Part 01: エウアのいる空間は、全知にして万能なる彼女の偉大さには相応しくないほどに殺風景である。 カケラの海にぞんざいに浮かべた床と、その上にほんのいくつかの洋風家具を置いただけなのだ。 望めば、山より高い荘厳な宮殿も、地の彼方まで広がる庭園も、瞬きひとつで生み出せるのに、である。 羽入(巫女): 不思議に思っていましたです。どうして、ここはこんなにも殺風景なのですか? 特大シュークリームを頬張りながら尋ねる羽入の表情は、まるで古い友人と接するかのような穏やかなものだった。 エウア: ふむ。つまらぬ質問だが、幾ばくの問答もひと時、退屈の病を忘れさせてくれるというものだ。 エウア: よかろう、答えようぞ。何でも聞くが良い。 羽入(巫女): なぜ、こんなにも殺風景なのですか?どんなものでも生み出すことが出来るというのに。 エウア: まさにこの荒涼とした光景こそが、退屈の病の、荒み切った末期症状なのだ。 退屈の病。それは、どれほど偉大な魔女であっても逃れることの出来ぬ、死の病。 全知全能であればあるほど、神の力に近ければ近いほどに罹りやすく、抗うことが難しいのだ。 エウア: だからこそ。神なる者は存在しないのだ。全知全能であるならばこそ、この病に罹り、カケラの海に沈んで藻屑と消える。 羽入(巫女): その退屈の病というのは、どんな病気なのですか? エウア: 言うなれば、……何もかもに飽き果て、無になるとでも言えば良いのか。 羽入(巫女): 退屈で死ねるのなら、ニンゲンもパタパタと死んでいそうなものですが エウア: ニンゲンには出来ることが限られている。だからこそ、真の意味で飽き果てることはないのだ。 月の裏側を人類が知らなかった頃。 そこには宇宙人やら古代文明やらが都を築いていると夢想することが出来た。 しかし、月の裏側が探索された現代においては、もはや想像さえも空しいことだ。 エウア: 空想、夢想、想像の世界で遊ぶことは、退屈の病を遠ざける秘訣だ。 エウア: いや、栄養と言おうか。それが欠乏すると罹る病。それが退屈の病というものだ。 羽入(巫女): あなたには、空想する余地が、わずかほどもないというのですか? エウア: 空想は、知らぬ事象から生まれる。知らぬことがないならば、空想の余地もなかろうが。 羽入(巫女): 僕も昔、ホーホー、ッホホーという鳥の鳴き声をよく聞いたのですが、フクロウとも違うし。 羽入(巫女): どんな鳥が鳴いているのか知らず、想像したことがありますです。 エウア: そういうことだ。……知らぬからこそ楽しめるのが空想というもの。 エウア: それが鳩の鳴き声だと知る者には、空想の余地など微塵もない 羽入(巫女): ちなみに僕は、ホーホー鳥と名付け、想像で絵も描いたのですよ!確か、こんな感じのでっかい鳥を、 羽入は思い出し笑いをしながら、両手で宙に大きな鳥を描いているようだった。 エウアはその様子を見て、わずかではあるがクスリと笑った。 エウア: 全てを知る者は、全てに夢想する楽しみを失う。それはとても退屈なことなのだ。 エウア: 故に、自ら生み出した物には、何の面白みも宿らない。 荘厳な宮殿に案内された普通のニンゲンならば、好奇心のままに走り出し、あちこちを見て回るだろう。 しかし、エウアは荘厳な宮殿を自ら生み出している。 つまり、宮殿の細部に及ぶまで、自らの意思で生み出している。 二次元の設計図から生み出したものを三次元で見ることで新たな感動を得ることも、ニンゲンならばあるだろう。 しかしエウアにはそういうことはない。 実際に生み出したものは、全て、彼女が望んだままに生み出されている。 そこには、彼女が知り得なかったものは何もない。 故に何の面白みもないのだ。 エウア: 巨大な宮殿など。細々と細部を考えるのが面倒なばかりで、生み出したとて何の面白みもない。馬鹿らしいだけだ。 手芸のように、作ろうとしたものと作った結果に出る歪みを楽しむ余地もない。 全能のエウアは、作ろうと思ったものはそのままに生み出せる。何の歪みも意外性もないのだ。 エウア: つまるところ、結局は意外性こそが、退屈の病に最も効く薬なのだ。 羽入(巫女): 全知全能のエウアにとって意外なことなど、あるのですか? エウア: 究極的に言えば、ない。どのような化学反応であっても、それが起こる前に結果を予想できてしまう。 