
決着は、
相手にもならなかった。
自分の両足を折り、肩を砕き、恐怖を刻みこんだ化け物のような少女が、まるで抵抗らしい抵抗もできず──
「────」
よく理解できなかったので、
まず、何か肉人形に語りかけようとした美名に、危険を感じたか手長鬼が襲いかかった。例の見えない強力な
けれど、その行為は、いともあっさりと失敗してしまった。
美名は優雅な表情で半歩だけ
瞬間、手長鬼の表情が変わったのを覚えている。
あれ? という顔で、何か必死に力をこめて。叫んで。
それでも何も起こらなくて。
そんな彼女に悠然と歩み寄り、美名は強烈な前
腹部に強烈な打撃を受けた手長鬼はもんどり打って何度か
手長鬼が弱かったわけでは決してない。相手は、十人殺しの手長鬼。強烈な超能力をもつ化け物に近い存在。
そんな彼女を──邪魔な
「見えないものを見るのはね、性能的に得意なの」
にっこりと目元だけで笑い、
「相性が悪かったわね。手長鬼──まぁ、あなたのことはどうでもいいわ。これでもう無害だし。もうちょっと、泳がせて色々と探りたかったけれど──成りゆき的に無理のようね」
理解できない言葉を吐いて、美名は肉人形に向き直る。
その性別不能な肉の塊は、すでに手長鬼から受けた肉体の欠損を完全に回復させていた。おぞましいその外見にも美名は表情を動かさず、足下にへたりこんだまま、恐怖に震える鈴音を無視して語りかける。
「さて──肉人形、弁解を聞かせてもらおうかしら? どうして、私の命令を無視して、
その言葉がどれだけの恐怖を肉人形に与えたのか、それはびくりと反応し、意外なことに──人語でもって応えた。
「はい。同じく
「ふん──?」
「──欠片を狙った? こんなもの、私たち以外に欲しがるやつがいるかしら。見たところ手長鬼も欠片を保持している──二つ以上の欠片を所有していても、受容器が破裂して
何かしら納得して、美名は癖なのか独り言のようにつぶやく。
「肉人形が壊れたのかと思ったけれど、どうやら思いすごしのようね。そもそもただの肉の塊が──
「…………」
肉人形は沈黙している。その姿がどこか人間めいて見えたのは鈴音の気のせいだろうか。考えている余裕もなく──痛みで思考が飛びそうになる。気持ち悪い。理解できない状況と、身体を
そして──恐怖。
目の前の女性に対する、深い深い恐怖が吐き気を誘発する。
「さて」
美名は思索をやめたのか、鈴音を見つめてにっこりと笑う。
「こんばんは。さっきは電話をありがとう。あなたを見つけたのは良いけれど、手近に電話が見つからなくてね──まぁ結局、見ていられなくて出てきてしまったのだけど。あなたのことは確実に処理できるから、結果万全というところかしらね?」
フシュー、と言葉のたびに美名の口からは息が漏れる。
何か違う生き物のようだ、と鈴音は思った。体構造が、思考回路が、
どうして、最初に会ったとき気づかなかったのだろう。このような異常に。
彼女は──危険だ。
ヘビよりも、手長鬼よりも、誰よりも──危険だ。
「尋ねるわね。正直に答えると、そのぶん長く生きられるという感じだから」
その言葉にはきっと
美名は、きっと、そういう生き物だ。
「何を──」
「一ヶ月前」
「何があったか──教えて
あぁ──きっと、もう会えない。帰れない。
彼女に、出会ってしまった。

料理をすれば
何をやってるんだ、指。
いつでも不満だった。
その不満を解消するために意地悪な神様が送りこんだのは。
「はーれーたーよーるーはー♪」
歌いながら現れた、気が狂ったような顔をした強盗。ただの強盗。新聞記事にはなるけれど、一週間もすれば忘れ去られてしまうどこにでもある事件。その強盗は梅の両親を殺し、殺人が癖にでもなったのか、最後に残った梅はゆっくり殺そうと梅を押し倒すと血まみれの包丁を振りあげた。
指先から、刻まれて、何度も何度も気を失って。
泣き叫んでも許されなくて。
転がっている両親の
肩から腕を切り落とされて。
あぁ──。
後は、よく覚えていない。
気づくと、自分は万能の腕を手にいれていた。
無我夢中で強盗を八つ裂きにして、意識を失って。
目を覚ました自分に、見知らぬ男が言ってくれた。
『ようこそ!
