そうして杖を振った。また暗がりから現れたグレイハウンドが焼かれて地面に転がった。アンジェリンは跳ねるように駆けまわって次々と狼をほふる。

 もう十匹は殺した。暗がりにどれだけの数がひそんでいるのだろう?

 ベルグリフは目を細めた。怯えたようにしがみつくミトを腕の方に回して抱きかかえ、向かって来たグレイハウンドを斬り裂いた。

 妙だ。前に出ているアンジェリンの方に向かう狼はいない。脇をすり抜けようと駆けて来る。そんな狼もアンジェリンは逃がす事なく仕留めているが、明らかにベルグリフの方を狙っている。後ろから回り込もうとするグレイハウンドも、狙える筈の農夫たちの方は見もしない。

 自分をわざわざ狙う理由は思い当たらない。となると、とベルグリフはミトを抱く手に力を込めた。

 前で剣を振るっていたアンジェリンが取って返して来て、ベルグリフと背中合わせになった。

「お父さん、どうする……?」

「あと何匹だ?」

「十はいない、と思う」

「なら片付けて帰ろう。放っておけば危険だし、Eランク魔獣に手間取ってちゃカシムたちに笑われるからな」

 ベルグリフは剣を構え直し、安心させるようにミトに笑いかけた。

「心配するな、お父さんたちがついてる」

「うん……」

 ミトはベルグリフの胸元に顔をうずめた。

 小さくアンジェリンが地面を蹴る音がしたと思ったら、薄暗闇の中で狼の断末魔が響いた。ベルグリフもそうだが、アンジェリンもかなり夜目が利く。

 ベルグリフは基本的にはアンジェリンに任せ、少しずつ後退しながら、娘の討ち漏らした狼を仕留めた。ミリアムの魔法も的確にサポートしてくれる。

 やがて獣の息遣いはなくなり、日暮れ時の不思議な静寂が戻って来た。

 素早く辺りを見回す。魔獣の気配はない。アンジェリンも何も感じないようだ。剣を振って血を振り落とし、鞘に収める。

「終わった、かな?」

「ああ。早く森を出よう。皆、怪我はなかったか?」

 ケリーが頷いた。

「ああ、おかげで皆無事だ。やれやれ、参ったぜ」

「お前が一緒でよかったよ……アンジェ、お前本当に強いんだな、驚いたぜ」

「バーンズ、お前は手が出なかったなあ」

 小突かれて、バーンズは口を尖らした。

「仕方ないだろ、もう暗くなってたし、間違えてアンジェに当てたら嫌だし……」

 ベルグリフが笑ってバーンズの肩を叩いた。

「良い判断だ。功を焦って出しゃばらなかったのは偉いぞ」

「へ、へへ……」

 バーンズは照れ臭そうに頭を搔いた。

 もうすっかり暗くなった森の中を早足で進みながら、ベルグリフはちらと腕の中のミトを見た。グレイハウンドはすべて片付けた筈なのだが、まだおびえた様子は抜けていない。

 どうやら、まだ何か起こりそうだ、とベルグリフは眉をひそめた。

 森を出て村に向かっているとグラハムが駆けて来た。滑らかな銀髪は薄暗闇の中でも光っているように思われた。グラハムは鬼気迫る表情だったが、ベルグリフたちの姿を見とめると、ホッとしたように足を緩めた。

「無事だったか……」

「ああ……何かあったのか?」

「妙な気配が膨らんだのでな……今は消えたが」

「じいじ」

 ミトはグラハムに抱き付いてすんすんと鼻をすすった。ミリアムはため息をついた。

「なんか、最後の最後にドタバタしちゃったねー」

「でもグレイハウンドだけなら、別になんて事ない……ね、お父さん」

「そうだな……」

 ベルグリフはしばらく森の方を睨んでいたが、やがて踵を返した。

「ひとまず村に戻ろうか。もう暗いから足元に気を付けて……」

 もうすっかり辺りは闇が包み、村の家々の明かりだけが点々と灯っている。空にはいくばくか星も瞬いているようだ。森の木々は風に吹かれてざわざわと鳴っている。



 アンジェリンは少し嬉しそうだ。鼻歌交じりに毛糸を巻き取って玉にする。横に座ったミリアムが前かがみになってアンジェリンを覗き込む。

「なになに、アンジェ嬉しそう」

「ふふ……お父さんと共闘しちゃった」

 そう言ってにまにま笑う。

 考えてみれば、ボルドーの騒動の時は殆ど別個に戦っていたようなもので、今日のように後ろにベルグリフが立って見てくれているという意識は低かったように思う。普段からアネッサやミリアムの援護で後ろを気にする事はないけれど、ベルグリフが後ろで戦況を俯瞰してみているというのは、何だか不思議な安心感があった。

