Prologue: ……では、物語を始めましょう。少し不思議だけど、どこにでもあるような神様たちのとある日常です――。 それは、とある暑い夏の日。山奥の古い大樹の前に、ひとりの神様がこの「世界」における姿を顕現させて降り立ちました。 そして、神様……#p田村媛#sたむらひめ#r命は、大樹の隅にちょこんと設置された祠の前に何かが置いてあることに気づきました。 田村媛命: ふむ……これは、供物#p哉#sかな#r。 なにやら気配を感じたのはこのお供え物だったのかと納得し、田村媛命は祠へと足を運びます。 田村媛命: 誰が持参したのかは知らぬが、なかなかに感心な心がけ#p也#sなり#rや。 田村媛命: どれ、まだ傷んでおらぬのであればひとつつまんで……む? そう呟きながら、手を差し伸べようとした田村媛命は怪訝そうな表情で動きを止めます。 なぜなら置かれた楕円形の小さなものは、5つ。それぞれに文字らしきものが書かれた紙が貼られて、しかもその側には手紙が添えられていました。 『当たりはどれかな~?正解はおいしくて甘ーいおはぎ!ハズレには……ふふふ……』 ……可愛らしい文字で綴られていましたが、その内容は神様に宛てたものとは思えないほど実に不遜で、からかうような文面です。 それを読んだ田村媛命は、当然のように不機嫌な思いになりました。 田村媛命: なんと、神であるこの吾輩を試すつもり哉……?不敬な輩、褒めて損した也や……! 腹立たしげにそう吐き捨てる田村媛命でしたが、目の前にあるおはぎはとても気になります。 それに、この手紙に書かれてある通りならば中には普通のおはぎがあることも確かなのです。 にもかかわらず、どれにも手を付けることなく全てを腐らせてしまうのはよくないのでは?……などと、豊穣を司る神様は思ってしまいました。 もったいない精神は素晴らしいことですね。さすがは神様です。ぱちぱちぱち。 田村媛命: 実際、おはぎ自体には何も細工がなくて……あとから来た何者かが戯れに紙を仕掛けた可能性もなきにしもあらず也や。それに……。 明らかに、これはあからさまな挑発です。なのに、あえて逃れるのは神としての矜持に差し障るものだ……田村媛命はそう考えました。 ……あ、もう展開と結末は読めましたね。では皆さん、合掌の準備をして経過を見守りましょう。 田村媛命: ……よかろう、これも暇潰し哉。どれ、神である吾輩の神通力とやらで愚かな企みなど見通してやる也や。 そう自らに言い聞かせて、田村媛命は「い」「ろ」「は」「に」「ほ」と紙が貼られた5つのおはぎに向き直ります。 田村媛命: ……うむ、見えた哉。吾輩の崇高かつ明敏な直感が、この「に」のおはぎこそ至上と察した也や。 言いながら「に」と書かれた紙を外し、その下のおはぎを手に取った田村媛命は自信満々に勢いよくかぶりついて――。 田村媛命: ぐおおおぉぉぉおおっっ?! それはもう見事に、阿鼻叫喚の表現がピタリとはまるくらいの大きな叫び声をあげました。 なんと、彼女が選んだおはぎの中には唐辛子がたっぷりと仕込まれていたのです。……あぁやっぱり踏んじゃいましたね、地雷を。 田村媛命: 焼けるっ! 焼ける焼ける焼ける、口の中が大惨事哉ぁぁぁああっっ! 悲鳴と涙で顔をくしゃくしゃにしながら、田村媛命は芝生の上で哀れなほどに七転八倒。苦しみ喘いで悶えまくっています。 と、そんな中……両の頭に角を生やした少女が草むらから姿を現しました。 少女: 田村媛命~。今日はいいお天気なので遊びに来まし……た……? 少女: って、あぅあぅ?だ、大丈夫なのですか田村媛命?! 田村媛命: つ、つつつ、角の民いいいぃぃぃいいぃっっ?! 羽入(巫女): か、顔が真っ赤で汗びっしょりなのです!まるで、梨花のイタズラでキムチを口いっぱいに詰め込まれた僕のような……はっ?! 羽入と呼ばれた彼女は何かに気づいたようで、袈裟懸けしていた可愛らしいクマさん柄の子ども用水筒のヒモを慌てて肩から外しました。 羽入(巫女): これは麦茶なのです!とりあえず一口でも飲ん――あぅあっ?! 羽入の台詞を最後まで聞き届けるよりも早く、田村媛命はひったくるように水筒を奪い取ってふたを乱暴に取り、口をつけて逆さまにします。 滝のように流れ出た麦茶を、ごくごくと一気に飲み干した田村媛命はしばらくブルブルと身体を震わせていましたが……。 ようやく落ち着いたのか、大きく肩を落として呟くように一言を……。 田村媛命: ね、涅槃がすぐそばに見えた也や……。 そして次の瞬間、ぱたんとその場に倒れてしまいました。 羽入(巫女): た、田村媛ーっ?! 田村媛命: まったく……無礼極まること甚だしき哉!吾輩の供物にとんでもない悪事を働く也や! ……それから数時間後のこと。どうにか正気を取り戻した田村媛命ですが、当然のように酷く怒っていました。 田村媛命: かような無礼な者、見つけ出した暁にはこの田村媛命が神罰をくれてやる也や……覚悟して待っているが善きと知り給えッ! 羽入(巫女): あぅあぅ……そんなあからさまに怪しいおはぎを食べたあなたにも責任があるのですよ。 田村媛命: 何を申す哉、角の民の長!俗世に浸かったことで、供物が吾輩たちにとってどれだけ大切なものか忘れた也や? 田村媛命: 信心のこもった供物は神にとって極上の糧……だからこそ、その真摯さを逆手に取った悪意は断じて許すわけにはいかない哉! 神としてッ! 羽入(巫女): ……結局のところ、おいしそうなものに誘われて意地汚さを発揮しただけのようにも聞こえるのですよ。 羽入(巫女): それにしても……こんな場所にイタズラを仕込んだお供え物をするなんて、いったい何者なのでしょうか? 