EX 精霊の火



 これはトルネラの騒動が終わった後、ベルグリフたちが旅に出る少し前のお話である。

 旅に出るからといって、その事に心奪われて日々の仕事をおろそかにはできない。ベルグリフたちが麦刈りをし、芋を掘り上げ、家々の修理を手伝っているうちに、段々と春の気配が遠ざかって、代わりにほんのりと夏の雰囲気が漂って来た。春に萌え出た若草色の葉はすっかり濃く色づき、空の青色も、次第に強まる陽の光で輝きを増しているように思われた。

 昼過ぎの麦畑で村人たちが麦を刈っていた。男衆が大鎌を振って刈り倒した後を、女たちが束にして抱えて持って行く。子供たちがその後を歩いて、落穂を拾って回った。

 麦藁帽子をかぶったシャルロッテとミトが、並んで落穂を拾い集めていた。拾った落穂は傍らに置いてある籠の中に入れる。一つ一つは小さな落穂だけれど、集めるとかなりの量になるのだ。毎年の仕事ではあるが、今年は古森の襲撃で駄目になった麦畑もある分、例年よりも皆丁寧に拾い集めているように思われた。

 ずっと腰をかがめていたシャルロッテは、ふうと息をついて大きく体を逸らして背中を伸ばした。そうして額の汗を拭い、目を細めて空を眺めた。アルビノゆえに強い陽射しが苦手なシャルロッテは、肌が露出しないようにいつも長袖に鍔の広い麦藁帽子をかぶっている。

 麦束を抱えたアンジェリンがやって来た。

「大丈夫……? 疲れたらちゃんと休んで」

「まだ平気よ。始めたばっかりだもの」

 シャルロッテは帽子をかぶり直して、むんと胸を張った。アンジェリンはにんまり笑って麦束を持ち直した。

「ならいい。でも無理は禁物……ミトは平気?」

「平気。お姉さんは平気?」

 ミトは手に付いた汚れを払って、アンジェリンを見上げた。きょろりとした瞳は、古森の襲撃以降、明らかに意思の光が強くなったようだった。口ぶりも以前よりはっきりとしている。アンジェリンはふふっと笑って胸を張った。

「当然。わたしはお姉ちゃんだぞ」

 アンジェリンは麦束を荷車に運んで行き、二人は再び腰をかがめた。拾っても拾っても落穂はなくならなかった。目を凝らして拾ったつもりでも、ふと後ろを向くと拾っていないものがあったりする。

「地面から勝手に出て来るみたいね」

 シャルロッテが言うとミトは頷いた。

「うん。でもいっぱい拾うとみんな喜ぶ」

「そうね。頑張らなくっちゃ」

 二人はますます張り切って落穂を集め、次第に籠はいっぱいになった。それを見とめた近くの大人が、「頑張ったな」と言ってそれを荷車に持って行ってくれた。

 陽が傾いて、光が色味を増して重たくなって来るように思われた。シャルロッテは汗で張り付く服をぱたぱたと振って風を入れ、ほうと息をついた。

「暑くなって来た……ミト、大丈夫?」

「うん。シャル、疲れたでしょ。休も」

 ミトはシャルロッテの手を握って、畑の近くの木陰に引っ張って行った。

 トルネラの周囲は、ここからが森、というような明確な境のある所もあったけれど、場所によってははぐれたような木立が点々として、次第に森になって行くような所もある。畑近くにあるそういった木は、仕事の合間の憩いの場として農夫たちが集う事もあった。

「ミト、もう森は怖くない?」

 遠くに見える森を見とめたシャルロッテがちょっと心配そうにそう言って、ミトの顔を見た。ミトは頷いた。

「大丈夫」

「そう……それならいいのだけど」

 シャルロッテはちょっともじもじした。古森はミトの魔力を狙ってやって来たと聞いた。自身も強大な魔力を宿すシャルロッテは何となく通ずるものを感じるらしく、森が少し怖いような気がしていた。もしあの暗い森の中に一人きりで連れ去られたら、と想像すると体が震える。

