晶穂の引っ越しも無事に終わり──
その三日後に、春太と晶穂は引っ越しを手伝ってくれた松風と涼風、それに雪季も連れて焼き肉を食べに行ってきた。
しかも、中高生だけで行くにしては分不相応なほどの高級店。
春太と松風、それに大食いな晶穂が高級肉を躊躇なく食べまくったおかげで、DNA鑑定の費用は綺麗に吹っ飛んでしまった。
晶穂は、費用の出所を疑っていたようだが、特に追及はしてこなかった。
もしもいつか晶穂が秋葉の過去を知り、DNA鑑定をしたくなったら春太があらためて費用を工面すればいい。
兄として、それくらいの甲斐性はあるべきだろう。
その豪華すぎる焼き肉から、さらに数日後──
「はぁ……なんだか寒くなってきたような気がします」
「そんなことはないだろ、車内なんだから」
春太は、隣に座っている雪季に苦笑いを向ける。
今、春太と雪季は電車に揺られているところだ。
確かに北に向かっているが、車内はもちろん暖房が充分に効いている。
春太が窓際に座っているのは、車窓の景色を見るためでなく、雪季が「窓際のほうが寒そうです……」と言い出したからだ。
目的地は、春太と雪季の母が住む町だ。
言うまでもなく、霜月透子の実家の旅館〝そうげつ〟もその町にある。
「二度目の卒業旅行の行き先が、あの町になるとは思いませんでした」
「まったくだ」
雪季は苦笑いしていて、春太も同じく苦笑する。
ほんの数日前、雪季は氷川と素子とともに卒業旅行に出かけて、泊まりがけで遊園地で遊んできた。
それから間をあけずに、こうしてまた電車に長時間揺られて旅に出ている。
「でも、俺も卒業式くらいは出ておいたほうがいいと思う。中学の卒業式は人生で一回しかないんだしな」
「そう……ですね」
雪季は今も、形式上は母の町の中学に在籍している。
かつて通い、今も氷川や素子がいる中学の卒業式に出席するわけにはいかない。
雪季はかなうなら、そちらの卒業式に出たかっただろうが……さすがにそれは無理だった。
一方で、母の町の中学からは「卒業式に出席するように」という連絡がきた。
今でも雪季はれっきとした在校生なのだから、その連絡は当然だろう。
雪季はだいぶ迷ったようだが──
その中学の生徒である霜月透子に相談し、出席を決めた。
町までは三時間ほどの旅で、春太も当然のように付き添っている。
中学生とはいえ、女子の一人旅はさせられないので春太が甘いということもないだろう。
卒業旅行というのはこの場合、〝卒業式に出るための旅行〟というわけだ。
ちなみに晶穂もついてきたがったが、CDデビューの準備が忙しくなったので断念している。
「あ、雪季。前の中学の制服、持ってきてるだろうな?」
「はい、ちゃんと持ってます。捨ててませんよ」
雪季はいつも泊まりがけのときは荷物が多い。
今回はひときわカバンも大きく、体格とパワーに恵まれた春太でも少し重いくらいだったが、制服もちゃんと入れてあるようだ。
「あのセーラー、おまえガチで嫌がってたもんなあ」
「うっ……あ、あの頃は私も未熟で……」
「未熟って」
黒いセーラータイプの制服で、スカートもミニスカート大好きな雪季にとってはあまりにも長すぎるシロモノだった。
ダサいダサいと、当時は遠く離れていた兄に不満だらけのLINEを送っていたものだ。
「セーラーの制服か。雪季があれを着てた頃から、まだ一年も経ってないのに懐かしい気がするな」
「そうですね……私があちらにいたのは春の終わり頃から秋までですからね。まだ半年経ってないくらいですか」
「そうか。一年どころか、半年も経ってないのか」
雪季が桜羽家に戻ってきてからも、あまりにもいろいろなことが起きすぎた。
これだけ濃密な時間は、春太の人生の後にも先にもないかもしれない。
「私も成長しました。頑張って、卒業式に出ます。あちらの中学のみなさんとも仲良く──な、仲良くできるでしょうか?」
