ゆっくりと手をついて、めぐりはその場に座り込む。

「……大丈夫かよ」

 尋ねて、手を伸ばす。

「ほら、つかまれよ」

 けれど、めぐりは俺の手をつかまず、

「大丈夫です」

 そう言って、じっと地面を見ている。

「そっちこそ、風邪引きますよ。早く校舎戻ってください」

「……あのなあ!」

 そこで、もう一度怒りがこみ上げた。

 そうだ──俺は、怒っている。

 理解し合えないかもしれない、傷つけ合うかもしれない。

 結局はごとなんだろう。俺だって、内心めぐりを別世界の人間だと思っている。

 それでも──、

「いい加減……お前の人生に関わらせろ!」

 言って、俺はその場にあぐらで座り込む。

「お前の言うことは、何も否定できねえよ。確かに、お前の気持ちが俺にはわかんねえ。俺みたいにできないのもその通りだろ。逆に俺もめぐりみたいにはできねえし、やりたいとも思わねえ」

 めぐりは、驚いたような顔で俺を見る。

「友達になれたのも偶然だ。例えばほら……ちょっと何かが違ったら、部員勧誘してるお前を見かけなかったら、最後まで知り合いにもならなかったかもな」

 めぐりの目が──動揺したように大きく揺れた。

 どこがかはわからない。

 けど、俺の言葉がはっきり届いた手応え──。

 だから……、

「でも──今は同じ場所にいんだろ」

 声のトーンをやわらげて、俺は続ける。

「だったらその偶然を……つうか、そうなった運命みたいなもんを、信じてみてもいいんじゃねえか?」

 そして、思わず笑ってしまいながら。

 泥の跳ねためぐりの顔に、素で噴き出してしまいながら、

「こんなにイライラして、腹が立って……なんとかしてえって思うのは、本当なんだから」

 その気持ちだけは、間違いなく本物だ。

 確かに、めぐりの言う通りだ。

 俺たちの間には埋められない溝がある。

 努力でなんとかできるものじゃない。

 それが結果──いつか、不幸な未来に結びつくのかもしれない。

 そのことは、認めざるをえないと思う。

 それでも……もっと生々しく、そこに息づく感情がある。

 あやふやな未来の予測や不安じゃなくて、今覚えている衝動がある。

 なら、それを無視なんてしたくねえ。

 その気持ちにも、従いたいと俺は思う。

 そして──ずいぶんと長い沈黙のあと。

「……わかりました」

 ぽつりとつぶやくように、めぐりは言う。

「話します。聞いてもらいたいです……」

「……おう」

「ただ」

 と、めぐりはきっとこちらを見ると、

「その代わり……俺からも、先輩に意見を言わせてください」

 明白な意思をこめて、俺にそう言った。

「意見?」

「ええ、どうしても言いたいことがあるんで……」

 言うと、めぐりは俺の目をじっと見て、

「……そっちも、人生に関わらせてください」

 その言い方に──ちょっと笑い出してしまいながら。

 こいつも言うなあと思いながら、俺はうなずいたのだった。

「おう、わかった」


***


 ──特別教室に戻り。

 汚れをタオルで拭いて、ジャージに着替えたあと。

 俺は、ろくよう先輩にぽつぽつと話した。

 が、周囲を傷つける度に罪悪感を覚えていること。

 それに対し、傷つくのは各自の問題で、自身は気に病む必要がないと俺が話したこと。

「同感」

 と、シンプルにろくよう先輩はうなずいてくれた。

「そんなこと、が気にするもんじゃねえよ」