 二人とも森に入った事がないわけではない。ミトはグラハムと一緒に何度も入っているし、シャルロッテだって春告祭の前に、ベルグリフたちに連れられて灯火草を採りに行った事はある。その時は恐怖など感じなかったけれど、それでも、あんな事件があった後では、何となく近づきがたいような気になるのも止むを得ない話ではあった。

 しかし一人きりならともかく、二人なら平気だ、とシャルロッテはミトの手をぎゅっと握り直した。土汚れの付いた手は、しっとりと汗をかいていた。

 緩やかな傾斜を上った先にある楡の木は、たっぷりと茂った葉を風に揺らし、涼し気な木陰を地面に投げかけていた。少し離れた所ではこんもりとした森が西日を受けて緑色に光っていた。

 二人が木の下まで行くと、山高帽子を顔に載っけたカシムが仰向けに倒れていた。

「あ、カシムおじさまったら、見えないと思ったらこんな所に!」

「寝てる?」

 ミトがつま先でカシムの脇腹を突っつくように蹴ると、カシムは「んごっ」とうめき声を上げた。

「んん……なんだい、チビっ子たちかあ」

 カシムは体を起こすと両手を上げて大きく欠伸をした。

「はーあ、よく寝た。もう夕方近いか?」

「よく寝たじゃないわ。こんな所でサボって、お父さまに怒られるわよ!」

「ひええ、くわばらくわばら。内緒にしといてくれよお、ベルは怒ると怖いんだって」

 カシムはからから笑いながら、顔の前で両手を合わせてぺこぺこ頭を下げた。シャルロッテは「もう!」と腰に手を当てて頰を膨らましたが、本気で追及するつもりではないらしく、木陰に腰を下ろした。ミトはその隣に腰を下ろしながら、ふふんと鼻を鳴らした。