田村媛命: 皆目見当がつかぬ哉!……よもやとは思うが角の民の長よ、そなたが仕込んだものではない也や? そう言って怒りに身を任せて、田村媛命はじろりと羽入を睨み付けます。 もちろん、身に覚えのない羽入は断固としてその疑いに反論をしました。 羽入(巫女): とんでもない濡れ衣なのですよ、あぅあぅ!そもそもイタズラを仕込んだのなら、来て早々にわざわざ水筒を差し出したりなんかしないのです! 羽入(巫女): これは、今日は暑いから出かける時に持っていけと沙都子がわざわざ用意してくれた麦茶なのですよ~! 田村媛命: む……それも確かにその通り哉。とりあえず非を認めて前言は撤回する也や。 田村媛命: それでは角の民の長よ、そなたは何故この場にまかり越した哉……? 羽入(巫女): 朝からおかしな気配がしたので……田村媛命が来ているのかと思って、様子を見に来たのですよ。少し、話したいこともありましたので。 羽入(巫女): ……とはいえ、着いて早々にあなたがもんどりうっているとは思いませんでした。 田村媛命: かような目に遭わされては、神の身とて悶絶を避けることはあたわざる也や……! 羽入(巫女): あぅあぅ、同じような体験をこれまでに何度もさせられてきたので、気持ちはよーくわかります……。だからこそ絶対、それは僕じゃないのですよー! 田村媛命: ……ずいぶんと実感のこもった台詞哉。どれだけ悲惨な目に遭ってきたのかが窺い知れて、聞いている吾輩の方がドン引き也や。 羽入(巫女): そもそも、おいしいおはぎでイタズラなんてもったいない真似はしたくないのです!むしろ、僕が全部食べたいのですっ!! 田村媛命: ……ふむ、なるほど。確かにそなたのようないやしんぼうが、食べ物を粗末にするとは考えられぬ哉。 羽入(巫女): 誰がいやしんぼうなのですかっ?それに、イタズラをするなら沙都子に相談しても~っと確実に息の根を止めてやるのですよッ! 田村媛命: ……おい待て、角の民の長。それはもはやイタズラの領域を越えた吾輩の暗殺計画になっている哉……? 羽入(巫女): とにかく! 今回は僕じゃないのです!神に誓って……という台詞はこの場合適するかどうかはともかくとしてもッ!! 田村媛命: わかった、相わかった也や。……だが、だとしたらいったい何者がこのような真似を……? 羽入(巫女): あぅあぅ……誰なのでしょう? そんなふうにふたりが首を捻っていると、近くの木陰がわずかに揺れました。 それを感じた彼女たちは、それぞれの動作で視線を向けて……。 羽入(巫女): ああっ? あ、あなたは……?! Part 01: 私たちが魅音さんと詩音さんに呼ばれたのは、分校が夏休みに入る直前の日曜日――。 長い夏休みをどう過ごそうかと、美雪ちゃんと菜央ちゃんを交えた3人で相談していた最中のことだった。 詩音(私服): えー、皆さん。本日は緊急招集にお集まりいただきまして、ありがとうございます。 沙都子(私服): いえ、それは別に構わないのですけど……分校に集合なんて、少々珍しいですわね。 詩音(私服): まぁ、ちょっと事情がありまして……あ、知恵先生の許可は貰っているので大丈夫ですよ。 美雪(私服): 鍵が開いてて不許可だったら、逆にびっくりだよ。……それで、何があったの? 魅音(私服): あったというか、これからというか……とにかくみんなにも、力を貸してもらいたくてさ。 沙都子(私服): なんだか不穏な前置きですわね……まぁ、魅音さんが無茶振りするのは今に始まったことではありませんけど。 菜央(私服): そうね。あたしたちも最近は、ようやく慣れてきたわ。 美雪(私服): んー、それを進歩や成長と受け止めるか妥協と洗脳の産物と諦めるかは個人差があると思うけどね~。 一穂(私服): あ、あはは……。 梨花(私服): みー……それはともかくとして、力を貸して欲しいとはどういうことなのですか? 魅音(私服): 実は、隣の県の女子中学校が近くのキャンプ場で林間学校を開く予定だったんだけど……。 魅音(私服): 使用するはずのそのキャンプ場が、この前の大雨で使えなくなっちゃったんだって。 一穂(私服): えっ……でも、最近って大雨なんて降ったかな? 菜央(私服): 局地的なものでしょうね。暑い日が続いたから、集中豪雨だと思うわ。 魅音(私服): 山間部だと水源が各所にあることもあって、そういった気象被害が起きやすいんだよ。……っと、ちょっと話がそれたから、元に戻すね。 魅音(私服): で、参加は30人程度だからなんとかならないかって代替になりそうなキャンプ場をあちこち探したけど……時期が時期だから、どこも埋まっているらしくてさ。 美雪(私服): まぁ、もうすぐ夏休みだからねー。行楽シーズンに良くある困りごとってやつか。 魅音(私服): で、そんな話を人づてに聞いた私たちが#p雛見沢#sひなみざわ#rをキャンプ地代わりに使うのはどうかな、ってなんとなく思いつきで提案したら……。 魅音(私服): よっぽどツテ探しに困っていたらしくて、ぜひお願いしたいって乗ってきちゃったんだよ。 レナ(私服): はぅ……その学校が困っているんだったら助けてあげたいけど、雛見沢のどの場所でキャンプをするのかな? かな? 詩音(私服): ここです、ここ。 レナさんの質問に答えながら、詩音さんが床をつま先でトントン、と軽く叩く。 一穂(私服): (ここ? ここって……) レナ(私服): ……あっ、わかった。つまり、そういうことなんだね。 菜央(私服): ? えっとレナちゃん……つまり、どういうこと? よくわからずに首を傾げる私と菜央ちゃんにレナさんが「あのね」と前置きして説明をしてくれた。 