Prologue: 一穂(私服): はぁ、……終わっちゃったね。 TV画面に流れるスタッフロールを見つめながら、私は安堵を込めてため息をつく。 観ていたのは、学園を舞台にしたドラマ。主人公の担任教師を中心に個性的な生徒たちが成長していく、いわゆる熱血教師ものだ。 今回の話は、特にすごかった。クラスの仲間たちが苦難の末にトラブルを乗り越え、なんとか笑顔で次の日の授業を迎えていたけど……。 親友だった2人の衝突から、クラス崩壊の危機……予想外の展開に途中ずっと目を離すことができず、緊張と不安から手に汗を握りっぱなしだった。 美雪(私服): んー、面白かった!いやいや、10年前のドラマでも結構楽しめるもんだねー。 美雪(私服): たぶんハッピーエンドで終わるんだろうな、って思ってはいたけど……メインの2人が誤解の繰り返しでどんどん追い込まれて、最後はどうなるかと思ったよ。 一穂(私服): うん……そうだね。結局、2人とも相手を思い合ってただけなのに本心を打ち明けられなくて、苦しんで……。 一穂(私服): なんで言ってくれなかったんだ、どうしてわかってくれなかったんだ、って台詞はすごく悲しくて……切なかったよ。 美雪(私服): まぁ、コミュニケーションの不足による誤解は普段の生活でもよくあることだからねー。身につまされる話は胸にグサッときちゃうな。 美雪(私服): 一穂も今日のドラマを参考にして、困ったことがあったら何でも遠慮なく言うように!黙ったままで、いいことなんてないんだからさっ。 一穂(私服): っ……う、うん。ごめんなさい……。 美雪(私服): えっ? いや、別にキミを詰ったりするつもりでそう言ったわけじゃないんだけどね……あははっ。 思わず謝ってしまった私に、美雪ちゃんは少し困ったような顔で苦笑する。 おそらく、彼女は軽い冗談のつもりで特に深い意味や意図もなく言っただけなんだろう。……でも私は、素直にそう受け取ることができない。 事実、私は美雪ちゃんと菜央ちゃんに「隠しごと」をしている。それは2人を慮った上でのやむを得ない措置には違いないのだけど……。 親友同士が誤解から不信、そして衝突してしまったドラマを観た後だと、それもまるで言い訳のように感じられて……後ろめたい思いだった。 菜央(私服): あたしも……このドラマの話の内容は、結構楽しめたわ。 菜央(私服): 結末だけは知ってたけど、お互いにわかり合えていたはずの親友の2人がなぜ憎み合う関係になってしまったのか……。 菜央(私服): その経緯と理由はわからなかったから、今夜観てようやく腑に落ちた思いよ。 一穂(私服): えっ……?菜央ちゃんは、どうして結末を知ってたの?これって結構古いドラマだよね? 菜央(私服): 去年の冬頃に、このドラマの続編のスペシャル版をお母さんと一緒に観たのよ。 菜央(私服): ただ、その時はダイジェストで流れただけで2人の関係がよく見えてこなかったから……ちょっと違和感があったのよね。 美雪(私服): なるほど。確かにこのドラマって時間枠を変えて何度も再放送をしてるから、菜央が観てても不思議じゃないってことか。 菜央(私服): このTV局を代表する超人気作品だもの。放映のタイミングも、学校から帰ってきた後のちょうどいい時間だったしね。けど……。 美雪(私服): んー、どうしたの菜央?まだわかりづらいところでもあった? 菜央(私服): ……ううん、そうじゃなくて。 菜央(私服): あたしが見たことのあるスペシャル版と比べると、教師役の俳優さんの演技がなんとなくだけど……ちょっと、強引? 乱暴? な感じがしたわ。 美雪(私服): えっ……そう?私は全然気づかなかったなー。 菜央(私服): もしかすると……ドラマの中とはいえ10年経つと演技に円熟味が増して、台詞にも説得力が出てくるものなのかも……かも。 一穂(私服): え、円熟味……って、どういうものなの? 美雪(私服): いや、私に聞かれてもさ。私は演劇の経験なんかさっぱりだし。 美雪(私服): ……それにしても菜央は小学生なのに、ずいぶんと冷めた感想を持つんだねぇ。普通に面白かった、感動したでいいじゃん。 菜央(私服): 面白かったし、感動したわよ。あのクライマックスのシーンの台詞を描くのに脚本家さんがすごく苦労したんだろうな、とか。 菜央(私服): カメラアングルの使い方でキャラクターの印象がこんなにも変わるものなんだ、とか……。 美雪(私服): ……その観点は大人びてるを通り越して、なんか評論家じみてるね。 菜央(私服): 素人がそういう感想を持っちゃダメってこと?技術論もドラマを楽しむ要素のひとつなんだから。 美雪(私服): いや、駄目じゃないよ。駄目じゃないけど……んー、なんて言ったらいいのかなぁ。 菜央(私服): 面白いって感じることも大事だけど、そこから何かを得ようって考えるのも必要よ。そこに時間と、時にはお金を使う以上はね。 美雪(私服): いや、娯楽にコストをかけるのは当然だけどすべからくリターンを求めようって姿勢はさすがに堅苦しくないかな、って私は思うよ。 菜央(私服): 娯楽も教養のひとつなんだから、何かを学びとろうという姿勢で臨まないと作ってくれた人に失礼でしょう? 美雪(私服): たまに観るTVドラマくらい、頭空っぽにして楽しんでもいいでしょうに……菜央は真面目すぎだよ、というか重い! 