「カシムは怠け者だってお姉さんが言ってた」

「そうなんだよ、オイラ怠け者なんだ。だからあんまり怒らないでくれよ」

「駄目よ、そんなんじゃ。ミトが真似したらどうするの」

「真似しない。ぼくはお父さんの真似する」

 ミトは失敬なというような顔で口を尖らした。カシムが面白そうな顔をして髭を撫でた。

「ベルの真似か。どういう風にすんの?」

「剣の練習する。それで髭を生やす」

「ミトにお髭は似合わないと思う! それに剣が強いだけがお父さまじゃないわ! 仕事が丁寧で、誰にでも優しくないと!」

 シャルロッテが抗議するように声を上げた。カシムは愉快そうに笑いながら楡の木にもたれた。

「元気でいいねえ、お前らは。でももう今日は仕事は終わりだろ? オイラを起こしに来たの?」

「違う……カシムの事なんて考えもしなかった……」

「えー」

「ちょっと休憩に来たの。でもアンジェお姉さまの話だと、落穂拾いは日が暮れる直前までやるんだって」

「どへー、みんな働きモンだなあ。オイラにはとてもできそうもないや」

「やってみればいいじゃない、宝探しみたいで面白いわよ。大きくて実の詰まった穂を見つけると、やったって思うもの。ね、ミト?」

「そうだよ。カシムは大人なんだから仕事しないと」

「大人だからって働かなきゃいけないって決まりはないぜ」

「でも……でもお父さんは仕事してる」

「そりゃベルはベルだからさ。ベルはベル。オイラはオイラ。何か間違ってる?」

「うーん……」

「ちょっとミト、騙されちゃ駄目よ! カシムおじさまは詭弁を弄しているだけなんだから!」

「へえ。シャル、難しい言葉知ってるね、お前。偉いじゃない」

「ほ、褒められたって誤魔化されないもん!」

「まあまあ、そうつんけんするなって。せっかく休憩に来たんだろ? 怠ける楽しみを教えてやるよ。好きな夢を見られる魔法、知ってるかー?」

 ミトとシャルロッテは顔を見合わせた。カシムは明らかに悪い誘惑をしているけれど、子供心に気になるのも確かだ。

「怠ける楽しみ……」

「で、でもそんなの……お父さまが」

「いいのいいの、ベルには内緒にしとけばいいんだって。こっそり隠れてする事って楽しいんだぜ?」

「ガキどもに何を吹き込んでんだテメーは」

 別の声がしたと思ったら、いつものような仏頂面のビャクが立っていた。ミトが「おー」と言って立ち上がり、ビャクに駆け寄り、体当たりするように抱き付いた。

「ビャッくん!」

「ぐおっ!」

 ビャクはよろめきながらミトを抱き留め、じろりと睨み付けた。

「テメエ、体当たりすんなって言っただろうが」

「むふー」

 ミトはちっとも気にしない様子でそのままビャクによじ登る。ぶっきらぼうで不愛想だが、何故だかビャクは子供たちによく懐かれる。ミトも例外ではない。カシムがにやにやしている。

「さすが、お兄ちゃんは人気者だねえ、へっへっへ」

「チッ……不良オヤジめ」

 にこりともしないながら、それとなくミトが登りやすくしてやっているビャクを見て、シャルロッテはくすくす笑った。二人きりで邪教の遊説をしていた頃に比べてなんと違う事だろう。あの時は心がトゲトゲして何もかもが憎らしく見えたのに、今ではあらゆるものが輝いているようだ。

 ビャクは胸の前まで登って来たミトを背中に回しておぶった。

「先に帰って晩飯の支度しとけってよ」

「あら、お父さまがそう言ってたの? じゃあ行かなきゃ」

 シャルロッテはひょいと立ち上がり、麦藁帽子をかぶり直した。

「ほら、お前もちゃんと歩け」

 しがみ付いていたミトを地面に降ろし、ビャクは肩を回した。トルネラでの生活で多少鍛えられて来たとはいえ、体はまだまだ細っこい。ベルグリフやグラハムのように軽々と子供を抱えられるのはまだまだ先の話になりそうだ。

 カシムも立ち上がって伸びをした。

「よーし、帰るかー。夕飯は何かなー」

「もう、おじさまったら! お料理は手伝ってもらうからね!」

「へいへい、シャルロッテさんの仰せのままに。へへへ」

 そうして皆で連れ立って歩き出した。ふと、ミトは振り返って遠目に見える森を眺めた。森は鬱蒼として、風に乗って葉擦れの音が耳をくすぐった。



 夕飯を終える頃には夜の風が草木を撫でていた。

 食器を片付けると、子供たちは連れ立ってまだ造りかけの新居にランプや蠟燭を持って行く。造りかけといっても、もう屋根は張っているし、壁もできている。窓には硝子も入っていて、雨風は十分にしのげる状態である。

 だが暖炉にはまだ火は入れられず、内装の細かな所はできていない。だから家財道具なども持ち込まれていないが、テーブルや椅子などを持ち込んで明かりを灯すと、その作りかけの内装が何だか秘密基地のような雰囲気で、ただ座っているだけでも面白い。まだ少し肌寒いから、毛布も持ち込んだりすると、尚更その感は高まった。

 アンジェリンが今回の帰郷で持って来たチェッカー盤をテーブルに置いた。

「さあ、ビャッくん、勝負……」

「やなこった。テメエは弱いんだよ」

「問答無用。勝ち逃げは許さん……!」

 アンジェリンは断々乎としている。ビャクは面倒臭そうに嘆息して、盤を挟んでアンジェリンと向き合った。

 テーブルは土間に置いてある。その向こうに床上げした所があって、そこにはアンジェリンたちが毛布とクッションを持ち込んでいる。靴を脱いで上がって、足の指を伸ばしながらごろごろと寝転ぶのが、少女たちには嬉しいらしかった。

 今度の旅が終わったら、ここが生活の拠点になる。それを想像しながら、ランプの灯に照らされる造りかけの家の中を眺めるのはアンジェリンの楽しみだった。

 ぺたんと座り込んだミリアムの髪の毛を、シャルロッテがあれこれといじって、編んだり結んだりして髪型を変えている。アネッサは少し離れた所に腰を下ろしていて、その隣にミトが転がって、髪型をいじるシャルロッテを面白そうに眺めていた。