その瞬間、きっと──自分は理解していたのだ。
もう戻れない。自分は──。
──。
──……。
「………あ」
目覚めると真横に太陽があって、
──?
「──あれ?」
起きられない。
おかしいなと思って、手で踏んばって起きようとする。
感覚がない。
「────」
手長鬼は
「──えい。えい。立とう。立たなくちゃ。うん、立たなくちゃ帰れないし」
感覚がない。
感覚がない。
感覚がない。
「──えい。うんしょ。立って帰ろう」
──腕が。
「帰る──ゼキくんのところに」
──腕が、ない。
…………。
沈黙し、手長鬼は
「──ひぐ」
涙が見る見るうちに
「手が。手が。手がぁ」
嫌だ。すごく嫌だ。手が、手がなくては、長くて強い手がなくては、自分は手長鬼じゃなくなってしまう。また弱い、不器用なだけの
──そして
「嫌ぁ! やだやだぁ!」
絶望が押し寄せてきて、手長鬼はぼろぼろと泣いた。
「やだよぅ……」
化け物になってしまった自分に、居場所を与えてくれた藉口。自分を受けいれ、賞賛し、ともに生きようと言ってくれた
彼のところに帰るのだ。
帰って褒めてもらうのだ。
それがいつものことだった。
なのに。
感覚のない両腕が、静かに
──手が。
「手が、無くなっちゃった」
ざり、と足音がした。
「──ゼキくん?」
心臓が止まるかと思って、手長鬼は目をぎゅっと
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
手長鬼は泣きながら震え、
「ごめんなさい──ごめんなさい。捨てないで。捨てないでください」
「この世には──」
瞬間。
聞き覚えのない声に手長鬼は目を見開く。
「──え?」
「──本当に、
「あなた──」
声をかけるも、男は名乗らずただ
「手長鬼。手が出せないというのは本当です?」
「あ……」
傷をほじくられ、手長鬼は
それを見て何か納得したように
「あー、どうもご苦労様。
手長鬼は理解する。
どうやら彼は警察の一員らしい。以前は警察なんかてんで怖くなかったので無視していたが、今の状態では間違いなく簡単に捕獲される。
これで終わりか──と
きっと、能力の消えた自分を、
「あぁはい。死んでるんです。女の子が一人ね」
「………?」
死んでいる? 自分は死んでいない。
「はい。見たところ──両足を折られて、肩を砕かれて」
それは。
「心臓を
誰の──。

悪夢に
あれは、そんな夜。眠れなかった夜のこと。
目を覚ました
「…………」
寝汗が酷く、気持ち悪くて、グリコはシャワーでも浴びようと音をたてないよう扉へと向かった。
あの二人。本当に甘っちょろくて、気が抜けるほど無邪気な二人を、まだ親と思えるかどうかはわからない。そもそも、グリコは親というものがどういうものなのか、今をもってしても理解できていない。
それを正直に彼らへ伝えたら、簡単じゃない、と二人は笑った。
──親っていうのは僕たちだよ。
理屈なんか通じない
そう思って、現状を受けいれかけていた夜のこと。
グリコは、居間で、二人が小声で会話をしていることに気づいた。
悲痛な声だった。能天気な彼らには似合わない、
──わたしは。もう駄目。もう嫌。
火乃の声。やはり──自分みたいな化け物か人間かもわからない子供の世話なんか、彼女らにとっては重荷だったのだろうか。考えて、自分でも理解できないことに激しい
しかし。
──わたしには殺せない。
そう、つぶやいていた
──火乃さん。駄目だ。もしも殺すのを拒絶するなら、僕たちがあの方に殺される。
