──へきてんさい当日、朝がやってきた。

 天気は快晴。気温は十一月にして温か。

 初冬の日差しに木々が銀色にきらめいて──抜群の、文化祭日和だった。

 そして──あまぬま高校第一体育館。

 全校生徒の集まった、その壇上にて。

「──うわー、マジあっという間だったな」

 ろくよう先輩が──友達に語りかけるような口調でそう言った。

「俺が文化祭実行委員長になって、二ヶ月くらい。みんなの準備も、同じくらいの期間だったと思うけど……どうよ? ばっちりやれたか?」

 その問いに、俺は大きくうんとうなずいた。

 周囲の生徒たちも、それぞれの感慨をこめた様子でうなずいたり、じっとろくよう先輩を見つめたりしている。

 ──オープニングセレモニー。

 一日だけの開催となるこのへきてんさいは、体育館で行われるこの行事から始まる。

 校舎内展示、模擬店それぞれの担当者の挨拶や、統括の御手洗みたらい先生のお話。

 そして最後に──実行委員長。ろくよう先輩の挨拶があって、お祭りは開始となる。

 辺りには、既にむんとした熱気が立ちこめていた。

 壇上を見上げる生徒の顔ににじむ、期待と高揚感。

 ずいぶんと涼しい季節になったのに、額に汗をかいている生徒もいる。

 かく言う俺も……ドキドキと緊張で、全身がなんだかっていた。

 さあ、どうなるだろう……。

 今日は一体、どういう一日になるだろう……。

「まあ、ここまで来れば長々言うことはねえよ」

 ろくよう先輩は、そう言ってはははと笑う。

「俺から言いたいのは、ケガしないように気を付けろってことと、ルールはほどよく守れよってこと。あんま難しいことは言わねえから、それぞれい感じに……ん? ほどよくじゃダメ? ちゃんと守れ? へーい、じゃあまあ、ガッツリ守る感じで」

 舞台下の御手洗みたらい先生と、ろくよう先輩のやりとりに笑いが起きる。

 そして──彼は小さくせきばらいすると。

 俺たちに、自信ありげな視線を向け、

「それ以上に──楽しんでくれ」

 はっきりとした声で、そう言った。

「一度しかない今年のへきてんさいだ。みんな、全力で楽しもう! つーことで……」

 言うと、先輩は会場中を一度ぐるりと見回した。

「いくぞ……。みんな、準備はいいか?」

 周囲のスタッフが、教師たちが、フロアの生徒たちがうなずく。

 それを見届けると、先輩は大きく息を吸い込んで、


「これより──第四十三回へきてんさいを開催します!」


 宣言するように──そう言った。

 同時に上がる大きな拍手。背後でブラスバンドの華やかな演奏が始まる。

 実行委員たちが手を振りながら舞台袖へけていき──今年のへきてんさいが。

 俺や天文同好会メンバーの、未来を決める一日が始まった。



「残念だなー、クラスの方いられないのは」

さかもとには『異世界転生主人公』のコスプレして欲しかったんだけど」

「似合いそうだったのにな」

「いやそれ、どういうコスプレだよ……」

 そしてやってきた、いつもの校舎。

 俺やの所属している、一年七組の教室前で。

 俺は西にしがみたかしまおきのセリフに、思わず苦笑いしていた。

「そんなにあるか? 異世界主人公っぽい格好……」

 俺たちのクラスの出し物は、先日決まった通りコスプレ喫茶だ。

 喫茶店のメニューとしては簡素なものの、店員であるクラスメイトたちがコスプレをしてお客様をお迎えする、というコンセプトの模擬店である。

 ちなみに……コスプレは、俺の目から見てもあからさまに気合いが入っていた。

 アニメや漫画、ゲームのコスプレはもちろん。話題の芸人やスポーツ選手、ミュージシャンやYouTuber。はてはVTuberからこの学校の先生まで、全クラスメイトが思い思いの格好をしていた。

