いまごろヴィルも、お母様もお父様も、思うぞんぶんそれぞれの旅行を楽しんでいるはずなのだわ。それなのに私は、頼りにならないお兄様と一緒に、こうして釣れない釣りをしている」

 ユーミがぼやいた。

 ヴィルの友人と、その妹であるユーフェミーア・エプスタインは、さんばしの上にいた。二人とも茶色のコーデュロイパンツと、おそろいのハンティングジャケット。

 晴れ渡った空の下、ラプトア共和国とくゆうの平原と、その真ん中にある大きな湖。二人は長い桟橋のせんたんに並んで座り、おだやかな水面に靴の底を映しながら、釣り糸を垂れていた。浮きはピクリともしない。

「ま、こんな日もあるさ」

 友人がのんびりと言った。置いてあるバケツの中には、水だけしか入っていない。その脇には小さな水筒と、おやつの干しぶどうが入ったかみぶくろ

 ユーミが竿さおを上げて、えさがまだあるのを見て元に戻す。

「ヴィル早く帰ってこないかなー」

 友人はとなりをちらりと見て、それからこう言った。

「そういえば、まだ言っていないことがあるんだけどな」

 しばし時間が流れる。兄は妹にあれやこれや伝え、最後に妹は驚いて竿さおを投げ捨てて立ち上がった。

いんで一緒だった女と一緒! どうして出発前にそれを言わなかったのよ!」

 ユーミがえた。

「言ったらなぐってでも止めそうだったからな」

「その女は何者よ!」

「俺の素直な感想を言うと──」

 友人が思うところを答えた。ユーミがぜつして、

「……何よそれ?」

「俺にはそんな感じがしたんだ。もちろん、ヴィルにはっきりそう言われたわけじゃないんだが。──考えてもみろよ、いつもで学校をさぼらない、掃除すら一日たりともさぼらないヴィルが、まつしよを一年で二枚も提出するになったんだぞ。両方とも彼女がらみだ。つまり、彼女には逆らえない。もしくは、逆らわないってことだ」

「…………」

「〝一緒に住みましょう〟なんて言われたらそのままついていきそうだな」

「知らなかったわ……、ヴィルにそんな女がいたなんて……」

 ユーミが、固く握り締めた両手のこぶしを震わせながら言った。さんばしせんたんおうちするユーミの脇で、友人は座ったままのんびりと竿を上げてえさを確かめて、

「ま、そういうこった。一応、知っておいた方がいいと思ってな」

 そしてまた糸を水面に戻した。小さな浮きが何度か揺れて、先端をちょこんと出して落ち着いた。

「……お兄様」

「ん?」

「つまり、結局、私。──ふられたの?」

「…………」

 友人が首を横にして、そして上へ。泣き出しそうな妹の顔を見た。

「そうだな。そう思うのが一番てきしてるだろ」

 友人は、その場しのぎのうそやでたらめのたぐいは言わなかった。正直な答えを聞いて、ユーミは目を閉じて、ゆっくりと頭を垂れた。

「そう……」

 小さくつぶやいた妹から、友人は浮きへと視線を戻した。そしてつぶやく。

「ま、必要以上に気を落とすな。適当に立ち直るために俺にできることだったらなんでもしてやる。──つまり、できないことは何もしないってことだが」

 ありがと、と短い言葉が返ってきて、友人の肩に手が置かれたかんしよくが伝わる。そして背中にひたいが。

「ヴィルの……、ヴィルの……、ヴィルの……」

 ユーミがつぶやき、

「ヴィルのばかー!」

 最後はえながら兄の背中をり飛ばした。

 蹴られた人間は、そのまま湖に。な水しぶきを上げて頭から落ちた。水面にもんが広がり、浮きが激しく踊る。

 突き落とされた人間が浮かび上がって顔を出して、ぴゅう、と水をき出した。

 そしてぼやく。

いまごろはうまくやっているんだろうな、ヴィル。今度ダメだったら三度目だぞ。もう知らんぞ」


    *  *  *


 山岳地帯を、客車八両に短縮された大陸おうだん特急が走っていた。

 岩山の斜面をけずって造られた線路はきつい登りで、先頭のディーゼル機関車は黒いはいえんを吐き出し続けていた。線路の左側は切り取られたいわはだで、右側はなだらかに下り谷へと通じる。

 今やさいこうの一つ前になった七号車──二つ目の食堂車に、ヴィル達四人がいた。車両の中ほどの左かべぎわに、ダイニング用のイスを並べて座っていた。車両前方からベネディクトとフィオナ、アリソンとヴィルの順。ヴィルはベネディクトから預かったけんじゆうを返していなかったし、ベネディクトもへんかんを求めていなかった。

 しゆうせきを出発してから、一時間以上が経過していた。テーブルの上には、朝食と昼食がわりにちゆうぼう車から持ってきた食事の跡が見える。パンを食べ終えてからになったかご、ジャムやバターのびん、ハムをしばっていたひも。そしていくつかは空になった水の瓶が置いてあった。

「このまま何もなければだいじょうぶでしょう。ふもとには多くの部隊と人達がいます」

 ベネディクトが口を開いた。

「もちろんそれまでは、食事は手製サンドイッチということになりますが。夕方に麓に着いたら、何かきよう料理をごちそうしますよ。あの辺りは、確かトマトをたっぷり入れたミートパイが有名だったはずです」