「いきなり不安になるなよ」
春太は、ぽんと雪季の頭に手を置く。
妹を甘やかすときにいつもやっていた仕草で、今はもうやるべきではないかもしれない。
だがクセになっているので、簡単にはやめられそうにない。
そもそも、雪季のほうも気にしていないようだ。
「透子もいるしな。あいつが上手くサポートしてくれるだろ。卒業式の練習はできてないし、こういうときは甘えてもいいんじゃないか」
「透子ちゃんも同じようなこと言ってました。私に任せてくださいって」
雪季にとって透子は中学の同級生で、従姉妹同士で、この春からは同じ女子高の生徒だ。
多少は甘えても許される相手だろう。
「この髪も、透子ちゃんが許可を取ってくれたんですしね」
「頼りになるなあ、あいつ」
雪季が通っていた中学は〝染髪禁止〟だが、今の雪季は茶に染めている。
先日受験が終わって黒から茶に染め直したばかりで、また黒に染めると髪が傷んでしまう。
それを知っていた透子が教師に交渉して、茶髪を許可してもらったのだ。
「その代わり、春からの生活では透子ちゃんが私を頼ることも多そうって言ってました」
「さすが透子だなあ……」
「え?」
「いや」
春太はまた苦笑して、首を横に振る。
透子は卒業式でサポートすることを、雪季に借りだと思わせないようにそんなことを言ったに違いない。
頭が良く、優しく、旅館の娘として育った透子は自然な気遣いができる。
あれで一時はイジメっ子をやっていたというのが信じられないくらいだが。
とにかく、春太はこの卒業旅行の付き添いにはなんの不安もなかった。
不安のない時間──こんなにかけがえのないものはないだろう。
春太がこの町の中学に足を踏み入れるのは初めてのことだ。
三階建ての校舎は木造で、ずいぶんと年季が入った建物だった。
春太が住む街は大都会ではなくとも田舎ではないので、古い木造校舎は新鮮に感じる。
つい、校舎の写真を数枚撮ってしまったりもしつつ。
卒業式が行われる体育館のほうも古びてはいるが、中に入ってみると他の中学と大差はなかった。
ストーブがいくつか置かれてはいるものの、寒い町の広い体育館はずいぶんと冷え込む。
寒がりの春太には厳しい環境だが、若干緊張しているせいか、そこまで気にならない。
「卒業証書、授与!」
卒業式は、開会の挨拶、国歌と校歌の斉唱に続いて卒業証書の授与が始まった。
春太が見たところ、生徒数はかなり少ない。
自分が卒業した中学の半分ほどではないかと思うくらいだった。
「春太、前に出て撮ってもいいみたいですよ」
「あ、俺もいいのかな……?」
隣に座っているのは、雪季の実母で春太の育ての母である冬野白音だ。
仕事の鬼である母も、さすがに愛娘の卒業式となれば休暇を取っている。
「お父さんの代わりですから、いいでしょう。ああ、雪季のクラスが呼ばれ始めましたよ」
「じゃあ、行ってくる」
小声で母と話してから、春太はスマホを手に保護者が並んでいる列から抜け出た。
数人の保護者たちが同じように列から出て、スマホやカメラを子供たちに向けている。
教師たちも注意していないので、黙認されているらしい。
実は春太は、氷川と素子、それに晶穂から「卒業式の様子を撮影してくるように」と厳命されている。
しっかり撮っておかないと、彼女たちになにを言われるかわかったものではない。
春太は一応は正装──悠凜館高校の制服を着てきている。
親ならともかく、制服姿の男子高校生が中学の卒業式を熱心に撮影しているのは若干の怪しさがあるが──
保護者代わりなんだから、と春太は開き直って撮ることにした。
「…………」
列に並んでいる雪季の横顔にスマホを向けつつ、苦笑する。
雪季はかなり緊張しているようで、ただ立っているだけでもガチガチになっているのがわかってしまう。
数ヶ月通ったものの馴染めないまま去ってしまった学校──
