第1話 妹はお願いしたい


「はー、やっぱシャバの空気はいいね。あたし、もう悪いことしないよ」

「ムショにいたのか、おまえは」

 一週間後──

 はるあきとともに、ほしかわ総合病院の門を出て、道を歩き出した。

 あきはおなじみのスカジャンにホットパンツ、厚手のストッキングというだんとまるで変わらない格好だ。

 そのあきの横を歩くはるは、彼女の大きなボストンバッグを持たされている。

「そこは〝お務めご苦労さまでした、あねさん〟じゃないの?」

あねさんじゃなくて妹だろ」

 なツッコミだとわかってはいるが、はるはボケに付き合いきれない。

 まだ、そんなにのんでいられないのだ。

「もうー、ハルはノリ悪いなあ。それであたしといつしよにロックで世界に羽ばたけるの?」

「いつ世界進出が決まったんだ!?

 はるあき 活動を手伝い、今はなぞの長身ベーシスト〝ハウル〟として演奏にまで参加している。

 ただ、一時的なサブメンバーであって、あくまでメインのメンバーはあきだったはずだ。

「ほら、あたしって身体からだ弱いから。常に支えてくれるたよりになるお兄ちゃんがそばにいないと。ごほっごほっ」

「わざとらしくせきすんな」

 あき身体からだが弱いのは事実なので、強くツッコミづらい。

「いやでも、マジで外の空気はいわ。あたし、病院ってやっぱ苦手だって実感したよ」

「まあ、それはわかるが……ちゃんと通院はしろよ。俺もうから」

「はいはい、あたしも死にたくないからね。やることはやるって」

 あきしようして、ひらひらと手をっている。

 あのやまぶき医師の言うとおり、あきほつはごく軽いものだった。

 本来なら、もっと早くに退院しても問題なかったらしい。

 一週間の入院も、念には念を入れて長めに様子見をしてもらったのだ。

 それが、はるからのやまぶき医師へのたのごと──その一つだ。

「せっかく、 のチャンネル登録もびてきたんだし、ここで長期休業とかなったら最悪だからね」

「マジでびたな……しかも特になにもしてねぇタイミングで」

 AKIHOチャンネルの登録者数は、先日までは一万をやっとえたところだったが──

 現在、すでに三万をえている。

「まあ、そういうもんだよ。いつどこでだれびるか、だれにも予想できないんだよね。だからおもしろいんだけどさ」

おもしろいが、先が読めないのはやつかいだな。ただ、ここはちがいなくチャンスだ」

「そう、次の曲が一番大事だからね。『Lost Spring』、行くよ、ハル」

「あれ、やっぱやるんだな」

 あきが入院する寸前に、完成した曲データをかせてもらっている。

 元々は、はるの母とあきの母で組んでいた音楽ユニット〝LAST LEAFラスト・リーフ〟の曲で、あきがかなりのアレンジを加えている。

 はるは初めていたときに、この曲は大きくハネるだろうと予感した。

 まだ仮で演奏したデータをいただけでもそう思えたのだから、あきが本気で演奏し、歌ったらどれほどのしようげきを生むことになるか……。

「あの曲の発表は小細工いつさい無し。ライブ演奏形式でアップするから」

「マジかよ。それって俺は……」

「もちろん、がんってね、お兄ちゃん」

「……都合のいいときだけ兄としてたよろうとしてないか、おまえ?」

 はるいやそうに言うと、あきはニヤリと笑うだけでなにも答えなかった。

 ただ、『Lost Spring』は二人の母が生み出した曲だ。

 あきは、むすめむすである二人で演奏しなければならないと考えているし、はるうなずくしかなかった。

「っと、そろそろタクシー呼ぶか」

「え? ハル、タクシー使うつもりなの?」

「おまえ、がりだろ。歩きたがると思ったから、少し散歩をサービスしただけだ」

 はるは答えて、スマホアプリでタクシーを呼ぶ。

 だんタクシーなどぜいたくなものは使わないが、今日のためにアプリを入れておいたのだ。

「タクシーなんか使ったら、ハルのゲームショップでの一日のバイト料がぶんじゃない?」

「人のバイト先の安月給をあくすんな。心配いらない、父さんからタクシー代もらってる」

「えっ! ハルパパこそ安月給じゃないの!?