 ちなみに……西にしがみはオーク、たかしまはゴブリン、おきは女騎士のコスプレをしていた。

 よく通ったな、そのアイデア。

 あと、おきの女騎士のコスプレが無駄に似合っていて腹立たしい。

「でも、有志ステージ、相当頑張ったんだろ?」

「俺らも、時間見つけて見に行くよ」

「……おう、ありがと」

 彼らの言う通り……今日、俺と五十嵐いがらしさんは、ステージスタッフとして仕事をするためクラスでの仕事を免除してもらっている。

 準備にもあんまり参加できなかった上、当日まで気を遣ってもらって申し訳ない……。

 ただ、その分いステージにしようと思うし、休憩時間には客としてクラスの様子を見に行こうとも思ってる。

 ちなみにも、今日一日大忙しでこの場にいない。

 きっと、へきてんさい運営本部でらつわんを振るっているんだろう。

 そして……彼女とは今日、個人的にある約束をしていた。

 ステージとは全く関係ない、彼氏彼女としての約束。

 それも内心楽しみで、今から既にわくわくしていて……。

 うん……い日になるといいな。い日にしよう、と、改めて小さく決意した。

「──よし、じゃあ行こうかさかもと

 教室から、荷物をまとめ終えた五十嵐いがらしさんが出てくる。

「そろそろ区民センター、開くから」

「おっけ」

 うなずいて、俺もかばんを肩にかけ直す。

 そして、

「じゃあ、行ってくるわ」

「おう!」

「頑張ってなー!」

 西にしがみたちに手を振り──俺たちは、有志ステージ会場である区民センターへ向かったのだった。



 ──会場準備は、既に完了していた。

 窓という窓に暗幕が貼られ、用意された照明が辺りを照らしている。

 業者に搬入してもらったステージと、客席後方に据え付けられた音響機材の席。

 舞台脇には大きなスピーカーが据え付けられていて、最終チェックのための曲が流されていた。

 そんな客席の中央に──輪ができている。

 今日まで準備を進めてきた出演者とスタッフ、全員で作られた大きな輪だ。

 たった二ヶ月。

 六十日程度の短い期間、一緒に過ごしてきた彼ら。

 けれど、気付けばいつのまにか、そんな彼らに愛着を覚えている自分に気付く。

 特に、ろくよう先輩が本心を明かしてからは、濃密な日々だった。

 遅くまで残り、練習を繰り返し告知の策を練る毎日。

 言い合いになることや、ケンカに発展することさえあった。

 けれど……それは全部、いステージを創り上げるため。

 その目標に必死だったからこそ、そんなぶつかり合いも生まれたんだ。

 そして──今日。

 やってきた、本番当日。

「……ついに来たな」

 ろくよう先輩が、静かに話し始める。

「あと十分で開場だ。そこから午後四時まで、ノンストップでステージが続くことになる。こうなったら、最後まで駆け抜けるだけだ」

 その場に集まった全員が、その言葉にこくりとうなずく。

 先輩は、それをうれしげに見回したあと、

「……ここまで、本当にありがとう!」

 そう言って──深く頭を下げた。

「俺一人の力じゃなんにもできなかった! ここまでこれたのは、みんなのおかげだ……! だから!」

 頭を上げるろくよう先輩。

 彼はにっと笑みを浮かべると、


「今日は──最高のステージにしてやろうぜ!」

「「「おう!」」」

「打倒メインステージ!」

「「「おう!」」」

「そして何より──全力を出し尽くしてやろうぜ!」

「「「おう!」」」

「有志ステージ、いくぞ!」

「「「おう!」」」


 ──盛大な拍手が上がった。

 満面の笑みを浮かべているポチョムキンズ、づま先輩、OBORO月夜、FLIXIONSの面々。

 有志出演者もやる気十分だ。

 手品を見せてくれる一年生も、人形劇を演じる先輩たちも、書道パフォーマンスを見せてくれる書道部たちも、スカウト組に全く劣らない高揚感を放っている。

 そしてもちろん──俺も。

 今日まで全力で走ってきた俺自身も、たぎる熱気で全身が熱い。

 早く見てもらいたかった。

 この出演者が用意してきたパフォーマンスを、お客さんたちにぶつけたい。

 いてもたってもいられなくて、そわそわと会場のチェックをしていると、

「──そろそろ開場でーす!」

 タイムキープ係の生徒が、入り口でそんな声を上げる。

 反射的に、ばっと辺りを見回した。

 スタッフの配置はOK。

 トップバッター、戦艦ポチョムキンズは既に舞台袖に控えている。

 照明も音響も予定通りで──うん、問題なし!

 ステージを始める準備は、完全に整っている!

「……さあ、どうなるか」

 こみ上げる緊張感に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「初っぱなで、どれくらいのお客さんが来てくれるか……」

 実のところ、現段階で結構手応えは感じている。

 出演者たちがネット上で繰り広げた宣伝は、見るからに好評だった。

 PVは沢山再生されコメント欄には「行きます!」「遠方なんで配信見させてもらいます!」なんてコメントが並び、『コミュニティFMすぎなみ』にもかなりの反響が寄せられた。

 だから今日……どれくらい、人が集まってくれているか。

 例年、有志ステージのトップバッターを見に来るのは、二十人ほど。

 今年はせめて、その倍くらいは来てくれるといいんだけど……。

「ドア開きまーす!」

 考えている間に、そんな声が響く。

 そして、開かれた扉の隙間から──、


「──おーすげー!」

「──去年より全然本格的じゃん!」

「──さすが、気合い入ってんな」


 ──沢山の人たちが、なだれ込むように入場する。

 この学校の生徒、他校の生徒らしい見慣れない制服。

 保護者らしい大人の姿や、出演者のファンだろうか、若めの男女まで──。

 その数……百人を、超えてるんじゃないか?

 こうしてみる限りだけど、何十人とか、そういうレベルじゃないんじゃないか……!?

 背筋に──ジンとしびれが走った。

 予想以上だ。

 予想以上に、事前の告知が効を奏している……!

くいった」という快感。先輩や出演者の努力が報われたという、温かい喜び。

 それが今、血流に乗って身体からだを駆け巡る感覚がある。

 人混みの中には、見慣れた顔もあった。

 俺の妹みずと、一緒に来たらしいことの姿。

 あいつら、来てくれたんだな。わくわくと周囲を見回すみずと、ちょっとおどおどしていることの姿になんだかグッと来てしまう。

 さらに、コミュニティFMすぎなみのスタッフの方々。

 区の職員としてお忙しいだろうに、時間を作って来てくださったらしい。

 そして──さくらさん。この区民センター使用に最初は苦言を呈し、その後は地域住民として協力してくれた老婦人の姿も、そこにあった。

 相変わらずおきれいにされていて、そのちはそこらの高校生よりもよっぽどきらびやかで、もはや今日の出演者の一人にさえ見えてしまいそうだ。

 さらに彼女は、

「ねーほら、こんなにしっかりした会場で!」

「はー、これはすごい」

「近頃は、学生でもこんな風にできるんだね」

 お友達を、連れてきてくれていた。

 彼女自身と同じような年頃の、おしやな男女数名。

 ──そんな光景にほほえんでしまいながら。

 期待を超えるスタートを切られそうなことに高揚感を覚えながら、

「よし……じゃあやるか!」

 うなずきながら、俺は自分の待機場所となる舞台袖へ向かった。



 そして──ステージが始まり一時間ほど。

 三組目の出演者が出番を終えた、転換のタイミングで。

「──さかもとー、休憩だよー」

 五十嵐いがらしさんがそう言いながら、持ち場である舞台袖へやってきた。

「自由時間は一時間ね。遅れないように戻ってきて」

「おう、了解」

「ちなみに……どう?」

 五十嵐いがらしさんは、不安げにそう尋ねてくる。

「ステージは、順調……?」

 開場からしばらく、五十嵐いがらしさんは休憩を取っていた。

 パフォーマンスが始まってからの様子を、彼女は知らないのだ。

「配信も、会場も……ちゃんと盛り上がってる?」

 そんな彼女に──、

「んー、こんな感じ」

 ──言って、俺はついさっきまで行われていたパフォーマンスの動画を。

 OBORO月夜のライブの映像を、スマホで掲げてみせた。

「お、おおおお!!

