「あ……あ」
何より。
鈴音にだけは。
やってはいけないと──思っていたことを。
鈴音に──。
鈴音に、自分は──スプーンを向けてしまった。
「くすくす」
鈴音は、笑っていた。
「くすくす──うん、良いものを見た。いやいや、良いものを見たなぁ。これで夜まで何事もなくすごせたら生涯最高の日に認定かなぁ。
邪悪に、ただ邪悪に、笑っていた。
邪悪?
それならば──鈴音じゃない。そんな鈴音は、鈴音じゃない。
「おまえは」
「うん?」
鈴音はそこで初めてグリコに気づいたみたいな顔をした。
「やぁ──久しぶり」
そして意味のわからないことを言うのだ。グリコは戸惑う。久しぶりって、ついさっきまで喫茶店で一緒にいただろうに。考えていると、彼女はくすくすと
「変わったね──見違えた。美しくなった。ふふ、狂った光が
ヨノ。その名前。
グリコは表情を変え、鈴音の外見をしたこの存在を見る。決まりだ。こいつは鈴音なんかじゃない。何か別の
「
「うん? あぁ、わからないかな、この外見だと」
言葉と同時に鈴音の身体が
「う──」
大切なひとが奇怪にねじ曲がっていく光景は
異様に背が高い。
「まぁ──これも本当の姿じゃないんだけど、こんなところで妥協しといてくれないかな? 怖い怖い殺菌消毒が暗躍しているから
雑談口調で意味不明なことを語りながら彼は
「くすくす、
軽く片手で動かない彼女を担ぎあげ、狼の目の男はグリコに向き直る。
林檎を持っているということは、手長鬼は死んでいないだろう。どうも林檎を得たのは最近らしく、痛覚があったのも納得できた。考えていると、男は聞いてもいないのにどうでもいいことをペラペラと
「そうそう、この子、本名は
相沢。それはたしか、手長鬼が寝床にしていた墓石に刻まれていた名前だ。おそらく──というか、確実にあれは手長鬼の家族の墓だったのだろう。
わからないのはこの男だ。
男は警戒というより戦闘態勢で身構えるグリコに、くすくすと笑った。それは荒々しい外見に似合わない無邪気な笑いだった。
「俺のことを覚えてないのかな?」
覚えていない。記憶を探るが、一向に思いだせない。
「……全然。
思いだせないなら、こいつは自分にとってどうでもいい相手のはず。警戒を緩めずに、あまり興味もなく問いかける。
「どうして、グリコの本名を知っている」
「どうしてって?」
男は首を
「まぁ──今はまだ、
殺菌消毒。なんだそれ。
顔をしかめるグリコに──彼は肩越しに振り返って笑った。
それは邪悪な、やはり邪悪な不安になるような笑み。
「……本当に覚えてないのかな?
「────」
なんだ、それは。
自分は千年前、
そういえば、どうして自分は滝壺に落ちた。
何度も何度も通っていた道、踏み外すはずもなかったのに。
「おまえ、おまえが……」
背筋に寒気がはしる。あのころ、普通に生きていたヨノを殺したのは。自分をこの不死の地獄に
「しかし、ヨノちゃん、危ういと思うよ? 君さ──不細工なんだよ。化け物のくせに、人間として暮らしている。そういう不細工は──殺菌消毒に嫌われる」
神父のような
「だからね、君は──殺菌消毒と遭遇する前に、自分の未来を決断しなくてはならない。化け物として生きるのか。人間として生きるのか。けれど──覚えておいて。人間として生きるなら、必ず君は殺菌消毒と相対する。あれは、神をも溶かす消化器官、今の君じゃ──勝てないよ。そして君だけじゃなく、君の周りの人間も不幸になる」
言いたいことだけ言って、藉口は遠ざかっていく。
グリコはひたすらに立ち尽くし、黙って彼の言葉を
鈴音たちを危険に
──。
「うわああ!」