 けれど──はそれでも自分を責め続ける。

 それは「いつかめぐりを必ず傷つける」と確信しているから。

「……なるほどな」

 腕を組み、ろくよう先輩はうなずいた。

「あいつ、そこまで考えてたのか……」

「それで、『あなたの前からいなくなるべきなのかも』なんて言われて……」

 唇をみ、俺は続けた。

「そのことが俺、すげえショックで……」

 未来でが失踪してしまうこと。

 遺書のようなものが残されていたことまでは……話すことができなかった。

 時間移動のことは、やっぱりあまり人に明かさない方がいいだろうと思う。

 ことは未来で協力してくれているから特例として。

 過去や未来が書き換わるなんて、あまり多くの人に知らせてしまうべきじゃない。

 ひどく混乱させるだろうし、それ抜きでも俺の状況はわかってもらえるはず。

「……やっぱり俺、が好きなんです」

 視線を落とし、俺は続けた。

「だから……どうすればいいかわからなくて。俺こそ離れるべきなんじゃないか、あいつの邪魔をするべきなんじゃないかって、そんな気もして……」

 そこまで俺は、追い詰められていた。

 と別れるべきなんじゃないか。

 俺があいつのそばを離れれば、もっと自由に創作ができるんじゃないか。

 そうすれば──失踪なんて、しなくて済むんじゃないかと。

 ……もちろん、冷静に考えればそんなの得策でも何でもない。

 実際、一度目の高校生活は俺とは離れ離れで、なのに彼女は失踪してしまった。

 それでも……そんな手段を考えてしまうほどに。

 まともに自分の考えを制御できないほどに、俺は追い詰められていた。

「なるほどなあ」

 椅子の背もたれに体重を預け、長い脚を組み、ろくよう先輩はつぶやく。

 そして、

「まあでも、そうなりゃ話は簡単なんじゃね?」

「簡単、ですか?」

「おう」

 ごく当たり前のことのように。

 気負いの感じられない軽い口調で、ろくよう先輩はうなずいた。

めぐりが、幸せでいればいいだけだろ」

 ──幸せでいればいい。

 全く考えもしなかった──最近の俺からは、ほど遠い言葉。

「お前自身が、に言ったんだろ? 誰かがに負けて不幸になるとしても、それはそいつの問題だって。それ、マジでその通りだよ。がそいつを不幸にしたと思うのが間違いだ。それは……めぐりに対しても、同じだろうよ」

 それは……その通りだと思う。

 仮に、俺がの隣にいることで人生が狂うのだとしても、それはのせいじゃない。

 俺が弱かっただけだ。

 に責任なんてないし、本当は気に病む必要だってない。

「でも……はそう思えないんだろ?」

 先輩は続ける。

「どれだけそれを説明しても、は勝手に責任を感じる」

「……ですね」

 苦い気持ちで、俺はうなずいた。

 どうしたって、は自分を責めるだろう。

 どれだけ当人が「自分の問題だ」って言ったって、には関係ない。

 彼女は、自分が人の人生を台無しにしたと自分を責め続ける──。

「だから」

 と、ろくよう先輩は笑い、

「そもそも──お前が不幸にならなきゃいい」

 端的に、俺にそう言った。

「お前が幸せになれば、その姿を見せりゃ、それで問題解決だろ」

 ひどく──真っ当な回答だった。

 真っ当で、筋の通った考え方だった。

 なるほど……確かにそうだ、その通りでしかない。

 問題は、拍子抜けするほど簡単だった。

 が、俺の人生を狂わせる?