卒業式だけ参加するのは、雪季でなくても緊張するだろう。
「霜月透子!」
「はい!」
そのとき、凜とした声を響かせ、返事をしたのは透子だった。
今日も長い黒髪をポニーテールにして、その髪を揺らしながら壇上へ向かう。
生徒数が少ないこともあって、この中学では全員を一人ずつ呼んで卒業証書を手渡している。
春太の中学は生徒数が多めだったので、クラスの代表一人が受け取るシステムだった。
正直、春太は壇上で仰々しく受け取るなど面倒だったので、そちらのほうが楽で助かった。
春太よりはるかに真面目な透子は、きっちり背筋を伸ばして階段を上がって校長の前に立ち、一分の隙もない動作で証書を受け取った。
もちろん、春太はその透子も撮影している。
春太にはもう透子も親戚同然なので、撮影するのも当たり前のことだ。
「…………」
壇上から下りてきた透子が、春太に気づいて──
にこっと微笑を浮かべてくれた。
初めて透子と古びた倉庫で出会ったときには、彼女にこんな微笑みを向けてもらうなど想像もできなかった。
それから、数人が卒業証書を受け取り──
「冬野雪季!」
「はいっ!」
若干、声が上ずったもののきちんと返事もできた。
返事ができて偉い。
まさか、中三女子を相手にそんなことで褒められないが、春太はなんでも褒めてやりたい気分だった。
「お……」
春太は、小さくつぶやいてしまう。
雪季はきちんと背筋を伸ばし、壇上へ向かっている。
運動はできないのに、走りや水泳のフォームだけは完璧だったりする。
これなら、モデルもやっていけるかもしれない。
「って、透子のマネをしてんのか、あいつ」
校長の前で頭を下げた角度、卒業証書の受け取り方といい、透子の完コピだった。
桜羽だったら透子より雪季のほうが先だったので、苗字が冬野に変わってよかった……などと思っていそうだ。
雪季は無事に卒業証書を受け取って、階段を下りてくる。
春太は抜かりなく撮影しながら──
「…………」
とうとう、あの雪季も中学卒業か……。
春太は思わず、感慨深くなってしまう。
同じ部屋で暮らし、公園で一緒に遊び、毎日のようにゲームをして、買い物に行き、料理をつくってもらってきた。
物心ついた頃からの雪季との思い出が、次々と頭の中を流れていく。
いろいろあったが、春太にとっては人生の大半を〝妹〟として見てきたのだ。
どうやっても、まだ〝妹〟という意識が抜けきるものではない。
おそらく、雪季のほうも口ではどう言っても、少なからずまだ春太を〝兄〟として見ているのではないか。
その〝妹〟の卒業式──
ヤバい、と春太はとっさに目元を押さえた。
雪季と透子の受験合格、『Lost Spring』のライブ演奏、雪季と冬舞の出会いとハグ──春太は泣いたり、必死に涙をこらえたりしてきた。
最近なぜか涙もろくなってしまった春太が、雪季の立派な姿を見て、泣かずにいられるはずもなく。
「お兄ちゃん」
階段を下りきった雪季が、春太のほうを見て──
唇をパクパクと動かし、そう言ったようだった。
春太は黙ってこくりと頷いて。
雪季の目にも、わずかに涙が浮かんでいるのを見た。
卒業式に出席してくれてよかった──春太は心からそう思い、きっと雪季も同じように思っているだろうと確信していた。
「ふーん、TVとかでは見たことあったが、実際に見ると味があるなあ」
「そういうものでしょうか?」
春太は木造校舎の廊下を歩きながら、あちこちにスマホを向けている。
隣にいるのは透子だ。
卒業式を終えた透子に、木造校舎が珍しいと話したら、彼女が中に入らせてくれたのだ。
ギシギシと軋む廊下や、古びた教室はなかなかに新鮮で面白い。
撮影させてもらえるのは、ありがたいことだった。
透子によると、吞気な学校なので、教師も保護者が撮影するくらいで文句は言わないらしい。