菜央(私服): あんたが軽過ぎなんでしょうがっ! 一穂(私服): あ、あぅ……。 情緒的に楽しんだ美雪ちゃんと、創作物と割り切った菜央ちゃん。 2人の意見はどっちも正しいようで、それゆえに意見が……折り合わない。 ただ、さっきのドラマの親友たちと違って本音をぶつけ合えるほど心を許した関係はある意味で微笑ましさもあって……。 美雪(私服): ……で、一穂はどう? 一穂(私服): えっ……? 菜央(私服): あんたはドラマを観て、何を思ったの? 一穂(私服): え、ぇっと……その、あの、えっと……! 一穂(私服): みんな幸せになれて、よかったなぁ……って。 美雪&菜央: …………。 必死に頭に浮かんだ言葉を絞り出すと、美雪ちゃんと菜央ちゃんは無言のままお互いの顔を見合って……腕を伸ばして。 私の頭を、左右から撫ではじめた。 菜央(私服): ……さっきの主張、訂正するわ。美雪の言う通り、シンプルに楽しむことを忘れちゃ駄目よね。 美雪(私服): シンプルに楽しむのも悪くないけど……表現技法への着目は、また違った面白さの発見に繋げられるかもしれない。今度試してみるよ。 なでなでなでなで。 一穂(私服): え、ええっと……? 一穂(私服): (あんな感想で、よかった……のかな) 2人と違って論理性の欠片もない、ぼんやりとした内容でしかなかったけど……どうやら彼女たちは納得してくれたようだ。 美雪(私服): んー、それはそうと……あのドラマに出てきたような熱血で優しくて、生徒思いな先生って……現実にいると思う? 菜央(私服): えぇ、いると思うわ。たとえば知恵先生なんて、まさにそうじゃない。 美雪(私服): 優しくて生徒思いなのはその通りだけど、熱血……ってのは、ちょっと違う気がするね。私が知らないだけかもしれないけどさ。 美雪(私服): ちなみに、菜央の学校にはいた?もしくは好きな先生とか。 菜央(私服): そうね……熱血じゃなくてもいいんだったら、手芸部の顧問の先生は結構好きだったわ。若い女性の先生だけど、褒め上手で優しくて。 菜央(私服): ずっと担任になってもらいたいって思ってたけど、5年生でも違ってたから……残念ながらその夢は叶いそうにないわね。 美雪(私服): へー、いいじゃん。やっぱり好きな先生がひとりでもいると、学校生活が全然違ってくるからねー。 菜央(私服): 美雪は、学校に好きな先生とかいないの? 美雪(私服): んー……うちの学校は良くも悪くも事務的な先生が多いこともあって、好き嫌いを感じるほどの人はいないかなぁ。 美雪(私服): まぁ、それで助かってる部分はあるけどね。ただ噂で聞いたところだと、生徒の親の職業で態度を変える先生とかもいたりして……。 菜央(私服): ぅわっ……そんな先生、実際に存在するんだ。ドラマの中だけじゃなくて? 美雪(私服): ま、先生も人間だしね。給料をもらってる以上、市場原理には逆らえないってことだよ。 美雪(私服): あ……そうだ。テストの点数を甘めにつけてくれる人は結構好き!ニアミスしても、点をオマケしてくれる先生もね! 菜央(私服): それこそ、市場原理の権化みたいな発言じゃない。……で、一穂は? 一穂(私服): えっ? あ……ご、ごめんなさい。話、よく聞いてなかった……何? うっかり別のことを考えていたせいで、美雪ちゃんたちの話を聞き漏らしていた私は慌てて謝りながら尋ね返す。 すると2人は気を悪くするどころか、逆に様子を気遣うように顔を覗き込んできた。 美雪(私服): もしかして……一穂、もう眠い?なんだか目が合ってない感じだけど。 菜央(私服): って、もうこんな時間じゃない。眠くて当然ね……早く寝ないと、明日に響くわ。 美雪(私服): おぅ、そりゃまずい。とっとと寝る準備しないとね。 一穂(私服): …………。 そう言ってなし崩し的に話を終えた私たちは、それぞれが歯磨きをすませて寝る準備を始める。 そして私は2階に上がり、いつものように布団の中に入った。 だけど、すぐには寝付けそうになくて……私は天井を見上げながら大きくため息をつく。 一穂(私服): 美雪ちゃんも菜央ちゃんも、以前の学校の話で盛り上がってた……でも……。 一穂(私服): 私は、#p雛見沢#sひなみざわ#rに来る前に通っていたはずの聖ルチーア学園のことが、……思い出せない。 確かに、私は学園に通っていた。全寮制だったから、実質的には住んでいた……と言っても過言ではない。 けど、最近気づいたのだけど……誰と何の話をして、何の活動をしていたのかの記憶が抜け落ちたように……思い出せなくなっているのだ。 一穂(私服): 雛見沢の分校のことはすぐに思い出せるのに、どうして思い出せなくなったんだろう……? 一穂(私服): 私……あの学園の中で、どんな学生生活を送ってたのかな……? 思い出せたら、美雪ちゃんと菜央ちゃんと一緒に前の学校の話で盛り上がれたのだろうか……? 言い知れぬ寂しさを感じながら、私は目を閉じる。すると意識は徐々に闇の中へと吸い込まれていき、そして――。 Part 01: 目を開けると、そこは全く覚えがないどこかの学校の……グラウンドだった。 「学校」とすぐに理解できたのは、少し離れた先に校舎とおぼしき建物がとりあえず見えたからだ。だけど――。 一穂: こ……ここはどこ……っ?! 困惑のあまり、頭が真っ白になる。