Part 01: 入江: ……とりあえず一通り診断を行いましたが、特に気になる点は見当たりませんでした。 入江: 外傷もないようですし、普段通りの生活を送って問題はないでしょう。 言葉: ……ありがとうございます、先生。それで、あの……。 入江: はい……? どうかしましたか? 言葉: 私、今日は保険証を持ってないのですが……診察代を、どうお支払いすれば……? 入江: ははっ、大丈夫ですよ。本来はよくありませんが、今回は処方箋も発行しませんので……なかったものとして取り扱わせていただきます。 入江: 魅音さんたちから聞いた話だと、止むに止まれぬご事情があったとのことですからね。 言葉: で、でも……こうしてちゃんと診てもらった以上、そういうわけには……えっ? 美雪(私服): 桂さん……気持ちはわかるけどここは大人しく、入江先生の言う通りにしておいたほうがいいよ。 美雪(私服): 第一支払うにしても、「その」紙幣を出すわけにはいかないでしょ? 言葉: あ……そ、それもそうですね……。 菜央(私服): けど……まさか、桂さんたちの時代だと千円札の肖像画が「あの人」になるなんてね。さっき見せてもらって、ちょっと驚いちゃったわ。 美雪(私服): んー、むしろ私は五千円札の肖像画が女性になったことの方がびっくりだったよ。 美雪(私服): 逆に一万円札がなんで変わらなかったのか、その点についても理由を知りたいところだけどねー。 一穂(私服): あ、あははは……。それはともかく桂さん、あとのことは私たちに任せてください。 言葉: す、すみません……助けてもらった上に、余計なご面倒までおかけしてしまって……。 美雪(私服): まぁまぁ、困った時はお互い様です。……それより桂さん、意識を乗っ取られた時のことは何も覚えてない、って言ってましたよね? 言葉: ……はい。誠くんから電話で直接連絡をもらって、#p興宮#sおきのみや#r駅に来たことはちゃんと覚えてるんですが……。 菜央(私服): よかったら、そのあたりのことについて詳しく聞かせてください。もしかしたら、お力になれることもあるかもしれないので。 言葉: わかりました。えっと……。 言葉: 確かあの時、私は誠くんとの約束の時間よりも少し早く興宮駅に着いたんです。 言葉: ホームと改札口を見ましたが、彼の姿はなくて……まだ来てないと思い、ベンチに座って次の電車が来るのを待ってました。 言葉: ですが、時間を過ぎてからも到着した電車からは誰も降りてこなかったので……ひょっとしたら駅の外で待ってる可能性も考えて、改札を出たんです。 美雪(私服): ふむ……なるほど。それで桂さんは、伊藤誠さんがいないか駅前を探して回った……と? 言葉: そうです。……ただ、やはり誠くんはいませんでした。だからもう一度、駅に引き返して……っ……? 一穂(私服): っ……どうしたんですか、桂さん?頭を抱えてうずくまって、どこか具合でも……? 言葉: いえ……大丈夫です、すみません。その時のことを思い出そうとしたら、黒いもやが頭の中を覆い隠すみたいになって……。 美雪(私服): ということは、その時に誰か……あるいは何かの接触か干渉があったと考えたほうがよさそうだね。で、気がついたらあの教室の中にいた……? 言葉: ……はい。その間に何があったのか、どこを移動して何をしてたのかは……全然……。 入江: ……桂さん、でしたね。医師として診断する領域を越えていると理解した上で申し上げますが、あまり無理に記憶を探ろうとしないほうが良いでしょう。 入江: 黒いもやの正体が無意識による自衛本能なのか、外的な制限なのかはともかくとして……脳や心に負担がかかっては、元も子もありません。 入江: 真相を突き止めたいというお気持ちはわかりますが、ここは彼女のお身体を第一に考えるべきだと思います。……どうですか、赤坂さん? 