「この校舎、晶穂のMVの撮影にいいかもな……晶穂の持ち歌に、ノスタルジックな青春ソングもあるからなあ」
「お兄さん、すっかりU Cuberみたいになってますね」
「俺は基本的に裏方なんだけどな。晶穂は今が伸びる時期だから、できることをやっておかないと」
「……晶穂先輩が羨ましい」
「ん? 晶穂がどうかしたか?」
「いえ、なんでもありません」
透子は笑って首を横に振った。
「ああ、いつまでも撮ってたらまずいか。透子も友達のとこに戻りたいだろ?」
「大丈夫ですよ。そもそも、ウチは生徒全員が幼なじみみたいなものですから。卒業式だからって、そんなあらたまって話すこともないんですよね」
「あー、そういうもんなのか」
この中学は人数も少ないし、狭い地域から生徒たちが集まってきている。
ほとんどが、小学校の頃からの顔見知りばかりだそうだ。
「でも、やっぱ卒業式となると特別──あれ、雪季か?」
春太は廊下の窓から外を見下ろし、校庭に生徒がたくさん集まってワイワイ話していることに気づいた。
いくつもグループができているが、そのうちの一つ──二〇人ほど集まっているグループの中心に雪季がいた。
「ウチのクラスの子たちですね。雪季さんを気にしてた子たちが集まってるみたいです」
「へぇ……」
雪季はコミュ障を発揮しているようで、ちょっと困ったような笑みを浮かべているが──
本気で困っているわけではなさそうなので、春太は見守ることにする。
「実は雪季さん、人気があったみたいなんですよね。この学校に来なくなってからわかったんですけど。当然ですよね、都会から来た女子であんなに可愛いんですから」
「まあ、良くも悪くも人目を引くタイプではあるな、昔から」
幼い頃、公園で悪ガキたちに絡まれたのも、雪季が可愛かったからだ。
「雪季さん、この学校に普通に通うこともできたはずなんですよね。私のせい──」
「はい、そこまで。透子、もうその話はしなくていいって」
春太はスマホを持っていた手を振って、透子を制する。
「雪季のほうも学校にもこの町にも馴染む努力をしなかったんだ。透子だけが悪いわけじゃない。もう本当に、この件は言わないでいいし、気にする必要もない」
「……ありがとうございます、お兄さん」
「晴れの門出の日なんだ、そういう後悔とかは全部ここに置いていけ。特に透子は、これからまったく新しい生活が待ってるんだしな」
春太は窓にもたれ、周りに囲まれて笑っている雪季を見つめる。
「ちょっと怖くはあるんですよね」
「え?」
「私はご覧のとおりの狭い世界でずっと生きてきたので。ミナジョで、雪風荘で、あの大きな街で三年もやっていけるのかなって……」
「やっていけるだろ、余裕で」
春太はすぐにそう答えて、透子に微笑みかける。
この優秀な透子でもそんなことを不安に思うのかと意外だったが──彼女もまだ中学三年生、不安はあるに決まっている。
だったらその不安を解消してやるのは、〝お兄さん〟の役目だ。
「普通は田舎から都会に出るのは大学進学のときが多いだろうし、そこまで成長すれば新しい環境にも馴染みやすいかもしれない。けど、透子なら今すぐでも大丈夫だ。ミナジョにも雪風荘にも雪季とつららさんがいるんだし、なにより透子はしっかりしてるからな。短い間だが、一緒に暮らしたんだ、俺にもそれくらいわかる」
「……お兄さんが近くにいるから、かもしれません」
「ああ、俺の家だって雪風荘からそこまで遠いわけじゃない。会おうと思えばいつでも会える。だから、なにも不安になることはない。不安になったら、俺はいつでも透子に会いに行くよ」
春太は、透子にならそのくらいのことはしてやるつもりだ。
透子が今日ここに置いていく思い出の中では、彼女にキツく当たってしまったが──
今はもう、春太は透子のことを氷川や素子と同じくらい気に入っている。