「それはいいんだけどね、わたしは犯人を一度蹴ってやりたかったわ。よくもまあ旅行をだいしにしてくれてありがとうって」

 アリソンが景色をながめながら言った。

「結局、犯人はあの中の誰かだったのかしら……。そうだとしたら、もう安全だとしても、悲しいわね」

 フィオナが硬い顔のまま言った。

 ヴィルは黙ったまま窓の外を向いていたが、視線はまどわく辺りに固定されて動かない。視覚情報を無視して、何か考えごとをしていた。

 数十秒のちんもくの後、

「もし──」

 ヴィルが突然言った。首を横にして、発言に反応して自分を見るアリソン達に向かい聞く。

「もし、そうじゃなかったら? もし、狙われているのがテロル氏じゃなかったら?」

「何を言い出すのよ?」

 アリソンがあきれたようで聞いて、ヴィルは小さく肩をすくめる。

「〝もしも〟の話。それ以外のことがないかなって考えた」

「で、思いついたの?」

 アリソンの質問に、ヴィルは首を振った。

「思いつかなかった。──だからまだいろいろ考え続けている」

「なんだ」

 アリソンが言って、

「でも、思いついたら言って。聞くから」

 そしてそうつけ足した。

 自然に誰もしやべらなくなって、そして列車は快調に走り続けた。窓の外では、大きな谷と雪を残した峰の景色が流れ続ける。

ひまね」

 アリソンが言って、

「そうね」「そうですね」

 フィオナとベネディクトが同時に返した。しかし会話は続かない。

 トンネルをいくつかくぐり抜け、ベネディクトがそろそろとうげですねとつぶやいたとき、

「私です。入りますよ」

 静かに食堂車のドアを開けて、ストークしようが現れた。

 テーブルの脇に口が閉じられたかばんを置いて、

「こんなことに巻き込んでしまって、大変もうわけないと思っています。でも、仕方がなかったのです。何かあったときにあまり信用されていない私一人では辛い」

 ストーク少佐は自分を見る四人にそう言った。ベゼル語なのでフィオナには理解できない。

 ベネディクトが、

「〝めんどうかけてごめんだけどまだつき合え〟──とのことです」

 とても短くやくした。

「テロル氏の部屋にいなくていいんですか?」

 ヴィルが聞いて、

「いない方がいいらしいです」

 ストークしようが肩をすくめて答えた。そして、

「車内を見回ってきましたが、特に問題はありません。いま運転士と話をしましたが、機関車の方も快調だそうです」

 ストーク少佐は一度左手の腕時計を見た。そして、

「平和な景色です。このまま何もなければ大丈夫ですよ」

 窓の外を見ながら、ベネディクトと同じことを言った。


 山脈の上を、観測機が飛んでいた。

 峰にぶつからないように、高度をたっぷりと取っていた。小さな機体の下を、地形図のような景色がゆっくりと流れていく。山の斜面は土と岩の茶色。頂上と北側しやめんは雪が残り白く輝き、谷の底にはちらほらと緑が見える。

 細長い機内には、たてに三人の席が並ぶ。大きく出っ張った窓越しに、そうがんきようで下を見ていたさいこうちゆうが、

「いた! 見つけたぞ!」

 そして前の席に座る男の背をたたく。

「クレイン中尉、右下。ほぼ真下。やはりこの辺りまで来ていたな。予想どおりだ」

「どこだ? ──ああ、確認した。間違いない」

 前に座るもう一人の中尉、クレインが、指示された位置を自分の双眼鏡でのぞき込んで確認する。丸い視界の中、太い谷間の南側斜面を、細いオフホワイトの線が走っていた。

 クレイン中尉が前に座る飛行士の肩を叩き、無線機をヘッドセットごと手渡された。耳にはめて、マイクのスイッチを押して話し始める。

『こちらクレインだ。列車の現在位置を確認した。およそ十キロメートルほどでとうげのトンネルだ。準備はできているか? 間に合うか?』

 数秒ののち、返答を聞いたクレイン中尉はもう一人に向かい親指を立てて意志を伝えた。そして無線の相手をめる。

『よくやった。じようだ。大陸おうだん特急は短くなっている。最後尾はバー車両だ。目標の確保がさいゆうせんだ。ぬかるなよ』

 クレイン中尉はそこまで言って、一度間をおいてから、

『念のために第二班に連絡を取り、時間以外は〝予備計画〟どおり行動させる。確実に挟みちにする。以上だ』

 そうつけ加えた。そして無線機を飛行士に返し、

「二班たい場所へ着陸しろ。私も参加する」

 同時に命令した。飛行士が大きくうなずいた。

 機体はゆっくりと、右にせんかいしていく。


    *  *  *


 山の斜面を切り欠いて、平らな部分を造り線路が敷かれていた。

 線路は木々がほとんどない岩だらけのやまはだにそってうねり、カーブをくり返している。そしてところどころに、短い距離だけ線路が二本に分かれている箇所があった。斜面がなだらかで平らな箇所が広く設けられるところで、線路は分かれて数百メートルを並行して進み、またポイントで一本に戻る。他の列車を走らす場合のたいじよで、何カ所か設けられていた。

 その待避所には、途中に山肌がせり出している箇所があるためにトンネルがあった。長さは二百メートルほど。一つの線路それぞれに入り口があって、トンネルは二本あり、中も分けられている。となりの線路を見ることはできない。

 大陸おうだん特急は、その待避所にさしかかる。ディーゼル機関車が一度てきを鳴らし、右側の本線のトンネルへと入った。

 十数秒かけてトンネルの反対側へと機関車は抜け、続いて八両の客車も何ごともなく通り抜けた。列車は騒音をひびかせながら、その待避所を通り過ぎる。西のふもとへ向けて、なだらかな坂を下っていった。