 ──盛り上がっていた。

 スマホの画面越しでもはっきりわかるほどに、ステージは盛り上がっていた。

 OBORO月夜は、ハイスピードな楽曲が売りのオルタナティブロックバンドだ。

 とはいえ曲にはポップさもちゃんとあって、全体的には『ネットでも評価されそうな今風のロックバンド』という感じ。踊れる曲が多く、動画サイトでもPVがかなりの再生数見られている。

 そんな彼らのステージは──ここがライブハウスじゃないかとまがうほどに大盛り上がり。

 客席からは歓声が聞こえ、彼らのファンらしい人々が跳ねたり踊ったり、存分に楽しんでいる。

 もちろん、他のお客さんたちだって置き去りじゃない。

 みずさくらさんも楽しげに身体からだを揺らし、手をたたいていて──おそらく二百人。

 会場に詰めかけたそれくらいのお客さんたちが、彼らの演奏を楽しんでいた。

「すごいじゃん! いいじゃんこれ!」

「だろ? 正直めちゃくちゃ順調だよ」

「配信の方はどう? 視聴者どれくらい?」

「こっちは三百くらいだな……。現状、メインにまだ勝ててはいないけど、ジワジワ数字は伸びてるから……うん」

 一つうなずいて、俺は五十嵐いがらしさんを見る。

「戦えてる。くすればマジで勝てるぞ、これ!」

「……わかった」

 キッと覚悟の笑みを浮かべて、五十嵐いがらしさんはうなずく。

「ここからも、ギリギリまで告知はしていこう。ネットでも校内放送でも、まだまだねじ込めそうだし」

「おう、そうしよう──」

 ──そんな風に、話し合っていたところで。

「……おっ」

 ポケットの中で、スマホが震えた。

 どうやら、彼女から連絡が来たみたいだ。

「……あー、あの子?」

「うん」

 察してくれたらしい五十嵐いがらしさんにうなずき、俺はかばんを肩にかける。

「そっか。まあ状況が状況だけど……それとは別に、楽しんできな」

「おう、ありがと」

 うなずいて、俺は会場出口に向かいながら、

「じゃ、またあとで」

「うん、あとでね。楽しくなりすぎて、戻りが遅れないように」

 言うと、五十嵐いがらしさんは小さく笑い、

「こう見えて、頼りにしてるんだから」



「──よう、お待たせ」

「ううん、わたしも今ついたところ」

 そして──戻ってきたあまぬま高校。

『ようこそ! 第43へきてんさいへ!』と書かれた、派手なゲートをくぐった辺りで。

「……大丈夫なのか? メインステージの方は」

「うん、必要な仕事は、全部お願いしてきたから」

 彼女は俺の顔をのぞき込み──にへっと笑った。

「だから……安心してしばらく遊べるよ、めぐり

 ──

 今回、俺たち有志ステージの前に立ち塞がった強敵である彼女。

 そんな彼女が今……ひどくわくわくした様子で、れんな笑みを俺に向けていた。

 秋の日に彼女の髪がさらさらときらめく。

 制服のスカートに、へきてんさいスタッフTシャツ。

 その上にジャージを羽織った、俺と同じ格好の──。

「そっか、そりゃうれしいな」

 言うと──俺はちょっと緊張気味に、彼女の手を握る。

 そして、

「じゃあ、行くか!」

「うん!」

 にぎわう校内へ向けて、歩き出したのだった。



「──ちゃんと、一緒に文化祭を回りたい」

 最初にそう切り出したのは、俺の方だった。

、副実行委員長だし、メインステージも回さなきゃだし、そのうえ出演者でもあるから、忙しいだろうけど……」

 数日前の放課後。並んで帰る、駅までの道で。

 俺は──意を決して彼女に言った。

「やっぱり俺……一緒にへきてんさい、楽しみたいんだ」

 なんとなく、最近そういう雰囲気じゃなくなっていたんだ。

 例の『人生を狂わせちゃう』の一件もそうだし、文化祭の準備が忙しくなったのもある。

 それに……勝負の件。

 俺たちがメインステージに戦いを挑んでいる件もあって、ちょっと関係がピリッとしていた。仲が悪くなったとかそういうことではないんだけど、どこかよそよそしい空気があったというか。

 でも、それ以前に。

 大前提として──は俺の彼女なんだ。

 勝負を挑むとかそういう話以前に俺はのことが好きで、も俺のことを好きだと言ってくれていて、彼氏彼女の関係だ。

 だったら……楽しみたい。

 初めてこの関係で訪れた文化祭というチャンスを、一組のカップルとして楽しみたかった。

 そして、俺のそんな提案に、

「……わ、わたしも!」

 もそう言ってうなずいてくれた。

「わたしも、めぐりと文化祭で遊びたい!」

 ──手をギュッと握り、こちらを見ている

 ──期待にきらめく目と、桃色に染まった頰。

 この話が予想外だったのか、ちょっとあせっているようにも見えて。

 その表情が──たまらなくかわいらしく見えて、

「じゃ、じゃあ……予定、調整してみようぜ……」

 必死に気持ちを抑えながら、俺はそう言ったのだった──。

「休憩時間とか、合わせられないか……ちょっと周りに、相談してみよう……」

 ──そんなわけで。

 俺とは、忙しい中スケジュールをやりくりし。

 こうして──二人きりでへきてんさいを楽しむ時間を、手に入れたのだった。



「──にしてもさ……」

 そして──二人で歩くこと数分。

「初っぱなから、ここを選ぶかね……」

 の希望で到着した、その場所で。

 俺は頭をかき、小さくため息をついていた。

「えーでも! 自分のクラスだもん! どんな感じか見たいじゃん!」

 それでもは、不満げにこちらを振り返りそう主張する。

めぐりは、クラスメイトが何してるか興味ないの!?