「それに、三年って言ったけど大学も行っていいんだろ。だったら最短でも七年ある。俺らの近くに七年も透子がいてくれるんだ。俺も嬉しいよ」
「お兄さん、甘やかしてきますね……私は妹じゃないんですよ?」
「妹じゃなくても、つい甘やかしてしまうらしい。けど、誰でもってわけじゃないぞ」
「私、お兄さんにとって特別ですか……?」
「ああ」
春太は迷わずに頷いた。
電車で三時間もかかる町に来た理由には、透子の卒業式を見たいというのも含まれている。
「じゃあ、今だけ……少しだけ」
「え? おい、透子……!」
透子はすすっと春太のそばまで近づくと──
一瞬だけ背伸びして、ちゅっと唇を重ねてきた。
すぐにその唇が離れて。
透子は、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「この思い出も、ここに置いていきますから……」
「……持っていきたいなら、かまわない。俺も覚えておくよ」
「もう……お兄さん、卒業式だからって甘やかしすぎです。でも……嬉しい」
春太と透子は見つめ合い、同時に笑ってしまう。
透子とは、温泉や温水プールでいろんなことをしてしまったが、キスは初めてのことだった。
付き合っているわけでもないので、当たり前なのだが──
「あっ。こ、校庭から見られなかったでしょうか?」
「今さら焦るなよ。まあ、誰もこっちなんか見てないだろ」
校庭を見ても、特に騒ぎになっている様子はない。
この美人の霜月透子がキスした現場を見られていたら、すぐに大騒ぎになっているだろう。
「でも……そうですね」
「うん?」
「私、ずっとこの町にいようかとも思ってたんです。高校から都会に行けるっていっても強制じゃありませんから。このままこの町で大学まで進学したって家族も文句は言いません」
「まあ……家族としては、透子がここにいてくれるほうが嬉しいだろうな」
「ええ、だけどお兄さんと雪季さんと、晶穂先輩や冷泉さん氷川さんたちがいるから……迷わず、町を出られます」
「ああ」
春太が頷くと、透子はにこっと笑った。
「七年あれば、お兄さんのことも……チャンスはありますしね」
「おいっ」
春太が苦笑すると、透子は今度はいたずらっぽく笑って小さく舌を出した。
こんな子供っぽいところもあったらしい。
「お兄さん、今はこれですけど……」
「な、なにしてるんだ?」
透子が制服のスカートをすすっと持ち上げ、白い太ももをあらわにしている。
雪季が嫌がっていたのと同じ、膝丈で長めのスカートだ。
「次にお会いするときは、私もミニスカートの女子高生になってますから。楽しみにしてください」
「……透子ならミニスカも似合うだろうな」
雪季の引っ越しもあるし、なにより透子の引っ越しも手伝うだろうから、次に会うときは作業着の透子になりそうだが。
ただ、高校の制服を楽しみにしている透子に水を差すこともないだろう。
「ありがとうございます。あと、もう一つだけ……」
「卒業の祝いだ、全部聞こうじゃないか」
春太は窓から離れて、透子のそばに立つ。
「私、これでも物心ついた頃から旅館の娘で、周りにはいつもたくさん人がいたんです」
「ん? ああ、そりゃそうだろうな」
「だから完全アウェイの雪風荘でも、上手くやっていけると思うんですよね」
「そうだな、透子がいれば雪季もなんとか馴染めるだろ」
「お兄さん、そういうことじゃないんです」
「は?」
透子がなにを言いたいのか、春太にはいまいちよくわからない。
迷いなく町から旅立てて、新生活も上手くこなせるという話というだけではなさそうだ。

「だから、もし私が雪風荘に一人で入ることになっても──」
「一人で──?」
「透子ちゃん、お兄ちゃん、こんなところに!」
そのとき、廊下の向こうから雪季がぱたぱたと走ってきた。
「あ、すみません。お話の邪魔だったでしょうか……?」