──殺されたっていいじゃない。樹夫さんだって、どうせグリコちゃんを殺せないくせに。わたしよりもずっと、グリコちゃんを大切に
火乃の声は泣いているようだった。
──それにどうせ、殺されるっていったって、とっくにわたしたち──。
そこで目が覚めた。
過去の映像を夢として見ていたらしい。おかげで悪夢は見なかった。ただ気持ちの悪い消化不全の思考だけが脳内に居座っていて、どうにも気分が悪く、グリコは夢の中と同じように
頭が
あの会話は──あの夜の、二人の会話はなんだったのだろう。グリコを殺すとか、殺されるとか──意味がわからない。とにかく、何か気持ちが悪く、グリコは
学校を休んで、
ひたすらに殻にこもり、部屋に閉じこもっていた。
火乃や樹夫の気遣いを無視し、食事に呼ばれても外にでないで。
「あぁ──なんなんだろうな、全く、グリコは、あんまり弱くて嫌になる」
そこに選択肢がある。
それは
このまま人間として生きていくか。
それとも化け物として生きるのか。
もしも鈴音や火乃、
「グリコが近くにいるのは危険──か」
自分は、自分の残酷さを知った。十人殺しの
鈴音たちには
──鈴音。
「グリコは、化け物だ」
ベッドから起きあがり、壁に頭を寄せて、グリコは低く──
「三百年ほど前、生きるのが嫌になって、
グリコは一筋の涙を
「幸せになんかなるような、価値があるわけないんだ……!」
一ヶ月前。自分の大切なひとになってくれると言ってくれた人間がいる。しかし、自分にはそんな人たちのそばにいる資格がない。たくさん奪ってきたのだ。たくさん殺してきたのだ。いつ、あのころのように自棄になって、鈴音の眼球に手を伸ばすか。
「鈴音、
旅にでよう。
「……グリコはおまえらが好きだった」
遠ざかろう。ここは苦しい。この幸せな世界は、グリコには
彼女たちに甘えてはいけない。
遠ざかろう。
鈴音はきっと、賢木が守る。自分は必要ない。彼女らに依存して──どうせ最後は不幸にしてしまう。
「不幸になるのは、グリコだけでいいんだ……」
人間と化け物は、一緒になんか暮らせない。
自分は、化け物だ。
「…………」
決めると、不思議なほどに心は落ちついた。
この瞬間に──きっと、グリコの心は決まっていた。
そうして
必要なものはスプーン。また逆戻りだ。
自己満足に埋没し、だんだん何も考えなくなる。
それでいい。それがいい。もう疲れた。化け物に戻りたい。
扉を開くと奥は暗く、
心の中で謝罪して、彼らが心配しないよう、せめて置き手紙でも残そうと電話機の近くにあるメモ帳に手を伸ばし。
「────、」
グリコは、
「火乃?」
動かない。近づいて、エプロンを着たままの彼女を揺さぶってみる。まだ温かい。生きてはいる。しかし──いったいどうしたのだろう。このあいだまでは元気そうだったのに。
舌打ちし、グリコは天井を見上げる。
どうしよう。どうしよう。あぁ思考がうまく定まらない。
「──そうだ、救急車」
必死で番号を押して、これが最後だ、これが終わればお別れだと自分に言い聞かせる。
やがて
向かった先の病院で、グリコは──最悪の事実を知る。

その知らせを聞いた瞬間、
そこから、記憶は完全に消滅している。
ただ頭は真っ白で、世界も真っ白で、
暗い。
暗い──病室だった。
賢木は思考せずただ眼前の光景を理解する。
広い病室。柔らかそうなベッド。生命維持の機械のようなものは置かれていない。当然だろう──そのベッドに寝かされている賢木の愛した少女、
────。
──。
──────。
「
小さな声が、背後からかかった。
賢木は凍るような無表情で振り返る。
そこに
「どけ」
短く、影はそう告げた。