羽入(巫女): それは……、確かに全知全能なる故の退屈なのです。 エウア: しかし、だからといって退屈の病を紛らわせる努力をしていない訳ではない。 エウア: 意外性を楽しむことが出来るよう、日々の小さな努力を重ねることは出来る。 羽入(巫女): それはどんな努力なのですか? エウア: 極力、計算を複雑にすることだ。 1+1は?誰だって一目で、2という答えを瞬時に導き出せるだろう。 しかし。1+2+2-2+3-1は? などと言われたら? さすがに一目で、とまでは行かないだろうが、答えを導くこと自体は難しくないだろう。 エウア: だが、一瞬だけ。とても貴重なものを手に入れられる。 エウア: 答えを導き出せないという貴重な、無知の時間を手に入れることが出来るのだ。 羽入(巫女): ニンゲンも、老境に達した人でも、クロスワードパズルとかにハマってる人がいますです。 エウア: そういうことだ。長く生きたニンゲンも、自分の世界で起きる大概のことの答えを知り……。 エウア: 見ただけで結果が予測できる境地に達することもあるだろう。 そんなニンゲンたちにとっても、束の間、無知の時間を楽しめる遊びは、貴重なものなのだ……。 羽入(巫女): 答えを導き出すのを、複雑に複雑に、面倒臭くすればよい訳なのですか? エウア: 簡単に言うとそういうことだ。 エウア: 1つのサイコロを振って、出目を予想するよりも、100のサイコロを振った方がより長く退屈を忘れられるということだ。 エウア: ……もちろん、100個如きでは、我には大差ないものであるがな 羽入(巫女): もっともっと多くのサイコロが必要なのです。 羽入(巫女): ……いや、6通りしか出ない六面体サイコロよりも、もっともっとたくさんの目が出る多面体サイコロが必要なのですよ。あう。 たくさんの目が出る複雑なサイコロ。 そしてそんなサイコロがいくつもいくつもひしめき合う場所……。 エウア: 今は、この#p雛見沢#sひなみざわ#rという地を、気に入っている。特に、このカケラにおける雛見沢は、なかなかに面白い。 エウア: ここでは無数のサイコロが、異なるサイコロの目に影響されてさらにその目を変え、我であっても答えを導き出すのに少々の時間を要してしまう。 エウア: これは、退屈の病の身としてはありがたいことだ。 エウア: だから我は決めたのだ。しばし、病が和らぐまでの間、この地にて逗留することにしようとな。 羽入(巫女): この地ならば、しばしの間、楽しめるというもの……。 エウア: そういうことだ。我はこの雛見沢を楽しめている。今はとても満ち足りている。 羽入(巫女): それはとても良かったのですよ。ところで、僕のシューがなくなってしまったのですが、また出して欲しいのです。 羽入(巫女): ……いや。もういい。飽いた。 羽入(巫女): 独り言さえも、相槌がなくば出来んとは情けないことだ……。 エウア: 独り言どころか。一人二役で会話ごっこなど、ニンゲンどもが聞いたら失笑するであろう。 二人はまったく同じ仕草で同時に、右手を挙げて指を鳴らす。 すると羽入の瞳からは光が失われて、彼女の身体は力を失ったようにがくり、とその場に膝を折ってへたり込む……。 エウア: ……虚しい一人遊びだな。 ……羽入は、羽入の姿を模しただけの、エウアの駒であったのだ。 だから、エウアが予め決めておいた受け答えしか出来ない。 これは、自分の右手と左手でそれぞれにハンドパペットを操って会話をさせているという、一人芝居に過ぎないのだ……。 エウア: ……さて。そろそろ物語は動いたであろうか? エウアが指を鳴らすと、七色に輝くカケラがひとつ、彼女の前に現れる。 続けて何度か指を鳴らすとその度に、ソファー、サイドテーブル、クリスタルの容器に山盛りのポテトチップスが現れる。 エウアは、まるで子供が干したての布団に飛び込むかのように、ソファーに飛び込む。 そして七色のカケラを眼前に浮かべ、覗き込むのだ。 エウア: ……さぁ、カケラよ。人の子よ。 エウア: どうか遠ざけておくれ。我を退屈の病から。……そなたらの織りなす運命の悲喜劇にて。 エウア: 期待しているぞ、人の子よ。 エウア: そなたがこうして我を見ているように、我もまた、そなたを見ているぞ……。