「ちくしょう、なんで俺たちがこんな目に……」
「家の中、ぐしゃぐしゃだよ……」
「あいつら、ミトを呼んでるんだろ? ミトを渡せば……」
「おい、よせよ」
「そうだよ、ミトが悪いわけじゃないよ、きっと」
「けどさ、こんなに木が……」
「これじゃあ麦畑、めちゃめちゃだろうなあ……」
アンジェリンがグッと拳を握った。
「やめてよ……! 誰かが悪いわけじゃない……! ミトのせいじゃないよ!」
村人たちは俯いた。
「分かってるけどさ」
「でもな……」
「今日を切り抜けても、蓄えなしで冬が越せるか……」
「チッ、誰かさんのせいでさ……」
「よせよ! こんな時に!」
「こんな時だからだろ」
「ケッ、お前だってどうせ腹の中じゃ」
「おい、喧嘩するなよ! 何考えてんだ!」
誰もが怒りのぶつける先を見つけたがっているようだった。彼らからすれば、突如として理不尽な暴力にさらされたようなものなのだ。恐怖と憤りとがないまぜになって、少しずつ冷静さが失われて行くように思われた。
あちこちでぶつぶつと怒りの声が起こり始めた。傷の痛みに呻く者もある。サーシャやセレン、ホフマンがなだめてはいるが、静まる気配はない。
ベルグリフも、とにかく場をなだめようと口を開きかけた時、今までぎゅうと握られていた手からするりと感触が抜けた。
「…………ごめんなさい」
ミトがぼろぼろと涙をこぼしていた。
「ミト」
「ごめんなさい…………ごめんなさい……」
ミトはそっとベルグリフを見上げた。
「……さよなら」
咄嗟に伸ばしたベルグリフの手を搔い潜って、ミトは駆け出した。
「ミト! 待て!」
今まで頑強に広場への道を塞いでいた木々が、あっという間に道を空けた。木々がトンネルのようになって、その先には暗闇が広がっている。ミトはその中に駆け込んで姿を消す。
呆然としていたアンジェリンやカシムが慌てて追いかけようとする前に、銀髪が揺れた。閉じかけた木のトンネルに、すんでのところでグラハムが飛び込んだ。ほぼ同時にトンネルは完全に閉じ、まるで波が引くように木々はすさまじい勢いで後退して行く。もうここに用はないとでもいうかのようだ。
ベルグリフは走りかけたが、足を止めた。木々の去って行く速度は人間の走るそれよりも遥かに速い。到底追いつけないだろう。
「……なんて事だ」
ベルグリフは目を伏せ、両手で顔を覆った。
森はトルネラには興味がない。村人たちを襲い、さらうように見せかけたのは、不満を噴出させ、ミトを孤立させることが目的だったのかも知れない。まんまとそれに乗せられて、ミトは自分から森へと去ってしまった。
東の空が白み始めた。
○
カシムが怒った様子で庭先を行ったり来たりしている。
「気に入らないね。あいつら、勝手な事ばっかり言いやがってさ」
ベルグリフは黙ったまま腰の剣を裏にして表にして見、道具袋の中身を確かめた。それから髪の毛を縛り直し、マントを羽織った。
カシムがつま先で地面を蹴った。
「行くんだろ? ミトとじーちゃんを助けに」
「行くさ」
しかし、そうしたらトルネラを出る覚悟もしなくてはならないかも知れない。
ミトをここに匿う時、背負わねばならないと決めた。何かしら問題が起こるであろう事も薄々と予感はしていた。こんな形で唐突に訪れるとは思わなかったが。
カシムはぶつぶつと村人たちへの不満をぶちまけている。彼からすれば裏切られたような気分なのだろう。しかし、ベルグリフには村人たちの気持ちも十分に理解できた。何せ、彼もまたトルネラの住人であり、実際、村を離れていた時よりも、村で暮らした時間の方が長いのだ。
