「お父さんだよーじゃないのだ阿呆親父。今日はいったい何の用だ。私はこれから閣下の家へと見舞いへ赴かねばならぬのだ。下らぬ些事なら消えるがいい」
「お、お、お義兄様! お父様に何てことを!」
竜ゑが喚くが無視。中身が誰であれどうせ今はぬいぐるみだ。敬意を表せるわけもないし、そもそも賢木は父を敬ってなどいない。無理やりに自分を改造し、こんな身体にしてくれた張本人。血の滲むような勉強と訓練──賢木の子供時代は、こいつに潰されたようなものなのだ。
テディベアは動じず、ひび割れたような合成音声で笑う。
『うふふー。相変わらずぐーたんは怖いなァァ。お父さん、哀しい! うん──まぁ別に大した用件じゃないの。久しぶりに可愛いぐーたんを見たくってねェェ』
「さらばだ」
見切り、竜ゑごとテディベアを置いて賢木は進行方向へ向かう。ここから鈴音の家までは走れば十分ほどか。余計な時間を食ってしまった。
『待って待って待ってぐーたん。竜ゑ、追いかけてェェ』
テディベアが呑気に声をあげ、竜ゑは死にそうな顔色で必死になって追いかけてくる。可哀想に。今回、彼女は手頃な運搬係として利用されているだけらしい。
考えていると、テディベアはなんでもないように残酷な命令を下す。
『あーん、もう。逃げちゃ駄目だってェェ。よし、黒服たち、ぐーたんの太股とか撃ちぬいて! そしたら動き止まるでしょ? 大丈夫、ぐーたん怪我してもすぐ治るから、遠慮いらないよォ』
「────」
その言葉。
賢木は激しく振り返り、青い顔の竜ゑ、その胸元に抱かれたテディベアを睨みつける。
「父上──どこで知った」
怪我が治る。すなわち、不死の林檎を食べたことで不老不死になった賢木が、常軌を逸した再生力をもっていると彼は知っているのだ。
そういえば、一ヶ月前、巨大な化け物が町を破壊した──あの事件を父に頼んで適当に誤魔化してもらったんだった。表向きは地震だったか何だったか災害だと報道され、目撃者にも厳重に口止めをした。当然──その隠蔽工作を命じた張本人、父の耳には隠された事実もそのまま伝わっているはずなのだ。
しかし、不死の林檎のことは──賢木と鈴音と、それこそ蟲やヘビ、後はグリコしか知らないはずなのに。
『……ボクを誰だと思っているのかなァァ?』
テディベアは、当然のように。
『きっとね、ボクは──ぐーたんよりもっと詳しいことまで知ってるよォ? でも教えてあげない。それ以上ね、ぐーたんに深みに嵌って欲しくないから。そこから先には、面白いことなんか何もなくって、ただ気持ち悪いだけだから、ねェ?』
空恐ろしい無機質な声で、沈黙する賢木に告げるのだ。
『先月』
当たり前のように。
『大きな大きな化け物──夢界獣が暴れたでしょ? あれを殺したのは、誰だと思うのかな? というか──いったいどうやって殺したのかな? 本当にただの飛行機が、爆弾を落として殺したと思うのかな?』
問いかけというより、戸惑う賢木を愉しむような声。
『焼夷弾だろうが爆弾だろうが、無音で巨大な化け物を殺せると思うのかな? 林檎の栄養で育ち、強靱な生命力を得ていたあの化け物を、一撃で消滅させながらも──市街地にはほとんど被害を与えない、そんな夢のような兵器が存在するものかな?』
嬉しそうな、幸せそうな声。
『……ほぅら、先月の事件は──深く考えれば理解できないことばかり。キミはねェ、ぐーたん、何も知らないまま、本質を見ないままあれを乗り越えてしまった。例えば林檎。例えば神。例えば蟲──キミは、それらの一つとして正しく理解していない。理解する必要もないよ。ぐーたんは、ボクの可愛い可愛い跡継ぎなんだからァァ』
耳障りで、賢木は顔をしかめる。
あの事件を乗り越えて、平穏ともいえる時間を過ごして、ようやく心の整理ができたと思ったら──面白半分に引っくりかえされた。何だ。不安になる。急に現実が疑わしくなって、魂に根を張っているはずの林檎が気持ち悪くなって。
「何が──言いたい、貴様」