慌てて状況を把握すべく辺りを見回しても、人の気配はどこにもない。 まるでグラウンドの真ん中に、ぽいっと無慈悲に放り出されたような感覚だった。 一穂: な……何が起こったの?私は確か、夜になって布団の中に入ってそ、それから……! 一穂: ……それか、ら……? 記憶をたどってみるものの、寝るために目を閉じた後のことが……どうしても思い出せない。 せめて、以前のように祭具殿に入っただの謎の光に包まれただのの予告的な現象があったら、まだしも……って、それも不条理の極みだけど。 眠って目覚めた途端見知らぬ世界に放り込まれたのでは夢なのか、あるいはまた「世界」の移動なのかわからなくて……冷静ではいられなかった。 一穂: と……とにかく、ここから移動しよう。あっちの校舎には、人がいるはず……だよね……? そう思って必死に気持ちを奮い立たせ、かといってグラウンドの中央を横切る気にはなれずそろそろと隅を迂回するように歩き出した……。 と、その時だった。 赤坂:ジャージ: こらっ! 君はそこで何をしているんだ? 一穂: っ……ご、ごめんなさいっ! 背後から男の人の声で怒鳴られ、反射的に飛び上がり振り返りざまに頭を下げる。 一穂: わ、私……怪しい者じゃないです!気がついたら、ここにいて……ぇ……? 顔を上げて視線を向けると同時に、私は唖然となって……その場に固まる。 目の前に立っていたのは、竹刀を手にしたジャージ姿の男性。いかにも体育の先生を思わせるような姿……だけど……。 一穂: (み、美雪ちゃんの……お父さん?!) 覚えのありすぎる顔に固まって、目を見開いたまま言葉が出てこない。 ジャージの先生は、どこをどう見ても美雪ちゃんのお父さん……東京の刑事、赤坂さんだった。 一穂: え、えっと……今日はその、休みの日ですか……? 普段身にまとっているスーツと違い、くたびれたジャージで上と下を固めている姿は学校の先生じゃなかったら……なんだろう。 一穂: (休日の、お父さん……?) そんなイメージが頭の中に浮かんできて思わずくすっ、と吹き出してしまう。 が、それは目の前の赤坂さん(?)にとっては気に障る反応だったようで、ばしぃんっ! と竹刀を地面に叩きつけるや私に一喝を浴びせてきた。 赤坂:ジャージ: 何を笑っている!私は注意しているんだぞ?! 一穂: ご、ごめんなさ……申し訳ありませんっ! いつもの口癖のような謝り方では大人に対して失礼だと思い直した私は、とっさに言葉を差し替える。 すると赤坂さん(?)は険しい表情のままこちらを睨みながら様子を窺って……。 ばしんっ! と再び地面を竹刀で叩いた。 一穂: ひゃっ?! 赤坂:ジャージ: むっ? その格好……ひょっとして君は、数日前からこの学校に通い始めたという転校生か? 赤坂:ジャージ: 日も浅いうちに授業を抜け出してサボりとは、たるんでいるぞ! 一穂: ……も、申し訳ありませんっ? 大声で怒鳴られ、反射的に縮こまって謝りながらちくりとした違和感を……胸の内に覚える。 赤坂さんは、こんなにも頭ごなしに怒鳴るような人だっただろうか。もっと物腰の柔らかい、穏やかな印象が……? 赤坂:ジャージ: とにかく、校則違反だ。生徒指導室に来なさい。 一穂: ええっ? で、でも、私……っ……! 赤坂:ジャージ: でもも、へちまもない!言い訳は指導室の中で聞く! 一穂: ちょ、ちょっと待ってください……! 頭が回らず反論もできないうちに、赤坂さん(?)は私の手を掴んで力任せに引きずっていこうとする。 ここは大人しく、従った方がいいのだろうか?状況の判断を行うには情報が少なすぎるので、諦めた私が従いかけた……と、その時だった。 美雪: あ、いたいた! がっくりとうなだれて失望しかけていた私の背中に、明るい声がかけられる。 美雪: なんだ公由さん、そんなところにいたんだねー。どこにいるのかと思って、探しちゃったよ。 そう言って現れたのは、制服姿の……。 一穂: み、美雪ちゃんっ……! 美雪: おぉぅっ?! 掴まれた腕を振り払い、涙目のまま駆け寄って勢いよく飛び込む。 そんな私を、美雪ちゃんはほとんど反射的に抱きとめてくれたが……。 一穂: (……あれ?) 直後、胸に広がる……違和感。 一穂: (いつもなら抱きついた後は、ぽんぽんって優しく頭や背中を撫でてくれるのに……?) 宙に浮いたままの美雪ちゃんの両手に困惑していると、背後に重みのある足音が近づいてきた。 赤坂(ジャージ): みゆ……いや、赤坂。お前はその子と知り合いだったのか? 美雪: えっ? あ、いや……転校生の案内役を任されて、その時に話をしたのが最初だから……そこまでじゃないと思うけど……。 美雪: んー、知り合いかって言われたらそうですって答えられる関係……だと思います。 そう言って、若干の戸惑いを見せる美雪ちゃんの反応と返答から……私は理解する。 一穂: (私、またおかしな「世界」に迷い込んじゃった……?) 初めてではないからこそ、すぐに辿りついた結論。つまり、彼らは姿こそ自分の知る人たちなのだけどこの「世界」では赤の他人に等しいということで……。 一穂: あ、あの、えっと……。 美雪: えっと、すみませんお父さ……じゃなかった、赤坂先生。 美雪: 次の授業が移動教室だったんですが、うっかり公由さんに場所を教えるのを忘れちゃってて。……さ、行こっか。 そう言って美雪ちゃんは私の手を取り、目配せをしてから校舎へと向かう。 