Part 01: 美雪(私服): …………。 鬼ヶ淵沼の周囲を黄色いテープが張り巡らされて、その外側を人々がひしめき合っている。 そして中では、無数の警察官が行き交って……沼に足を踏み入れる準備を進めていた。 ……沼の表面に、人が浮いていた。 いや、おそらく人……だと、思う。そうとしか言えないのは、あまりにもそれが「ヒト」らしく見えないからだ。 かろうじて人の形のようだけど、水分を含みぶよぶよとした白っぽい肉塊と化した……「何か」。 水死の遺体は、酷いモノだと聞いたことがある。 肉は水を吸い込むからだ、と教えてくれたのは昔、海の近くに住んでいた近所の刑事さんだった。 昔テレビで見た、アメリカの映画に出てくる幽霊のバケモノにそっくりなそれは……汚れてはいたけど、ちゃんと服を着ていた。 お母さんが選んであげたというそのジャケットを鮮明に覚えているのは、家に写真があるからだ。 私服警官は、金銭的な援助はあっても基本的に自分で服を用意する。 目立たずに堅苦しくなく、それでいて会議に出ても失礼ではない服。 それを着て、私とお母さん……3人で一緒に写っている写真。 覚えている。絶対に、見間違えるはずがない。だから……あの遺体は、私の……ッ……! 美雪(私服): おとう……さん。 思わず口からこぼれ出た呟きは、隣の一穂たちにも届いたようだ。……2人の顔色が、さっと変わるのが見える。 菜央(私服): やっぱり、あそこに浮かんでるのって……! 一穂(私服): で、でも、どうしてこんなことに……?! 菜央(私服): 何か用事があったのか、それとも……。 菜央が口ごもり、こちらを伺う気配。……こちらを気遣って言葉を濁したところで、私もとっくに気付いていた。 美雪(私服): (誰かに突き落とされて、溺れ死んだ。もしくは死んだ後に、ここに捨てられた……) 今の状態では、死因なんてわからない。確実なのは……お父さんはもう、死んでいるということだけだった。 警察A: おい、落ちないように気をつけろよ!この沼は底なし沼だぞ! 警察B: わかっている! おい、ボートはまだか?! 騒いでいる人たちの声がうるさいはずなのに、……その喧噪が、どこか遠くの方で聞こえる。 その代わりに、わんわんと響く耳鳴り。それがどうにも不快で、苛々とした気分が胸の内からせり上がってきた。 美雪(私服): (久しぶりだな……この感じ) 世界で、ひとりきりになったような錯覚。隣で一穂と菜央がいるけれど、何を言っているのかさえわからない。理解できない。 全身の血が引いて……手足の先が冷たくなって。……そこへ、大きな声が聞こえてきた。 わぁ、とか、うひゃぁ、とか……嫌悪と、どこか楽しげな感情が入り交じった声。 村人A: なんだあれ、気持ち悪い。 村人B: 誰だ、あいつ。村のやつじゃないよな? 村人A: どうやら、東京から来た刑事だとよ。 村人B: はぁ? なぁんで東京から? 村人A: どうせ、俺たちに難癖つけるために来たんだろうよ。嫌な連中だぜ。 村人B: はぁ、また村が騒がしくなるな……。 彼らはやれやれと言いながら、沼に浮かぶお父さんの死体を眺めている。 騒ぎは村中に広がっているのか、時間の経過とともに人垣は厚みを増していた。 美雪(私服): (……悲鳴を上げるくらいなら、見なきゃいいのに。なんで集まってくるんだよ) ふと、隣の様子を伺う。 菜央(私服): …………。 一穂(私服): ……ぅ、ぁ……。 菜央は真っ青な顔で目線を沼からそらし、一穂は硬直しながらも「現場」を見ていた。 水死体どころか、2人とも遺体を見ること自体が初めてなのかもしれない。 お父さんの死体じゃなければ、きっと私は2人の手を引いて即刻ここから離れていたと思う。 警察官も、野次馬たちを押し返そうとしている。だけど、そんな努力もむなしく無責任な見物人はさっきから増える一方だ。 美雪(私服): …………。 