賢木は横たわった鈴音の足下で立ち尽くし、動かず、応えない。
影はグリコで、表情はまだ見えなくて、振り返った賢木の胸元あたりで顔を
「どいて……」
肩が震えている。声も震えている。彼女は──。
「ごめん賢木。ごめんなさい」
──謝っていた。
「……どいて?」
そして三度目の言葉を告げる。
賢木は石のように重い両足を動かし、彼女に道をあけた。空気は冷たく、世界は
「さっき調べた。鈴音が持っているはずの
グリコは鈴音のそばまで歩くと、手をかざして目を閉じた。
光。淡い光が、鈴音の身体から
「一ヶ月前」
掠れて、小さくて、聞きとりにくい声でグリコがつぶやいた。背を向けているので表情は見えない。
「グリコは、ヘビから二つの林檎を奪った。ヘビ自身の林檎と、ヘビが鈴音から奪った林檎だ。そのうちの一つを鈴音に宿らせる」
グリコの肩は震えている。鈴音に触れた彼女の指先から淡い光が生まれ──。
「──どうして? なんで、生き返らない!?」
光はすぐに
奇跡の林檎も宇佐川鈴音を
「どうして……」
グリコは立ち尽くして、
「どうして……! グリコは気づかなかった……! はは。ははは、自分の悩みに酔いしれて、
珍しく声をあげて笑った彼女は、動かない鈴音をひとしきり眺め、
「
半狂乱になって、グリコは取りだしたスプーンを握りしめると自分の顔に向けた。残酷に光るその器具は、
「役立たず……! こんな何も見えない眼球なら、鈴音の危機にも気づかない目玉なら、むしろ要らないよ……!」
本気で己の目すら
「やめろ……」
そして彼女の手を
グリコは止められたのが気に食わないのか憤怒の形相でこちらを
「……やめてくれ」
──つぶやく賢木の表情を見て、
静寂が絡まりながら心と身体を
それで何かが救われるわけでも、ましてや鈴音が生き返るわけでもない。
心が晴れることもない。
それでも──。
「探すぞ」
賢木は、低い声で宣言した。
守ってみせると決めたのだ。一年前の死の海で、
賢木は
「──探すぞ。鈴音を助ける方法を。まだ何かあるはずだ。ここで
それは
賢木はそれに
そこにはもう自暴自棄だった先ほどまでの雰囲気はなく、ただ強い光に
「──そうだな……」
強い光をそのままに、これまでにない台詞を吐く。
「先生。ありがとう──希望が、少しだけ見えた」
「こういうときだけ先生と呼ぶな
「すまん。
グリコは
不意に、振り返る。
「けれど
「どうして──」
くるなって? 賢木は逆上しそうになる。
それを理解していないわけはない、それでもまだ、グリコは意志を曲げずに
「賢木。何度も──この言葉を言わせないでくれ」
顔を背け、病室の扉を開く。
「……見ないで。これからグリコは化け物に戻るから」

この扱いは
首輪を
「…………」
煙草の
治療眼帯で隠していた眼球はほぼ再生を終えたようで、視界も
ここは、自分を捕まえた髪の毛のお化けみたいな刑事の部屋だ。四畳間で、他の部屋はトイレしかなくって、設置されている簡易キッチンには洗いたての食器がつまれている。きちんと掃除もされているし、どうもあの刑事は外見に似合わず
部屋の照明は
部屋の主は、どこにもいない。
「ゼキくん……」
自分を
こんなふうになった自分を、きっと
捨てられてしまう。
思うと──さらに寂しくて切なくて涙が
天使のような悪魔のような恐ろしい女に負けて、理屈はわからないが両腕を消されて、泣いていると、あの刑事に拾われた。刑事は警察のくせに自分を
首輪は露出した柱に適当に固定されていて、そんな程度の弱い
これから、自分はどうなってしまうのだろうか。
