「──集計が……」

 言うと、俺は作業をしていたパソコンから顔を上げ、

「……終わりました」

 どよめく有志ステージの出演者、スタッフの面々。

 けれどその中心で──ろくよう先輩は。

 この戦いの当事者だった彼は、腕を組み落ち着いた顔で俺を見ている。

 へきてんさいは、大盛況のうちに閉幕した。

 体育館に集められクロージングセレモニーが終わったあと。

 俺たちは再び区民センターに移動し、今日の戦いの結果を確認していた。

 数字の集計を任されたのは、俺。

 電算部が作ったサイト、配信メニューのユニークユーザー数と、文化祭実行委員がカウントした各ステージの入場者数を合計し……今俺の手元には勝敗の行方が、ろくよう先輩の未来が記された紙がある。

「どうだった?」

 そんな俺に──ろくよう先輩は。

 あくまで明るい声で、どこかこの状況を楽しむようなこわいろで尋ねる。

「結果、教えてくれよ」

「はい……」

 うなずいて、椅子から立ち上がる。

 そして、俺は皆の方を向くと──、

「有志ステージ、入場者、配信閲覧者の合計は──」

 そう言って、一瞬の間を置いてから、

「──五千二百八人でした」

 おおお、と、周囲から驚きの声が上がった。

 五千人越え。確かにこれは、予想を大きく上回る数字だ。

 毎年の有志ステージ観覧者は、全体でも二百人にさえ届かなかったりする。

 やり直し前の時間軸でも、千人に届かなかったほどだ。

 もはや、これまでとは全く別のステージにすることができた、と言ってもいいのだろう。

 いけるんじゃないか……という空気。

 こちらに向けられる視線にも、はっきりと期待がこもる。

 そして──、

「それで、メインステージは。入場者と配信閲覧者の合計は──」

 俺はもう一度そう前置きし。

 この戦いの結論を、皆に伝える──。

「──七千八百十一人でした」


 有志ステージ──五千二百八人。

 メインステージ──七千八百十一人。


 敗北だった。

 俺たち有志ステージの……敗北だった。

 nitoの出演までは、やっぱりこちらが勝っていたんだ。

 言い訳がましいけど、それが事実だ。

 俺たちは彼らのステージ、パフォーマンスを圧倒し、より多くの観客を集めた。

 実際、楽しんでもらえていたとも思う。

 客席にいた観客たちの、楽しそうな顔、顔、顔。

 彼らの中に今日のステージが、ずっと残り続けるんじゃないかと思える表情だった。

 けれど──nito。

 最後にステージに上がった、髪を切った彼女。

 その演奏の、次元が違った。

 これまで、俺は何度もnitoのパフォーマンスを見てきたはずだった。

 一度目の高校生活でも二度目の今も、間近でもネット越しでも色んな形で彼女の演奏を見守ってきた。

 そして今回の演奏は──これまでのどの演奏とも大きく違うものだった。

 明るく解放されたようなnitoの表情。

 伸びやかにメロディをつむぐ彼女の声。

 彼女は──変わった。

 これまで自分を縛り付けた全てを捨て、自由になることができた。

 はじけるようにピアノを弾き、踊るように歌う彼女。

 その変化はネット上のリスナーたちにも大きな驚きを与え、あっという間にSNSで話題になった。

『──nito、なんかいつもと全然違う!』

『──超楽しそうじゃん』

『──これ、本当にnitoさんなんですか?』

『──この子、こんなにかわいかったんだな』

 結果、へきてんさいサイト内の配信メニューに人が殺到。

 数字がそれまでの数倍に伸びた。

 普段の動画サイト、万単位で人が集まる配信には及ばなかったけれど……今もSNS上はnitoの変化にざわついていて、アーカイブの動画はこれからも伸びていくんだろう。

 だから──敗北。

 俺たちの、負け。

「……」

「……」

「……」

 全員が、ぼうぜんとしていた。

 自分たちは……届かなかった。

 あれだけ一丸となって頑張ったのに、全力で戦ったのに、かなわなかった。

 そのことを、いまだにどう受け止めればいいのかわからない表情──。

 ──けれど、


「──ありがとう!」


 そんな声が──体育館内に響いた。


「──みんな、精一杯戦ってくれて本当にありがとう!」


 ろくよう先輩だった。

 彼は俺たちに深々と頭を下げ──今日一番の熱のこもった声で、そう言う。

「だけど……ごめん! 負けたのは俺のせいだ! 俺の実力不足だ! せっかく必死になってくれたのに、マジで申し訳ない!」

「そ、そんな……!」

 最初に声を上げたのは。

 ろくよう先輩に駆け寄ったのは、泣きそうな顔のづま先輩だった。

ろくようくんは、すごかったよ。わたし、本当に楽しかったし……」

「そうだよ、俺だって楽しかった」

「死ぬほどウケてたしな!」

 彼の周囲に人が集まる。口々に、ろくよう先輩に感謝の言葉を伝える。

 少しだけ、周囲の気配が緩んでいく。

 この敗北を、少しずつ飲み込み始めた空気。

 けれど……、

「……お父さんとの、約束は」

 五十嵐いがらしさんが、ふいにそうこぼして。

「メインステージに勝つって約束は……果たせなかった、ってことになるんでしょうか」

 もう一度辺りの空気が深く沈み込む。