『うん? ただの心配さァァ。お父さんは子供を心配する生き物なの。とにかくね、ぐーたんには、しっかり賢木財閥を継いでもらいたいから、なるべく危険から遠ざけてあげたいの。涙歌、破局、最弱、不快逆流、一人部屋、神蟲天皇、そして──殺菌消毒、これらの名前には気をつけて。近づけば死ぬ。そういう名前だから』
意味のわからないことを言って、賢木財閥の長──賢木願鳳は不気味な合成音声で笑った。竜ゑは怯え、不気味そうにこのぬいぐるみを見ている。
蟲と眼球とテディベア。
先月の事件には姿を見せず、裏の裏、見えない闇で暗躍していた三番目の存在が──ここにいる。賢木願鳳。何を知っていて、何を目的にしているのか。この不気味なテディベアは、ただ楽しそうに賢木へ語りかけてくる。
『ま──それだけね。ちょっと忙しかったんでこれだけ言うのに時間かかっちゃったけどォォ。あ、そうそう、忘れるところだった』
そういう機能を内蔵しているのか、テディベアは唐突に動くと手をポンと叩いた。竜ゑが驚いて「わひゃあ」と妙な声をあげる。
『宇佐川鈴音、彼女ね? この数ヶ月──徹底的に調べさせてもらったよ。正直、なんでぐーたんがここまで惚れこんでるのかわかんない』
首を傾げる。
賢木は瞬間的に冷酷な顔となり、そんなテディベアを睨みつけた。
「父上。閣下を侮辱するからには命を賭けろ」
『怖いなァ。怖いよねェ、ほら竜ゑも怖がってる』
竜ゑが怖がってるのはむしろ腕の中の父だ。
『ま──いいとして、ボクはね? 別にぐーたんが誰をお嫁さんにしても構わない。キミのお母さんだって米国の貧民街出身だし、お嫁さんが財閥を動かすわけじゃないからねェ。けどね、今のままじゃ周りの連中が黙ってないのさ。家柄がどうとか、賢木夫人としての資格がどうとかねェ』
「そういう阿呆は残らず処刑しとけ父上」
『やだよ面倒くさい。そういう阿呆に限って有名人だったりするから後始末がねェェ』
二人の嫌な会話に竜ゑがこっそり明後日の方向を見て吐息。無視し、賢木は苛立たしげに地面を踏むと喧嘩腰になる。
「だったら何か貴様、私に閣下を諦めろと? 私は人がいいから教えておいてやるがな、閣下か財閥かどちらかしか選べないなら私は迷わず閣下を選ぶぞ」
「馬鹿な、一人の女のために権利を捨てるなんて……!」
竜ゑは事情をよく知らないのか、思わず出たらしい言葉をハッとして呑みこみ。
「ま、まぁ、賢龍のお義兄様が跡を継がないならば、わたくしとしては願ったり叶ったりというところですわ!」
「竜ゑ──無理をするな。膝が震えている」
賢木が静かに目を伏せて言う。
「……うっ」
竜ゑはびくりと背筋を正し、悔しそうに歯噛みする。賢木財閥──それは巨大な力そのもの。それを一人で受け継ぐという重責は、およそ尋常な精神では耐えられるものではない。竜ゑは今年で十五歳か──まだ中学生なのだ。そのような度量も、余裕もまだ充分ではない。
『ま、とにかく』
テディベア──願鳳は何事もなかったかのように、変わらない不気味な合成音声で話に決着をつける。
『ぐーたんは宇佐川鈴音しか愛せないんだと言う。ボクの周りの連中は彼女じゃ役不足だと言う。だったら簡単だよねェェ? そう、宇佐川さんに成長してもらえばいいんだ。財閥夫人として誰もが認めるくらいにね。そのための準備は色々としたから、ま──何があっても驚かないでね? そうだね、宇佐川さんが卒業すると同時に二人は結婚したいってことだから、彼女が高校に在学しているあいだに色々と成長してもらおう』
彼の言葉に、賢木は眉をしかめる。地獄のような少年時代が思いおこされてしまったのだ。鈴音を成長させるための修行──それがどれほど過酷なものか、想像するだけで嫌になる。
友達が殺されて、不安定になっている彼女を。
これ以上──苦しめるというのか。
「父上」
賢木は静かに、瞳に真剣な色を載せて言う。
「それが閣下を人とも思わぬ非道な訓練ならば──私は躊躇わずに叩き潰す。その瞬間が、私と貴様が決別する時だと知れ」
テディベアは応えず、全てを語り終えたのか竜ゑに呼びかけて去っていく。黒服も追随し、賢木に頭を下げて路地に消えていく。