美雪(私服): ……ですね。あの教室に現れたのはほぼ間違いなく『ツクヤミ』だとしても、その顕現が何者によってなされたのかは、調べようがないわけだし。 一穂(私服): すみません、桂さん。あんな目に遭った直後に、辛いことを思い出させてしまって……。 言葉: い、いえ……むしろ、あの状況を助けてもらっただけでも本当に感謝してます。 言葉: 私……こういう性格のせいか、周りの人に嫌な思いをさせることが多いみたいなので……。 言葉: こんなふうに、誠くん以外に優しくしてもらったのはあまりなくて……すごく嬉しいです。 美雪(私服): んー、嫌な思いってのは全然しないけどなぁ。ぱっと見でも美人だし、胸だって……胸……。 美雪(私服): ……おぅ、なんかそこはかとなくダメージが。 菜央(私服): やめなさいよ、みっともない。……それはともかく桂さん、もしよかったらしばらくの間うちに来ませんか? 言葉: えっ……い、いいんですか?でも、いきなり見ず知らずの人間が押しかけたら皆さんのご家庭にご迷惑が……。 美雪(私服): あー、心配してくれなくても大丈夫ですよ。ちょっと事情があって私たち、ある人から家を借りて3人で暮らしてるんです。 美雪(私服): それもあってこれまでにも、村の外だの別の「世界」だのの人たちに泊まってもらったり食事を一緒にしたりしてるので、全然平気です♪ 菜央(私服): ちなみに西園寺さんと清浦さんは、魅音さんのいる園崎本家でお部屋を借りるそうです。桂さんも一緒で構わないそうですが……どうしますか? 言葉: ……。そういうことでしたら、差し支えがなければ皆さんの家にお邪魔させてもらえると嬉しいです。あっ……もちろん、お宿代はちゃんとお支払いします。 美雪(私服): あははは、そんなのはいいですよ。さっきも言ったように私たちも、人から借りてご厄介になってるんですから。 美雪(私服): ……んー? でも未来のお金を預かるってのは、それはそれで面白いかもね。使えるのはかなり先になりそうだけどさ。 菜央(私服): だから、やめなさいって。あんたの冗談はリアリティがありすぎるから、聞く人によってはわかりづらいのよ。 一穂(私服): あ、あははは……。 言葉: くすっ……ふふ……。 Part 02: 言葉: ……ご馳走様です。お夕飯、とてもおいしかったです。 美雪(私服): あははは、どうもお粗末様です。といっても、ありあわせの食材で作った料理ばかりだからご馳走と呼ぶには物足りなかったかもしれませんが。 言葉: いえ、そんなことないです。どれも丁寧に味付けと下ごしらえがしてあって、すごいと思いました。 言葉: 私は、料理が苦手なので……お上手なお二人のことが、とても羨ましいです。 菜央(私服): ……悪い意味で捉えてほしくないんですがちょっと意外でした。桂さんって最初の印象だと、そのあたりが得意そうなイメージでしたから。 言葉: ……はい、よく言われます。このままじゃいけないとよくわかってるので、努力はしてるつもりなんですが……。 美雪(私服): いやいや、無理はしなくていいと思いますよ。誰でも得手不得手があって、当然ですしね。 美雪(私服): 実際、吊し上げをするみたいで申し訳ないけど……一穂だって、料理は苦手だったりするんですから。だよね、一穂? 一穂(私服): ご、ごめんなさい……いつも美雪ちゃんと菜央ちゃんに、頼ってばかりで。 菜央(私服): だから、謝ったりしないでってば。あんたがそうやって申し訳ない感じの顔をしちゃうと、桂さんが余計に気にするじゃないの。 一穂(私服): ご、ごめんなさっ……あうぅ……。 美雪(私服): まったく……それに、いつも言ってるよね?料理ができないのは欠点じゃなく、ただの個性だって。 美雪(私服): 一穂は料理ができなくても、『ツクヤミ』との戦いでいつも私たちのことを助けてくれてるんだから。