牢屋に閉じこめられはしなかったけど、似たような状況だ。なお悪いかもしれない。あの刑事には何か手長鬼ですら寒気をおぼえる妙な感じがあった。何をされるかわからない。怖くなって、手長鬼は小さな声で助けを呼ぶ。
「ゼキくん……」
声は
手長鬼は冷たい畳の感触を味わいながら、ただ震えて状況が変わるのを待ちつづけた。
それからどれだけ時間が流れたことか。
ようやく泣きやんで、頬が乾燥した涙でヒリヒリし始めたころ。
「やぁ、遅くなってすみませんねぇ」
不意に扉が開いて、怪しい刑事が姿を見せた。手には何やら食材のようなものと、服とか、下着とかがつまった紙袋。しかもどうやら服や下着は手長鬼のもので、刑事は明らかに長期にわたって手長鬼を監禁する気まんまんだった。
血の気が引いていく。
「やれやれ……この外見だと子供服売り場をうろついただけで犯罪者扱いになるんですね。だがしかし、奥様たちがヒソヒソ通報したほうがいいかしらとか
こいつ変態だ。
決まった。こいつ最悪の変態だ。自分は何かこいつに想像もできないような変態的行為をされるに違いない。
毛ほども動じずに、変態刑事はクックックと嫌らしく笑った。
「まぁそう警戒せずに。警戒しようと何しようと今の君より僕のほうが強いんです。だったら、反抗的な態度を見せて僕を不快にさせるより、
「…………」
そうだ。十人殺し、
手長鬼は理解して、それでも心は折らずに精一杯の虚勢で相手を
「あなた──何? 手長鬼をどうする気なの? こ、こないで。近寄らないでよ。手長鬼はあなたの言いなりになんか絶対にならないんだから。変なことしようとしたら、
「クックック。まぁ安心してください。外見から誤解されますが、僕はとっても善良な一般人なんです。特殊な能力なんかないし、死ぬときは簡単に死ぬ」
そこでふと思いついたような顔をして、刑事は今さらのように言う。
「そういえば──名乗っていませんでしたね、僕の名前は
語る声に手長鬼は応えないが、理解する。やはり彼は、警察に自分をつれていくつもりがないようだ。では──何が目的なのだ。
「……何を企んでるの。クルキヨ」
「企む? おやおや、何も悪いことをしようってんじゃありません。ただ──この世には、
「────」
いきなり口にされた本名に、手長鬼は表情を変える。
「──どうして」
「相沢梅。三年前、強盗事件に巻きこまれて生死不明の行方不明。生きていたとしたら、今年でようやく十一歳。両親はその事件で死亡。犯人の強盗も同時に死亡。ただ一人娘の梅ちゃんだけはどこにも見当たらなかったので、警察当局は必死になって捜索をつづけたが──今に至るまで、その消息はわかっていない」
つらつらと述べて、嘆木は奥の読めない笑みで言う。
「君が寝床にしていた墓石から
「その名前で呼ばないで!」
手長鬼は震えて、必死にそれだけ訴えた。
嘆木は愉しそうににやにやと笑う。
「うん? では手長鬼と呼べと? 手のない君がその名前で呼ばれることが、どれだけ
「…………でも」
「でも手長鬼だもん。手長鬼じゃなきゃいけないんだもん……」
その様子に、
「少し──気持ちを落ちつけるべきかもしれませんねぇ、君は」
言って、嘆木は当たり前のように言う。
「じゃお
「お風呂って──」
意外な提案だったが、手長鬼もそれにはちょっとだけ賛成だ。これまで、汗や血でべたついた身体は墓場に備えつけの水道で洗うしかなかったのだ。たまにはお風呂につかって、身体の
お
今はともかく、お風呂に入りたい。
「──お風呂に入らせてくれるの?」
「はいはい。けれど、この部屋には備えつけのお風呂がありませんからね。公衆の浴場になりますが、それでも
「え──」