最後に──竜ゑがこちらを見た。
それは心配そうな、彼女が初めて見せる人間らしい顔。
「賢龍のお義兄様──あなたは、危ういですわ」
「…………」
賢木は応えずに、鈴音の家へとつづく凸凹道へと歩を進めた。
「──大丈夫。大丈夫。まったくもう、グリコちゃんは心配性だなぁ。大丈夫。お料理は得意なんだから。包丁だって普通に使えるよ。うん。うんうん。うふふ」
「血が。ちょっと待て鈴音おまえは自分の指を刻んでいる。血が血が。落ちつけ。無理して料理なんか作るな。どうせグリコも賢木も料理なんか食わなくても生きていける。それより指を刻むんじゃない。不老不死じゃなければ大変なことになっているぞ」
グリコは困り果てていた。
賢木が勤務し、鈴音とグリコが在籍する私立観音逆咲高等学校──その近く、商店街を越え、凸凹した田舎道を歩いた先に鈴音の暮らすアパートがある。
ちょっと壁でも殴っただけで崩れてしまいそうなボロアパートで、家賃は常識を無視して安い。四畳間のトイレつき。隣に住んでるのは景気の悪そうな顔をした自称音楽家のお姉さん。
──加藤克美が正体不明の殺人鬼に殺害されてから、鈴音は、一歩もこの部屋から出ずに寝こんでいた。
やはり殺人事件の影は彼女の心を深く傷つけているようだった。不老不死の人間も、心の傷には弱すぎる。むしろ身体の痛みが消えたせいで、普通の人々よりもその傷に痛みを感じてしまう。
そう──三日前、恐らく観音逆咲町で初めての殺人事件が起こった。被害者の名前は加藤克美。鈴音やグリコと同じ観音逆咲の生徒で、鈴音とは中学時代からの縁があったという。
そんな彼女は、喫茶店で鈴音と別れて、その直後に何者かに殺害されてしまった。しかも激しく石塀や地面に叩きつけられるというむごたらしいやり口で。グリコはまだいい。死にも死体にも慣れている。誰よりつらいのは鈴音だ。彼女は、克美と最後に会っていた人物として詳しく取り調べを受けた。そして何度も何度も何度も何度も克美の死という現実を突きつけられたのだ。
どんな気持ちだっただろう。
そんな鈴音は、ちょっと見ただけではいつもと変わらない様子だった。普通に笑って、声も微かに震えていたが錯乱しているようなことはなかった。しかしそれはあからさまに無理をした結果で、行動がぎくしゃくとしているし、表情も空元気な笑顔のままで固定されている。そして自分は大丈夫だと主張するみたいに料理を作ろうとして、何かとエグい失敗をしてグリコを困らせてくれる。
林檎を食べた人間からは徐々に味覚が失われていく。空腹感もなくなるので鈴音の行為は無駄だが、気分転換くらいにはなるのではないかとグリコは黙認している。
そうして鈴音が笑顔のまま自分の指を調理しようとするのを止めて、一息つくと──同時に部屋のインターフォンが鳴った。
「……賢木か?」
つぶやき、グリコはちょっとだけ警戒しながら扉まで歩いて開く。
「グリコ──閣下は無事か!?」
予想どおりそこには金髪碧眼の芸術品のような美男が立っていて、かなり高い位置からグリコの肩を力強く揺さぶった。グリコは半目になって嘆息を漏らす。
「無事も何も死ぬようなものじゃない。慌てるな落ちつけ。あと揺らすな気持ち悪い。まったく──鈴音のこととなるとすぐに理性を失うな、おまえは」
鈴音──と呼びかけて、振り返ると、その鈴音がばったりと床に倒れていた。
「……鈴音?」
賢木は大きく目を見開くとこの世の終わりのような顔をした。
「あぁ──閣下! 閣下が死んでいる!」
「死んでない。落ちつけ。あと揺らすなと言ってるだろう眼球えぐっちゃうぞ間抜け」
ぶんぶん揺られながらスプーンを準備する眼球抉子なのだった。
「……よほど疲れていたんだろう」
特徴的なオオカミヘア。銃口のように奥が暗い瞳。眼球抉子という残虐な名前をした彼女は、こう見えて千年もの時を生きる不老不死の少女である。とある阿呆な理由で彼女は一時期だけ『真・眼球抉子』とか名乗っていたのだが、言いにくいという大変に現実的な理由から元の名前に戻った。