 狂わせられなきゃいいじゃないか。

 もちろん、影響を受けるのを避けることはできない。

 の存在はあまりにもまぶしくて、無視することなんてできやしない。

 だとしたら──幸せであり続ければいいんだ。

 彼女の前で、俺は俺として幸せであり続ける。

 そんなシンプルな、真っ当な答えがそこにあった──。

 そして……できる気がした。

 の未来を変えるだとか全員を幸せにするだとか、そういうのはやっぱり荷が重い。

 絶対にできるなんて約束はできない。

 それでも……俺が、俺自身が幸せになる。

 それなら、この俺にだってきっとできるはずだ──。

「……さすがっすね」

 気付けば、そんな言葉を漏らしていた。

「頼りになります」

「だろ?」

 言って、ろくよう先輩は不敵に笑ってみせた。

「だから、最初っから俺に話してりゃよかったんだよ」

「確かに、そうだったのかも」

 本当に、おっしゃる通りだ。

 こんな結論にたどり着けるなら、もっと早く話せばよかったのかもしれない。

 一人でうじうじ悩んだりせず、さっさと相談するのが正解だったのかも。

 ただ、

「でも……おかげでこっちも、話を聞いてもらえるわけでね」

 そうだ──そういうチャンスももらったんだ。

 俺の話を聞いてもらう、お願いに、耳を傾けてもらうチャンス。

 だから俺は、

「事情を明かしましょう」

 はっきりと、彼にそう言った。

「このステージに、先輩の人生がかかってること。出演者の皆に話しましょう」

 ──そう、こうするのがいいと思う。

 それがきっと──みんなのためになると確信している。

 俺はもう一度、ろくよう先輩をまっすぐ見る。

 そして──、


「彼らに──協力してもらいましょう」


***


 ──確かに、話を聞くとは言った。

 実際に、めぐりの意見を正面から受け止めるつもりだった。

 けれど、

「──事情を明かしましょう」

「──彼らに、協力してもらいましょう」

 その意見に、案の定ぶつけられたその提案に、

「んん……」

 俺は思わず口ごもる。

 それが妥当な案なのは、もちろん俺もわかっている。

 に指摘された通り、現状有志ステージがメインステージに勝つのは不可能だ。

 注目度もモチベーションもクオリティも、はっきりとあいつらに負けている。

 そこから一発逆転を狙うなら──事情を明かすしかない。

 けれど……どうしても避けたかった。

 誰かに力を借りてしまえば、この勝負自体が。

 あるいは──俺の生き方自体が、どこかで否定されてしまう気がしていた。

「……確かに」

 黙っている俺に、めぐりは続ける。

「俺は先輩になれないし、先輩の状況も、気持ちも理解できないですよ」

 ──理解できない。

 そうだ──めぐりにはきっと、理解できない。

 同じ経験をしていないから、タイプが違うから。

「でもだからこそ、見えることもあるでしょ」

 めぐりの場所から見えること。

 こいつだからこそ、見つけられる突破口。

「親友だって言うなら、少しは意見を聞いてくれていいんじゃないですか?」

「……それでも」

 めぐりの言うことは、よくわかった。

 正直、説得力も感じている。

 ただ……どうしてももう一つ、引っかかるところがある。

「やっぱり……巻き込めねえよ」

 苦笑しながら、俺は言った。

「出演者のやつらは、みんなステージを楽しみにしてくれてる。自分らのパフォーマンスをへきてんさいりで披露できるのを、純粋に期待してるんだ。そんなやつらに、俺の都合でなんか背負わせるわけにはいかないだろ」

 あいつらにはあいつらの事情があって、それぞれの期待をしてステージに参加してくれる。

 そこに、勝手に俺の事情を押しつけるわけにはいかない。

 けれど、

「……いやいやいや」

 なぜかめぐりは首を振り苦笑いする。

 そして──、

「人生に関わらせろって言ったの、あんただろ」

 その言葉に──ぎくりとしてしまった。

 俺がめぐりに向けたいらち。勝手に距離を作られる納得のいかなさ。

 それを……俺自身も、他のやつらに味わわせていたんだろうか。

「出演者、みんなめちゃくちゃ先輩のこと、信頼してるじゃないですか」

 その言葉に──彼らの顔を思い出す。

 確かに、そうなのかもしれない。

 俺は、仕事という枠を越えてあいつらを尊重してきたつもりだ。

 一緒にステージをやるなら、仲間だと思ってあいつらを扱いたかった。

 そんな俺を……あいつらも、信頼してくれているだろうか。

「きっとみんな……」

 めぐりはそう言って、俺に笑ってみせる。

「先輩の、力になりたがりますよ」

「……そっか」

 ふう、と息をついて、俺は教室の天井を見上げる。

 不思議な気分だった。

 ずっと俺の足下にあった、硬くて丈夫な地面。

 それがふいになくなってしまったような、奇妙なこころもとなさ。

 けれど、その分どこにでも行けるようになった気がして。

 それまでよりも、はるかに自由になれた気がして──、

「……話してみるか」

 俺は、誰にともなくそうつぶやいたのだった。

「みんなに事情、話してみるか……」

「ええ、そうしましょう」

 そう言うめぐりは、落ち着いた笑みを浮かべていて。

 ああ……こいつと一緒に、俺はこの後輩と一緒に、お互い壁を越えられたんだなと実感する。