 大陸横断特急が通り過ぎて、二十秒ほどが過ぎたときだった。

 出口右側の待避線トンネルで、トンネルの口が作るくらやみの空中に、一つの丸い光がともった。

 やがてエンジンの低いうなり音が大きくなり、大きな汽笛が一度響く。

 ヘッドライトを灯した一台のディーゼル機関車が、ゆっくりとその姿を現した。大陸横断特急を引っ張っている大型ディーゼル機関車と比べると、大きさは半分ほど。外見は似たようなとつがた形状をしていた。色は軍隊用のふかみどり一色で、ほんらい車体番号がある部分にはいんぺい用のベニヤ板が張り付けられていた。

 先頭部分の広めのデッキには、左右に一ちようずつかんじゆうが備え付けてあった。回転式のだんそうを銃の上に載せ、銃身を大きな筒でおおったタイプ。

 機関車がトンネルから出て、その後ろにれんけつされた車両が現れる。同じように深緑色のへいいん輸送用客車が一両と、屋根のある貨物車が二両。客車には十数人の兵士が乗っていた。緑のウール地の戦闘服を着て、手にはサブマシンガン。そして、全員がふくめんをかぶっていた。ギャングのような、目のところだけいた黒いぬのせいの覆面だった。同じかつこうの兵士が一人、ディーゼル機関車の運転室のドアを開け、車体わきを歩いてせんたんのデッキ部分に出てきた。

 四両だけの列車は、かくれていたトンネルから完全に出た。機関車がヘッドライトを消す。百メートルほど走って一度止まり、ディーゼル機関車から飛び降りた兵士が、ポイントを切り替えて本線へとつなぐ。合図をしてから機関車に戻った。

 その列車は、大陸おうだん特急が先ほど走り抜けた線路へとゆっくりと入る。そして、じわじわと速度を上げていった。


「ん?」

 そう小さく声を出したのは、アリソンだった。

 アリソンは食堂車左側のまどわくに寄りかかり、すぐ前でイスに座っているヴィルと、窓の外を流れる景色を交互に見ていた。線路が緩やかに左にカーブしている箇所で、列車こうほうの視界が一瞬ひらけて、アリソンの目に、レールの先にある小さな緑色の点が映った。そしてそれは、すぐに線路わきに迫ったいわはだかくれる。

「どうしたの?」

 ヴィルが左上に顔を上げて、ロクシェ語で聞いた。アリソンがロクシェ語で答える。

「なんでもない。何か見えた気がしただけ」

「何かって、どこに?」

「この列車の後ろよ。同じ線路を何かが走っているわけないわよね。ちがいよ」

 アリソンは小さく肩をすくめて断定したが、ヴィルはまゆを寄せた。ヴィルには見えていなかったが、離れたところにイスを置いて座っていたストークしようが二人に顔を向けていた。

「目のいいアリソンが見間違えるなんて──」

 ヴィルが言いかけて、

「何ですか?」

 ストーク少佐が大声で聞いた。むろんベゼル語で、その調ちようの強さに、イスに座り船をいでいたベネディクトが顔を上げた。となりに座りベネディクトに肩を預けていたフィオナは、閉じたまぶたを少し震わせたが、起きなかった。

 アリソンが突然おおごえを出したストーク少佐をにらんで、そっけなくベゼル語で答える。

「何でもないわ」

「何でもないわけはないでしょう!」

 ストーク少佐の珍しく怒った声。

 あからさまにムッとしたアリソンのかわりに、ヴィルがベゼル語で答える。

「後ろに何か見たかもしれない、でも見間違いだろうということです」

「!」

 ストーク少佐が顔色を変えて立ち上がった。その勢いでイスは後ろに倒れ、激しく音を立てる。フィオナがびくっ、と体を震わせて目を開けた。

「何ですか?」

 ベネディクトの質問を無視して、ストークしようは食堂車の中を駆け出した。ヴィル達の前を通り抜けて、バー・サロン車両へと通じるドアをくぐる。

 ヴィルはアリソンをちらりと見て、イスから立ち上がった。

「行こう。ようが変だ」

「まったく」

 アリソン達が車内から消えて、

「なに……?」

 起きたばかりのフィオナがベネディクトにたずねた。ベネディクトが答える。

「まだ分かりませんが……、なんだかすんなりはいかないようです」


 バー・サロン車両の、さいこう部分。乗降口まえの廊下で、ストーク少佐はしゃがみながられんけつ部分をうかがっていた。

「何よ?」「何ですか?」

 アリソンとヴィルが、車内からドアを開けて廊下に出てきて、ストーク少佐は、

ほろの前に出ないように」

 そう言いながら手を伸ばして二人を押しとどめた。ストーク少佐が進行ほうこう右側の乗降口前に、アリソン達は反対側にしゃがみ、中央にある連結部へとこっそり顔を出す。揺れる幌の向こうにはさくもなく、車輪からの騒音と風が巻き込む音が渦巻き、レールが後方へと流れ去っていた。

