ゆっくりと手をついて、
「……大丈夫かよ」
尋ねて、手を伸ばす。
「ほら、
けれど、
「大丈夫です」
そう言って、じっと地面を見ている。
「そっちこそ、風邪引きますよ。早く校舎戻ってください」
「……あのなあ!」
そこで、もう一度怒りがこみ上げた。
そうだ──俺は、怒っている。
理解し合えないかもしれない、傷つけ合うかもしれない。
結局は
それでも──、
「いい加減……お前の人生に関わらせろ!」
言って、俺はその場にあぐらで座り込む。
「お前の言うことは、何も否定できねえよ。確かに、お前の気持ちが俺にはわかんねえ。俺みたいにできないのもその通りだろ。逆に俺も
「友達になれたのも偶然だ。例えばほら……ちょっと何かが違ったら、部員勧誘してるお前を見かけなかったら、最後まで知り合いにもならなかったかもな」
どこがかはわからない。
けど、俺の言葉がはっきり届いた手応え──。
だから……、
「でも──今は同じ場所にいんだろ」
声のトーンをやわらげて、俺は続ける。
「だったらその偶然を……つうか、そうなった運命みたいなもんを、信じてみてもいいんじゃねえか?」
そして、思わず笑ってしまいながら。
泥の跳ねた
「こんなにイライラして、腹が立って……なんとかしてえって思うのは、本当なんだから」
その気持ちだけは、間違いなく本物だ。
確かに、
俺たちの間には埋められない溝がある。
努力でなんとかできるものじゃない。
それが結果──いつか、不幸な未来に結びつくのかもしれない。
そのことは、認めざるをえないと思う。
それでも……もっと生々しく、そこに息づく感情がある。
あやふやな未来の予測や不安じゃなくて、今覚えている衝動がある。
なら、それを無視なんてしたくねえ。
その気持ちにも、従いたいと俺は思う。
そして──ずいぶんと長い沈黙のあと。
「……わかりました」
ぽつりとつぶやくように、
「話します。聞いてもらいたいです……」
「……おう」
「ただ」
と、
「その代わり……俺からも、先輩に意見を言わせてください」
明白な意思をこめて、俺にそう言った。
「意見?」
「ええ、どうしても言いたいことがあるんで……」
言うと、
「……そっちも、人生に関わらせてください」
その言い方に──ちょっと笑い出してしまいながら。
こいつも言うなあと思いながら、俺はうなずいたのだった。
「おう、わかった」
***
──特別教室に戻り。
汚れをタオルで拭いて、ジャージに着替えたあと。
俺は、
それに対し、傷つくのは各自の問題で、
「同感」
と、シンプルに
「そんなこと、
けれど──
それは「いつか
「……なるほどな」
腕を組み、
「あいつ、そこまで考えてたのか……」
「それで、『あなたの前からいなくなるべきなのかも』なんて言われて……」
唇を
「そのことが俺、すげえショックで……」
未来で
遺書のようなものが残されていたことまでは……話すことができなかった。
時間移動のことは、やっぱりあまり人に明かさない方がいいだろうと思う。
過去や未来が書き換わるなんて、あまり多くの人に知らせてしまうべきじゃない。
「……やっぱり俺、
視線を落とし、俺は続けた。
「だから……どうすればいいかわからなくて。俺こそ離れるべきなんじゃないか、あいつの邪魔をするべきなんじゃないかって、そんな気もして……」
そこまで俺は、追い詰められていた。
俺があいつのそばを離れれば、もっと自由に創作ができるんじゃないか。
そうすれば──失踪なんて、しなくて済むんじゃないかと。
……もちろん、冷静に考えればそんなの得策でも何でもない。
実際、一度目の高校生活は俺と
それでも……そんな手段を考えてしまうほどに。
まともに自分の考えを制御できないほどに、俺は追い詰められていた。
「なるほどなあ」
椅子の背もたれに体重を預け、長い脚を組み、
そして、
「まあでも、そうなりゃ話は簡単なんじゃね?」
「簡単、ですか?」
「おう」
ごく当たり前のことのように。
気負いの感じられない軽い口調で、
「
──幸せでいればいい。
全く考えもしなかった──最近の俺からは、ほど遠い言葉。
「お前自身が、
それは……その通りだと思う。
仮に、俺が
俺が弱かっただけだ。
「でも……
先輩は続ける。
「どれだけそれを説明しても、
「……ですね」
苦い気持ちで、俺はうなずいた。
どうしたって、
どれだけ当人が「自分の問題だ」って言ったって、
彼女は、自分が人の人生を台無しにしたと自分を責め続ける──。
「だから」