持ちつ持たれつ、気にしちゃダメだって……ねっ? 一穂(私服): ……ありがとう、美雪ちゃん。菜央ちゃんも……いつも、ありがとうね。 菜央(私服): そうやって素直に気持ちを伝えてくれるのも、一穂ならではって感じかしら。……もちろん、悪い気はしないんだけど。 言葉: ふふっ……3人とも、仲良しなんですね。私は、そういうお友達がいないので……すごく、羨ましいです。 美雪(私服): ……。お聞きしてもいいかどうかわからないから、答えたくなかったらノーコメントで構いません。 美雪(私服): 桂さんって……西園寺さんたちと、どういう関係だったりするんですか? 言葉: …………。 菜央(私服): その……なんとなく桂さんって、あの2人と一緒にいるのが辛い感じに見えたので……。あたしたちの勘違いだったら、すみません。 言葉: あ、いえ……。 言葉: 最初は、仲が悪くなかった……とは、思います。今お付き合いをしてる誠くんを紹介してくれたのは、他ならぬ西園寺さんですし。 言葉: 清浦さんも、あまりお話をしたりはしませんが……体育の時は、運動が苦手な私のことを気遣ってくれるとても優しい方です。ただ……。 一穂(私服): ……? 何か、あったんですか? 言葉: ……あの人たちのせいじゃないんです。実は私、誠くんとお付き合いする前から男の人が少し、苦手で……。 言葉: 彼に対して、すごく緊張したり……親しく接してこられるのを強く拒んだりして、嫌な思いをさせることがあったんです。 言葉: そのことで悩んだ誠くんが、親しかった西園寺さんに相談を持ちかけたって話を聞いて……それで……。 美雪(私服): あー……うん、なるほど。なんで自分に直接言ってくれなかったんだ、って考えちゃったわけですね。 言葉: 誠くんのことは、もちろん大好きです。でも、どうしても幼い頃から残ってる傷のようなものが彼の全てを受け入れてくれなくて……。 言葉: だから、誠くんが西園寺さんに相談するのは仕方ないことだとわかってる……理解できるんです。 言葉: でも……それを認められなくて、あまつさえ西園寺さんたちに嫉妬してしまう自分が悔しくて、悲しくて……っ……。 一穂(私服): 桂さん……。 言葉: っ……ごめんなさい。こんなこと、皆さんに言ったところで困ってしまいますよね……。 言葉: ……情けないです。今回の件だって、元はと言えば誠くんに誘われて考えもなく来てしまったことが原因なのに……。 言葉: でも……でも私は、誠くんのことが……っ……。 菜央(私服): ……気にしないでください。人を好きになるって、そういうものだとあたし……よくわかってます。 菜央(私服): 周りから見れば……いえ、自分でさえ冷静になればすごく愚かしくて、無駄ばかりなことをしてるように思えてしまうことだってある。 菜央(私服): けど……止められないんですよね?その感情ってきっと、理屈とかじゃないから。 菜央(私服): あたしのお母さんも、もしかしたらそんな気持ちで……それで……。 言葉: ……菜央、さん? 菜央(私服): っ……ご、ごめんなさい。桂さんの話を聞いてたはずなのに、つい自分のことを話しちゃって。 菜央(私服): でも……きっと、桂さんの優しい気持ちは彼氏にも伝わると思います。 菜央(私服): というより、通じないとおかしいです。だって桂さんは、そんなにも彼氏やお友達のことを気遣ってるんだから……。 言葉: …………。 言葉: ありがとうございます、菜央さん。それを聞かせてもらっただけでも私、この「世界」に来た意味があったと思います。 言葉: あの……もしよかったら、ここにいる間だけでも私をあなたたちのお友達にしてもらえませんか? 美雪(私服): あははは。ここにいる間だけでも、って水臭いですよ。だってもう、私たちは友達じゃないですか。……だよね一穂、菜央? 