「何かを見たって言いましたね?」

 ストーク少佐が聞いて、アリソンも騒音に負けないように大声で答える。

「緑の点よ。でも、ちがいかもしれないわよ」

「飛行機りなら、目はいいんでしょう?」

「まあね」

 ベネディクトとフィオナが現れ、ヴィルに何が起きているのか訊ねた。ヴィルがまだ分かりませんと正直に答えているとき、

「……ちくしようめ。──早すぎる」

 ずっと後ろを注視していたストーク少佐が、腕時計をちらりと見て小声であくたいをついた。

 カーブがうねる線路の先に、ついせき列車の機関車が迫る。


「あ。──なるほど、自分の目は信じるものね」

 アリソンの何気ない言葉。

「やっぱり何かが──」

 ヴィルが聞きかけて、

「ああ。確認しましたよ。列車だ。機関車が見えました」

 ベネディクトが言った。交互に頭を出したフィオナやヴィルの目にも、カーブを越えるたびに近づいてくるついせき列車が見えた。

「あれは、軍の車両ですね。ひょっとしたら話を聞きつけてけいに来たのかもしれません」

 近づく列車を見ながらベネディクトが言った。アリソン達は廊下から交互に首を出して、再びその姿を確認した。その間ストークしようは、

「…………」

 廊下の壁に左手をついて、まるでうなだれているように床を見ていた。

 百メートルほどの距離に迫った追跡列車の機関車に、兵士が姿を現した。そして一度カーブでその姿がかくれ、直線に戻ってまた見えたとき、その兵士が信号だんを打ち上げた。

 緑色の光が、白い煙を引いて斜め横に飛んでいく。

「合図だわ。意味は?」

 アリソンが聞いて、

「さあ、分かりません」

 ベネディクトが正直に答えた。

「あなたは分かる?」

 アリソンがろう反対側にいる男に、ストーク少佐に聞いた。四人が彼を見て、ストーク少佐は静かに顔を向ける。

「停車せよ、との合図だと思います」

 静かな表情で答えながら、ストーク少佐は自分の右腰に手を伸ばした。そこにあったホルスターのふたを開けて、けんじゆうを引き抜いた。黒光りする軍用の自動拳銃が現れる。既にたまが込められていて、ハンマーが上がっていた。後は安全装置を外すだけでてる。

「な、何を──」

「しかたがないのです」

 ベネディクトの言葉をさえぎって、ストーク少佐はその拳銃を静かに持ち上げた。そして目の前の四人に銃口が向かないように上を向けて、そのままゆっくりとれんけつへ運び、迫っている機関車へと向けた。親指で安全装置をおろす。

「みんな車内に戻りなさい!」

 叫ぶと同時に、ストーク少佐は撃った。乾いたれつおんが列車のそうおんに加わり、はじけ飛んだからやつきようほろに当たってレールに落ちていく。ストーク少佐は左手で手すりにつかまりながら、右手だけで、一秒に二発のペースで撃ち続けた。

「何ごとよ!」

 かたみみふさぎながら、アリソンは手前にいたヴィルを片手で引っ張り起こして下がった。ベネディクトは小さく悲鳴を上げたフィオナを抱きかかえた。

 たれただんがんのいくつかが、五十メートルほどにまで迫っていた機関車のさきに当たり小さな火花を散らした。デッキに出ていた兵士達があわてて車体わきに伏せた。機関車がブレーキをかけたのか、距離が離れていく。

 四秒半のとうとつしやげきが終わり、けんじゆうのスライドが下がりきって止まる。ストークしようれんけつから身をかくしながら、ぜん撃っただんそうを素早く外して、ホルスターの前についていた予備弾倉を引っぱり出す。素早い手つきで拳銃にたたき入れて、スライドを指で引いて離した。弾丸をくわえ込んでスライドは戻る。

「みなさん車内へ!」

 ストーク少佐がそう言って、目の前のベネディクトにドアを開けて車内に戻るように指さした。ベネディクトがフィオナを抱えたまま、ドアをり開けてソファーが並ぶ車内に。アリソンとヴィルが続いた。

 ストーク少佐は中央部分を一気に飛び越え、車内に入った。

 五人がバー・サロン車両のほぼ中央まで戻って、

「ストーク少佐、なんのつもりですか!」

 ベネディクトが叫びながら聞いた。ストーク少佐はにがにがしい顔であくたいをつく。

「くそっ。──情報は正しかったようです」

「なんの情報です?」

 ベネディクトが再び聞いた。ストーク少佐は少し落ち着いたようで、

「テロル氏あんさつもくやからですよ……。それも我が方の人間です。非常にばくぜんとした情報でしたけどね。ロクシェの軍事さんぎよう大手のテロル氏をいろいろな理由でうらどうほうは多い」