理由あって鈴音と同棲しているこの無愛想な少女は、倒れた鈴音を敷いた布団に寝かせると語り始めた。
「──ストレスを感じると胃が痛くなったり、吐き気がしたり頭痛がしたり、身体は如実に反応を示すものなんだが、林檎を食べた不死者にはそれがない。だから、限界まで無理をして、精神が耐えられなくなって気絶したりしてしまう。まったく、友人が死んだときくらい見苦しく泣き喚けばいいのに。誰も責めたりはしないのに」
グリコは歩み寄ってくる賢木を見つめ、そっと、寝ていた鈴音の肩を抱きあげて賢木に預けてきた。戸惑いながらも鈴音を支える。力の抜けた彼女は酷く頼りないように思えた。
「グリコ?」
「……グリコは、親愛とか恋愛とか、わからない」
グリコは哀しそうな顔をして、血まみれになってしまった簡易キッチンの掃除を始めた。鈴音に仕込まれたのか、グリコは掃除や洗濯のやり方も覚えてきている。しかし彼女は千年間の虚無の果て、様々な感情とか常識とかを忘れてしまった。
グリコは朗読するように淡々と語る。
「わからない──忘れてしまった。だから、鈴音を癒すことができない。悔しい。……グリコにできることは、鈴音の敵を滅ぼすことだけだ。鈴音の心に刻まれた傷跡は、グリコじゃ絶対に癒せない」
そして彼女はこちらを見る。鈴音が賢木によく似ていると評した、孤独な双眸。
「だから──グリコは、おまえが少し妬ましい」
やはり自分と彼女は似ているのだろうか。鈴音の敵を滅ぼすことしかできず、鈴音の傷を癒せないと思っている彼女。鈴音の敵には歯が立たないほど弱く、彼女を癒すことしかできないのではないかと思っている賢木。
不器用な二人は気絶した鈴音に、ただ、沈黙し──。
賢木は為す術もなく鈴音を抱きしめた。グリコも心配そうな顔でこちらを見ている。夢の中ですら彼女は救われないのか、その閉じた目元には涙が浮かんでいた。どこか血の気が抜けた顔。指先は酷く冷たかった。賢木はそんな鈴音に温かさを宿らせようと縋るように抱きしめる。
我知らず賢木は悪態をついた。
「……くそっ、どこのどいつが加藤を殺したのだ」
「グリコが知るか」
グリコが洗剤でまな板を洗いながら、首を傾げる。
「……しかし、状況を聞くに、犯人は普通の存在ではないだろう。よほど力の強い大男か、野獣か、あるいは──」
きゅ、と蛇口を捻って水をだす。
「──化け物か」
化け物。賢木たちが生きるこの世界の外側で、ひっそりと存在している埒外の異形ども。先月の事件で、賢木も何体かのそれらと遭遇した。凄いやつだと片足で建築物を踏みつぶせるほど巨大だった。
──確かに、克美のむごい有様は人間業ではない。
賢木は嫌な気分になりながらも、思案げにつぶやく。
「なんにせよ、警戒は怠らないほうがいいだろうな。加害者はまだ特定されていない。警察が対応できるような犯人であることを願おう。……グリコ?」
ふと見ると、グリコが真剣な顔で玄関を見つめている。訝しがるような、不思議そうな顔だった。彼女の無表情が真っ直ぐに扉を見つめている。
「……どうした?」
「誰かくる」
グリコは短く応えた。
賢木は眉をひそめて言う。
「……郵便配達とかじゃないか? それとも──殺人犯か?」
まさかとは思うが、可能性はゼロではない。グリコは並べてあったスプーンを三つほど握りしめる。彼女の主力武器は今も昔もスプーンなのだった。
「わからん。音が聞こえんから黙れ。だが──化け物ではない、と思う」
グリコは気配を探っているのか、野生動物のような顔をしていた。本能で索敵し、危険から身を遠ざける。千年間で研ぎすまされた一流の警戒態勢である。
「……人間だ。二人だな」
グリコが不思議そうな顔をする。人間。二人ということは隣の部屋の自称音楽家ではないだろうが、学校の生徒にはなるべく出歩くなと言っているし、鈴音の友達というわけでもないだろう。グリコにも壊滅的に知人というものが存在しないし──。
考えていると、無目的についているインターフォンが鳴った。目配せを受け、賢木が警戒しながら扉に向かっていく。奇襲されて賢木が倒れてもグリコが敵を排除できるという考えである。つまり賢木は囮というか、人身御供というか。