レナ(私服): レナはね、キャンプに最低限必要なのは広い場所と炊事場とお手洗いだと思うの。 レナ(私服): その点、分校ならグラウンドを使えば広さも水道もあるし、分校のトイレは校舎の外にもあるから……。 魅音(私服): そういうこと!今はちょうど夏休み中だから分校は空いているし、校庭にテントを建てれば宿泊場所が確保できる。 魅音(私服): で、そのことを知恵先生に相談したら野外カレー用の調理道具とかでよければいくらでも貸してくれるそうだから、一度やってみようってね。 美雪(私服): ……野外カレー用の調理道具って、個人でそんなにも所有してるようなもの?30人分だよ? 沙都子(私服): まぁ、そこは知恵先生ですから特殊事例ですわ。 沙都子(私服): いずれにせよ、本格的なキャンプ場とは比較になりませんけど……小規模であれば分校でも最低限の設備は揃っているということですわね。 魅音(私服): その通り! で、もし今回のがうまくいったら夏場は林間学校の受け入れ場所として実績つきで近隣の学校に売り込むこともできるしねっ! 梨花(私服): ……さすが魅ぃ。善意と打算のハイブリッドが絶妙なのです。 羽入(私服): り、梨花……それは決して褒め言葉ではないと思うのですよ。 詩音(私服): いえいえ、私とお姉にとっては十分すぎるくらいの賛辞ですよ。 詩音(私服): で、資材の確保と消防や警察への手続きは私とお姉でなんとかしますので……。 美雪(私服): ……「なんとか」でも、とりあえず法的問題をクリアできるのがすごいよね、魅音と詩音って。 詩音(私服): またまた、お褒めにあずかり光栄です……といいたいところなんですが。 はぁ、と少しわざとらしく詩音さんがため息をつく。……その仕草だけで、おそらくこれからが本題だと場数を踏んできた私たちはすぐに理解した。 詩音(私服): 問題は、手伝ってくれるスタッフなんですよ。村の人をボランティアで集めてはいるんですが、なにぶん手が足りなくて。 魅音(私服): 予算も急な対応だから、あまり確保できなくてさ。あと、私たちが信頼して任せられる人材となるとすぐには見つからなくて……。 菜央(私服): わかったわ。つまり、そのアルバイトをあたしたちにやってくれ、ってことね? 魅音(私服): そのとーりっ!さすが菜央ちゃん、理解が早い! 菜央(私服): 理解も何も……今の話の流れで気づかないほうが難しいと思うんだけど。 詩音(私服): まぁまぁ、そう言わないでくださいよ。皆さんだと安心して色々お願いできるのは、事実なんですしね。 詩音(私服): 特に、料理上手のレナさんと菜央さん。他にもアウトドア経験者の美雪さんは可能な限りなるべく、いえむしろどうにか絶対……。 詩音(私服): お手伝いをいただきたいなって思うんです!! 美雪(私服): ……勧誘とかお願いを通り越して、もはや軽い脅迫だね。 レナ(私服): あははは……もちろん、いいよ。 レナ(私服): つまり、他の中学の子たちのキャンプのお手伝いをしながらみんなと一緒に楽しむアルバイト……ってことだよね? 魅音(私服): そうそう! 美雪(私服): ふーむ……そう言われてみると、避暑地の泊まり込みアルバイトみたいで、楽しそうな気がするよ。 美雪(私服): 火の始末はもちろんだけど……掃除とか水源の確保とか、お手洗いの管理……そのあたりをやるってことでいいのかな? 詩音(私服): えぇ、助かります。生徒さんたちにも当然自主的な後片付けを頼むつもりでいますが、最終チェックをお願いできると……。 レナ(私服): うん、わかった。あと、ご飯の食材はどうするのかな? かな? 詩音(私服): 先方に用意してもらうつもりですよ。もちろん私たちの分は、こっちでとびきりのものを用意しておきますから。 羽入(私服): あぅあぅ~、それも楽しみなのですよ~! 菜央(私服): で……夜ご飯はカレーで決まりだとしても、朝はどうするの? 菜央(私服): 一晩野外に置いたカレーは危険だから、作り置きはちょっとまずいと思うんだけど。 美雪(私服): ウェルなんとかって菌が発生するとかだよね。んー、だとしたら……。 アルバイト参加を決めたご指名の3人は魅音さんたちと今後の方針を決めるため、流れるようにあれこれと質問を交わしていく。 そんな光景を、私はまるで蚊帳の外のようにぼんやりと眺めていた。 一穂(私服): はぁ……みんな、すごいなぁ。 沙都子(私服): あの……一穂さんはまるで自分だけ仲間ハズレみたいなしょんぼり顔ですけど、私たちも同じ穴のなんとやらでしてよ。 梨花(私服): みー、そうなのです。どんなことで手伝えるのか、まるでわからないのですよ。 羽入(私服): あぅあぅ……でも、僕たちだって何か一緒にお手伝いがしたいのですよ。 魅音(私服): ほんとに?! よほど今回のイベントに期待をしているのか……羽入ちゃんの声に反応した魅音さんの目は、昼間にも関わらず輝きとやる気に満ちあふれていた。 魅音(私服): そう言ってもらえると、こっちも大助かりだよ!いやー、やっぱり持つべきものは仲間だねっ♪ 一穂(私服): あ、あははは……でも、私たちにも手伝えることってあるのかな……? 魅音(私服): もちろん!じゃあ一穂たちには、レクリエーションとかを担当してもらえるかな? 一穂(私服): レクリエーション……って、生徒さんたちとも遊ぶってことだよね。何をすればいいの? 詩音(私服): くっくっくっ……!林間学校のお楽しみと言えば、ひとつしかないじゃないですか。 