「……ストーク少佐! あなたはなぜそれを最初に──」

 ベネディクトの怒り混じりの言葉を、ストーク少佐が静かな調ちようさえぎる。

「言えると思いますか? 私だって〝一応知っておいてほしい〟程度の扱いで首都を出る直前に言われただけですよ」

「しかし、それなら運行を停止するくらいはできたはずです!」

「あなたはきようはくされたからといって、一切の外出を控えますか? カー少佐?」

「せめてしゆうせきでそれを言ってくれれば!」

「どのように? 〝同胞が馬鹿をしでかすかもしれないから、殺人者が混じっているかもしれないけど全員でここにいましょう〟と?」

「…………」

 ベネディクトが押し黙って、

けんはやめなさい!」

 アリソンが叫んだ直後、びびびびびしっ! と木が何本もいつせいに折れるような音が、車体後部から聞こえた。

「何よ今の?」

 アリソンが聞いて、

れんちゆうですよ。かんじゆうってきました。みんなもっと前に」

 ストークしようの返事。全員に手のひらを向けて押すぐさをした。

 フィオナとベネディクトがピアノの脇を通り過ぎた。ベネディクトはバーの前でフィオナをしゃがませて、後ろの三人を待った。そして、

「どうするつもりですか?」「どうするのよ?」

 ベネディクトとアリソンが同時に言った。ストーク少佐はけんじゆうをホルスターにしまいながら、

「やつら、乗り込んで列車を乗っ取る気です」

「そんなのは見れば分かるわよ!」

 アリソンが少し怒り、

「武装へいが乗ってきたら、しろはたを上げるしかありません」

 ベネディクトはやや冷静に言う。窓に顔を寄せて後ろを見て、

「連中、すぐにまたつっこんでくるでしょうね。どうします?」

 ストーク少佐は口では答えず、くるりと振り向いてバーカウンターに近づいた。そこにお腹を載せて、たなへと身を乗り出す。

「この車両、私の退たいしよくきん全部でもべんしようは無理でしょうね」

 笑顔でそう言いながら、手には酒のびんを持って再び振り向いた。寒い国で飲まれている、アルコールすうが極めて高い酒だった。ラベルの下に赤い字で、〝キャンドルがあるテーブルでは飲まないように〟と注意書きがある。ストーク少佐はキャップをひねって開けて、それを車内に振りき始めた。アルコールの臭いが、車内に一気に立ちこめる。

「い、いいんですか?」

 行動を理解したベネディクトが躊躇ためらいがちに聞いて、

「生き残るためならなんでもありよ!」

 アリソンは行動に移る。バーカウンターを軽々と乗り越えて、棚の下にあった同じ瓶をつかんで二本ほうった。ヴィルとベネディクトが受け取って、同じようにソファーやまどわくく。その間アリソンは自分でも一本のキャップを開けて、バーカウンター内にあったおき用の布を差し込んだ。瓶を逆さまにすると、布に酒がじわじわと染み込んでいく。

「また近づいてきたわ! 兵士が先頭に乗ってる!」

 窓にほおをつけて後ろを見ていたフィオナが叫び、

「分かりました。──もう行け」

 ベネディクトはもう行け、だけをベゼル語で言って、近くにいたヴィルの背をたたいた。そして、

「ストーク少佐も」

 ベネディクトはフィオナを連れて、食堂車へと消えた。

「分かっていますよ」

 しつこくのグランドピアノに酒をかけていたストークしようが、からびんを放り出した。振り返った彼の鼻先に、

「ほら」

 アリソンがプレゼントを突きつけた。先ほど作っただね用の瓶。ストーク少佐が笑顔で受け取りながら、

「おや、なんと気の利いたおじようさんでしょうか、あなたは」

かんたんぶんなんていいから早くしなさい!」

 アリソンは言い終えるとすぐに振り向いて、自分を待っていたヴィルの背中を押しながら食堂車へ向かった。

 ストーク少佐は、二人の背中を見送った後、

「ははっ!」

 一人車内で楽しそうに笑った。次にバーカウンターに右手を伸ばし、高そうな銀製の箱に入っていたマッチを一本しつけいする。はこ側面でって生まれた火を、横にして持った瓶の口へ。

 布を静かに燃やすほのおを、ストーク少佐はグランドピアノに近づけた。触れると同時に着火して、れていた部分に青白い炎のもんが走った。

 ストークしようは目の前の床にびんを放る。ゴトンという音と共にじゆうたんにも火がつき、すぐにソファーやカーテンに燃え広がった。

「…………」

 ストーク少佐は目の前のほのおに満足そうに微笑ほほえむと、れんけつへの出口に向かい体を左にひねる。ドアのレバーを左手に持ち、同時に右手でホルスターからけんじゆうを抜き、

ちんです!」

 窓を立て続けにった。ガラスが砕け散り、新鮮な空気が車内に舞い込んでさんを供給する。

 ストーク少佐は最後に、今は床の上に転がっている、着火に使った瓶を撃った。

 ドアをくぐりながらホルスターに拳銃をしまう男の背中で、飛び散った酒にいんした炎が舞い踊った。ドアが閉まり、りガラスが反射で赤く染まる。


 線路の上を、大陸おうだん特急が走っていた。

 さいこう車両から灰色の煙をたなびかせながら走っていた。火事が起きている車内では、真っ赤な炎がどんどん大きくなっていく。グランドピアノが炎のオブジェになっていた。

 そのすぐ後ろに迫っていたついせき列車が、直線路で煙に包まれた。ディーゼル機関車の先端デッキでかんじゆうを構えていた兵士が、激しくき込んだ。

 脇でだんがんを補充していた兵士が、デッキにしゃがみながら大声を出す。

「おい、一体どこを撃った?」

 撃った兵士もしゃがみ、すぐに言い返す。

「言われたとおり、かくで屋根を撃っただけだ!」

「くそっ! 中から火をつけやがったな」

 兵士はいまいましそうに叫び、こうつけ足した。

「列車は制圧されていないのか? 少佐はいつたい何をやってるんだ?」


 ストーク少佐は、歩いていた。食堂車の後方じようこうぐち前、バー・サロン車両からの連結口近くにいた四人に、ほろをくぐって近づいていた。走行しているおかげで、煙はこちらには来ない。