赤坂先生はなぜか、それ以上追ってこなかった。かなり強引な言い訳だと思ったが、一応納得をしてくれた……のかもしれない。 そして、彼女が私を助け出すために一芝居を打ってくれたことに気づいたのは、「移動」ではない教室に入ってからだった……。 Part 02: とりあえず自分の席について、戸惑いながらも午前の授業を終えた……昼休み。 一穂: (ここの購買、なんでパンしか置いてないんだろ……) 屋上に上がった私は、ポケットの中の小銭で買った購買のパンをかじりながら……ため息をついた。 一穂: (……おいしくない) おにぎりが良かったとか、まずいとか口に合わないとかじゃなくて……ただただ、おいしいと感じない。 砂をかむ、という表現はこのパンの製造業者の人に大変失礼な発言かもしれないけど……味が全くなく、食感もなんだか変だった。 一穂: (これなら、美雪ちゃんがつくってくれた朝食のパンの方がずっとおいしかったな……) 空になった袋をひとつにまとめ、これまた味のしない紙パックの牛乳をストローでずずっと飲みながら……はぁ、と肩を落とす。 現実味が薄いのに、なぜかリアルな感覚。パニックにならないのは慣れたおかげなんだろうけど、それがありがたいとは全く思えなかった……。 一穂: これって、夢の中の話……?それともまた、気づかないうちに「世界」を移動したってこと……? 現状では、どちらとも判別がつかない。ただ、以前だとすぐにでも元の世界に戻らなければ、と思って不安を抱きながら行動を起こしていたけど……。 一穂: ……なるようにしか、ならないよね。 同じことを何度も経験してきたせいか、さすがに憂鬱な思いは拭えないものの……変な感じに腹が据わってしまっている。 一穂: それに今のところ、少し前の「世界」よりははるかにマシな感じだしね……。 あの時は最初から、惨劇の渦中へと放り出されて……村の人、さらには沙都子ちゃんと戦うはめになった。 あの時、絢花さんが来てくれなかったら私は絶望のあまり……心が壊れていたかもしれない。それを思い返すだけで、今でも身が震えてくる。 一穂: ……そうだよ。あれと比べたら、こんな状況なんて……っ……。 そう自分に言い聞かせながら、私は残り少なくなった牛乳を一気に啜り飲む。 ……無意識のうちに握りしめて、潰れた紙パック。ストローからあふれ出た牛乳がこぶしを濡らして、コンクリートの地面にしたたり落ちていった。 美雪: あー、いたいたっ。 と、その時。背後でドアが開く音が響き渡ると同時に、明るい声が聞こえてきた。 美雪: もう、校舎のどこにもいないから探しちゃったよー。 一穂: あ、えっと……。 聞き慣れたようで、いつもと少し違う口調。ただ、笑顔だけは記憶と変わらず屈託がない。 そして、話しかけてくる美雪ちゃんの隣にいたのは……。 美雪: あー、これ。隣のクラスの千雨で、私の幼馴染み。よろしくね。 千雨(制服): おい、「これ」はやめろ。私はモノじゃないんだぞ。 千雨(制服): ……黒沢千雨だ。初めまして、だな。 一穂: ど、どうも……。 制服のポケットにパンの袋を突っ込んで、やや仏頂面ながらも自己紹介をしてくれる千雨ちゃんにぺこり……と頭をさげる。 ……彼女のこと、実は記憶の中にある。移動したいくつかの「世界」で出会った、私たちと同じ「平成」から来た子だ。 もちろん、美雪ちゃんの幼なじみの親友であることも。……ただ、この「世界」の彼女は残念ながら私のことを知らない様子だった。 一穂: (千雨ちゃんの話だと、私が記憶を失って逆に彼女が覚えてた「世界」もあったそうだけど……この違いは、どうして生まれたんだろう?) その疑問は、彼女がいなくなった後もずっと澱のように残って解消されることがなかった。 ……とはいえ、その答えを求めようとしたところで現状では何もできないことも私は知っている。だから今は、知らないふりを続けることにした。 美雪: ……大丈夫?転校してからまだ日も経ってないから、気疲れとかしてない? そう言って、美雪ちゃんは優しく私のことを気遣うように言葉をかけてくれる。 と、そんな彼女の様子を見た千雨ちゃんがぞんざいな口調ながらも、たしなめるように口を挟んでいった。 千雨(制服): あのな、美雪……本気でそう思ってるんだったら、しばらくはそっとしといてやれ。 千雨(制服): 私が見る限り、お前はちょっと踏み込みすぎだ。まだ知り合って数日らしいのに馴れ馴れしくて、公由さんが困ってるじゃないか。 一穂: あ、……わ、私は別に、その……。 美雪: えー? だって公由さんがさっき私のこと、美雪って呼んでくれたんだよ? 美雪: 最初に挨拶をした時、「美雪でいいよ」ってあれだけ言っても恥ずかしがって、ずーっと「赤坂さん」呼びだったのにさ。 美雪: つまり、私の誠意と真心が通じた!ってことだと思ってたけど、その辺りでどう? にこにこと笑顔で距離を詰めてくる美雪ちゃん。そんな純粋な様子を見せる彼女がまぶしくて、目が合わせられず……つい視線をそらしてしまった。 一穂: ご、ごめんなさい……つい、馴れ馴れしく下の名前で呼んじゃって……。 美雪: あはははっ!呼んでって言ったのはこっちなのに、なんで謝るのさ? 美雪: ……っていうか、正直なところ赤坂さんって呼ばれるのは苦手なんだよね。担任の先生とかぶってるしさ。 千雨(制服): かぶってるも何も、親父さんなんだから当然だろうが。 