争。

 ──そんな言葉のうち幾つかは、まだこのオルクセンにも存在していなかった

「おそらく、まるで別の世界にあった用語だろう」

 必要にかられ、耳慣れぬ言葉や言い回しを書きとめ、オルクセンの辞書をひき、アールブ語と突き合わせていた私にはそれがわかった。

「貴方はおそらく、最初からそんな才能を持ち合わせていたのではない。ロザリンドの会戦までは一介の兵士だったと、これは貴方自身も言っていた。きっかけになったのはあの魔術の使用だろう。そこで貴方の中の何かが目覚めた。これはシュヴェーリン上級大将たちの証言とも一致する」

「…………」

「また一つには、貴方のオークとしての特異性」

 ──睡眠欲や性欲の欠落。

 とくに性欲。

 オークとは、そんな生き物ではない。

「貴方の中身が人間であるなら、むしろ当然だ。貴方はおそらく、種族としては本来夜行性であるオーク族のなかにあって、昼間眠くなったりしない。その証拠に、平気で読書や歓談をしていられる」

 この国にとって、午後一時から二時ごろに習慣づけられている午睡の時間は大事なものだ。

 行軍中の軍隊においてさえ、可能であるならば昼食の大休止とともにその時間にとらせることが望ましいとされているほど。

「そして、オーク族の異性に興味がないのだ。文字通り」