「よく燃えているようです。車両さいは恐いですね。しかしこれで、簡単には移ってこられないでしょう」

 ストーク少佐がのんきとも取れる調ちようで言って、

「まさかあれ、こっちの車両に燃え移るなんてことはないでしょうね?」

 ベネディクトが聞いた。

「ずっと燃えていればありえますね。木製の車両は実によく燃えますから」

「…………」

 嫌そうな顔をして黙ったベネディクトに、ストーク少佐は、

「でも、そうさせるつもりはありません」

「では、どうするつもりで? それにやがては追いつかれる」

「やつらは同じ路線を追っています。線路上に障害物を設ければいい。二つの問題を同時に解決させます」

 ストークしようそくとうした。ヴィルが、

「どうやってですか?」

「そんなの簡単です──」

 ストーク少佐の言葉を、

「燃えている車両を切り離せばいいだけよ」

 アリソンが引き継いだ。ストーク少佐は楽しそうに視線を向けて、

「ご名答」

 人差し指を一本立てた。


「アリソン、車両を切り離すって簡単に言っても──」

「どうせヴィルはお酒飲まないでしょ。それに燃えているし。もういらないわ」

「いやそうじゃなくて。ぶつけたりしたら向こうの列車もただですまないんじゃ……」

「いいわよ。せっかくの旅行をじやするれんちゆうの列車なんて、だつせんでもなんでもすればいいわ」

「アリソン……。怒ってるね」

「当然よ! 邪魔ばかりしやがって!」

「〝アリソン。汚い言葉はだめですよ〟」

「ごめんなさいおばあちゃん。──邪魔ばかりしてくださって!」

 フィオナを食堂車に座らせて残し、他の四人は、食堂車とバー・サロン車両のれんけつにいた。火事の煙が、ここでも薄く舞っている。ストーク少佐は、車内から急いで持ってきた自分のかばんを左手にげていた。

「あのう、二人とも……、よろしいですか?」

 ストーク少佐がヴィルとアリソンに聞いて、

「はい。どうぞ」「えんりよなく!」

 との答え。

「では言いますよ。この連結部分を外します。まずはほろを外してください」

 ストーク少佐が幌の留め具の位置を指さし、ベネディクトが外していった。

「外した。幌を引っ張るんだ」

 ヴィルとベネディクトが幌を引くと、食堂車側へとたたまれていく。風切り音と共に、外の冷たい空気が舞い込で、煙を散らした。連結部分に残ったのは、双方の車両から突き出して重なる鉄の渡り板だけ。

「次です。それを引き上げてください。落ちないように、手を挟まないように」

「俺がやる」

 ヴィルを制止して、ベネディクトがしゃがんで重い渡り板を両手で持ち上げた。バー・サロン車両のを向こう側にたたみ、食堂車のを手前に。

 車両の間に数十センチのすきができ、れんけつの下をレールとまくらが流れていく。

「ストークしよう……。この連結器、外れるんですか?」

 ベネディクトが顔を上げて聞いた。アリソンとヴィルが交互に下をのぞく。がんじような鉄製のリングを連ねた連結器は、互いの車両のフックにしっかりとかかっていた。さらに遊びがないように、リングの間のネジが締められている。

「走行中には無理でしょう」

「ではどうする──」

「右脇に見える管が分かりますか? それがブレーキの空気管です。こちらの車両側にある赤いコックをひねってしやだんしてください。こちら側だけでいいです。かんしように腕を挟まれないように気をつけて」

 ストーク少佐は指示を出すだけで、その手は自分のかばんの中に伸びていた。ベネディクトはアリソンとヴィルに足を押さえるように頼み、連結器の手前に伏せる。そしてしんちように下へと手を伸ばし、コックを九十度ひねった。

「ふう……。ありがとう」

 ベネディクトが礼を言いながら身を起こす。セーターの腕と胸が油で汚れていた。

「次はどうするんですか? 連結器が外れないと車両は外れませんよ」

「だいぶ燃えてきたわね」

 ヴィルが顔を上げた。アリソンが言ったとおり、バー・サロン車両ないに通じるドアのガラスの向こうは、真っ赤だった。ドアの角がじんわりと黒くなっている。

「そこで私の出番です」

 じゆうたんに置いた鞄に両手を突っ込んでいたストーク少佐が、ゆっくりとその手を引き出す。持っていたのは、たてよこが三センチ、長さが十センチほどの、灰色の厚紙でできた箱だった。店で売っている箱入りバターに似ていた。ただし文字はない。ストーク少佐がぞうに絨毯の上に置いた。

「え? まさか──」

 ベネディクトがぜつするなか、ストーク少佐は少し大きめのまんねんひつのようなえんとうを取り出した。キャップを開けて、その中身を、鉄製のペンのようなものを慎重に引き出した。ストーク少佐はペンをにらみながら、そのキャップ部分をカチカチといくか回転させる。