「失礼だな! そのとおりだが!」

 さくらはたいしてゆうふくとは言えない。

 持ち家であるいつけんもごくつつましいが、父にとってのせいいつぱいなのだ。

「でもおっかしいな。ハルのお父さん、頭いいって聞いたのになんでかせぎよくないの?」

「知らねぇよ。頭よけりゃいい仕事にけるってもんでもないだろ」

 そういえば、とはるは思い出す。

 くなったあきの母が、はるの父は頭がキレると言っていたことを。

「まあ、ウチの父さんの頭のデキはともかく、気はつかうんだよ。ありがたくタクシー乗っとけ」

「はぁーい。ま、ハルには助けてもらったからね。しばらくは良い子にしてるよ」

「ずっと良い子にしててくれ」

「良い子ちゃんなあたしなんて、りよくもなんもないでしょ」

 あきは思わせぶりに笑って、ひじはるわきばらをつついてくる。

 はるは不満げな顔をしてみせたが、実際にあきの言うとおりではあった。

 なおで人に気をつかって、おとなしくしているあきなどあきではない。

「しばらくといえば、あき。おまえ、またしばらくウチに住まわせるからな」

「えっ」

 あきは母を失ってから、一ヶ月近くさくらそうろうしていた。

 だが、の受験直前にあきは「曲作り」の名目で自宅アパートにもどってしまい、流れでそのままそうろうが解消されていた。

 とはいえ、ほつを起こして倒れ、入院までしてしまった今、あきをアパートにもどらせるわけにはいかない。

 あきの義父は仕事の都合で海外にいることが多く、ほぼ一人暮らし状態になってしまう。

 退院したばかりのあきを一人にできるはずがない。

「文句はナシだ、あき。良い子にしてるんだろ?」

「ちぇっ、余計なこと言ったかな」

 あきは口をとがらせているが、逆らう気はないようだ。

 とりあえず──

 はるは、あきが一度はたおれたあとでも精神的には参っていないことをかくにんできただけでもよかった。

 の受験が終わり、はるの周囲も落ち着いてきている。

 今はあきの世話を優先するべきだろう。



 二〇分ほどでタクシーはさくらとうちやく

「ただいまー」

 と、あきおくめんもなく言ってげんかんのドアを開けるとともに。

「おかえりなさい、あきさぁーんっ!」

「うわっ!」

 とつぜんあきに何者かが飛びつき、はるたおれかけたあきを後ろで受け止めた。

「ふ、ちゃん? びっくりした……!」

「あ、すみません、つい……」

 は、はっとなってあきからはなれる。

 厚手のセーターにひざたけのスカートという格好で、にしては地味なコーディネートだ。

「私もおむかえに行くって言ったんですけど、お兄ちゃんが一人でじゆうぶんだからって」

「そのとおりじゃない? ちゃんに荷物持ちはさせられないし」

「俺ならいいのかよ。いいけどな」

 はるしようして、とりあえず二人の背中を押して家の中に入る。

 寒いので、早く室内であたたまりたかった。

「はー、やっぱ我がはいいね」

「おまえんだっけ?」

「第二の我がだね。あ、ちゃん。あったかいココアが飲みたいかも」

「お任せください!」

 は張り切って返事をすると、キッチンへと小走りに向かう。

あき、人の妹をいいように使うなよ……」

「あたし、ちゃんを妹みたいに感じてるって言ったじゃん。つか、ハル、やっぱちゃんは妹でいいの?」

「……習慣っていうのはなかなかけないもんでな」

 今でも時々、はるつうを妹としてあつかってしまう。

 しかも、のほうも気にしないので、余計に習慣があらたまりそうにない。

「でも、ずいぶんかんげいしてくれたね。あたし、あの子のライバルじゃないの?」

「たぶん、そんなこと忘れてるんじゃないか?」

 はるの妹になろうとしているのか、カノジョになろうとしているのか。