 そうだ──お父さんとの約束。

 メインステージに勝てば、起業を認めてくれるというこの戦いの大前提。

 それは、果たされなかった、ということになる……。

 ……そして、俺は思い出す。

 へきてんさい準備の始まった頃、二年半後の未来で見たろくよう先輩の姿。

 あのときの彼は、今からは想像もつかないほどに覇気を失っていた。

 自信も目標もやりたいこともなく、ただ無為に毎日を過ごしているようだった先輩。

 また……あんな風になってしまうんだろうか。

 あんな風に、ろくよう先輩は希望を失ってしまうんだろうか……。

「……それが」

 と。けれどろくよう先輩は、自信に満ちた笑みのままで、

おやが、有志ステージを見に来てくれたみたいでさ」

「そう、だったんですか……」

「なんか、言ってたのかよ?」

「感動してた」

 うれしそうに口元をほころばせて、ろくよう先輩は言う。

はるが仲間と、このステージを創り上げたのかって。正直、予想を全然超えてたってよ」

 そして──彼は。

 ろくよう先輩は、この場にいる一人一人の目を見ながら、


「起業を──許可するって」


 誇らしげに声に力をこめ、俺たちに言った。


「結果がどうであっても、もうお前を止めないって──」


 ──歓声が上がった。

 起業を、許可──。

 ずっと欲しかった、皆が求めていたその結末。

 確かに……nitoには届かなかったかもしれない。全力を出して、結果敗北した。

 それでも、そういう未来がつかめたなら──。

 ろくよう先輩に明るい未来が待っているなら、それで十分だと思う。

 そして、口々に祝いの言葉が贈られる中で。

 ろくよう先輩は、どこか照れくさそうに頰をかき、

「けど……まあ」

 と、話を続けた。

おやの言ってた通り……まずは、おやの会社で働こうと思った」

 ──え? と。

 周囲の全員が動きを止めた。

 どうして? 許されたのに?

 なんで……お父さんの会社に?

 きょとんとする俺たちに、ろくよう先輩は頭をかきながら、

「なんつーか……死ぬ気でここまでやってきて、おやの言ってることもわかったんだよ。俺にはまだまだ足りないところや、わかってないことが山ほどある。それこそ、最初は一人で抱え込もうとして限界になっちまったし、もっと早くみんなに頼れてたらって後悔もある。おやの、自分の会社に入れって話は……」

 言うと、ろくよう先輩は照れくさそうに笑い、

「……そういうのを勉強してから、起業すればいい、っていう提案だったんだな」

 ……確かに、そうなのかもしれない。

 なにも、お父さんは頭ごなしに先輩の目標を否定したわけじゃないだろう。

 親としての心配や、考えがあってそう提案した。

「だから……俺も、そうしてみたいと思った。まずはおやの会社で、仕事の基礎を学びたいなって。みんなすまん、手伝ってくれたのに、勝手で申し訳ねえ!」

 もう一度、ろくよう先輩は深く頭を下げる。

「でもみんなのおかげで、沢山のことが勉強できた。この経験は、俺自身の将来を大きく変えてくれると思う。本当に本当にありがとう!」

 そう言って──俺たちを見る先輩の目は。

 全員に向けられたその瞳は……珍しく、涙で潤んでいるように見えた。


「だから今日のことが──みんなにとっても大切な思い出になったらと、俺は願ってる!」


***


 ──みんなからの拍手がむ頃。

 俺は──ろくようはるはあいつのところへ、さかもとめぐりのところへ向かった。

「よう、お疲れ」

「……ああ、お疲れ様です」

 顔を上げ、俺を見るめぐり

 目の下にはクマができ額には汗が浮かび、Tシャツはよれている。

 本当に……頑張ってくれたな、こいつは。

 俺と一緒に、へきてんさいを全力で駆け抜けてくれた。

 だから──、

「……起業したら、呼ぶから」

 俺は、目の前のめぐりにそう言う。

「勉強し終えて、会社作ろうってなったらお前呼ぶから。もしよければ、一緒に働こうぜ」

「おー、マジですか」

 へらっと笑って、めぐりは言う。

「俺、就職先ゲットしちゃった感じですか?」

「おう。まあ、失敗したら一緒に職を失うことになるけどな」

 そんな軽口を言い合って、笑い合う。

 あの雨の日以来──校庭で泥だらけで話して以来、俺たちの距離はグッと近づいたと思う。

「でも、いいんすか? 俺で」

 軽い口調で、めぐりは俺に尋ねる。

「仕事、できるかどうかわかんないすよ?」

「いいんだよ」

 俺は確信を持って、めぐりにうなずいてみせた。

 そして──俺の気持ちを、感謝をこめてはっきりと口に出す。

「お前は俺の、相棒だからな──」

 めぐりは驚いたように目を丸くしたあと。

 なんだかくすぐったそうに、あははと笑った。

 ──五十メートル走に必死だったあの頃から、ずいぶん時間がった。

 小学生だった俺は高校生になって、大人に近づいた。

 あの頃の俺は、今でも少しは自分の中に残っているんだろうか。

 全力で走ったあの日の俺は、俺を見ているだろうか。

 だとしたら──そいつに向けて。あの日の俺に向けて、俺は教えてやりたいと思う。


 ──おい、見つけたぞ。

 一人で頑張るよりも、もっと速く走る方法──。