「そりゃ、ないことはないけどさあ……」

 の言う通り──俺たちが来ているのは自分のクラス。

 つまり、一年七組のコスプレ喫茶の前だった。

 いつもの地味さと違い、派手に飾られたその教室。

『コスプレ喫茶』と書かれたどでかい看板の下には、現在のスタッフ一覧が貼ってあって、今現在は『K─POPアイドル』『某大御所芸人』『某人気VTuber』『オーク』『女騎士』などが店員を務めているらしい。どんな取り合わせだ。

 ……うん、まあ確かに気になる。

 クラスの展示がどんな感じか、ちゃんとお客さんが入ってるのかは気になる。

 けど……せっかくの文化祭。しかも二人っきりになれたタイミングなんだ。

 だったらこう、もうちょい普段とは違う感じのことをしたかったんだけど……。

「いいから入るよ!」

「あーもう、わかったわかった」

 強引なに苦笑しながら、手を引かれて教室に入った。

 そして──、

「おお……大盛況!」

「マジだ、すげえな!」

 ──そこに広がっている光景に、思わずそんな声を上げた。

 ほぼ、満席だった。

 いくつものテーブル、椅子が並べられたその店内は、ほぼほぼ客で埋まっていた。

 そして、不思議なことに……、

「あれ……客までコスプレしてね?」

 なぜか……テーブルについている人たちまで。

 教室内を行き来するスタッフだけでなく、来てくれたお客さんまで何組かコスプレしているように見える。

 なんで? そういうのって普通、店員だけじゃないの……?

「──おー、さかもとさん!」

 女騎士の格好をしたおきが、俺たちを見つけてこっちにやってくる。

「いらっしゃい! 空いてる席に座っちゃってよ! あと、コスプレ希望だったらこっちに着替えスペースあるから──」

「──いやいや、いつの間にそんなことになったんだよ!」

 どうしても気になって、俺は彼に尋ねる。

 確かに、教室の片隅にはコスプレ衣装が集められたブースと、覆いで囲われた即席の着替えスペースがあった。

「スタッフだけがコスプレする予定だったろ? なんでお客まで……」

「いやあ、実は自分もコスプレしたい、ってお客さんが結構いてさ」

 なぜか妙に似合う女騎士のロングヘアーをげ、おきが言う。

「だから、急いでスペース作って、衣装もドンキで補充してきて。お客さんもコスプレ楽しめるようにした!」

「へえ……」

 なるほど、お客さんからの希望……。

 変わったお客さんもいるもんなんだな……。

 にしても、当日で衣装の補充とスペース確保するとか、思いのほかモチベーションが高くてビビる。もしも有志ステージ担当じゃなかったら、クラス展示はクラス展示でなかなか楽しめたのかもしれないな……。

 返す返す、一度目の高校生活で文化祭をスルーしちゃったの、もったいないことしてたんだなと自覚する。

 そんな俺に──、

「──わたしも、コスプレしたい!」

 ──が勢いよく言った。

「わたしも──なんかいつもと違うの着たい!」

「え。ええ……」

「お、さん大歓迎だよ! こっちにどうぞ」

「やったー、何にしようかなー」

 おきに連れられ、楽しそうに衣装スペースに向かう

「お、おい待てって!」

 置いていかれそうになった俺は、気乗りしないままで慌てて二人のあとを追ったのだった。



 そして──お互い衣装を選び終え。

 入った着替えスペースにて──。

「……いや、おかしいだろ」

「ん? 何が?」

「どう考えてもおかしいだろ……」

「だから、何がおかしいの?」

「……一緒に着替えてるのがだよ!」

 カーテンに覆われた、その狭い一角で。

 俺は──にそう叫んだのだった。

「コスプレしたいのはいいよ! 俺が付き合うのも最悪構わんよ! けど……同じ場所で着替えるのは、どうなんだよ!」

 そう……この畳二畳分ほどのスペースに。

 決して広くはないこの着替えブースに、俺とは一緒にぶち込まれてしまった。

 男女で別の空間が用意されていそうなものなのに、至近距離で一緒に着替えることになってしまったのだった。

「えー、だから大丈夫だって」

 はそう言って──自分が選んだコスプレ衣装を。

 ティラノサウルスの着ぐるみを、俺に掲げてみせる。

「ほら、衣装全部制服の上から着れるやつだから。今着てるの脱がなくていいし」

「そりゃ、そうかもしれねえけど……」

 それでも、男女が同じ部屋で着替えるのってどうなの?

 なんか、ちょっとダメな感じしない……?

 ちなみに俺は悪役令嬢のコスプレをする予定だ。どうしてこうなった。

 おきのおすすめしてくれた衣装がこれだったんだけど「俺にはわかる」「今あるのだと、さかもとにはこれが似合う」と猛プッシュされ、なんか俺もこれを着ることになってしまった。

「よいしょ……」

 そう言ってる間にも、はティラノサウルスの頭部分をかぶろうとする。

 手を上に大きく伸ばし、ティラノヘッドを装着する

 どうにもそれがくはまらないらしく、

「んー?」

 とか言いながら、もぞもぞとフィットするポイントを探している。

 そんな彼女の隣で、金髪縦ロールのウィッグをかぶろうとしていた俺は、

「……ん?」

 ──気付いた。

 気付いてしまった──。

……っ!