千雨(制服): たまにうっかり「お父さん」って呼ぶクセ、いい加減に直した方がいいぞ。 美雪: だってさー。お父さんはお父さんなんだからしょうがないじゃんか。だったら自宅ででも「先生」って呼べってこと? 美雪: そっちの方がよっぽど変でしょうが。たまに間違えるくらい、大目に見てよね。 千雨(制服): 開き直るなよ……まぁ、そういうことだから言う通りにしてやってくれ。 一穂: えっ……な、なにが? 千雨(制服): 明らかに悪口とわかるあだ名じゃなきゃ、どう呼んでも大丈夫だ。なんなら『ビューティフルスノー』なんてどうだ? 美雪: いや、英語に訳しただけじゃんか!なら私も千雨のこと、『サウザントレイン』って呼んでやるからね! 千雨(制服): ……ほう、何かのアニメの必殺技っぽくていいな。次からその呼び名で行くか。私は一向に構わんぞ。 美雪: ヤダよ、私は! そんな名前で呼んだって、絶対キミに返事しないからね! 一穂: あ、あははは……。 親しげに話しかけてくる美雪ちゃんと、乱暴な口調ながらも気配りを欠かさない千雨ちゃん。 口論のように感じるやりとりも、なんとなく懐かしさと微笑ましさに満ちていて……心が和んでいくのを感じた。 一穂: (「世界」が変わっても、美雪ちゃんと千雨ちゃんの中身は変わらないな……) 戸惑いはあるけれど、変わらない所があることが嬉しくて、心の中でこっそりと胸をなで下ろす。 ……なんて密かに喜びを噛みしめていると、ぽんっ、と美雪ちゃんが手を叩いていった。 美雪: そうそう、伝えるのを忘れるところだった。さっき教室に、生徒会長が来てたよ。 美雪: 放課後になったら、キミに会いたいってさ。例の待ち合わせ場所で待ってるって。 一穂: 例の……待ち合わせ、場所……? そう言われても私には、生徒会長なんて人と話をする心当たりが全くない。いや、それどころか……。 一穂: (生徒会長って、誰?というか、待ち合わせ場所ってどこ……?) 一穂: あ、あの……。 キンコンカンコーン。 千雨(制服): お、予鈴か。そろそろ教室に戻らないとな。 美雪: あれ、千雨のクラスって次は移動教室じゃなかったっけ……? 千雨(制服): げっ! 忘れてた……まぁいいか。 美雪: よくないって!あの化学の先生めんどくさいし! 千雨(制服): めんどくさいのはあのセンコーの家庭だろ。兄嫁グチを生徒にすんなよ……。 美雪: 昔はサッパリしてて気のいい兄ちゃんだったらしいけど……トラブルって人を変えちゃうのかねぇ。 知らない先生の話をぼんやりと聞きながら、私は急ぎ足で美雪ちゃんたちの背中を追いかける。 その間も私は必死に、記憶を思い起こそうとしてみたけど……。 どうやっても生徒会長の姿にその名前、待ち合わせ場所すら思い出せそうになかった……。 Part 03: 放課後――HRを終えてからすぐ教室を飛び出した私は、校舎の中をひたすら走り回っていた。 私と待ち合わせているという、生徒会長さん。ただ、その人が誰なのか名前もわからず……どこで会えばいいのかさえわかっていない。 そんな私にできることといえば、とにかく人を待っているらしい生徒を探すことだけだった。 そんなわけで、思いつく限りの場所をひたすら駆け回って……。 一穂: はぁ、はぁ、はぁっ……、っ? たぶん10カ所目前後のあたりで、私は息切れしながら美術室へとたどり着き……そこでまたしても、見知った人の姿を見つけた。 一穂: なっ……あ、あなたは……っ? 鷹野(セーラー): 遅かったわね……待ちくたびれたわ。私をこんなに待たせるなんて、あなたくらいよ。 一穂: たっ……たたた、鷹野さんっっ?! 美雪ちゃんたちと出会った時とは明らかに違う驚きから、思わず声を失ってしまう。 一穂: (な……なんで鷹野さんが、制服姿に……?!) ……たとえばだ。鷹野さんが赤坂さんのように年相応の格好……「先生」として立っていたら、戸惑いはあっても驚きは薄かったかもしれない。 けど、今目の前にいる鷹野さんは私が知る鷹野さんでありながら、学生が着るようなセーラー服を着ていて……? 一穂: (こっ……この状況は、なにっ?ここの「世界」だと、鷹野さんは学生なの?!) 一穂: (いや、さすがに無理があるよ!立場が変化するにしても年に合わなさすぎだし、富竹さんは見たら喜ぶかもしれないけどッ?!) 一穂: (というか、この「世界」に富竹さんはいるの……?万が一詰め襟の学ランで現れたりしたら、もう緊張も弾け飛んで吹き出してしまうかもしれない……っ!) ……なんてことを考えながら私が口をつぐんで必死に動揺(=笑い)を抑え込もうとしていると、鷹野さんは怪訝そうな表情で話しかけてきた。 鷹野(セーラー): ……どうしたの、公由さん。なんだか顔が赤いけど、体調でも悪いのかしら? 一穂: い、いえっ……ご、ごめんなさいっ……? 優しく微笑みながら私を気遣う彼女はいつもの鷹野さん……とは、明らかに全然違う。 せめて年相応の若い姿になってくれていれば、まだ受け入れることができたかもしれないけど……酷い違和感のせいで冗談としか思えなかった。 一穂: っ……あ、あのっ……鷹野、生徒会長さんですか? 鷹野(セーラー): そうよ……って今さら何を聞き直しているの。ひょっとして符丁か、暗号のつもり? 一穂: い、いえ……変な質問をして、ごめんなさい……。 鷹野(セーラー): まぁいいわ。