努めて冷静な口調で、賢木は扉に問いかける。
「どちら様でしょうか?」
「賢木財閥の手の者です」
「お引きとり下さい」
神速で決断を下し、賢木は扉に背を向ける。そして肩をすくめてグリコに嘆息するのだ。
「……グリコ、警戒しなくてもいいぞ。関係ないひとたちだった」
「そうか」
グリコは素直にスプーンを降ろす。
瞬間、扉があっさりと開いた。そういえば鍵はかけていなかった。
扉の向こう──深々と礼をした、二人の人物が立っている。
「失礼ながら、失礼いたします」
「火乃さん、敬語が少しおかしい」
「偽原火乃でございます」
「偽原樹夫と申します」
そこに立っていたのは、ごく普通の、四十歳くらいの男性と女性だった。男性は灰色のスーツを着ており、女性も乳白色のスーツをまとっている。特徴のない、町で一時間も歩けば必ず一度はすれちがっていそうな外見だった。
「なんだ──貴様らは」
賢木は露骨に嫌悪が浮かんだ顔で彼らを見つめている。賢木財閥の手先ということはあの親父の部下だ。まともなわけはない。
不自然なほど和やかに、二人はにっこりと笑った。
「これは愚龍様。お初にお目もじいたします」
「今日もご機嫌麗しく。そうですね──」
樹夫と名乗った男性は、当たり前のようにグリコを指さす。
「──本日は、そちらのお嬢さんに用がございまして……」
グリコは困り果てていた。
「…………」
異世界的に比例配分された色彩の群れが並んでいる。ありていに表現するとたくさんの色に塗り分けられた玩具が目の前に並んでいる。それら子供向けに製作されたらしいメルヘンちっくな玩具の群れは、なんでだかどれもこれも原色ばかりが使われていて目に痛かった。複雑に絡まりあった赤や青や黄色が主張しすぎて酔いそうである。
ここは『カオス禅問答』と呼ばれる一般的なショッピングモール──様々な専門店や屋台などが集合してできた買い物をするための地下通りで、休日だからか客足も多く、グリコは何度か迷子になりかけてしまった。
グリコはいまいち買い物というものに興味も快感もおぼえないたちなので、こんな雑踏からはできるだけ遠ざかっていたかった。鈴音もそう頻繁に買い物ができるほど収入が多くなかったので、わざわざ駅で三駅ほど移動してまでこのショッピングモールにくることもなかった。ゆえにこの場所はグリコにとってちょっとした異世界なのだった。
ここしばらく普通の人々と同じように暮らして、グリコもそれなりに現代日本に馴染んできたと思いこんでいた。しかしこの『カオス禅問答』には見たこともないような物がたくさんありすぎる。本当にここは観音逆咲町と同じ日本なのだろうか。
例えば何故かグリコは専門店の一つ、『魔女の生殺し』という誰かの必殺技みたいな名前の玩具屋にいるのだが、そこに並べられている玩具もほとんどが意味がわからない。とりあえず近くにあったテディベアを手にとる。これが噂のテディベアか、とグリコは感慨深くなりながら嘆息する。
「あっ、グリコちゃん。テディベアが気にいったのかしら」
「それじゃあ親子でテディベアを一つずつ買うことにしようか。わぁグリコ、グリコらしい可愛いテディベアを選んだね。では僕は僕らしい格好良さを重視したこちらのテディベアを。火乃さんは火乃さんらしい変形合体虐殺型のテディベアで!」
「まぁ樹夫さんの馬鹿。酷いわ!」
「てへへっ」
「…………」
なんなんだろうこの状況は。というかこいつら真剣にウザいので殺してしまいたいのだが。渋い顔をするグリコの背後、偽原火乃と樹夫の夫婦はちょっとおかしいだろと思うほど和やかに笑っている。そしてなんの気負いもなく爽やかにグリコへ話しかけてくるのだ。
「グリコちゃん、遠慮なんかしなくていいのよ。わたしたち──親子になるんですもの。欲しいものがあったら言ってくれていいし、困ったことがあったら相談してちょうだい」
困ったことの筆頭はこの夫婦なのだが。
硬直しているグリコに、めげない樹夫が喋りかけてくる。