と、
「そもそも──お前が不幸にならなきゃいい」
端的に、俺にそう言った。
「お前が幸せになれば、その姿を見せりゃ、それで問題解決だろ」
真っ当で、筋の通った考え方だった。
なるほど……確かにそうだ、その通りでしかない。
問題は、拍子抜けするほど簡単だった。
狂わせられなきゃいいじゃないか。
もちろん、影響を受けるのを避けることはできない。
だとしたら──幸せであり続ければいいんだ。
彼女の前で、俺は俺として幸せであり続ける。
そんなシンプルな、真っ当な答えがそこにあった──。
そして……できる気がした。
絶対にできるなんて約束はできない。
それでも……俺が、俺自身が幸せになる。
それなら、この俺にだってきっとできるはずだ──。
「……さすがっすね」
気付けば、そんな言葉を漏らしていた。
「頼りになります」
「だろ?」
言って、
「だから、最初っから俺に話してりゃよかったんだよ」
「確かに、そうだったのかも」
本当に、おっしゃる通りだ。
こんな結論にたどり着けるなら、もっと早く話せばよかったのかもしれない。
一人でうじうじ悩んだりせず、さっさと相談するのが正解だったのかも。
ただ、
「でも……おかげでこっちも、話を聞いてもらえるわけでね」
そうだ──そういうチャンスももらったんだ。
俺の話を聞いてもらう、お願いに、耳を傾けてもらうチャンス。
だから俺は、
「事情を明かしましょう」
はっきりと、彼にそう言った。
「このステージに、先輩の人生がかかってること。出演者の皆に話しましょう」
──そう、こうするのがいいと思う。
それがきっと──みんなのためになると確信している。
俺はもう一度、
そして──、
「彼らに──協力してもらいましょう」
***
──確かに、話を聞くとは言った。
実際に、
けれど、
「──事情を明かしましょう」
「──彼らに、協力してもらいましょう」
その意見に、案の定ぶつけられたその提案に、
「んん……」
俺は思わず口ごもる。
それが妥当な案なのは、もちろん俺もわかっている。
注目度もモチベーションもクオリティも、はっきりとあいつらに負けている。
そこから一発逆転を狙うなら──事情を明かすしかない。
けれど……どうしても避けたかった。
誰かに力を借りてしまえば、この勝負自体が。
あるいは──俺の生き方自体が、どこかで否定されてしまう気がしていた。
「……確かに」
黙っている俺に、
「俺は先輩になれないし、先輩の状況も、気持ちも理解できないですよ」
──理解できない。
そうだ──
同じ経験をしていないから、タイプが違うから。
「でもだからこそ、見えることもあるでしょ」
こいつだからこそ、見つけられる突破口。
「親友だって言うなら、少しは意見を聞いてくれていいんじゃないですか?」
「……それでも」
正直、説得力も感じている。
ただ……どうしてももう一つ、引っかかるところがある。
「やっぱり……巻き込めねえよ」
苦笑しながら、俺は言った。
「出演者のやつらは、みんなステージを楽しみにしてくれてる。自分らのパフォーマンスを
あいつらにはあいつらの事情があって、それぞれの期待をしてステージに参加してくれる。
そこに、勝手に俺の事情を押しつけるわけにはいかない。
けれど、
「……いやいやいや」
なぜか
そして──、
「人生に関わらせろって言ったの、あんただろ」
その言葉に──ぎくりとしてしまった。
俺が
それを……俺自身も、他のやつらに味わわせていたんだろうか。
「出演者、みんなめちゃくちゃ先輩のこと、信頼してるじゃないですか」
その言葉に──彼らの顔を思い出す。
確かに、そうなのかもしれない。
俺は、仕事という枠を越えてあいつらを尊重してきたつもりだ。
一緒にステージをやるなら、仲間だと思ってあいつらを扱いたかった。
そんな俺を……あいつらも、信頼してくれているだろうか。
「きっとみんな……」
「先輩の、力になりたがりますよ」
「……そっか」
ふう、と息をついて、俺は教室の天井を見上げる。
不思議な気分だった。
ずっと俺の足下にあった、硬くて丈夫な地面。
それがふいになくなってしまったような、奇妙な
けれど、その分どこにでも行けるようになった気がして。
それまでよりも、
「……話してみるか」
俺は、誰にともなくそうつぶやいたのだった。
「みんなに事情、話してみるか……」
「ええ、そうしましょう」
そう言う
ああ……こいつと一緒に、俺はこの後輩と一緒に、お互い壁を越えられたんだなと実感する。