 今は確実に後者にかたむいていて、あきをライバル視してもおかしくはない。

 いまだに、あきはるのカノジョであることはちがいないのだから。

はおひとしなんだよ」

「そうだったね。あたしも今はのんびりしとくか。おこったら心臓によくないからね」

「……そうしてくれ」

 あきは、はるが一線をえたことを知って──

 見たこともないほどのいかりを見せていた。

 あきはクールで、いかりに限らず激しい感情を表すタイプでもないのに。

 あきをライバル視することを忘れているように、あきも今はその一件はたなげにしてくれているらしい。

「まあ、あきをウチで引き取るっつっても、世話をするのはになるんだよな」

「あー、子供が犬とかねことか飼いたいーっつっても、結局世話をするのはママ、みたいな?」

「自分をいぬねこあつかいすんな」

 だが、実際そういう話でもある。

 はるは家事が苦手だし、身内とはいえ異性の世話はやりづらい。

「別にいいんだよ、ハルは。いてくれるだけで」

「無能だってあきらめられてるみたいだな」

「動画編集やって、ベースの練習を毎日八時間やってくれたら文句はないよ」

「そりゃ文句ないだろうな!」

 自由時間が根こそぎうばわれるほどの物量だ。

 ただでさえ、はるはここしばらく愛するゲームをまったく遊べていないのに。

「お兄ちゃん、あまり大声出しちゃダメですよ。あきさんはがりなんですから」

「……わかってるよ」

 がカップを三つせたトレイを手にリビングにもどってきた。

「はい、どうぞ、あきさん」

「ありがと、ちゃん。はー……しい。病院じゃ水かお茶しか飲めなくてさ。これこそ人間の飲み物だよ」

「あっ、いいんですか? ココアなんて飲んで?」

「いいから退院してきたんだよ。あ、でも、胃がちょっと小さくなってるから、食べ物はやさしい味のものがいいかも」

「任せてください。うすあじでどれだけしくできるか──ふふ、燃えますね」

…………

 はるがいいように使われていても、気にしないことにした。

 が本気で、料理にを感じているのも事実なのだから。

「冷蔵庫の中身、見てきますね。なにをつくりましょうか」

 はすぐにまたキッチンにもどり、冷蔵庫を開けてぶつぶつつぶやいている。

「ずいぶん張り切ってんな、あきもどってきたのが、よっぽどうれしいのか」

「ハルはいいの?」

「ん? は料理好きだしな。いつもとちがうメニューを考えるのが楽しいんじゃないか?」

「そうじゃなくてさ。もう、ちゃんがゆきかぜそうすまで一ヶ月くらいでしょ?」

「……ああ」

 は無事に志望校に合格し、来たる春から高校に進学する。

 ただ高校に進学するだけでなく、〝ゆきかぜそう〟という進学先の女子高の生徒たちが集まっているアパートにすのだ。

 はるが認めたわけではないが、その話はもう動いているし、し業者の手配もしている。

ちゃんに家でご飯をつくってもらえるの、もう回数限られてんじゃん。あたしのメシなんかつくらせてていいの?」

「そんなケチくさいこと言うわけないだろ」

 確かに、とともにこの家で過ごせる時間はもう残り少ない。

 だが、あきの世話より自分のことを優先するつもりは、はるにはなかった。

「変なこと心配してないで、あきにはやることがあるだろうが」

「あるね。『Lost Spring』の練習が最優先で、アレンジのめもしたいし、復帰配信もしないと。あ、ネイビーリーフでモデルもやらなきゃいけないんだっけ」

「ふざけんな、わかってんだろ」

 はるは一度リビングを出て、自室へ行ってからまたリビングにもどってきた。

「どうしたんです、お兄ちゃん?」

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 すでにリビングにもどっていて、あきと並んで座っていた。