「いえ、大丈夫ですよ、雪季さん。どうしたんですか?」
透子は気にした様子もなく、首を横に振った。
どうやら、春太との話は終わってしまったらしい。
最後に言いかけていた話は気になるが、透子はあれ以上語るつもりはないようだ。
「あっ、そうです! もー、透子ちゃんを捜してる人、いっぱいいましたよ。私が捜索を引き受けたんです」
「す、すみません、雪季さん」
「んー……」
透子がぺこりと頭を下げると、雪季がアゴに指を当ててなにやら考え込み始めた。
それから、透子のすぐ前まで歩いて行く。
「あの、透子ちゃん?」
「はい?」
「もう、雪季〝さん〟じゃなくて。呼び捨てか、せめてちゃん付けとかでどうでしょう」
「あっ……」
透子は雪季の提案に、驚いた顔をする。
雪季は、従姉妹との少し遠慮がある関係も卒業したくなったようだ。
透子のほうは驚いた顔のまま頷き──照れくさいのか、頰を赤く染めて。
「そ、それでは……ふ、雪季ちゃん」
「はい、透子ちゃん。敬語ももういらないですよ。私のはクセだから使いますけど」
「そ、それじゃあ……雪季ちゃん、みんなのところに行こうか」
「はい、行きましょう」
雪季と透子、実はよく似ている従姉妹同士の二人が笑顔で頷き合う。
今の二人は親戚で親友──雪季がこの町にきてよかったと、春太はあらためて感じた。
春太は雪季と透子に先に校庭に戻ってもらい、少しだけ校舎で撮影を続けてから。
校庭に出ると、雪季と透子はまだ他の生徒たちと話し込んでいた。
なんだ、「あらたまって話すこと」もけっこうあるんじゃないか──と春太は苦笑いする。
「春太、遅かったですね」
「ああ、木造校舎なんて珍しかったもんだから」
近づいてきたのは、母だった。
「せっかくだし、あとで雪季とクラスメイトの写真も撮らせてもらうか」
「春太、今日の写真、私にも送ってくださいね」
「データ送って、プリントしたものも宅配便で送るよ。ああ、母さんも雪季の引っ越しには立ち合うのか?」
「そのつもりでしたが、ちょっと仕事が立て込んでいまして。引っ越し当日は無理そうですが、今月中にはまたそちらに行きますよ」
「そうか、じゃあプリントした写真はそのときでいいか。しっかり調整した写真を用意しとくから」
春太はこの数ヶ月の晶穂のU Cubeチャンネル手伝いのおかげか、構図や色味などにもこだわるようになっている。
「春太、映像関係のお仕事を目指すんですか?」
「え? いや、別に……」
春太は進路のことなど、まだ考えたこともない。
高校一年生なのだから、普通のことだろう。
「よくPCで動画編集なんかをやってるってお父さんから聞いたので」
「そんな話をしてるのか、父さん。いやまあ、まだ趣味みたいなもんだから」
「リビングのPCはもう古いでしょう。編集を勉強するなら、援助しますから新しいPCを買いなさい。進級祝いということでプレゼントしましょうか?」
「いやいや、PCって高いんだぞ。編集に使うようなスペックなら余計高いから」
「私も仕事でPCは使ってますから、たぶん春太より詳しいですよ。おばさんだからって甘く見ないでほしいですね」
「……ゲームにも使っていいか?」
「私は息子を信じてますよ」
母は、自分が育てた息子がゲームに溺れることはないと確信しているようだ。
その信頼は裏切れない。
「ええ、そうです。私にとって、春太は息子なんですよ」
「なんだよ、今さら」
そうだ、春太も実の母である翠璃のことを多少は知ったが、あくまで母親はここにいる冬野白音だ。
実母に申し訳ない気はするが、そこは譲れない。
「だから、私は認めます、春太」
「母さん……?」
母は春太を見て一つ頷いてから──雪季に目を向けた。
弾けるような笑顔の雪季が、そこにいる。
「考えてみれば、雪季を任せる相手として、あなた以上の適役が存在するとは思えません」
「母さん、それって……」