 そのベルグリフは結界を強化してもらうと言って教会に出掛けている。

 今はもう夕飯を終えて、食後ののんびりした時間だ。シャルロッテは明日使う芋の皮を剝いて、ビャクは座って瞑想しているのか目を閉じている。アネッサは弓矢の手入れをし、グラハムはミトを抱いたまま静かに座っている。ミトは家に戻ってからもずっとおびえた様子だったが、今はぐっすり眠っていた。

 アンジェリンたちの向かいに座っていたカシムが頰杖を突いた。

「しかし、魔獣がミトを狙う理由が分かんないね」

「うん……でも、ミトは一度変な魔獣に魔力を吸い取られてたんでしょ? 今度もそういう事なんじゃないかな……」

 ベルグリフの見解では、グレイハウンドは明らかにミトを狙っていた、という事である。ベルグリフの言う事だから、全員が一も二もなくその意見に賛同した。しかし、その理由がイマイチ分からないので、カシムもアンジェリンも首をひねっている。

「けどじーちゃん、ミトは一度魔力を使い果たしたんじゃなかったっけ?」

 グラハムは顔を上げた。

「そう思った。人に近い体を構築するのに、かなりの魔力を使った筈だ。しかし、この冬の間に再び体内で魔力が渦を巻いて来たのだ」

 そう言ってグラハムは目を伏せた。

「思えば、魔王はその時倒す事はできても、完全に滅する事は不可能だったからな……情けない事だ、倒すべき対象として見続けていたゆえに、知っているつもりになっていたが、こうやって守るべきものとなった時、あまりにも知らぬ事が多すぎる」

「じーちゃんのせいじゃないよ。あんまし気にしないでいいって」

 カシムはそう言って頭の後ろで手を組んでからから笑った。そうして、ふと思い出したように口を開く。

「そういや、釣りしてたら川の向こうに牧人がいたな」

「木の?」

「うん。久しぶりに見たよ。こんな自然の豊かな所にもいるんだね、あいつら」

 そういえば、森の中でも木の牧人がこちらを見ていた、とアンジェリンは思い出した。あれらはそれほど頻繁に姿を現す存在ではなく、昔の依頼の時に数度見たくらいだ。その現場はいつも荒野を始めとした草木の乏しい所、あるいは人跡未踏の深い森の奥だった。いくら自然が豊かとはいえ、トルネラ近辺に姿を見せるのは珍しい。

 弓の手入れを終えたアネッサがカシムの横の椅子に座った。

「そういえば、わたしも狩りの時に見たな」

「アーネも?」

「ああ。こっちを見つめるようにジッと立ってた」

「わたしたちが見たのもそんな感じだったよねー?」

「うん……なんか、変?」

 カシムが大きくあくびをした。

「ま、別に牧人は悪さはしないし、大丈夫じゃない? 今日出たってのもグレイハウンドでしょ? じーちゃんもいるし、アンジェもいるし、オイラだっているんだから、何が来ても心配ないと思うけどね」

「それは違うぞ、カシムさん」

 アンジェリンはテーブルに肘をついて身を乗り出した。

「お父さんが警戒してるんだぞ……わたしたちの気付かない何かがある。きっと」

「んむ……」カシムは口をもぐもぐさせた。「……そうかもね。確かに、昔も危険に最初に気付くのはベルだったもんな……」

「そう。だから油断はできない……」

 アンジェリンも個人としては特に不安を感じてはいない。しかし、他ならぬベルグリフが警戒を緩めようとしないのは、彼女にも警戒心を抱かせるには十分だった。

 ミリアムが考えるように腕を組んだ。

「でも、何に気を付ければいいのかなー? 緊張しっぱなしは辛いし……」

「……ミトを守る。何としても守る。それが一番……かな?」

 アンジェリンはそう言ってグラハムの方を見た。グラハムは目を伏せたまま頷いた。アンジェリンはにんまり笑って、それからカシムの方を見た。

「さっきの、も一つ訂正……」

「あん?」

「わたしとか、おじいちゃんとか、カシムさんがいるから安心じゃなくて、お父さんがいるから安心……」

 カシムはげらげら笑い出した。

「そりゃそうだ! オイラとした事が一番大事な事を忘れてた!」

 ミリアムとアネッサもくすくす笑っている。

 その時丁度ベルグリフが戻って来た。やけに賑やかな家の中に少し面食らったような顔をして入って来る。

「なんだ、盛り上がってるな?」

「ふふ……結界は?」

「ああ、大丈夫だ。何もなければそれに越した事はないが……」

「ベルさん、お茶、淹れましょうか」

「ん、ありがとうアーネ……カシム、君は何を笑ってるんだよ」

「へっへへへ、いやあ、ベルはベルだなあ、って思ってさ」

「んん……?」

 ベルグリフは首を傾げた。アンジェリンが立ち上がって手招きする。

「お父さん、こっち……わたしを膝に乗せて」

「ええ……お前結構重くなったからなあ……」

「いいから……早く」

 ベルグリフは困ったように笑い、顎鬚を撫でた。

 夜の闇は次第に深みを増し、瞬く星の下で風がびょうびょうと吠えるように吹き始めた。