土を耕し、根を張って生きる事。望む望まずにかかわらず、そういう生き方をしている人間たちは強烈な変化に付いて行く事が苦手だ。一年の仕事は毎年同じで、ある意味では彼らは繰り返しの中で生きている。それを変えられてしまう事はある種の恐怖だ。
だからベルグリフは村人たちを悪くは言えなかった。むしろ、ミトが人間ではないと分かった時、拒絶せずに受け入れてくれただけでも上々だろう。理不尽な目に遭った時に怒りに身を任せてしまう人間を頭ごなしに否定する事など、ベルグリフにはできなかった。
「……なるようにしかならん、が」
少し辛いな、とベルグリフは呟いた。この歳になって故郷を捨てざるを得ないとは。
昇り始めた朝日がそこら中を色鮮やかに照らし出している。家の中からアンジェリンたちが出て来た。何となく神妙な顔つきをしていた。
「……行く?」
「ああ。準備はいいかい?」
「間に合う、でしょうか」
アネッサが不安そうな顔で呟いた。ミリアムがわざとらしい明るい声を出す。
「だ、大丈夫だよー、グラハムおじいちゃんが追いかけたんだし」
「でも、おじいちゃん、剣持ってない……」
アンジェリンが言った。ミリアムは言葉を詰まらせて俯いた。
結局グラハムは剣を抜かなかった。抜いてしまっては結界が解け、広場の中にまで木がなだれ込んで来る事が分かっていたのだ。
「……ともかく広場に行こう。抜けるなら、あの剣をグラハムに届けなきゃ」
ベルグリフたちは連れ立って広場まで行った。
村は昨夜の戦いの跡が色濃く残っていた。道はあちこちが穴だらけで荒れ、家の軒先は木に押されて壊れている所も多い。結界の効果で木の力が抜けていたせいか、倒壊した家はないようだったが、それでも庭先の畑や鶏小屋などは壊れていた。
麦畑も西側はほぼ全滅、南側も一部が滅茶苦茶になっているらしい。幸い東側は無傷だが、収量がかなり減る事は間違いない。ベルグリフは暗澹たる気持ちで息をついた。
広場の真ん中にはグラハムの剣が刺さったままになっていた。相変わらず低い唸り声を上げながら淡い光を放っている。その横に若い冒険者の三人連れが立っていた。彼らはベルグリフたちを見つけると駆け寄って来た。
「ベルグリフさん! 皆さん!」
「ああ、君たちも無事だったんだね。よかった」
ソラがぶんぶんと腕を振る。
「森に行くんスよね!? あの、その、微力ながらお手伝いさせて欲しいッス!」
「お願いします! 俺たち、居ても立ってもいられなくて……」
騒ぐソラとジェイクを見ながら、カインが困ったように笑って頭を下げた。
「……邪魔にはならないようにします。どうか」
カシムが呆れたように頭を搔いた。
「あのなあ、言っとくけどオイラたちでも防ぎきれなかった奴らの懐に飛び込むんだよ? 下手すりゃ死ぬかも知れないよ?」
三人は言葉に詰まった。その時また別の人影が現れた。
「わたしがサポートしますよ!」
サーシャだった。腰に剣を差し、装備がすっかり整っている。アンジェリンがおやおやという顔をする。
「サーシャ……危ないよ?」
「当たり前でしょう。危険に飛び込んでこそ冒険者ではありませんか! それに露払いが必要ではないかと」
サーシャはそう言って冒険者三人組の方を見た。
「私と彼らとで雑魚を片付けましょう。皆さんは力を温存されていなくては、いざという時に困るのではありませんか? これでもAAAランクです。足手まといにはなりません」
「やれやれ……」カシムがベルグリフの方を見た。「どうする? 言って聞く奴らじゃないぜ」
「……条件があります。自分の身を第一に考える事。決して無理をせず、私の指示に従う事。これらをきちんと守ってもらえるなら」ベルグリフは頭を下げた。「どうか力を貸していただきたい」
サーシャと若い冒険者たちは慌てたようにベルグリフに駆け寄った。