「ミリィの髪はふかふかね。編むとふんわりして素敵。結んでリボンをつけるのもよさそうね」

「そーお? あんまし髪型いじった事ないんだよねー」

 基本的に猫耳を隠したがっているミリアムは帽子を取る事が少ない。髪型を整えても帽子をかぶってしまえば同じなので、そういうお洒落はあまり馴染みがないらしい。

 ツインテールにリボンを結んだミリアムを見て、アネッサが吹き出した。

「ふふっ! なんだミリィ、随分可愛くなっちゃったな」

「でしょ。にひひー、羨ましい?」

 ミリアムはツインテールを指先でつまんで笑った。アネッサは自分の髪に手をやった。

「うーん、わたしは結べるほど長くないからなあ……」

「あら、でもアレンジは色々できるわよ? ヘアピンもリボンもあるし」

「おっきいリボン付けようよー、その真っ赤な奴!」

「ちょ、わたしにそんなのは似合わないって!」

 その時、アンジェリンが「ぬあー」と変な声を上げた。ビャクが面倒臭そうにチェッカーの駒を盤から集めている。

「三連敗。もう諦めろ」

「ぐぐぐ、なぜ勝てぬ……」

 アンジェリンは盤面を睨みながら口を尖らした。アネッサがやって来て、その肩をちょんちょんとつついた。

「もういいだろ。わたしにもやらせろよ」

「うー……分かった。頭の休憩」

「年中休憩中だろうが」

 そう言って薄笑いを浮かべるビャクに、アンジェリンはあっかんべえと舌を出した。

 それで上げ床にごろんと仰向けに転がったアンジェリンに、ミトがのしかかった。

「お姉さん、負け?」

「負けではない……戦略的撤退」

 アンジェリンはそう言うとミトを捕まえてぎゅうと抱きしめた。ミトは「うぎゅ」と言って小さく身じろぎしたが、結局されるがままになっている。

 蠟燭の灯が揺れて、盤を挟んで向き合っているビャクとアネッサの顔の陰影がゆらゆらした。どちらも真剣な表情で盤面を見ている。アンジェリンはむうと言って、ミトを抱いたまま上体を起こした。

「……ビャッくんめ、わたし相手だとあんな真剣な顔しないくせに」

「アーネ、強い?」

「うん……」

 アンジェリンはチェッカーではアネッサに勝った事もない。おかしいなあ、と思いながら、アンジェリンは足を胡坐に組み直し、その上にミトを乗っけて後ろから抱き、頭に顎を乗せた。ミトは何の抵抗もしない。それを見てミリアムがくすくす笑った。

「なんか、そうやって見るとそっくりだねー。髪の長さも髪色もおんなじだし」

 どちらも黒の長髪だからそう見えるのだろう。アンジェリンはミトのほっぺたをむにむにとつまんだ。柔らかくてすべすべしていて、とても手触りがいい。

「姉弟だもん……ね」

「うん」

 風が出て来たらしい、窓の外から葉擦れの音が聞こえて来た。ミトは窓の方に目をやると、ひょいと立ち上がって窓辺に行った。近くに行かないと、硝子には自分の顔が映るばかりだ。アンジェリンもその後ろに立って、窓の向こうに目をやった。庭先はぼんやりとした青い光に照らされていた。月が昇って来たらしい。風景はどこまでも白々として、質感がないように見えるのに、木々が風に揺れているのが何だか不思議だった。

「おお……行ってみる? お散歩」

「行きたい」

「え、お散歩? わたしも行く!」

 シャルロッテも立って来た。ミリアムは毛布にくるまったまま、ごろんと横向きに転がった。

「わたしは待ってるよー。行ってらっしゃーい」

 アンジェリンは頷いて、チェッカー盤を挟む二人の方を見た。

「アーネとビャッくんは……?」

 聞いたけれど、返事がない。

「ねえ……二人とも、お散歩行く?」

「んー……」

「……」

 アネッサは生返事をし、ビャクは何も言わない。どちらも眉をひそめて盤面を見たままだ。沈思黙考といった様相である。アンジェリンは肩をすくめて、ランプを片手に家の扉を開けた。