詩音(私服): この雛見沢にはちょうど、おあつらえ向きの場所がありますしね~。 そう言って浮かべる詩音さんの意味深な笑みに、なんとなく不気味なものを感じる……。 その予感を覚えたのは私だけでなかったのか、隣の沙都子ちゃんがはっ、と息を飲んだ。 沙都子(私服): そ、それってまさか……?! 詩音(私服): くすくす……そのまさかです。レクリエーションは、夏の風物詩……。 詩音(私服): 肝試しです! Part 02: 沙都子(私服): きっ……きききき、肝試しですってええぇぇぇえっっ?! 詩音さんの言葉に私が反応するより、沙都子ちゃんが叫び声をあげる方が早かった。 驚いて顔を向けると、沙都子ちゃんはまるでこの世の終わりを迎えたように真っ青な顔で立ちすくんでいて……。 菜央(私服): はぁっ? き、肝試しいいぃぃぃぃっっ?! 続いて、少し離れた場所から菜央ちゃんのひっくり返ったような声が負けじと飛んでくる。 ついさっきまで、レナさんと楽しそうに話をしていた彼女の表情も笑みがすっかり消え、愕然とした様子で固まっていた。 菜央(私服): な、なんでそんなものをやる必要があるのよっ?!肝試しなんて危ないし、危険じゃない!! 美雪(私服): お、おぅ……?言葉がかぶってるけど、菜央も反対なの? 菜央(私服): 当たり前でしょっ!肝試しなんて危ないし、危険だわっ!! 美雪(私服): いや、さっきも同じことを聞いたって。林間学校とかキャンプとかだと、肝試しってわりと定番のイベントだと思うんだけどなー。 梨花(私服): みー……怖がりな沙都子はともかくとして、菜央まで反対なのは意外なのですよ。 沙都子(私服): べ、べべべ、別に怖がりではありませんわっ! 沙都子(私服): あんな体験をしてしまった後ですのよ?!たとえどんな勇者でも肝試しが苦手になって当然ですわ~っ!! 菜央(私服): そ……そうよそうよ!美雪はあの時の恐怖を味わってないから、そんな偉そうなことが言えるのよ!! 一穂(私服): あ、あんな体験……? 菜央ちゃんと沙都子ちゃんが揃って声を荒げていることに私たちは面食らう。……すると、何かを思い出したのか魅音さんがあー、と声をあげた。 魅音(私服): もしかして沙都子と菜央ちゃん……この前のこと、まだ引きずっているの? 沙都子(私服): まだって、まだってなんですの?!ついこの前のことですわよ?! 詩音(私服): そういえば……少し前に、部活で肝試しをやったそうですね。お姉から聞きました。 詩音(私服): で、その時にレナさんが仮装して……沙都子と菜央さんを震え上がらせたってアレのことですか? 菜央(私服): それよっ! それ以外は何もないわ!! 一穂(私服): え、えっと……? 梨花(私服): みー……あの時はすごかったのです。2人の悲鳴が、裏山全体にまで響き渡ったのですよ。 羽入(私服): あぅあぅ……沙都子と菜央はあれからずっとお化けが怖いのですか? 菜央(私服): っ……こ、怖くはないわ。 菜央(私服): ただ考えるだけで足がすくんで、意識が飛びそうになるだけよ。 美雪(私服): えっと……それを世間一般だと怖いって言うんじゃない? 菜央(私服): 勝手に世間一般の常識とやらの思い込みで決めつけないで。センスが無いわよ。 美雪(私服): うーん、すごく罵倒をされてる気がするけど……内容が内容だけに怒る気力が湧いてこないね。 レナ(私服): はぅ……ごめんね菜央ちゃん、沙都子ちゃん。あの時レナがやりすぎちゃったせいで、2人に苦手意識を持たせちゃったかな……はぅ。 菜央&沙都子: れ、レナちゃんのせいじゃないわ!(レナさんのせいではありませんわ……!) 慌てて否定する2人だけど、2人の直前の反応が反応だけに否定の言葉が弱く聞こえる。 その声にますますレナさんは責任を感じたのか、申し訳なさそうに肩を落としていた。 詩音(私服): まったく……私の預かり知らないところで、とんでもないことをしてくれたものですね。お姉たちはいつも、やり過ぎなんですよ。 魅音(私服): いやー、ごめん。でも、まさかそこまで悪い記憶が焼き付いてるとは思わなくてさ。 梨花(私服): みー……悪い記憶は残りやすいものなのです。 美雪(私服): なるほど。だからホラー映画とかなんて、いつまでもなんとなく覚えてたりするのかなー。 美雪(私服): あ、じゃあ……レクリエーション、肝試しとは違うやつでいこうよ!たき火を囲んで、マシュマロ焼いたりとかは? 魅音(私服): あー、ごめん。肝試しは先方の学校からの希望なんだよ。 美雪(私服): お、おぅ……それは、えっと、ごめん。変えるのはちょっと厳しそうだね……。 美雪ちゃんの声まで落ち込んでしまい、教室の微妙な空気はますます淀んでいく。 一穂(私服): えっと、あの、その……。 私も場の空気を変えるようなことを言おうとあれこれ考えてみたけど、何も思いつかずに言葉が喉元でつっかえている感じだった……。 羽入(私服): あぅあぅ……。 同じような状況なのか、羽入ちゃんもあぅあぅと声をあげるだけだ。 梨花(私服): …………。 だけどそんな中、梨花ちゃんだけが何も言わず沙都子ちゃんを見ていることに私は気づいた。 一穂(私服): えっと、梨花ちゃん……? 梨花(私服): 大丈夫なのですよ沙都子、菜央。 沙都子(私服): えっ……? 菜央(私服): り、梨花……? 梨花(私服): お化けなんていないのです。2人が頑張れば、きっと林間学校はもっともっと楽しくなるのですよ。 沙都子(私服): …………。 その言葉を聞いて、何かを決意したのか……沙都子ちゃんが大きく深呼吸した後、顔を上げた。 