「何よそれ?」

 アリソンの質問に、ベネディクトが答える。

「箱状のは最新型の軍用ばくやく。そっちのペンは小型げんしんかんだ……」

「え?」

「今いいところですので……、しばしお待ちを」

 ストークしようはそう言いながらペンの調整をして、次にそれを右手でしっかりと持ったまま、左手をかばんの中に突っ込んだ。

「今度は何?」

 楽しそうに聞いたアリソンの目の前で、

「これですよ」

 ストーク少佐がうれしそうに取り出したのは、雑貨屋で普通に売っている荷造り用の布テープだった。

「なんだ」

「役には立ちますよ」

 ストーク少佐はそれをベネディクトに放って、

「向こうの車両のれんけつに、横にして張り付けお願いします。信管す場所を残しておいてくださいね」

 次に爆薬をつかんで放った。ベネディクトが右手と左手で受け取った。そして、

「大丈夫なんでしょうね?」

「まあ、すこし揺れるでしょうが大したことはありません。だつせんはしないでしょう。──私のおくと計算が間違っていなければ」

 ベネディクトはあきれたようで首を振り、爆薬に伸ばしたテープを張り付けた。アリソンとヴィルに、

「二人とも下がって。万が一のために」

「おもしろいから見ているわ」「…………」

 楽しそうに言ったアリソンと、ぜつしているヴィルの見ている前で、ベネディクトは連結器のに爆薬を張り付けた。その上からテープをさらに巻いた。

「終わりました。先に逃げますよ」

 ベネディクトはアリソン達を押しながら、車内へのドアをくぐる。

「どうぞ。私もすぐに行きますよ」

 ストーク少佐は爆薬へとしゃがみ、左手で手すりを掴む。上半身と右手を伸ばし、しんちようにペン先を爆薬に差し込んだ。

「不良品でありませんように」

 そして尻の部分をノックする。


「フィー! 危ないからなるべく列車の前に行くとき! ──ではなく、行きなさい! 爆破があるんです!」

 ベネディクトが叫んだ。フィオナが一度驚いて、走り出す。追いついたベネディクトに、

「何がどうなっているの?」

「あのしよううすうす思っていましたがとんでもないクワセモノです!」

「そう? 楽しい人じゃない」

 追いついたアリソンが言った。

 四人が食堂車の先頭に走りついた。振り向くと、反対側のドアからストーク少佐が、かばんを左手にげて現れていた。その姿はいつけん今日の仕事を終えて家に帰ってきた中年軍人で、焦ることなく後ろ手にドアをしっかりと閉めて、そして車内を歩く。

 四人の視線の先で、ストーク少佐はふいに右腕を横に突き出して開いた。すぐに親指を折り込む。一秒後に人差し指を、ついで中指。

 ベネディクトがフィオナにおおいかぶさるようにしゃがみ、まどわくにある手すりをつかむ。ヴィルとアリソンも身をかがめた。

 小指を折りたたむのと同時に、ストーク少佐は身をひねりながら軽くしりもちをついた。

 ばぼん。

 くぐもったれつおんと、ついとつでもされたようなしようげきが食堂車に伝わった。音と衝撃は一度だけで、車内はすぐに車輪が立てるそれまでの音と振動に包まれる。

「言ったでしょう? それほどでもないですよ。──さて」

 ストーク少佐はすぐに立ち上がり、食堂車右側の窓を大きく下に開けた。頭を出して後ろをのぞく。同じように素早くアリソンが別の窓を開けてへばりつき、ヴィルとベネディクト、そしてフィオナが続いた。

「成功です」

 緩やかにカーブする線路の先。見覚えのある客車が一両、黒い煙をき上げながら、線路をかなりの速度で離れていく。後ろに向かって走っているようにも見えた。

「車両を切り離すとブレーキの空気管が外れて、自動きんきゆうブレーキがかかりますから」

 ストーク少佐が説明した。燃える客車の進む先は、同じレールの上を走るついせき車両。

「さようならー」

 アリソンが小さく手を振って、別れを告げた。急ブレーキをかけた追跡車両の機関車に、まるでりよくで吸い付けられるように、燃える客車がくっついてしようとつした。音は聞こえなかった。

 客車はだつせんせず、追跡車両はしばらく客車を押しながら走る。しかしその速度は急激に落ちた。ゆうだいな谷の景色の向こうへ、あっという間に遠ざかり小さくなっていき、やがて煙がい見えなくなった。

 食堂車の窓から、後ろを見ていた五つの頭がすすすっと引っ込んだ。窓が閉まる。

れんちゆう、あれでしばらくは動けないでしょう。逃げられますよ」

「やるじゃない。おじさん」

 アリソンがうれしそうにめて、

「ありがとうございます。おじようさん」

 ストークしようは手を胸に当て、深々と頭を下げた。


「くそったれ! いいからあの客車をどけろ。せめてたいせんまで押せないのか?」

「無理です。きんきゆうブレーキがかいじよできません」

「とにかく火を消せ! その後ばくして破壊しろ!」

「用意していませんよ……」

「全員で押して突き落とせ!」

「無理言わないでください……」

 燃える客車から距離を置いて、ついせき列車が停止していた。ふくめんの兵士達が、線路わきで車体をめ尽くす巨大なほのおと、もうもうと立ち上る煙をながめていた。持っている小型消火器では話にならないことは明らかで、それ以前にせいで客車に近づくこともできない。

 先ほどから怒りしんとうの一人が、再びあくたいをつく。

「くそっ! どうなってやがる。これはがら確保どころの騒ぎじゃないぞ……。ふもとまで逃げられたら計画はおしまいだ」

 先ほどからられてばかりの一人が、恐る恐るたずねる。

「……我々はどうしますか?」

「仕切り屋のけんぺいれんちゆうはどうした? クレインちゆうは?」

「先ほどこれから着陸して第二班と合流するとの最後の連絡が。順当に行けば頭を押さえられます」

「やつらに期待するしかないのか……。ええいいまいましい!」

 客車の炎はますます勢いを増し、時折れつおんが聞こえた。


    *  *  *


「そのとおりです。妨害こうさくが認められました。悲しいことですが、我が軍の仲間に犯罪者が混じっています。げき退たいしたので後方は安全です」

 食堂車の端についているしやしようちようしつで、ストーク少佐はイスに座り、ヘッドセットを耳につけ、テーブルの上にえ付けられた鉄道無線を使って機関士と話していた。その姿を、残りの四人が突っ立って眺める。