 外はひんやりとした空気が満ちていた。初夏の頃で、もう霜が降りる心配はないけれど、北の山の山頂にはまだうっすらと雪が残っていて、そこから吹き下ろして来る風は身震いするくらい冷たい。日中が汗ばむ程に暖かいから、その落差に体が驚くのもあるのだろう。

 母屋の方と新居の方と、それぞれから漏れて来る光が地面に変な形を作っている。

 空を見ると、青々とした半月が浮かんでいて、横に筋になった雲がいくつも流れていた。空気が澄んでいるから、雲はどれも形がはっきりしている。雲の上部は縁を取るように月光で白く、しかし影になる方は深い青になって、だから凹凸がとても露骨に見えるようだった。月が明るいから星は少ないけれど、それでも光の強い大きな星はあちこちで光っていた。

 遠くで葉擦れの音がしたと思ったらすぐに風が吹いて来て、庭先の林檎の木や灌木の茂みを揺らす。何か喋っているのかしらとミトは耳を澄ました。アンジェリンは目を閉じて、ひんやりした空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。

「お姉さま、ちょっと歩きましょうよ。立ちっぱなしじゃ寒いわ」

 シャルロッテがそう言ってアンジェリンの服の裾を引っ張った。

「そうだね……行こっか」

 それで三人で歩いて行く。ミトとシャルロッテはアンジェリンを挟んで、それぞれ右と左とで手をつないだ。ランプはミトが持った。風が吹くと、夜露と草の匂いとが流れて来た。

 村の中は静かだった。オルフェンのような都市と違って街灯の類は一切ない。窓や戸の隙間から明かりが漏れているけれど、話し声などはあまり聞こえて来なかった。

「やっぱトルネラの夜は暗いわ……今日は月があるからいいけど」

 シャルロッテがそう言って辺りを見回した。

「そう。月のない夜は真っ暗……ミト、お留守番の時は寂しくなかった?」

「うん……じいじと一緒だったから」

「ふふ、そう……晴れた冬の夜、知ってる?」

 アンジェリンに言われて、ミトは目をぱちくりさせた。ベルグリフとマルグリット、ダンカンの三人がトルネラから旅立って以降、ミトはグラハムと二人で冬のトルネラを過ごした。もちろん散歩にも出たけれど、毎日分厚い雲が垂れ込めて、冷たい雪が舞い落ちて、ずっと白かったという印象が強い。今夜のように月が出るような晴れた晩は、冬の間はなかったように思う。

「知らない……晴れるの?」

「晴れる時もある。地面が雪で真っ白で、そこに月明かりが射すときらきらしてとっても明るい……」

「わあ……それって凄く素敵な風景ね」

 シャルロッテが嬉しそうに言った。アンジェリンはにんまり笑って、ミトの手を握り直した。

「村の外まで行ってみようか」

「うん……草の匂いと、夜露の匂い。好き」

 ミトはそう言って深く息を吸った。

 村の外まで出ると、草の生い茂った平原がきらきらと光っていた。草の生えている所を歩くと、もう夜露が降りているらしい、脛の所まで濡れた。

 アンジェリンがランプを吹き消した。強い光に慣れた目では、しばらくの間は暗闇ばかり見えたが、すぐに月明かりだけで十分に周りが見え始め、むしろランプが消えた事で却って明るくなったようだった。

 ミトは目を輝かせて辺りに目をやった。平原はずっと続いていて、空は吸い込まれるように広かった。それを支えるようにそびえる周囲の山々は月明かりで白く浮かび上がるようだった。いつもは大きな影になって上からかぶさって来るばかりなのに、今日は月明かりのせいで、山の岩肌まで見える。中途まで茂っている森の木々が、ある地点からなくなって岩ばかりになっているのが、夜なのにありありと分かった。