 おなかが見えていた。

 腕を上に伸ばしたせいで、へきてんさいスタッフTシャツの裾が持ち上がり。

 スカートとの間に、のおなかのぞいてしまっていた。

「……!」

 一瞬見えた、白い肌。

 男の俺よりもずっと細い、その腰回り。

 ……いかん! そんなの見てるところバレたら、マジで気まずすぎる。

 のことだから「あれ~?」「めぐり、わたしのおなかに見とれてたの?」とかいじってきかねない。

 だからここは、グッと我慢して俺の着替えに集中しよう……。

「……」

 しかしかぶものしてるよな。

 多分視界、かなり狭いよな。

 今く頭にはまってないし、全然こっちを見えてなさそうだな。

 ふーん、そっかそっか……。

 、完全に無防備か……。

 ……。

 ……とりあえず、俺の着替えを進めよう。

 俺は椅子にかけておいたドレスに手を伸ばし──その際、うっかりもう一度そのおなかに目をやってしまう。不可抗力である。

 さっきちらりと見た、その滑らかな肌。

 きめ細かくてさらりとしていて、思わず触ってみたくなる質感だった。

 そして……意外と、ぷにっとしている。

 、全体には細身ですらっとした印象なのに、そのおなかはほんの少しだけお肉がついて柔らかそうだった。

 赤ちゃんのほっぺたのような、ふくよかで滑らかなそれ。

 思わず触ってみたくなる欲求を覚えて、慌ててそれを抑えこむ。

 そして──おへそ。

 柔らかに落ちくぼみ、影を作っているおへそである。

 男の俺と構造上はそう違わないはずだ。

 ただおなかの真ん中に、小さなくぼみがあるだけ。

 けれど、それはなんだか妙にわくてきで、なぜかそこから目を離せなくなって──、

「──めぐり?」

「うおああぁっ!?

 突如名前を呼ばれて──大声が出た。

 はじかれるようにそちらを向くと、

「何……ガン見してるの?」

 の目が、俺を向いている。

 とっくにティラノヘッドを装着し終えたらしい、鋭い歯の生えた口の奥から顔をのぞかせ……がこちらを見ていた。

「……あ、ああいやいや! 別に何も……」

「……うそ、見てたでしょ」

 半眼になり、はじっとこちらを見る。

めぐり、わたしのおなか見てたでしょ……!

「そ、それはその……不可抗力で!」

 や、ヤバい! バレてた!

 おなかガン見してるの、思いっきり気付かれてた!

「たまたまちょっと目に入っただけで、見てたってほどでは……」

 慌てて申し開きをするけれど、は取り合ってくれない。

「ちゃんと気付いたもん。めちゃくちゃ見てたよめぐり、しかもちょっと笑って……」

「わ、笑って……!?

 俺、そんな感じだったの!?

 おなか見ながらほほえんじゃってた!? 我ながらキモすぎる……!

 さすがにこれはどん引きされたか……。

 もしかして、これをきっかけにフラれるんじゃ?

 と、内心おびえていると……、

「……太いって、思ったんでしょ」

 低い声で、がそんなことを言う。

「こいつ、意外とデブだなって思ったんでしょ……」

「……は!?

 太い!? デブ!?

 一ミリもそんなこと思ってねえよ!

「そ、そんなわけねえだろ! むしろ、ちょっときれいだなって思ったくらいで……」

うそだ! だってわたし太ったもん!」

 Tシャツの裾を強く下に伸ばし、ティラノヘッドの中からは大声で言う。

へきてんさいの準備が忙しくて、実際二キロ太ったもん! だから笑ったんでしょ!」

「だから違うって! やらかそうで触ってみたいと思っちゃっただけで──」

「──ほら、やらかいって! だから太いと思ったんでしょ──」

 ──気付けば、そんな言い合いになってしまっていて。

 見てない振りも不可抗力の振りもできなくなってしまって、俺らの言い合いはおきが「おいおい、痴話ゲンカかー?」とやってくるまで続いたのでした……。



「──しかし、本当に大盛況だな」

 その後……お茶とお菓子でに機嫌を直してもらいつつ。

 俺と彼女は、文化祭一色に染まった校舎内を二人で歩いていた。

「クレープとか焼きそばとか、定番の屋台も色々あるし……あっちはアイドル研の完コピステージ、こっちには文芸部のビブリオバトル大会……」

「ふふ、すごいよね。ほら、美容室の模擬店まであるよ!」

 が指差す先を見ると……彼女の言う通り。

 どこかのクラスが、『サロン・アマヌマ』という美容室を開いているのが見えた。

 多分、家が美容室の生徒とか、美容師志望の生徒とかが髪を切ってくれるんだろう。

 斬新すぎるだろその模擬店。

 さらには──校内放送。

 放送部が常に流している校内向けのラジオ番組では──、

『──それでは、次に先生持ち込みのコーナーです。皆さんご存じ、現文の先生がお送りする、その名も「失恋相談ももせ」~!』

です。よろしくお願いします』

 ──噴き出した。

 模擬店で買って飲んでいたタピオカミルクティーを噴き出した。

 何やってんだよ!

 先生、いきなり放送に出て何やってんだ!?

 ていうか『失恋相談ももせ』。一体何をやるコーナーだ!?

 そんな疑問に答えるように、

『このコーナーでは、最近失恋してしまった生徒からの相談に、わたしももが親身にお答えします。恋は終わり際が肝心です。恋に破れてしまったあなた、そんなあなたからの相談をお待ちしています』

 失恋の相談!? 文化祭で、そういう話ってハードル高すぎだろ!

 それに、なんか妙に手慣れた話し方の先生……。

 ……さては、初めてじゃねえな!?

 これまでも、前勤めてた学校でもやってたな!? これ!