 あきのお兄ちゃん呼ばわりはともかく──

「もう二月もじゆんあき、なにがあるか、わかってるな?」

「あ、バレンタインか! ごめん、ハルにチョコわたせなかったね!」

ちげぇよ! 学年末試験だ!」

「ちぇっ」

 やはり、あきもわかっていたらしく、つまらなそうに舌打ちする。

 はるあきが通うゆうりんかん高校は三学期制で、二月の終わりに学年末試験が行われる。

「あたしだけめんじよにならないかな。病弱なはつこうの美少女だし。ごほっごほっ」

「だから、わざとせきすんな。義務教育じゃなくて、高校だぞ。テスト受けなかったら、事情があっても留年くらうからな?」

「血もなみだもないね。昔は、もっと人情ってもんがあったよ。おしようを切らしたらご近所に借りに行ったりしてね」

「いくつだ、おまえは。人情、関係ねぇし。とにかく、これを使って勉強しろ」

 はるは、リビングのテーブルにノートを数冊どさどさと積んだ。

 あきはそのうちの一冊を手に取る。

「うわ、テストはんの内容、全部まとまってるじゃん。これ、ハルがまとめてくれたの?」

「どうせひまだからな。自分にも使えるんだから、まとめて損はないしな」

 あきが入院していた一週間は、実際やることがなかった。

 の受験は落ち着いたし、動画編集したくても素材がない。

 楽器の練習をするような気分でもなかった。

 ならば、確実にあきの役に立つことをやろうと、必死に試験はんの授業の内容をまとめていたのだ。

「うう……高校ってこんな難しいことするんですか。JKになりたいですけど、JKの勉強はいやです……」

「おーい、はっきりいやって言うなよ」

 もノートをぺらぺらとめくりつつ、本気でうんざりした顔をしている。

 彼女は大の勉強ぎらいで、受験をなんとかクリアした今、勉強から遠ざかりたくて仕方ないらしい。

だいじようだよ、ちゃん。ゆうりんかんざかしい進学校だから難しいんだって」

ざかしいって、おい」

がわじよは、ゆうりんかんと比べればずっとレベル低いですもんね! 勉強しなくても卒業までこぎ着けられますか?」

もまだ入学もしてないのに、楽することばっか考えないように!」

「はぁい……」

 なおな妹だが、勉強のことになると兄の言いつけでもじやつかん逆らってくる。

「それに、ミナジョだってそんなレベル低くないだろ。ミナジョ卒業生の進学先見てみたが、ランク高い大学に進んでる人もいるぞ」

「……お兄ちゃん、私よりミナジョのこと知ってますね?」

「そ、そりゃ、とうも進むんだからな。つららさんにもちょっと聞いたし」

「ほー、この男、理由をつけて美少女と仲良くなるのがいんだからなー」

「お兄ちゃん、私をだいにつららさんとお近づきに……?」

ちがちがう! めんどう見がいいとか言ってくれ!」

 本当に、はるとうつららに下心はない。

 つららは派手なギャルで美人ではあるが、今さら周りに親しすぎる女子を増やすつもりはなかった。

「いいから勉強だ! 、おまえも付き合うか? 勉強しとけば、ミナジョに入学してから楽になるぞ」

「あっ、ひーちゃんれーちゃんと遊ぶ予定が急にできました! あきさん、晩ご飯は楽しみにしててくださいね!」

 運動神経が悪いはずのが、信じられないばやさでリビングから出て行った。

「先が思いやられるね。ハル、ちゃんがしたってあんたがめんどう見なきゃダメなんじゃない?」

「……ゆきかぜそうは男子禁制だからな。家庭教師は無理そうだ」

 すとして、その後の自分との関係がどうなるのか?

 はるはまだ予想できていない。

 そもそも、がこの家を出て行くという話が、しがせまりつつある今でも現実だと思えていないのだ。

「でも、あたしも勉強はいやだなあ。留年はロックだし、あこがれるよね」

あこがれるなよ」

じようだんだよ。さすがに留年はかっこ悪い。このノート、ありがと。助かる」

「……有効活用してくれ」

 あきなおに礼を言われると、まどってしまう。

 クリスマスにあきの母がたおれて以来、彼女には立て続けに大きな事件が起きすぎている。

 気弱になっているのでなければいいが、とはるは心配だった。

「勉強するなら、さくらにお世話になるのはいいかもね。それに……」

「ん? なんだ?」

「入院する前、ハルに『Lost Spring』の音源送ったよね? まだ持ってる?」

「ああ、もちろん」

 その送られてきた『Lost Spring』の音源を聞いて、とある問題が解決されたことはまだあきには言っていないが。

 退院して生活が落ち着いてからでなければ、話せることではない。

「あの音源、かせたい人がいるんだけど。ハル、ちょっとたのまれてくれないかな?」

…………?