「し、師匠!」
「そんなそんな! 頭なんか下げないでくださいよ!」
「そうッスよ! わたしたちの我儘なのに!」
その時、何やら賑やかな声が近づいて来た。
「あ! ベルおじさんたち来た!」
「みんないるよ!」
見ると、小さな子供たちが集まって来ていた。村中の子が集まったのではないかと思うような人数だ。ベルグリフたちは面食らった。子供たちは手に手に木剣や木の棒などを持って、興奮したように振り回している。
「ミトをたすけに行くんでしょ!」
「グラハムおじいちゃんも!」
「ぼくたちも行く!」
「ま、待て待て! それは流石に無理だ!」
ベルグリフが慌てたように首を横に振ると、子供たちはぶうぶうと不満そうに騒いだ。
「ミトはともだちだよ!」
「ぼく、おじいちゃんすきだもん!」
「ミト、ないてた……」
「またいっしょにあそびたい!」
ベルグリフは困ったように頭を搔いた。
「……皆、ありがとう。気持ちはとっても嬉しいよ」
「それじゃあ?」
「いや、駄目だ。本当に危ないんだ。俺たちも皆を守れるか分からない」
「俺たちは駄目かな、ベルさん」
また別の声がする。驚いて見ると、村の若者たちが現れた。ベルグリフたちに剣や魔法を教わっていた若者たちだ。バーンズが歩み出て、苦笑しながら弓を担ぎ直した。
「ベルさんたちだけに押し付けておけないよ」
「ミトを助けよ? ね」
リタがふんすと胸を張った。そうだそうだと後ろの若者たちも武器を振って言う。
参った。ベルグリフは何とも言えない気持ちで目を伏せ、顎鬚を撫でる。また大勢の足音がした。かちゃかちゃと金具の触れ合うような音もする。
「ベル」
「ケリー? お前ら、何を……」
ケリーやホフマンを始めとした村の大人たちが大勢やって来た。昨夜悪態をついていた者たちの姿まで見える。皆、山刀を腰に差し、鋤や鍬、鉈や斧などを持っている。
「俺たちにも手伝わせてくれ」
「その、さっきは悪かった。つい、頭に血が昇っちまって……」
「ミト一人追い出して、それで解決なんて気分が悪いよ」
「あの子はいい子だぜ。悪い子の筈がねえ」
「畑はまた耕せばいいけどよ、ミトは一人きりだもんな……」
「お前をのけ者にした時と同じ間違いを犯しちまうところだった」
「頼むよベル。ミトとグラハムさんを助けに行こう」
カシムが山高帽子を目まで傾け、からから笑って天を仰いだ。
「なんつー馬鹿ばっかりだよ……」
「お父さん!」
アンジェリンが嬉しそうにベルグリフの腕を取った。ベルグリフはしばらく目を伏せて黙っていたが、やがて静かに首を横に振った。
「駄目だ」
「ベ、ベル……」
ベルグリフは目を開いて、しっかと村人たちを見据えた。
「ありがとう。本当に感謝してるよ……だが、今回ばかりは本当に危険だ。俺はもちろん、アンジェやカシムでさえも無事でいられるか分からない。皆をこれ以上危険な目には遭わせられないよ」
村人たちは俯いた。
「けど、それじゃあ……またお前らに頼ってばかりで」
「いや、皆にしかできない事がある」
ベルグリフは微笑んだ。
「ミトが帰って来た時……おかえりって、よく帰って来たって、笑顔で迎えてやってくれないか?」
「ベル……」
村人たちは泣きそうな顔をした。
「……分かった! だから、ミトとグラハムさんを頼んだぞ!」
ケリーが笑ってベルグリフの背中を叩いた。村人たちも頷いて声を上げる。
アンジェリンが頰を染めて腕を振り上げた。
「宴会の準備して待っててね!」
「おう!」
「任せとけや!」
広場はやにわに騒がしくなった。
まだここにいられる。ベルグリフには、それがひどく嬉しかった。
太陽はさらに高くなり、緩い風が東から吹き始めた。
冒険日和だ。