 あの人、真面目そうに見えてこういうところぶっ飛んでるんだよなあ……。

 だからまあ、結構先生のことは好きだし、信頼もしてるんだけど……。

「……ふう」

 と、一通り校舎を見終えて小さく息を吐く。

 実は……このあと、俺たちはとある場所に向かう約束をしている。

 彼女に、あるものを見せる約束を。

「じゃあ……向かうか」

 俺は、隣のに緊張気味にそう切り出した。

「そろそろ、休憩時間も終わりそうだし」

「だね」

 はそう言って、あっさりとうなずいた。

「じゃあ、見せてもらっちゃおうかな──有志ステージ」

 こちらを見て、彼女は笑う。

めぐりたちの頑張りを、とくと見せてもらいましょう!」

 ──気負いも不安もない、明るい笑み。

 ──絶対的な自信をのぞかせる、落ち着いた表情。

 そう──有志ステージを見せる。

 の言う通り、俺はこのあと……この子に有志ステージを見せる約束をしていたのだ。

「おし、行くぞ」

 言いながら、俺は昇降口へ向けて歩き出す。

 ……どうなるだろう。

 は今も、自分が負けるとは一ミリも思っていない表情だ。

 それもそうだろう、少し前までは、こちらの進捗をこまめに確認していた。

 ろくよう先輩が本心を打ち明ける直前くらいまでは、予定されているパフォーマンスの動画のチェックまでしていた。

 だとしたら……自分の方がいステージをできると。

 今回のへきてんさいの空気を持っていくのが、自分であると確信しているはず。

 だから……そんな彼女が実際のステージを見て、どんな反応をするか。

 それがどうにも怖くて、心臓がひどく高鳴って……俺はぎこちない動きのまま、彼女を区民センターに案内する。



「──じゃあ、入るぞ」

「うん」

「準備はいいか?」

「大丈夫だよー」

 そして──到着した区民センター。

 体育館の入り口前で、扉に手をかけに尋ねた。

 ──センターの混み合い具合には、も驚いたようだった。

 辺りには有志ステージを見に来た人、その帰りの生徒や地域の人があふれるほどに集まっている。この光景は、としても予想外だったらしい。

 現在、ステージでパフォーマンスしているのは……づまきらら先輩だ。

 TikTokで有名になった、かわいらしい女性ダンサー。

 彼女は出演者の中でも最も『打倒nito』に力を入れていたし、実際動画や配信での告知も、絶え間なく繰り返してくれていた。

 今も扉越しに、音楽とファンたちの歓声が漏れ聞こえてくる。

 だから──きっと大丈夫。彼女は、最高のパフォーマンスをしてくれているはず。

 大きく息を吸い込み、意を決して扉を開く。

 そして、会場に入った俺とは──、


「──おおおおおおおぉぉっ!

──……マジか……」


 ──熱気の渦が巻くそのフロアで、二人してそんな声を上げてしまった。

 きらびやかな照明に照らされ、ステージ上で踊る先輩。

 かわいらしい身振りや手振り。

 自分がどの角度からどう見えるか、どう動けばどう見えるかを熟知しきった、圧倒的に『Kawaii』ダンス。

 それがスピーカーから流れ出す、人気のボカロ曲にばっちりとハマっていた。

 そして何より──客席だ。

 づま先輩のファンらしい、沢山の若者たち。

 彼らはサイリウムを手にそれを曲に合わせて振り、声援を上げる。

 その熱量で体育館内はとんでもない熱気が渦巻き、ビートに合わせて床が振動するのさえ感じられた。

 ──幻想的。

 日常から離れた別世界を思わせる空間が、そこに生まれている。

 ほうけたように見守るうち、曲が終わる。

 大きな声援と拍手が上がり、づま先輩がマイク越しに彼らに礼を言う。

「みんなありがとー! 声援うれしいよ! 踊ってくれる人もありがとう!」

 鈴が転がるようなかわいらしい声。

 客席のボルテージも一気に上がって、若い男女の声援が彼女に向けられた。

「ずいぶん暑くなってきたから、体調には気を付けてね! 熱中症とか起こさないように!」

 気づかいの声に、もう一度歓声が上がった。

「ありがとー!」「気を付けるねー!」なんてセリフも聞かれる。

 隣でが、そのやりとりに身じろぎするのが見えた。

 さらに──、

「でー、そういうのを踏まえた上で……」

 ふいに、づま先輩は声を低くする。

 そして、上がり続けていた歓声が静まったところで。

 ──深く深く、ため息をついた。

 ……え、何? どうしたの? なんか空気変わったけど……。

 戸惑っていると、彼女は小さく口を開き──、


「……なあ、それで勝てると思ってんのか?」


 つぶやくように、そう言った。


「……本当にそれくらいでメインに……nitoに勝てると思ってんのか!?


 徐々に大きくなっていく声。

 客席から、動揺のざわめきが上がる。

 ……ど、どうした? 突然何があった……?

 この人、そういうのを人前で言うタイプだったっけ……?

 そして、

「勝てねえよな!? まだまだこんなんじゃ足んねえよな!?

 彼女はついに──そう叫んだ。

 ヤンキーである。口調が完全にヤンキーである。

「お前らだって、まだまだこんなもんじゃねえよな!? なあ、もっとやれんだろ!?