一穂(私服): うんっ。せっかく知り合ったんだから、短い間だけでも仲良くできると嬉しいです。 美雪(私服): それに元の「世界」に戻った後、どこかでお会いできる可能性もゼロじゃありませんよ。んー、桂さんがいる時間軸だと……私たちって何歳? 菜央(私服): さぁ? 美雪だったらとっくに年老いて、その頃はミイラになってるかも……かも。 美雪(私服): なんでさー! 私の年のとり方は犬か猫並みかっ? 言葉: ふふ……ありがとう、皆さん。 一穂(私服): …………。 Part 03: …………。 公由さん、赤坂さん、鳳谷さん……心優しいあの子たちにはとても申し訳ないのだけど、私は少しだけ……嘘をついた。 もちろん、西園寺さんや清浦さんに対しては本心から申し訳ないと思っている。 私のせいで、嫌な思いをさせているかもしれないということも……十分すぎるくらいにわかっているつもりだった。 だけど……それでも私は、この想いを譲ることができない。 なぜなら私は、彼のこと……伊藤誠くんのことを本当に愛しているからだ。 その想いを諦めるくらいなら、全てを捨ててしまうほうがずっといい。 そして、その幸せを他人が享受しているのをこの目で見るくらいなら、いっそのこと……ッ……。 言葉: ……っ、また……私は……。 狂気に侵されて、理性を手放してしまいそうな自分の心を励ましながら……私は大きくため息をつく。 ……思い出すのは、数日前。村外れの粗大ゴミ置き場で、西園寺さんと対峙したあの時だ。 一瞬のスキをついて西園寺さんを組み敷き、凶器を振り上げた私は……実は一瞬だけ我に返って正気を取り戻していたのだ。 世界: や……やめっ、桂さんっ……!? 驚愕と恐怖に目を見開いた彼女の顔を見て、私は思わず口元にほころびを覚えていた。 そう、愉しかったのだ。何でもできて彼の信頼を得ている彼女を見下ろし、いつもと異なり圧倒的優位に立っていることが……! 世界: っ……ぐっ……ぅ……。 倒れた時の当たりどころが良くなかったのか、西園寺さんはうめき声を上げて気を失ってしまう。 ……チャンスだ。ここで「これ」を彼女の腹に突き立ててしまえば、最大の「不安」が消える。幸せを、この先まで守り抜くことができる。 操られているのだから、私にはどうしようもない。そう言い訳をすれば許される、罪を逃れられる……ッ! 一穂(私服): なっ……何をしてるんですか?! 言葉: ……っ……!? 見られた……見られたっ?今、自分が笑っているところも、全部っ……!? ……それを悟った途端、私は全身から血の気が引いていく音を耳の奥で感じる。 そして思考が止まり、自分の胸のうちに湧き上がって黒く覆い……食らい尽くしていく狂気の感情の存在に戦慄した次の瞬間――。 私の意識は、今度こそ完全に……闇の中に堕ちた。 言葉: ……っ……。 ……恐ろしい。もしあの時、公由さんが声をかけてくれていなかったら……私はきっと、取返しのつかないことを実行に移していただろう。 思い出すだけでもおぞましくて、信じられなくて……気が遠くなるほどの戦慄が蘇ってくる。 まさか自分の心の奥底に、これほどまでの攻撃的な衝動が宿っているなんて……! 言葉: 行ってきます。……って、きゃあぁっ? 折から吹き抜けてきた風にスカートが舞い上がりそうになって、私は悲鳴を上げながら慌ててその裾を押さえる。 幸い、周囲には誰の姿もない。中を見られずに済んだことを確かめてから……私はほっと安堵の吐息をついた。 言葉: (また、元の生活に戻ってくることができた……あんなことが、もう二度と起きませんように) そして願わくば……あの黒い感情が絶対に、表に出てくることがありませんように。まして、誠くんの見ている前では……! その願いと誓いを込めて、私は通学路を歩いていく。……そして愛する人と再び顔を合わせることのできる日常の幸せを、ひとり噛み締めていた。