 はるの父は、相変わらず帰りがおそい。

 今日も帰宅は午後十一時を過ぎていた。ちなみに、出勤していったのは午前七時だ。

「お? なんだ、はるか」

 リビングに入ってきた父は、ソファに座っているはるを見て軽くおどろいている。

 さくらの子供たちは、夜には自室にもどることが多く、あまりリビングにはいない。

あきはもうたよ。あきはずっと病院ではや早起きだったから、ねむいらしい。も付き合ってはやだ」

「そうか、あきちゃんはウチに来てくれたんだな。よかった」

 父は一度リビングを出て一階の自室に行き、着ていたコートとスーツの上着だけいでまたもどってきた。

 まだネクタイすらめたままだ。

「父さん、メシは? がシャケぞうすいつくったんだけど、まだ残ってるぞ」

「ほう、それはいいな」

 父が本気でうれしそうな顔をする。

 はるは、がラップでふうをしておいたどんぶりをレンジであたためる。

 そこに生卵を落とせば完成だ。

 さすがにはるはそれだけでは足りなかったので、れいとうぎようざも食べたが、父はぞうすいだけでじゆうぶんらしい。

「いただきます。ん、い……うすあじだがイケるな。はなにをつくってもいな」

あきも喜んで食ってたよ。病院食もいけど、アブラも塩も足りなかったってさ」

「その二つが満ち足りてたら病人にはよくないだろう。の料理で喜んでくれたなら、よかったな」

 そういう父も、うれしそうにぞうすいをぱくぱく食べている。

 の愛情がもった料理は、仕事でつかれた父の胃にもやさしいようだ。

「俺の母親も──翠璃みどりさんもよく入院してたんだろ? 酒が好きだったらしいが、病院じゃめなくてつらかったんじゃないか?」

「なんだ、あきちゃんから聞いたのか」

「……ああ」

 はるは実の母を翠璃みどりさんと呼ぶ。

「母さん」と呼ぶのは、育ての母であるとうしらだけだ。

 そしてはるの父は、あきをちゃん付けで呼んでいたらしい。

「そうだな、翠璃みどりは酒が好きで、ビールでも日本酒でもワインでもウィスキーでもなんでもんでた。ただ、酒量は少なくて、ビールはかん一本、他の酒はナメる程度だったな。ツマミもとうやチーズ、野菜スティックなんかでしおからいものは極力けてた。あんなさけみは、後にも先にも見たことがないな」

「……大変だったんだな、翠璃みどりさんは」

 好きな酒も量はめず、ツマミも限られている。

 はるは実の母の人生をかいてしまい、ぎゅっと胸が痛くなるのを感じた。

 自分は健康にはまったく問題なく、がんじようすぎるくらいだ。

 こんな自分に産んでくれたことを感謝するとともに、母に申し訳ないとも思う。

 まるで、母の生命力を自分が吸い上げてしまったかのような──

翠璃みどりは、おまえと酒をむ日を楽しみにしてたよ。まだはるあかぼうだったころの話だから、気が早すぎると思ったが……」

「……今度、翠璃みどりさんの墓参りに行くときは酒を供えるよ。好きだっためいがらとか教えてくれ」

 はるの言葉に、父はだまってうなずいた。

 いつか、自分が酒をめるとしになったら母の写真の前でいつぱいもう。

 はるは、そう決めつつ──本題を切り出すことにした。

「父さん。LAST LEAFラスト・リーフの曲をあきに教えたのって、父さんだったんだな?」

「若いころおく力というのはたいしたものだ」

 父は、ぞうすいの最後の一口をぱくりと食べてから。

「あのころ翠璃みどりたちの演奏を耳でいただけなのに、今でもしっかり自分で演奏できたよ」

「まったく、いつの間に……」

「一月の終わりくらいだったかな。あきちゃんが初めて私の部屋に来て、翠璃みどりたちの曲を知っていたら教えてほしいとたのんできたんだ。たのまれなかったら、私もいつか忘れていたかもしれないな。彼女にいでもらえて、あきちゃんも喜んでいるんじゃないか」

「……父さん、これいてくれ」

 はるはポケットからスマホを取り出し、操作してテーブルの上に置く。

 スマホのスピーカーから流れ出したのは、もちろん──『Lost Spring』。

 父は無言のまま、目を閉じて曲をいていて──

「なるほど、あきちゃんがアレンジするとこうなるのか。私がどうイジり回しても、こんない曲には仕上げられないだろうな」

「そりゃあ、おっさんとはセンスがちがうだろ」

「言ってくれるな、はる

 はは、と父はしようして──

「やっぱり、あきちゃんはあきちゃんのむすめだな。あきちゃんはボーカルだったが、翠璃みどりに習ってキーボードもけたんだ。あきちゃんのギターはどことなく母親の演奏を感じさせるよ。ガムシャラで勢いがあって、それでいてせんさいで──」