「さっきも言いましたが、麓までは何がなんでも逃げます。速度は緩めないように。多少の障害物はえんりよなくはじき飛ばしなさい。これは人間でも同じです」

 さらりとざんこくなことを言って、

けんとうを期待します」

 ストークしようは無線通話を終えた。スイッチを切ってヘッドセットを取る。顔を出口の扉に向けると、ベネディクトが恐い顔でにらんでいた。

 四人の後を追って、ストーク少佐も食堂車の車内に戻る。まずは全員がイスに座った。左側に並んで四人と、向かい合って一人。

 まゆを寄せたベネディクトが口を開く。

「ストーク少佐……。いくつか質問が」

「なんでしょう?」

「あなたのきようでは、普段からばくやくかばんに入れて旅をする習慣が?」

 ストーク少佐はにくにも動じず、たいしよう的ににこやかな顔のまま、

「言ったでしょう? 警備ですから。万が一に備えていただけです」

「信じると思いますか?」

「信じてくれるとうれしいです」

「答えになっていません!」

 ベネディクトが声を荒げて、そして本日三度目の、

けんはやめなさい!」

 アリソンの注意。ベネディクトがため息をついた。

 ヴィルからほんやくを聞いていたフィオナが、

ふもとに着いた後にしましょう、ベネディクト」

 優しい調ちようで言って、

「分かりました。そうですね」

 ベネディクトは軽く右手でけいれいをした。そして一度ふうっと息を吐き、視線をあつじゆうたんへとおろす。フィオナの左手が、ベネディクトの肩に載せられた。

 ストーク少佐はゆっくりと立ち上がるとまどわくに寄りかかり、カーテンを引いた。しん右側の谷をながめ、その一度うで時計を見た。

「このまま何もなければ大丈夫です」

「あなた、さっきもそう言ったわよ」

 アリソンが笑いながら言った。ヴィルは黙ったまま、男が時計を見たさまを見ていた。

「でしたっけ?」

 ストーク少佐が一度照れ笑いを見せて、身をかがめて窓の外へ顔を向ける。谷の向こうで、とがった岩山が並び立ち、斜面に白い雪をがくようのように残していた。

れいな景色です。我が国の、スー・ベー・イルの宝の一つです」

 アリソンがイスから立ち上がって、

「景色を見ましょ」

 ヴィルの手を引いた。

 ヴィルは笑顔で立ち上がり、二人はテーブルを避けて窓側に。ストークしようは、

「…………」

 そのようをずっと目で追った。

 アリソンはカーテンを開いて固定し、ヴィルと一緒に、一つの窓から景色を見る。

「どう?」

 アリソンが、ただそれだけをロクシェ語で聞いて、

「うん。れいだ。来てよかった」

「あんなことがあっても?」

「うん」

「大変よろしい」

 フィオナはまどわくに並ぶアリソンとヴィルの背中を見ながら、小さく静かに笑みを作る。そして、

「…………」

 二人を横目で見るストーク少佐の顔で視線が止まった。眼鏡めがねをかけた男の表情は、どこかもの悲しげだった。口元を引き締め、まぶたを少し落とし、寂しそうな気分をかくそうとしていない。仲良く並ぶ二人と同じ車両にいるのに、その間に鉄の壁でもあるようなふんだった。フィオナは、明るい窓の外を忘れ、しばし三人をながめ続けた。

 やがてフィオナは、ふと何かを思い出し、右手を自分の腰に当てる。そこにあるポーチを探し出した。そして、

「…………」

 中身のカメラを取り出すことはなく、ゆっくりと手を下ろした。

「寒い? 窓開けていい?」

 アリソンがヴィルに聞いて、ヴィルはすぐに自分で窓を開ける。上の部分を押し下げた。

 風が入って、アリソンの長いきんぱつを揺らす。それが包み込むようにヴィルの顔をおそって、

「わ──」

「あ、ごめんごめん。位置交換」

 アリソンはヴィルの体を引っ張り、自分は後ろを通って左右を入れ替えた。

「あなた達は──」

 ストークしようが、まどわくに並ぶ二人に話しかけた。ヴィルとアリソンがストーク少佐を見て、

「……えっと、とても仲がいい」

 ストーク少佐の発言。アリソンが少し笑いながらもあきれて、

「なにそれ?」

「いや、なんでもありません。ふと思っただけですよ。──それより、景色を楽しんでください」

 ストーク少佐が、三百メートルほど離れた谷の反対側を指さした。斜面は相変わらず急だが、標高が下がってきたのか、草や木々がちらほらと増え始めている。見下ろす谷底では、大きな岩が転がるけいりゆう

「うん。れいね」

 アリソンが言った。

「このままこの渓流ぞいに線路が走ります。そしてしばらく行くと、谷にできた細長い湖の脇を通ります。これはおお昔にだい規模なやまくずれによって自然にできあがったダム湖で、非常に珍しい存在です。おだやかであおい湖面がとても綺麗なことでも有名です」

 ストーク少佐が、窓枠に背中をつけ寄りかかったまま、観光ガイドを始めた。

「今から三百年ほど前のことです。この辺りの沢では砂金が取れると評判になり、たくさんの人間がやってきました。でもすぐにかつしておうごんきようの夢は全てまぼろしに終わりましたが、その湖の底には、大量の砂金が層になって沈んでいると信じて疑わない人が今もいます」

「ふーん」

 アリソンが相づちを打って、そして外を見たまま、

「ガイドさん。一つ聞いていい?」

「何なりと」

「谷の反対側にもレールがあるの?」

「え? ──ええ、ありますよ。この辺りはいくつも線路が敷かれましたからね。でも、向こう側は斜面がきついので、落石や雪崩なだれ防止のためにトンネルが多い」

「なるほど。なつとくしたわ」

「なぜそのようなことをおたずねに?」

「だって──」

 アリソンが答える。

「反対側の斜面に、たまに穴がいくつも並んでいるからよ」

「ああ。それはトンネルの空気あなで、じよう機関車だけだった頃の名残なごりです。目がいいですね」

「もう一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「道はないのよね?」

「ありませんよ」

 ストーク少佐はうれしそうにアリソンを見ながら言った。アリソンも、顔をストーク少佐に向けた。

「じゃあ、今トンネルから出てきたあれは何? ──せんしやみたいだけど」