「あなたは私の息子ですから。誰がなんと言おうと、遺伝子がどうであろうと。私もお父さんも、あなたたちが仲が良すぎて、あなたたちが実の兄妹じゃないから、二人の関係をずっと心配していました。ですが、本当は逆なんですよね」
「逆って……」
「血が繫がっていないから、本当はどんなに仲が良くてもかまわなかったんです。あなたたちを引き裂こうとしたのは、私とお父さんが世間体を気にしたからです。大人の都合ですね」
「…………」
春太にも、母と父がなにを警戒していたかは充分わかっている。
仮にも兄妹として周りに認識されていた春太と雪季が、恋人として付き合っては変な目で見られるからだ。
実の兄妹でないと判明した日の夜に、雪季と確認しあったことでもある。
「雪季は今までずっと、今でもあなたのことが好きなんでしょう。その気持ちを止める理由は私にはありません」
「……まだ父さんは、なにも言ってないんだよな」
「お父さんはあまり多くを語らない人ですから。ただ、ここからはお母さんの独り言として聞いてほしいんですけど」
「うん?」
「お父さん、あれでなかなかの武勇伝をお持ちの人なので。春太のことをどうこう言えないんじゃないでしょうか」
「……なるほど」
父は少なくとも、晶穂の存在のことで身に覚えはあったらしい。
子供たちの前では常に真面目で冷静な男だが、子供に教えられない一面があったのは間違いない。
「ああ、私との離婚の原因はお父さんの浮気じゃないですよ? もちろん、お母さんも浮気なんかしてません」
「……独り言なんだろ。なにもツッコミ入れてないよ」
父と母の離婚の原因が気にならないと言ったら噓になる。
離婚の話を切り出された日に、「すれ違いが多い」とか多少の理由は聞かされたが、春太もそれだけが離婚の原因ではないとわかっている。
だが、今さら追及しようとも思わない。
春太にも、父と母には絶対に話せないことがいくらでもある。
それと同じく、親でも子供に語れない、彼らだけのドラマがあるのだろう。
「春太も雪季も、まだ子供です。ですが、もうお母さんやお父さんのもとを離れていく準備を始める時期です。春太、あなたも親から離れた自分の社会を築きつつあるんでしょう?」
「社会……」
そんなたいそうなものが、自分にあるのか。
ただ、高校生活ももうすぐ二年目で、アルバイトをしてお金を稼ぎ、晶穂とU Cube活動をして音楽も始めて、カノジョだっていた。
楽しい同級生たち、可愛い後輩たち、バイト先の先輩とキラの事務所の人たち。
確かに、親とは関係ないところで春太の交友関係ができあがっている。
「もう一度言いましょう。お母さんは息子を信じてます。だから、雪季とどんな関係を望むのか──あなたの気持ちのままに決めていいんです、春太」
「…………」
春太は、黙って頷く。
母からの信頼は重いし裏切れない──そして、自分の気持ちを裏切らなくてもいい。
「お兄ちゃーん、ママーっ、みんなで写真撮りましょう!」
「雪季が呼んでいます。行きましょう、春太」
「ああ」
春太はもう一度頷き、ぶんぶんと手を振っている雪季を見る。
雪季には、もとから氷川流琉と冷泉素子という親友がいる。
従姉妹の霜月透子に、妹の寒風沢冬舞。
これから住む雪風荘の先輩、冬野つらら。
高校生活が始まれば、雪季の人間関係はさらに広がっていき、彼女なりの社会を築いていくのだろう。
たとえ春太が兄のままでも雪季の成長を止めることはできない、止めてはいけない。
雪季は妹であることをやめるために、春太から距離を取ろうとしている。
距離を取った先には、雪季が築いた新しい社会があるのだ。
春太は、もう受け入れるしかなかった。
雪季のことが好きなら、彼女は妹のままではいけない。
自分の気持ちに素直になるために、雪季を好きでいるために。
雪季を新しい世界に旅立たせなければいけない──