……それで、あなたの調査の進捗を聞かせてもらってもいいかしら? 一穂: えっ……? その問いかけに対して顔を上げると、鷹野さんがこちらへ向けた静かな視線とぶつかる。 「静かな」と言ったのは表情の変化が少なかったからだ。ただその眼光は強く、こちらを射貫くように鋭くて――。 一穂: あ、あのっ……調査って、何のことですか……? 鷹野(セーラー): ……私をからかっているの? 一穂: ひっ……?! ぞっとするほど冷たい目の輝きと声の響きは、思わず身を竦めるほどの威圧感があった。 鷹野(セーラー): ……まったく。わざわざ組織からあなたをサポートによこしたのは、例の赤坂美雪に接触させるためなのよ。 鷹野(セーラー): 同年代の中でも、あなたの能力を私は高く評価しているつもりなんだから……あまり失望させないで頂戴。 一穂: っ、組織……? 彼女の言う「組織」が何なのか、予備知識がなさ過ぎてわからない……けど……。 一穂: (……鷹野さんが言った通りだと、私がこの学校に来たのは美雪ちゃんに接触するため……?) その理由がわからなくて、でも知りたくて……あえて疑われる覚悟で私は、鷹野さんに質問を投げかけていった。 一穂: 美雪ちゃんに接触……って、どうしてそんなことをする必要があるんですか? 鷹野(セーラー): 組織の仲介人から、説明を受けていなかったの?何かの手違いかしら……しょうがないわね。 頼りなさを見限られて役目を降ろされる恐れもあったが……彼女は私ではなく、所属の組織が伝達ミスをしたものと解釈してくれたらしい。 そして大きくため息をついた後、やや面倒そうにしながらも言葉を繋いでいった。 鷹野(セーラー): ここの学校には、色々と黒い噂があるのよ。帳簿に載っていない使途不明金の横領に、進学の斡旋による贈収賄……。 鷹野(セーラー): それらの真相を突き止めるのが、今回組織から与えられた私たちの役目ね。 一穂: 横領……贈収賄……っ? 鷹野(セーラー): そうよ。名前も身元も全部捨てて、変えて……敵の懐に潜り込む。あなたはそのための工作員でしょう? 一穂: ……っ……?! 告げられたこの「世界」における自分の立場に衝撃を受けて、思わず愕然となる。 平和な学校で、ただ転校生として過ごせばいいと甘く考えていただけに……衝撃は大きかった。 鷹野(セーラー): ……? あなた、今日は様子が変ね。いったいどうしたの? 一穂: い、いえ……大丈夫です。それより、美雪ちゃんが学校内の悪事とどう関係してるんですか? 鷹野(セーラー): ここの学年主任を務めている赤坂って教師が、その首謀者なのよ。 鷹野(セーラー): だから、その娘と仲良くなって親の動向を探る。……そういうことになっていたでしょう? 一穂: なっ……?! 脳裏に浮かぶ、竹刀を持った美雪ちゃんのお父さんを思い出す。 確かに私が知る美雪ちゃんのお父さんと比べると厳しい雰囲気はあったけど、けど……! 一穂: (この「世界」でも、赤坂さんは変わらず美雪ちゃんのお父さんなのに……?!) この世界の美雪ちゃんのお父さんが、この「世界」では悪事に手を染めている。 少なくともその疑惑がかけられていることに、私は愕然とするしかなかった。 と、そんな私の様子を見て何かを思いついたのか、鷹野さんはイラだったような険しい表情を和らげる。 そしてなぜか、「……なるほど」と納得したように頷いてから、微笑んでいった。 鷹野(セーラー): 「それ」があなたの得意技だったわね。……いいわ、何度忘れたふりをしてみせてもちゃんと説明してあげる。 一穂: ……得意技……? 鷹野(セーラー): そうやって記憶を消して、無害を装うことよ。実際、あの他人に対して壁をつくる赤坂美雪に接触できたんだから、大したものよね……? 一穂: 美雪ちゃんが、……壁を……? 目の前の鷹野さんが、何を言っているのかわからない。 美雪ちゃんは、最初から私に優しかった。聞いた話を信じるなら転校生で不安そうな私に話しかけてくれたのは、彼女だったのだ。 なのに……その美雪ちゃんが、他人に壁をつくっている……? その要素が実際の事象と相反していて、どうしても整合性をつけることができなかった。 鷹野(セーラー): 赤坂美雪は、どうやらあなたに心を許しているみたいね。……頼んだわよ。 困惑して言葉を失った私にそう言い残して、鷹野さんは美術室を出ていく。 一穂: …………。 あとに残された私はひとり呆然と、その場に立ち尽くしていた。 Part 04: それから数日後の、屋上。 美雪: やっほー、一穂。今日もひとりで昼食? 一穂: あっ……美雪、ちゃん……。 美雪: 最近は天気のいい日が続いてるから、屋上で食べるのも気持ちがいいだろうけどねー。 美雪: たまには教室で、みんなの騒がしい声を聞きながら食べるのもそれはそれで楽しいと思うよ。 一穂: うん。……そうだね。 そんな美雪ちゃんの気遣いにぎこちなく笑って応えながら……私はサンドイッチの残りを食べる。 気を許してくれたのか、美雪ちゃんはいつしか私のことを下の名前で呼ぶようになっていた。そして話す機会も、当然増えた……と思う。 一穂: (……。でも……) 廊下や屋上で会うとすぐに挨拶してくるのに……なぜか美雪ちゃんは、教室内だと私にあまり接点を持とうとせず、ひとりで黙って机に座っている。 ……先日千雨ちゃんから聞いた話だと、最初に話しかけてくれたきっかけは私が中庭で迷っていたのを見かねたことらしい。 それを私は、てっきり世話焼きな性分だからだと思っていた。……だけど、教室などでクラスのみんなと一緒にいる時の彼女は、信じられないほど孤高だ。 私に対して甲斐甲斐しく気にかけてくれる一方で、鷹野さんから聞いた通り他の人には壁をつくる姿勢があまりにも両極端というか、違和感があって……。 この「世界」の美雪ちゃんの本当の顔がわからなくなった私は、どう接したらいいのかいまだに距離感が掴めずにいた。 美雪: ? どうしたの一穂、今日は元気がないみたいだけど……。 一穂: あ……ううん、別に。たいしたことじゃないよ。 美雪: そう? なら、いいんだけどさ。 そう言ってごまかす私に、美雪ちゃんは屈託のない笑顔を向けてくれる。 一穂: (もう……言ってしまったほうがいいんだろうか。この「世界」で私が美雪ちゃんに近づいたのは、おかしな任務があってのことだって……) 彼女の純粋な優しさが苦しくて、申し訳なくて……私はそんな後ろめたい懊悩を繰り返していた。 と、その時……入口のドアが開いて、人影が現れる。誰かと思って目をこらすと、それは千雨ちゃんだった。 美雪: あれ……どうしたの、千雨?午後イチで体育の授業があって着替えるから、先に行くってさっき言ってたよね? 千雨(制服): なんか、先生の都合で今日は保健の授業に切り替わるらしくてな。着替えは無しになった。 千雨(制服): ……それより美雪、さっき先生が呼んでたぞ。何か用があるから、職員室に来いとさ。 美雪: 職員室……?先生って誰、もしかしてお父さんが? 千雨(制服): だから、お父さんは止めろっての。……そっちじゃなくて、理科の先生だ。お前、今日は日直だったよな? 美雪: おぅっ……そういや、忘れてた。んじゃ、ちょっとひとっ走り行ってくるよ。 美雪: あ、一穂。よかったら今日、一緒に帰ろうっ。おいしいハンバーガー屋さん、見つけたんだ。 一穂: えっ……あ、うん……。ちょっとくらいなら、……いいよ。 美雪: よーし、約束っ!というわけで千雨、あとはよろしくねー。 そう言って美雪ちゃんは、屋上の入口から校舎の中へと戻っていく。 あとに残されたのは、私と千雨ちゃんだ。普段はぶっきらぼうだけど、本当は優しい性格だとわかっている私は話をしようと、口を開き――。 千雨(制服): おい……公由一穂。 ……底冷えするような冷たく、酷薄な口調に思わず息をのんで顔を向けると……そこには、敵意をあらわにした彼女の険しい顔があった。 千雨(制服): お前……何をこそこそ美雪たちの周りを嗅ぎ回ってるんだ? 一穂: わ、私は……別に……! 千雨(制服): ごまかしても、ネタは挙がってるんだよ。お前が美雪と親父さんをハメようとして、私たちに近づいたってこともな……! 一穂: ……っ……?! 思わぬ相手から事実を突きつけられて、私は言葉を失ってしまう。 すると千雨ちゃんは「……やっぱりか」と納得したように大きく息をつくと、凄みをはらんだ睨みで私を覗き込んで続けた。 千雨(制服): 最初から、何かおかしいと思ってたんだ。美雪が見ず知らずの相手を手助けしようとしたのも、確かに変だったが……。 千雨(制服): クラスの連中から美雪の噂を聞いてたら普通は絶対に近づこうとしないはずなのに、逆に馴れ馴れしく寄ってきやがったしな。 一穂: う、噂話……っ? 千雨(制服): とぼけんなっ! 他のクラスメイトの連中にお前が美雪のことを聞き回ってるってことは、もう裏取り済みだ……! 一穂: そ、それは……美雪ちゃんが普段、誰とも話さずにひとりでいるのはどうしてかな、って思ったから……! 千雨(制服): そういう状況に追い込んだのは、お前ら警察組織の人間だろうがッ!! 千雨(制服): あいつの憧れだった親父さんに濡れ衣を着せて、警察官としての職を奪って……! 一穂: なっ……?! 千雨ちゃんが突きつけたその言葉に、私は息をのんで大きく目を見開く。 赤坂さんが学校の先生になったのは、この「世界」が用意した設定……そう思っていた。だから違和感があっても、受け入れるべきだと。 でも……違っていた。赤坂さんはやっぱり、元々は警察官だったのだ。 そんな彼が学校の先生になるというおかしな「世界」に変わってしまったのは、いったいどういう理由があったのだろう……? 一穂: 赤坂さん……美雪ちゃんのお父さんは、どうして警察官を辞めることになったの……? 千雨(制服): まだしらばっくれるつもりかっ?ンなことは、お前の親玉が詳しいんだからそっちに聞きやがれッ! 千雨(制服): ようやく今の職にありつけて、美雪もちょっとは明るくなってきたってのに……それでもお前らは、気が済まねぇってのかよ?! 一穂: ……っ……? ……状況が、全く飲み込めない。わかるのは、赤坂さんの身に何かがあったということだけだ。 だから逆に私は意を決して、千雨ちゃんに向かっていった。 一穂: あのっ、千雨ちゃん……!赤坂さんはどんな悪いことをしたのか、教えて? 千雨(制服): はぁっ? 言うに事欠いて何を言い出しやがるんだ、お前は? 千雨(制服): お前らがお偉方の立場を守るために、全部責任を押しつけた結果だろうが! 一穂: っ、もういい……! 千雨ちゃんと話していても埒があかないと感じた私は、踵を返して屋上の入口へと向かう。 