公衆浴場。つまり銭湯。それは少し嫌だ。自分の、この両腕のない身体はそういう場所ではいつもより奇異の視線に
手長鬼の
「大丈夫です。近くの銭湯の主人とは旧知でしてね、帰り際に立ち寄って、今日は一時間ほど貸し切りにしてくれるよう頼みましたから」
「あ──それなら」
表情に希望を戻す手長鬼を、突き落とすように嘆木は笑う。
「そうです。君、自分で自分を洗えないでしょう? 僕がちゃんと隅から隅まで洗ってあげますから。そうです──男湯に怪しい刑事と少女が一緒に入っていても、その少女に首輪が
「────」
手長鬼は瞬間的に硬直し、がばっと身を
「あ」
「じゃ、行きましょう。
「へ。へ」
鎖の固定を外し、ぐいぐい引っぱり扉へ向かう彼に手長鬼は叫ぶ。泣きそうな顔で、世界に絶望した顔で。
「変態────ッ。変態のひとがいる────ッ!」
「こらこら。妙なこと叫ばない。近所の方に誤解されたらどうするんですか」
「誤解してもいいから誰か気づいて助けてよぉ──ッ!」
絶叫する手長鬼だが、残念なことに銭湯に

それから三十分ほど手長鬼にとっての拷問がつづいた。抵抗虚しく銭湯までつれていかれて、銭湯の主人は盲目らしく異常な二人組にもちっとも気づかず普通に応対してくれて、ぐいぐい引っぱられるままに男湯まで引っ立てられて。
脱がされて。洗われて。湯船に
…………。
手長鬼は屈辱に身を震わせていた。
手が。手が戻ったら。真っ先に嘆木を殺してやる。全身の皮を
見られた。
『味の湯』。そんな調味料みたいな名前の、古式ゆかしき一般的な銭湯だった。遊園地じみたスーパー銭湯が主流の現代、このような普通の銭湯はあまり
奇妙に天井だけが高く、上を見ると湯気が
嘆木はどこ吹く風で、自分の身体を洗っている。口ずさんでいる
思いながら、手長鬼はちらちらと嘆木の身体を見ている。
──
身体だけ見れば、引きしまった長身に、適度についた過剰ではない筋肉。綺麗だと思った。思って、
熱い、全身に染みてくる湯。生き返った感じがする。
考えるのは、
女の、
「なのに──どうして」
彼女を、藉口と似ているなどと思ってしまったのだろう。
自分を助けてくれた藉口。
自分を絶望に追いこんだ女。
ぜんぜん違うのに──どうして、同じ種類の生き物だと思ってしまったのだろう。
「──
ざぶり、と
「う、うあ。クルキヨ! これ以上、手長鬼に近づいたら
「? そんなに大声をださなくても二人だけだから聞こえますよ? クク、僕、嫌われた? どうもねぇ──僕の愛情表現は、
むかつく笑みを浮かべる
その顔を見て、手長鬼はぎょっとする。
「あれ──クルキヨ?」
「うん? 僕は嘆木狂清ですよ? どうしました?」
応える彼の──その顔は。
いつも表情を隠していた髪を後ろで結び、素顔がこちらに
「いや、誰?」
手長鬼は、思わず問いかけてしまった。
嘆木は首を
「近眼なんですか? 見えてます?」
「わぁぁ近づくなって言ってるでしょ!?」
派手な頭突きで変態刑事を撃退し、自身もかなり痛くて手長鬼は
「ぁ痛たた……。暴力反対。どうも人類はね、話しあいで問題を解決できる生物っぽいですよ?」
「話しあいをして欲しかったらこっちのことも少しは考えてよ
叫んで、のぼせて息切れして、
「あぁ、もう。どうしてこんな状況に」
そういえば
他人は怖い。いつ──自分の両腕を切り落としたあの強盗のように、自分に対して
思っていると、不思議なことに、彼は手長鬼の思考と同じようなことを口にする。
「あぁ──こんなふうに、誰かと楽しく喋ったのは久しぶりですねぇ。ま──君はまだまだ僕に打ち解けてくれないみたいですが」