 言葉の一つ一つに力が、絶対に勝ちたいという意思がみなぎっていく。

 その叫びに──客席も完全に彼女にくぎけだ。

「認めるよ、nitoはマジですげえ! 天才だし、しかも超かわいい! 普通にやってたら負けるだけだ! だけど……」

 マイクを強く握り──づま先輩は客席を見る。

 そして──、


「それでも──わたしは、わたしたちはあいつに勝ちたい!」


 ──その声が、体育館内に大きく反響した。


「配信でも言っただろ!? 今日の目標は、あいつに勝つこと! 有志ステージで、メインステージを越えること! 絶対に、それをかなえたい!」


 客席から──大きな歓声が上がった。

「勝とうよ!」「絶対勝てるよ、きららちゃんなら!」なんて声まで聞こえる。

「ありがとう……」

 と、小さくつぶやくづま先輩。

 そして、


「でもそれには……みんなの力が必要なの!」


 そこで──先輩の表情、普段のかわいらしいものに戻る。

 よくをそそられる、かわいらしい上目遣い。


「わたしだけじゃダメなの……みんなの声援が、応援が必要なの……」


 うるうるに潤んだ瞳。両手ギュッと握ったマイク。

 そして──彼女は客席に言う。


「だからお願い、力を貸して!」


 ──はち切れんばかりの歓声。

 ──割れそうなほどの拍手の音。

 そして──、


「じゃあ次の曲! もっともっと盛り上がっていこうね! 『ショコラ☆きゅん☆フロマージュ』!」


 先輩の紹介で──次の曲が流れ出す。

 女の子の恋を歌った、かわいらしくてポップな楽曲。

 その響きに合わせて踊り出す先輩と──大きくうねる客席。

 その熱量は、さっきをはるかにしのぐほどで。客席後方に立っているだけで全身に汗がにじむほどで、

「──めぐり

 舞台にくぎけになる俺の耳に、の声が響いた。

 たたかれた肩、至近距離にある彼女の口元。

「わたし、もう行く」

「あれ、そうか。まだ時間はあるはずだけど……」

 言いながら──振り返ると。

 予定より早いな、なんて思いながら彼女を見ると、

「ごめん、色々準備あるから」

 真剣な顔をしたが、そこにいた。

「ちょっと早いけど、もう戻るね」

 それだけで……俺は理解した。

 は──脅威を覚えたんだ。

 づま先輩の言葉に、盛り上がる客席に──あせりを覚えた。


 ──nitoとして日本中で注目を浴びる彼女が。

 ──俺たちのステージに、恐れをなしている。


「……ああ」

 言って、俺はうなずいてみせる。

 今、俺ができるのはを送り出すことだけだろう。

 きっと、余計な言葉も気づかいも不要なはずだ。

「じゃあ、頑張って」

「うん、ありがとう」

「本番は、見に行くから。楽しみにしてる」

「わかった」

 それだけ言うと、は振り返る。

 こちらに背を向け、キビキビとした足取りで去っていく。

 それを見送ると──俺は一つ息を吐き。客席に渦巻く熱気の間を抜けて、スタッフの控え場所に戻った。



「──勝ってる! メインステージの数、また越えた!」

 五十嵐いがらしさんがそんな声を上げたのは──へきてんさいも終盤。

 有志ステージの出演者も、残すところFLIXIONSだけになったタイミングだった。

「よし、いいぞ……」

「マジでいけるんじゃねえの……!?

 ステージ袖のスタッフスペースにて。

 パソコンを見ている彼女の周囲に、スタッフたちが集まる。

 五十嵐いがらしさんは興奮気味に画面を指差すと、

「ほらこれ! メインステージが九百八十七人で、こっちが今……千十一人!」

 おおおお、と辺りに歓声が上がった。

 ここまでも、配信の視聴者数はリアルタイムで追ってきていた。

 最初から、ネット上の数字はメインステージとい勝負をできている。

 常に数字は競っていたし、こちらが上回ることも何度もあった。

 体感では……トータルで、こっちが勝ってるんじゃないか?

 ネットに関して言えば、有志ステージ優勢じゃないか……?

 勘違いでも何でもなく、そんな推移でここまでやってきていた。

 実際の会場訪問者数はまだカウントできていないけれど。

 それがわかるのは文化祭閉会後で、勝負の行方はそのときまでお預けだけれど……こちらも常に、体育館は満員に近い状態だ。少なくとも、あちらに大きな差を付けられていることはないはず。