そして、おそらく真実を知るであろう「彼女」に問いただすべく……放課後時の待ち合わせ場所へと駆けていった。 鷹野(セーラー): ? あら……どうかしたの?今日は定例報告の日じゃなかったわよね……? 一穂: っ……鷹野さんに、聞きたいことがあります……! 突然美術室の中へ飛び込んできた私に少し驚いた様子を見せる鷹野さんに、私は単刀直入に問いかけていった。 一穂: 赤坂さんは……いったい何をしたんですか?この学校での横領とか贈収賄とか、本当はそういうことじゃないですよね……? 鷹野(セーラー): ……誰から聞いたの? 鷹野さんは鋭い眼光を宿した表情で、私を静かに冷たく見つめてくる。 ただ、彼女はある意味で正直だった。その一言だけで、今回の私の行動に対する目的が瞭然となってしまったから……! 一穂: お願いです、鷹野さん……!赤坂さんも美雪ちゃんも、悪い人じゃないです!それに……すごく、傷ついてるんです! 一穂: どうかこれ以上、あの2人に酷いことをしないでください!でないと、私はっ……! 鷹野(セーラー): 組織から抜ける、もしくは刃向かう。……そういう理解でいいのね? 一穂: ……っ……?! 鷹野(セーラー): 申し訳ないけど、ここであの親子が悪事を働いて報いを受けることは、もう決まっているのよ。 鷹野(セーラー): あなたがどう感じて、何を信じるのかは関係ない。……これは最後通告よ。素直に従いなさい。 一穂: っ……それでも、私は……! 確かにここは、私の知る「世界」ではないかもしれない。 黙っていても、おそらくいつか……元に戻る。それに抗ったところで、得られるものは無に等しいだろう。 だけど……だけど、私はッッ……!! 一穂: 私は、信じる……もう、疑わない……! 一穂: たとえ「世界」が違ったとしても、美雪ちゃんと赤坂さんは……みんな同じで、何も変わったりしないって! そう言い放った次の瞬間、ポケットの中に熱を覚えた私は「それ」を取り出す。 ……『ロールカード』。これを持っていることこそが、ここが夢ではなく別の「世界」であることの証明でもあった……! 鷹野(セーラー): この、わからず屋が……!「あの方」に従っていれば、苦しい思いもせずに幸せな夢の中でいられたでしょうに!! 一穂: そんなのは、幸せなんかじゃない!ただの……怠惰だ!!! Epilogue: 鷹野(セーラー): ぐっ……あ、ぁ……ッ!! 私が最後に放った渾身の一撃を受け、鷹野さんはその場に崩れ落ちて……。 やがて、……跡形もなく消えてしまった。 一穂: ……この「世界」の鷹野さんは、『ツクヤミ』だったんだ……。 呆然とその事実を受け止め、私は武器を「カード」に戻してポケットにしまう。 そしてふと、背後に気配を感じて振り返ると……そこには血の気を失って真っ青な顔になった美雪ちゃんが立っていた。 一穂: 美雪、ちゃん……? 美雪: ……一穂……っ……。 私の姿を認めるや、彼女は勢いよく駆けて胸の中に飛び込んでくる。 この「世界」で初めて会った時と、逆の構図だ。……そんなことを思いながら私は彼女を抱き留め、そっと両手を背中に回した。 美雪: お父さんが……赤坂先生が、汚職の罪で捕まったって……! 美雪: また、まただよ……!そんなこと、お父さんが絶対にするはずないのに……! 美雪ちゃんは震えながら、……声を上げてわぁわぁと泣きじゃくっている。 おそらく、鷹野さんたちが言っていた「組織」による暗躍の結果だろう。思わず怒りがわいてきて、そして……。 一穂: ……大丈夫だよ、美雪ちゃん。 そんな彼女を、私は強く抱きしめていった。 一穂: ……そんなこと、ありえるはずがないよ。だって赤坂さんは、美雪ちゃんのお父さんなんだから。 一穂: たとえ「世界」が変わったとしても、その人が別人になるわけがない……! 美雪: っ……かず、ほ……? 一穂: 私……見つけるよ。みんなが幸せになるための、本当の「世界」を。 一穂: 流されて……従ってるだけじゃ、だめなんだ。無意味に見える中でも、必ずきっと意味がある。 一穂: だから……待ってて。必ずみんなと一緒に、探し出してみせるから……! 美雪: ……。うん……っ……。 その言葉を聞いて美雪ちゃんは、安心したように私の胸の中へと顔を埋める。 そして「世界」は、光に包まれて――。 再び意識が戻ると、そこは自分の部屋だった。 一穂: ……っ、……ぁれ……? 起き上がって、周囲に目を向ける。……さっき見ていたものは、もはやどこにも存在していなかった。 一穂: 夢……?じゃあ、さっきまでの「世界」はやっぱり実際には、なかった……? 不思議な思いを抱きながら階段を降りて、リビングへと向かう。 するとそこには、変わらず朝食の支度をする美雪ちゃんの姿があった。 美雪: おっはよー、一穂……って、凄い顔だよ。昨日あんまり寝られなかったの? 菜央: 今日、学校休む?あたし、知恵先生に連絡してあげるわ。 一穂: う……ううん、いい。大丈夫だから……。 気遣ってくれる2人を見て、私は強い意志とともに心の中で……ひとつの決心を固める。 さっきまでの「世界」は、夢かもしれない。幻想か、あるいはここではない「世界」だから今の私には関係ないのかもしれない。でもっ……! 一穂: (美雪ちゃん、菜央ちゃん……そして他のみんなのためにも……!) 一穂: (私は、絶対諦めない……!必ず見つけ出して、たどり着いてみせる……ッ!!)