沙都子(私服): 菜央さん……いい機会ですわ。 沙都子(私服): いっそショック療法的に、お互いに苦手を克服するというのはいかがでして? 菜央(私服): 沙都子……。 菜央(私服): ……奇遇ね、沙都子。梨花に言われて、あたしも同じことをあんたに提案しようと思ってたところよ。 沙都子(私服): お互い、このままじゃ引けませんわ。ここで乗り越えてみせましてよ……! 菜央(私服): えぇ……やってやろうじゃないの。 互いに不敵な笑みを浮かべたまま、沙都子ちゃんと菜央ちゃんはがっちりと固い握手を交わす。 一穂(私服): (すごい、すごい……!2人とも苦手を克服しようとしているっ!) 自分の苦手分野に真っ向から勝負を挑むその心意気はあまりにも美しくて格好よくて、感動で背筋が震える。 と、それを見た詩音さんはにやり、と笑って――。 詩音(私服): じゃあ、肝試しの企画は沙都子と菜央さんにお任せするってことでいいですか? 菜央&沙都子: えっっ?! 菜央ちゃんと沙都子ちゃんが同時に驚きを満面にして目をむいた。 魅音(私服): ちょ、ちょっと詩音?! 詩音(私服): 大丈夫ですよお姉。2人ともやる気十分って感じですし、無事にやり遂げてくれますって! 魅音(私服): とか言っているけど、どうする……? 親指を立てる詩音さんを横目にして、魅音さんは遠慮がちに尋ねる。 ……完全にはめられた格好だ。っていうか詩音さん、2人をフォローするつもりで最初からこの展開を狙っていた……?! 菜央&沙都子: …………。 予想外の展開に驚いたのは私たちもだけど、本人たちはそれ以上に驚いているようで……菜央ちゃんと沙都子ちゃんは顔を引きつらせている。 菜央&沙都子: わ、わかったわ……。(わかりましたわ……) だけど克服すると宣言した以上、引っ込みがつかないと思ったのか頷く2人は、なんだか小動物めいて弱々しく見えて……。 魅音(私服): だ、大丈夫だって!私もきっちり頑張るからさ! 菜央(私服): 頑張るって……何を? 生きることを? 魅音(私服): そっ……そりゃあ、お化け役を、だよ!言い出した以上、責任は取るからさっ! 沙都子(私服): 心意気はとてもありがたいのですけど……それで私たちの恐怖がどう和らぐんですの? 魅音(私服): うぐっ……?! ……2人のツッコミは、いつも以上に容赦がなかった。 Part 03: 林間学校までの日数は、あっという間に減っていった。 当日のスケジュールの打ち合わせ、カレー用の道具の確認、校庭の掃除などの諸々の準備が済んで、最後に残ったのは……。 林間学校の生徒さんたちが楽しみにしている肝試しのテストだった。 魅音(髑髏鎧): じゃーん! どう?!菜央ちゃんが作ってくれた肝試し用の衣装! レナ(私服): はぅ~! すーっごく似合っている!魅ぃちゃんかぁいくて、カッコイイよ~♪ 美雪(私服): 着心地はどう?菜央はその辺りを心配してたみたいだけど。 魅音(髑髏鎧): いやー、悪くないよ!それに加えて、デザインが最高っ! 魅音(髑髏鎧): 怖さもあるけど、おしゃれだよね~。女子受けしそうって感じがするよ。 魅音(髑髏鎧): 今回の林間学校は女子生徒しかいないし、これくらい大胆でもいいかもね。恨み晴らさでおくべきか~……なんちゃって! くるんと魅音さんがその場で回転すると、短い裾がひらりと揺れる。 詩音(私服): デザインは可愛いんですが……暗いところで見ると、結構迫力がありますね。さすがは菜央さん、いい仕事です。 レナ(私服): はぅ~、いいなぁ魅ぃちゃん。レナもお化け役がよかったかな……かなっ。 美雪(私服): いや、レナはシャレにならないから止めておきなって。前回の二の舞を外部の人でやったらさすがにまずいしさ。 美雪(私服): なんせ、普段はレナにべったりの菜央が一緒にお化け役をやるのを躊躇ったくらいだし……っていうか、その菜央はどこに行ったの? 羽入(私服): あぅあぅ……そういえば、さっきから姿が見えないのです。 梨花(私服): みー。衣装に少しほつれがあったので、集会所で直してから戻ってくるそうなのですよ。 魅音(髑髏鎧): そう……じゃあ今のうちに当日の流れを確認しておこうか。 そう言って魅音さんは、懐から小さなノートを取り出した。 魅音(髑髏鎧): いくつかの班に分かれて、古手神社をスタート地点にして時間差で出発。裏山の要所に置いたお札を取って戻ってくる。 魅音(髑髏鎧): 待機組、帰宅組が暇を持て余さないように境内では百物語を読み上げ続ける……OK? 美雪(私服): おーけー。道中の通路を示す灯りはロウソクと懐中電灯の二種混合で設置済みだよ。雨が降らない限りは大丈夫……な、はず。 詩音(私服): 雨が降ったら、さすがに中止ってことで先方とも合意済みですから大丈夫です。 羽入(私服): あぅあぅ、雨の中の山は危険過ぎるのですよ……。 梨花(私服): それより沙都子……百物語の語り手を任せて、本当に大丈夫なのですか? 沙都子(私服): も、もちろんですわ……!生徒の皆さんが全員身の毛のよだつお話をてんこ盛りに用意して参りましてよ~……! 詩音(私服): ……今のところ、身の毛がよだっているのは沙都子のようですけどね。震えていますよ? 詩音(私服): 肝心の語り手が怖がっていては迫力が出ませんから……気をつけてくださいね。 沙都子(私服): え、えぇ……と、当然ですわ! 沙都子(私服): 本当でしたら、背筋も凍るような仕掛けを裏山にたくさん設置したかったんですけど……。 詩音(私服): 万が一にもか弱い生徒さんたちを怪我させるわけにはいきませんからね。