 不意に、何かが絞め殺されるような声がした。甲高い声だが、姿は見えない。ミトとシャルロッテはギョッとしておろおろと視線を泳がせる。

「なに、今の……」

「ああいう鳥がいるの。森に」

「森……」

 ミトが目をやると、ふと、森の縁の辺りに何かが見えたので目を細めた。

「……何かいるよ」

「んっ?」

 アンジェリンも目を細めて森の方を見やる。燐光のような緑色の光が静かに明滅して、それがいくつも列のように並んで動いていた。灯火草の光とは違う、不思議な輝きだ。ミトは少し怯えたようにアンジェリンにすがり付いた。

「あれ……」

「大丈夫。あれは怖いものじゃないよ……」

 アンジェリンは優しくミトを撫でてから、不意に思い付いたようにいたずら気な笑みを浮かべた。

「行って、近くで見てみようか」

「ええっ?」

「お姉ちゃんがついてる。行こ行こ」

 ミトはやや及び腰だったが、アンジェリンに引っ張られては逃げようがない。シャルロッテも少し緊張したような顔をしていたが、文句は言わずに付いて行く。

 麦刈りの終わった麦畑を横切って行った。土は夜露でしっとりと湿っている。麦の株を踏みつけると、足の裏でじゃくじゃくとした感触がした。所々にぴんと伸びた草が生えていて、水滴が月光に照らされてきらきらした。

 夜露に靴を濡らしながら森の傍まで行くと、緑色の光は木立の向こうに揺れていた。燐光のように明滅しているが、蛍が飛んでいるのではない。ただ光だけがあって、それが強くなったり弱くなったりしている。

 ミトはどきどきしながらアンジェリンの服を摑んだ。うっすらとした記憶だけれど、古森にさらわれた時、ああいう緑色の燐光が舞っていたような気がする。見ているとその時の事を思い出すようで、どうしても腰が引けるようだった。

「……怖い?」

 アンジェリンがそう言ってミトを見た。ミトはぴくんと顔を上げると、ちらちらと視線を泳がしてから、むんと胸を張った。

「平気……シャル、大丈夫?」

「平気よ。お姉さまが一緒だもの」

 そう言いながらも、チビっ子二人は森の暗がりと、その奥で輝く光を不安げな顔でしきりに見ている。

 強がってるな、とアンジェリンはニヤニヤ笑いを押し殺して、二人の手を引っ張った。

「よし……大丈夫なら、もっと奥まで行ってみよう。冒険だ」

「ええっ!」

「で、でも、夜の森は危ないって、お父さまが……」

「ちょっとだけなら大丈夫。わたしがついてる。ほら、おいで」

 木立の中に踏み込むと、月明かりが遮られて足元が暗くなった。しかし明滅する緑色の光が足元まで伸びていて、しばらく目を凝らしていると凹凸や落ちた枝などが見えた。

 ミトはドキドキする胸を押さえながら、きょろきょろと辺りを見回した。さらわれた時のあの暗い森の事を思い出して、つい背筋が震える。木立の幹が木の牧人にも見えて、ミトは両手でアンジェリンの手を握りしめた。シャルロッテの方も暗がりに怯えたように辺りを落ち着かなげに見回して、アンジェリンに体をくっつけている。

 ふと、アンジェリンが手を放したと思ったら、身をかがめてミトとシャルロッテの肩を抱いた。

「ほら、よく見て……」

 二人は前を見た。緑色の光はふわふわと宙を漂って、次第に近づいて来る。二人は目を瞬かせながら、思わず互いに手を握り合った。

 やがて光は三人を取り巻いた。それらは粒のようだった。中心に一際はっきりと丸い形の光があって、それが強くなったり弱くなったり、あちこちでそれらが明滅する度に周囲の木々が浮かび上がるように輝き、風に揺れる葉の音が優しく耳に響いて来た。

「わあ……」