 ……本当に勝てるかもしれない。

 メインステージに、勝ってしまうことができるかもしれない。

 そんな期待感が──有志ステージ全体に漂い始めていた。

「……さかもと、最後は見てくるでしょ?」

 パソコンから顔を上げ、五十嵐いがらしさんが言う。

のライブ、見てくるでしょう?」

「……おう」

 うなずくと、全員の視線が俺を向いた。

「悪いけど、行ってくるよ。相手の様子、しっかり見届けてくる」

「うん」

 五十嵐いがらしさんはそう言い、小さくうなずいた。

「じゃあまた、あとで会おう」

「うん、じゃあまたあとで」

 言い合って、俺は会場を出る。

 区民センターを抜け通りに出て、そこで大きく深呼吸する。

 これで、俺たちの未来が決まる。

 ろくよう先輩の対決の行方も、nitoのメジャーデビューの行方も。

 そしてもしかしたら、俺との関係も。

 それでも、覚悟を決めて俺は一歩一歩前に進む。

 向かうは──あまぬま高校第一体育館。nitoが出演する、メインステージだ。



「……やっぱり、さすがだな」

 やってきた、第一体育館。

 その客席の混雑具合に──俺は気付けばそうこぼしていた。

「何人いるんだよ、これ。マジで千人超えてるんじゃないか……?」

 全校集会のときには、千人近い生徒が集まるそのフロアが満席になっていた。

 椅子が並べられ普段ほどはスペースはないけれど、立ち見の客の姿も沢山見える。

 トータルでは、それくらいいっていてもおかしくない……。

「……リードを、守り切れるかだな」

 多分……ここまでの観客数は、やはり有志ステージがやや多いくらいだと思う。

 ネット上、実際の来場者数合わせても、おそらくメインステージをしのぐことができている。

 だから勝負は……ここから、こらえ切れるか。

 nitoが大きく数字を伸ばすだろうことが明らかな中、FLIXIONSが耐えきってくれるか……。

「……いや、きっと大丈夫だな」

 彼らが今日まで必死で頑張ってくれたことは、誰よりも俺がよく知っている。

 繰り返す告知とパフォーマンスのブラッシュアップ。

 ダンスチームというものに興味を持ったことはなかったけれど、昨日のリハーサルでは感動のあまり泣いてしまうほどだった。

 だから、彼らもきっと数字を伸ばしてくれるはず。

 なんとか、この場をしのいでくれるはずだ……。

 そして、

「──来たな」

 会場の照明が落とされ、ステージにあかりがともる。

 メインステージらしく簡素な、グランドピアノとマイクだけが置かれた壇上。

 両サイドのスピーカーから、nitoを招き入れる音楽が流れ始める。

 ……さあ、どうなるか。

 今日nitoは、どんな演奏を繰り広げるんだろう……。

 不安と同時に、正直に言えば期待も覚えていて。

 その相反する二つの感情に、俺は体育館、ちょうど中央辺りの席で、そわそわを抑えることができない。

 俺は、nitoの歌が好きだ。

 彼女の曲が好きだ。

 だから純粋に、今日のステージを楽しみにしている。

 いものが見られるといいなと、思っている──。

 ──そして。

 短く間を明けて──nitoが現れた。


 ──会場が、どよめいた。


 いや、会場だけじゃない。

 その姿に──静かにピアノに向かうnitoの姿に、俺も声を上げていた。

「え…………?」

 ──真っ白なワンピース。

 足首まである真っ白な、きやしやな装飾のされたワンピースを、彼女は身にまとっていた。

 これまで、が着ていたのは主に黒いワンピースで。

 サイトのデザインもPVのイメージでも黒が印象的に使われていた。

 それがきっと、彼女の『影のある天才』というイメージをよりひきたてていたんだと思う。

 実際、深刻な顔で歌う彼女にその色はよく似合っていた。

 けれど──白。

 今までと真逆の色。

 それが不思議と、似合っているのだ。印象は晴れやかで、どこか足取りも軽く見えて……新しい彼女の一面を見たような気分になる。

 ただ、一番の変化はそこじゃない。

 周囲がどよめいた理由は、服装じゃない。

 nitoがステージ正面に立ち、こちらを向く。

 深く頭を下げてから、顔を上げ──笑った。

 無邪気に、楽しそうに、幸せそうな顔で笑った──。


 ──髪が、短くなっていた。

 背中まであった彼女の長い髪が──ショートヘアーになっていた。


 ボブ、というんだろうか。

 丸みを帯びた、かわいらしい髪型。

 ピンクのインナーカラーが、これまでよりも軽やかにその表情をいろどっている。

うそ……だろ」

 ほうけたままで、俺はそうこぼしてしまう。

「ついさっきまで、ロングだったのに……」

 そう──ついさっき。

 一緒に有志ステージを見ているときは、ロングヘアーだったのに。

 あれから今までの短い時間に、どうやって切ったんだ……?

「……ああ、模擬店!」

 考えていて、思い出した。

「美容院の模擬店をやってたクラスがあったな!」

 確か『サロン・アマヌマ』だったか。そんな名前で美容院をやっているクラスがあったはず。もちょっと興味を持ったようだったし、そこで切ったんだ……。

 改めて、壇上のnitoをじっと見る。

 新鮮な、ショートヘアー姿の彼女……。

 気付けば俺は、

「……すげえ似合うな」

 そうこぼしていた。

「めちゃくちゃ、かわいい……」

 ロングだって、もちろん似合っていた。

 その長い髪が風になびくのに、何度胸が締め付けられたかわからない。

 それでも──ショートヘアーのnito。

 軽やかでどこか理知的な、その髪型──。

 それはとんでもなく彼女に似合っているような気がして。

 これこそが、本来のの姿のような気さえして……。


 ──俺は、改めて恋をする。


 俺は、が好きだ。

 壇上で、笑顔を浮かべている彼女が好きなんだ──。

 そんな感情が胸にあるのを、俺は今はっきりと感じていた。

 それに、

「……そっか」

 俺は、なんとなくその意図がわかった気がする。

……色々と、吹っ切れたのかもしれないな」

 は、ひたすら自分を縛り付けてきた。

 音楽に、未来に、罪悪感に自分をがんじがらめにしてきた。

 それでも、今の彼女は少しだけ自由に見える。

 そこにある自分の運命を、どこか受け入れたようにさえ──。

 なら……楽しみだ。

 純粋に、彼女がどんな歌を歌うのか。今の彼女がどんなものを作り出すのか。

 俺はそのことに、素直に期待している。

 ──考えるうちに、彼女はピアノの前に腰掛けた。

 短い間のあと。大きく息を吸ってから──指を鍵盤に踊らせる。

 複雑な和音が踊るようにからまり合い、一つの曲をつむいでいく。

 リズムが跳ねて、旋律が舞って。

 気付けば──は立ち上がっていた。

 我慢できなくなったように椅子から立ち上がり、楽しげに身体からだを揺らす彼女。

 そして、マイクに顔を近づけ、大きく口を開けると──、


 ──歌い出した。


 nitoが喉を震わせ、その声でメロディをつむぎ始める。

 体育館に満ちる、自由で楽しげな旋律。

 顔に浮かんでいる、満面の笑み。

 ──そんな表情、初めてだった。

 こんなに楽しそうに歌うは、一度目の高校生活を含めても初めて。

 もはや俺はくぎけで、彼女の生み出す歌、その世界しか目に入らない。

 まばたきで銀河がはじける。零れる汗が星になる。

 景色がはっきりと色づいた。俺の中に、鮮やかな高揚が湧き上がる。

 そして──その中で。自らが作り出した世界、受け手の熱気や音の渦の中心で。


 nitoは楽しくて仕方がない、という表情で、無邪気に音とたわむれていた──。