別の意味で恐怖の話になっちゃいます。 沙都子(私服): えぇ、任せてくださいませ……!ですから私は今回、皆さんを話術で震え上がらせるんですのよ! 沙都子(私服): を……をーっほっほっほ!!! レナ(私服): はぅ~。強がる沙都子ちゃんもかぁいいよ~!すりすりなでなですりすりなでなで……! 沙都子(私服): ちょっ?! レ、レナさん?! 頬ずりするレナさんから慌てて逃げようとする沙都子ちゃん。その姿はいつもと同じに見えるけど……。 一穂(私服): やっぱりちょっと元気ないよね、沙都子ちゃん。 美雪(私服): 沙都子も心配だけど……菜央も心配だよ。ここに来るまでずっと緊張しっぱなしだったし……。 魅音(髑髏鎧): それを判断するのが、今日なんだからさ。ダメそうだったらメンツを入れ替えるけど、このままじゃあの2人が引かないでしょ。 羽入(私服): あぅあぅ……確かにあの感じだと、簡単には諦められそうになかったのですよ。 一穂(私服): うん、それはわかっているけれど……。 なんだか嫌な予感が胸の中で膨らんでいく。おかしなことが起きないことを祈るしかない。 一穂(私服): ……それにしても菜央ちゃん、遅いね。服の直しに時間がかかっているのかな? 羽入(私服): あぅあぅ、ちょっと見に行ってみるのですよ。 一穂(私服): そうだね……美雪ちゃん、ちょっと行ってくる。 美雪(私服): はいよー。菜央が無理そうだったらどっちか伝言に戻ってきてくれる? 一穂(私服): わかった……行こう、羽入ちゃん。 羽入(私服): はいなのですよ。 私と羽入ちゃんは懐中電灯を片手に、集会所へと足を向けた。 一穂(私服): 菜央ちゃーん。衣装、直った? 玄関から集会所の中に声をかけたけれど、返事はない。いや、それどころか……。 一穂(私服): (物音が……しない?) トイレだろうか、と思いながら靴を脱いで集会所に入る……と。 羽入(私服): 一穂。 ぎゅっ、と。羽入ちゃんが私の服の裾を掴んだ。 羽入(私服): なんだか……おかしな感じなのですよ。 一穂(私服): ……うん。 その違和感は私も気づいていた。集会所の中は明かりが煌々とついているのに、なぜかひどく……嫌な予感がするのだ。 一穂(私服): 菜央ちゃん? 羽入ちゃんとともに集会所へ足を踏み入れた私が見たのは、肝試し用のロウソクや懐中電灯……広げられたままの菜央ちゃん愛用の裁縫道具だった。 一穂(私服): (入れ違いになっちゃったのかな?) そう思いながら、ふと目を向けた廊下に――。 一穂(私服): な……菜央ちゃん?! 倒れている菜央ちゃんを見つけ、慌てて駆け寄った。 羽入(私服): 菜央、しっかりしてくださいなのです、菜央! その体を抱き起こすと、羽入ちゃんの声に反応したのか腕の中で菜央ちゃんが身じろぐ。 菜央(私服): う、うーん……。 一穂(私服): よ、よかった……生きてる……! 羽入(私服): でも、気を失っているのですよ……菜央、しっかりしてください! 羽入ちゃんの小さな手が、ぺちぺちと菜央ちゃんの小さな頬を叩く。 菜央(私服): うぅぅ……。 でも菜央ちゃんは完全に気絶しているのか軽くうなり声をあげるだけで目を覚まそうとしてくれなかった。 一穂(私服): ……ッ?! 羽入(私服): あぅっ?! 次の瞬間、背筋に覚えた悪寒に従って私は羽入ちゃんの身体を掴み、菜央ちゃんを抱えたまま3人揃って後ろへ飛びのいた。 一穂(私服): な、なにっ?! 畳を踏みしめながら、顔を上げる。すると、私たちがいた場所にゆらり……と何か影のようなものが立ち上っていく。 一穂(私服): (ツクヤミ……?!) とっさに迎撃態勢に入ろうとして。 妖狐: くっくっくっ……! 勘のいい娘じゃ。 一穂(私服): え……? 羽入(私服): あ、あぅあぅ……?! 突然現れた「それ」の顔を見て私は声を失い、羽入ちゃんは喉を震わせる。 だって、だって……そこにいたのは……?! 菜央?: またしても魂のうまそうな人間がやってきおった。今宵は大漁じゃのう……! 一穂(私服): なっ……菜央ちゃん?! Part 04: 一穂(私服): な、菜央ちゃんが、2人……?ど、どういうこと?! 羽入(私服): いえ一穂っ、よく見てください!あれは菜央に似ていますが、菜央より身長も高くて出るところがしっかり出ているのです! 一穂(私服): そこって大事?! 羽入(私服): 大事なのですよ、あぅあぅあぅーっ!! 思わず突っ込んでしまった声に、反射的な叫び声を浴びせかけられた瞬間……少し頭が冷えてきた。 一穂(私服): (た、確かによく見ると今の菜央ちゃんよりちょっと大人っぽい……私と同じ? ちょっと年上?) ぎゅっと腕の中の菜央ちゃんを抱き直しながら、いつでも逃げられるように足に力を入れる。 一穂(私服): あ……あなたは誰っ……?! 軽く震えながらも問いただすと、それは菜央ちゃんによく似た顔で……彼女が決してしない妖しい笑みを見せつけてきた。 妖狐: 妾は妖狐……この地が鬼ヶ淵と呼ばれていた頃にしばし留まっていた、そなたらが『稲荷神』と呼び恐れ敬う存在よ。 妖狐: 昨今この地にて妙な「気」を感じるようになった故、戯れに足を向けてみたのじゃが……なるほど、なるほど。 にたり、と妖狐と名乗る「それ」が笑う。 妖狐: どうやら面白いことになっているようじゃのう……。 一穂(私服): 妖狐って確か、狐のお化け……じゃあ、あなたは本物のお化けってこと……?! 妖狐: ――『バケモノ』呼ばわりは止めよ。無礼であるぞ。 一穂(私服): っ……! そ、そんなこと言ってない! 