…………

 はるは、父のかたがわずかにふるえていることに気づいた。

 いまだに、はるは父とあきの間になにがあったのか知らない。

 だが、浅からぬ関係であったことだけはちがいないだろう。

 そのあきは世を去り、ともに『Lost Spring』をかなでていた妻もとっくにくなっている。

 この曲は、父にとってあまりに思い出が多すぎるのだろう──

「父さん。俺は、あきをこの家に引き取りたい。一時的なそうろうじゃなくて」

「……なんだ、とうとつに」

あきは元のアパートをはなれたがらないが、一人にはしておけない。多少いやがっても、あいつを引っ張ってこようと思ってる」

「だが、彼女の身体からだに問題があるからこそ、簡単に引き取るとは言えないぞ」

 父の言うことは正論だった。

 だからこそ、はるもできる手は打ってある。

「俺の──翠璃みどりさんのしんせきで医者がいる。ほしかわ病院で会ったんだよ」

「ああ……へきか?」

 父も、元から親しかったやまぶき医師がほしかわ総合病院に勤務していることは知っていたらしい。

「あいつとも長く会っていないがな。へきがどうかしたのか?」

「お願いして、あきのことでは特別に便べんはかってもらえることになった。なにかあればそく入院できて、二十四時間いつでも相談に乗ってくれるらしい。れんらく先もこうかんしてきたよ」

 そう、はるあきのことでは母方の実家に全力でたよることにしたのだ。

 あくまで母はとうしらと口で言っておきながら、実の母の家にたよるなどずうずうしいにもほどがある。

 それがわかっていても、はるあきのためにプライドやはじなど捨てることに決めた。

「……甘いな、へきも。あいつは、翠璃みどりのことを実の姉のように思ってたからな」

「そこにどっかりと乗っかることにした。あきを守れる態勢は固めておく。だから──」

 あきを引き取るかどうか、決めるのははるではない。

 大人で家主である、さくらしんろうが決めることだ。

 実の兄であろうと、口でなにを言おうと、はるはまだ未成年であり、社会的にはあきの親族ですらない。

 もしもあきになにか起きたら、責任を取るのは大人である父なのだ。

 だから、はるはできる限りのことをして、あとは父の決断にゆだねるほかない。

「そうだな、へきやまぶきの人たちははるとくべつあつかいするだろう。おまえは、ただ一人の翠璃みどりの忘れ形見だからな」

 父も、やまぶきの人たちのことは知っているらしい。

 やまぶき翠璃みどりとは幼なじみでもあったそうだから、当然のことではある。

「本来なら私からもやまぶきあいさつするべきだろうが、翠璃みどりとのこんのときにいろいろあってな。私が間に入らないほうがいいだろう。はるやまぶきとのこうしようはできるか?」

こうしようってほどのことができるかは……ただ、やまぶき先生と祖父祖母って人たちにお願いするしかない」

「ああ、それでいいだろう。へきやまぶきの人たちもやさしい。あきちゃんのことは、あの人たちになら任せられる」

「そうか」

 はるは、ぐっとこぶしにぎめた。

 もちろん、自分がけつえんを利用して無理を通していることは理解している。

「こんなのズルいやり方なんだろうが、俺には他にあきのためにできることは……」

「ズルいこともやれるようになったのは、悪いことじゃない。おまえも大人になってるんだ、はる

 父は、うっすらと笑って──

はる、他にもなにか言いたいこと、きたいことはあるか? こんなのは私も照れくさいんだが、せっかくの機会だ。父とむすの語らいというヤツを済ませておこう」

…………

 はるは、こくりとうなずく。

 はっきり言われるまでもなく、父が言いたいことはわかった。

 父は今夜、はるが言うことは受け入れると言ってくれたのだ。

 もちろん、父と話しておきたいことなどいくらでもある。

 ずっと先送りにしてきたことがいくつも──

 ただし、今夜ここで語り合ったことは、古めかしいが〝男同士の秘密〟になるだろう。