羽入(私服): 一穂、落ち着いてくださいなのです! 片腕に羽入ちゃんがすがりつくと同時、妖狐が鼻を鳴らす。 妖狐: ふん……捲土重来、力をためて再び舞い戻ってきた妾にかなう者などこの世には存在しない。 妖狐: 数百年前に味わった屈辱……利子をつけて返してやろう……倍返しじゃ!! 一穂(私服): きゃあっ?! 攻撃の衝撃で周囲に積んであった紙類が宙を舞い、足元が浮きそうになって……! 羽入(私服): あぅあぅあぅ~っ?! 実際に身体が浮いた羽入ちゃんの腕を慌てて掴み、懸命に引き寄せてなんとか床に押しとどめる。 菜央(私服): う、うーん……。 一穂(私服): (ダメ、気絶した菜央ちゃんと羽入ちゃんを庇いながらじゃ戦えない……!) 妖狐: あーっはっはっは!さぁ、妾の血肉になるがよい……! 沙都子(私服): どうしたんですの?! その時、集会所の玄関から聞き慣れた声が聞こえてきた。 妖狐: ん……? 一穂(私服): だ、ダメ! 来ちゃだめ……! 声をあげるも、遅かった。 詩音(私服): こ、これは……?! 境内にいたはずのみんながそこに集合し、部屋の惨事と私たちを前に目を丸くしていた。 魅音(髑髏鎧): 大丈夫かい羽入、一穂っ?!それに……って、なんだありゃぁ?! 美雪(私服): な、菜央……? みんなの目は、菜央ちゃんそっくりの妖狐に釘付けになっていて……! 美雪(私服): くっ、菜央……やっぱりキミも成長すると私を越えていくのか……! 美雪(私服): こぉぉの、裏切り者ぉぉっっ!いいなぁ可愛さとセクシー系両取りでさぁ!!天は二物を与えずって絶対嘘だろアレ?! 詩音(私服): いやいや、どう見てもあれは偽者じゃないですか。……というか美雪さん、結構気にしていたんですね? 美雪(私服): うるさーい! 薄々ひとりだけ仲間ハズレの未来は見えてたけど、確定するまでまだちょっと余裕があると思ってたん……だっ! 大きく踏み込み、美雪ちゃんが妖狐への距離を一気に詰める! 一穂(私服): なっ……今の台詞は、相手を油断させるために?! 詩音(私服): ……いや、半分以上本音だと思いますよ。 美雪(私服): 獲っ……うわぁっ?! だけど肉薄する寸前、美雪ちゃんの身体は相手の腕の一振りで跳ね返されてしまった。 魅音(髑髏鎧): 美雪っ! すかさず、魅音さんが飛んできた彼女の身体を受け止める。 おかげで床に叩きつけられずに済んだが、ダメージが大きいのか腕の中の美雪ちゃんは立ち上がることすらままならないようだった。 魅音(髑髏鎧): くっ……あいつ結構、強いみたいだね……?! 妖狐: くっくっくっ……有象無象がどれほど数を集めようと、妾の敵ではない。 妖狐: さて、この小娘と同じようにそなたらの魂も食ってやろうぞ……、っ?! その時だった……空気が、変わったのは。 ヤツが魂を……と口にした瞬間から、その場の空気がまるでペンキでもぶちまけられたように何かまったく違うものへと塗り替えられていく……! 一穂(私服): (ひっ……?!) 妖狐の視線は、私たちの一番後ろに注がれていた。そこにいるのは……誰だかよく、わかっている。 けど、振り返りたくない。確認したく、ない……。 だって背中に存在を感じているだけでも、背筋がひりついて怖くて怖くて仕方がなくて……! 妖狐: な……なんじゃこの「気」の大きさはっ?これは人外……いや、もはや神域に達して……?! レナ(私服): ――今……なんて、言った……? 声とともに、ゆらり……と私たちの一番前に足を進めたのは――。 レナ(私服): ……ねぇ。今……なんて言ったの、かな……?かな……?! 穏やかで優しい普段の姿をどこかへと消し飛ばし、まるで亡霊のように存在感が希薄ながら怒りだけを目に見えるように迸らせていたのは……!! 一穂(私服): れ、レナさん……?! 妖狐: ひっ……! 凍っていたのは私……いや、仲間だけではなかったようで相手の妖狐の顔もみるみる青ざめていく……! 沙都子(私服): レ……レナさん!あいつ、菜央さんの魂を食べたと言っていましたわ! 誰も彼もが動けない中、沙都子ちゃんの声が雷鳴のように響き渡る。 すると、ただでさえ氷のように冷ややかだったレナさんの表情が、まさしく絶対零度のように凍り付くように……って、怖い怖いっ?! レナ(私服): 菜央ちゃんの魂を……食べた……っ……? 妖狐: っ……い、いやそれは、ちょっとした冗談というか迫力をあおるためにでっち上げた戯れ言であって、実際に魂は食っておらぬし傷などもつけておらぬ! レナ(私服): 食べた……菜央ちゃんを……傷つけた……?! 妖狐: だ、だから食べてもおらんし怪我もさせていない!こいつが勝手に気絶して、そ、それで……?! レナ(私服): 許さない、許さないゆるさない、ユルサナイッ……!! 妖狐: って、聞けよ妾の言い分を!!耳に届いていないのか難聴かっ?! 沙都子(私服): 嘘ですわ! きっと菜央さんの魂を食べたからこいつは菜央さんそっくりになったんですわ! 妖狐: いやいやいや、妖狐伝説とか知らんのかお主?!そっくりに化けるとか定番の逸話であろう?! 沙都子(私服): とかなんとか言って、逃れる気ですわ! 妖狐: やかましいっ! だから嘘であおるな小娘が!さっきも言ったようにあやつは軽く脅かしただけで気を失っただけじゃ! だ、だからっ――。 レナ(私服): ――――。 妖狐: み……見逃してっ☆ えへっ、と菜央ちゃんそっくりの顔で……でも、実に「らしくない」顔で笑う妖狐。 魅音(髑髏鎧): ……恨み晴らさでおくべきか、か。 とその時だった。背後からふっと鼻で笑う音が聞こえたのは――。 魅音(髑髏鎧): 確かに、恨みを晴らさずにはいられないよね……あいつは菜央ちゃんと……美雪を傷つけた。 レナ(私服): ……魅ぃちゃん。 魅音さんを呼ぶレナさんの姿は、まるで引き絞られた強弓のように今にも千切れそうなほどギリギリギリギリと音を立てているかのような危うさを携えていて……。 魅音(髑髏鎧): ……レナ、部長命令だよ。 魅音さんはそれを、解き放った。 魅音(髑髏鎧): 遠慮は不要!思いっきりやってやりなっ!!! 魅音さんのゴーサインが飛んだ瞬間、レナさんの身体が目にもとまらぬ早さで飛び――!! レナ(私服): その頭、一撃で叩き割ってあげるよおおォォォオォッッ!! 妖狐: ぎっ、ぎえええぇぇぇぇええぇッッッ?! かくて真夏の夜の境内に悲鳴があがり……。 悪い狐は懲らしめられた……で、いいのかな……? Epilogue: さてさて、それから数日後のことです。 妖狐: 怖かった……!あれは酷く怖かった……! 懲らしめられた妖狐は、恐怖に震えて涙と鼻水を垂らしながら2人の前に現れたのでした。 田村媛命: ……そのような出来事があった#p也#sなり#rか。久方ぶりに顔を見せたと思っていたら、また無駄なことをした#p哉#sかな#r。 羽入(巫女): あぅあぅ、逃げたと思っていたのでまだこんなところにいたとは思わなかったのです。 妖狐: そんなすぐに移動ができるかっ!おまけに見つかったら次こそ消されると思ったら、怖すぎて隠れ潜むしかできんかったんじゃっ! 妖狐: なんなんじゃ、あの人間はっ?ありとあらゆる妖術をぶつけてもまッたく効かぬし! 妖狐: 進退窮まって真の姿に戻って攻撃をしかけようとも、全っっ然に涼しい顔ッ! 妖狐: さらに渾身の一撃を食らった時などは、数百年ぶりに死を意識したわ……アレは妖術かっ? それとも西洋の魔法か?! 妖狐: あんなバケモノがこんな辺鄙な村に存在していたなど聞いておらんぞっ?!鬼ヶ淵はいつから魔窟になったのじゃ?! 羽入(巫女): レナはれっきとした人間なのですよ……一応。 田村媛命: ……ヒグマの雌の前で、小熊に手を掛けるような愚を犯した報い哉。同情の余地は全くないものと弁え給え。 羽入(巫女): その言い方だと、レナがヒグマと同等の存在だと見なしていることになるのですが……。 妖狐: う、うぅううううっ……! これ以上喚いたら自分の矜持を傷つけると思ったのか、妖狐は大きくため息をつくとその場にへたり込みました。 妖狐: はぁ……妙な気配を感じて、面白そうだと立ち寄ってみたのじゃが、とんでもない目に遭ってしまったわ。 妖狐: そなたらはよくもまぁ、こんな危険極まりない場所で過ごしてこれたものじゃな。 羽入(巫女): ……人の子のことわざに「住めば都」というものがあります。 羽入(巫女): 当たり前の日常として受け入れてみると、意外に楽しいことも見つかったりするのですよ。あぅあぅ♪ 田村媛命: ふぅむ……角の民の長とも、たまには意見を同じくすることがある哉。 田村媛命: いずれにしても元は同じ神としてこの地に臨してきた輩ゆえ、しばしはゆるりと過ごしてゆく也や。 田村媛命: 悪さをしないなら、という前提はある哉 妖狐: …………。 妖狐: そなたら……少し、変わったな。昔は異物など汚物同然、などとのたまって一切受け入れることがなかったはずだが。 田村媛命: ……今もその姿勢は変わっておらぬ也や。されど、価値観というものは千差万別で存在の数だけ正義と信念がある哉。 田村媛命: 吾輩のみの考えで全てを統べるのは神であろうとおごり高ぶった考えであると理解した所以と知り給え。 妖狐: ……ふむ、なるほど。そういうことならば、しばしの滞在もまた愉しきかもしれんな。 田村媛命: とはいえ、妖狐よ。いつまでその姿のまま也や? 妖狐: なかなか悪くないであろう?妾はこの姿を気に入ったが故、仮の姿として使ってやるのだ。 羽入(巫女): ……だったら菜央本人の前に現れてあげてくださいなのです。 羽入(巫女): 成長した自分の姿を見たかったのに自分だけ気絶していて確かめられなかったー、と言って悔しがっていたのですよ。 妖狐: 何を呑気な……!だいたい、あの小娘の前に現れたらまたアレが現れるではないかーっ! 田村媛命: 今度こそ消滅させられたくなければ、人前に現れずこの付近で大人しくする也や。 田村媛命: 何もしないなら滞在を許可してやる哉。 妖狐: ふん……わかっておるわ。 羽入(巫女): それにしても、さっきのおはぎはいったい誰が持ってきたのでしょう……? 妖狐: あー、それは妾じゃ。 羽入(巫女): は……? 妖狐: この地のやつに酷い目に遭わされた憂さ晴らしとして、ひとつ意趣返しをしてやりたくなってな。 妖狐: ここに来る前にちょっと寄り道した町で少年が面白い悪夢にうなされておったから真似をしてみたのだ。 えへん、と妖狐は胸を張ります。 妖狐: どうだ、面白かったか? 田村媛命: 貴様かぁあああああああああ!! 妖狐: おがぁあーっ?! #p田村媛#sたむらひめ#r命の攻撃が、見事妖狐の顔面にめり込みました。 田村媛命: レナというのは角の民の子!無関係の吾輩を巻き込むでない也や! 羽入(巫女): あぅあぅ! 悪夢の少年とはまさか圭一では?!もしそうだとしたらまたレナを呼ぶのですよ?! 妖狐: や、やめ……ひーっ! 田村媛命: 貴様、また逃げる哉?! 羽入(巫女): 待つのです! 話は終わっていないのですよっ!! 妖狐は慌てて逃げ出し、その後を田村媛命と羽入が追いかけます。 ……これは、よく晴れた日の出来事。 ある小さな村で起きた神様と人間たちのお話でした。