早朝、たまたま野良仕事に来た人が見つけた水死体の噂は、数時間で村中を駆け巡った。 それを聞いて私たちも、状況確認のためにやって来たのだけど……。 美雪(私服): (まさか……死んでるのがお父さんだとは、思わなかったよ) お父さんは#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害のあの日、東京の自宅へ戻ってこなかった……その遺体も、不明のままで。 つまり、死因すら私は知らない。誰かに殺されたのか、あるいは事故死なのかも全くわからないままだった。 美雪(私服): (……でも、もし私の世界のお父さんがこうやって鬼ヶ淵で死んだか、沼に遺体を落とされたというのなら……) 鬼ヶ淵は、火山性ガス災害の起きた場所だ。村で遺体の回収を行ったと言う自衛隊も、そこに接近してはいなかったのだろう。 沼の周囲に、人家はない。第一、隊員の生命を危険に晒すことにもなる。 美雪(私服): (お父さんは殺されて、ここに遺体を隠されたとしたら……私がいた「世界」でも、お父さんはこうなってた……?) だとしたら、平成の沼の底にはお父さんの骨が沈んでいるのだろうか。 村への立ち入り禁止のせいで、探すことすらできなかった……10年間も生死不明のお父さん。 美雪(私服): (とにかく、突き止めるべきことがある。この「世界」のお父さんを、誰が殺したのかということだ……!) 梨花(私服): …………。 ふと、その時。 ……人混みの隙間に、梨花ちゃんが見えた。 大人の足の隙間から、沼で浮かぶ死体を眺めている。まるで吐瀉物でも眺めるように、気持ち悪いものを見るような……。 彼女の瞳は冷ややかに、見下したものだった。 美雪(私服): (……。あ、そっか……) その瞬間、答えが出る。そして、今まで胸でつっかえていたものが腹の奥底にストンと落ちた気がした。 そう――あの少女は、古手梨花ではないと。 Part 02: ……お父さんの遺体が見つかってから、美雪ちゃんの元気がなくなったことはよくわかっていた。 彼女は、具合が悪いと言って何度か入江先生に診察してもらったようだけど……昼間は分校を休み、横になっていることが多くなった。 だけど、美雪ちゃんのために何かしたくても、私たちにできそうなことは見つからなくて……。 だから休日の今日、美雪ちゃんが起き抜けにお昼は自分が、と言ってくれた時は嬉しかった。 ご飯の直後、みんなで美雪ちゃんが入れてくれた食後のお茶を飲みながら、菜央ちゃんと一緒に分校の出来事を話した。 みんなが心配していることも話して、久しぶりに楽しい時間が流れて……。 だから……美雪ちゃんが口を開いてその一言を告げた時、私は自分が寝ぼけて聞き間違えたのかと思って……耳を疑った。 美雪(私服): ……。この村は、信用できない。 一穂(私服): えっ……? 空耳かと思ったけれど、隣の菜央ちゃんも小さな口をぽかんとさせていたのを見て……今の台詞が現実なのだと漠然と思うしかなかった。 美雪(私服): 前から思ってたよ……この村はおかしいってね。でも、お父さんの事件の捜査が全然進んでないことを確かめて、確信したよ。 美雪(私服): この村には、私たちの常識では推し量れない非常識な何かが存在している……。そして、その中心にいるのは……古手梨花だ。 一穂(私服): 梨花……ちゃん? 美雪(私服): うん。梨花ちゃんが村の人を使って、前原くんを追い出したことを思い出してよ。 美雪(私服): きっとお父さんの件も、村の人を動かして梨花ちゃんがやったんだ……。 菜央(私服): や、やったんだって……証拠は、あるの? 美雪(私服): 状況証拠と前科で十分だよ。 ずずっ、と美雪ちゃんがお茶を飲み干す。いつも通りの……いや、最近は見られなかった自然な仕草だけど、発した言葉が不穏すぎて。 私と菜央ちゃんは、思わずお互いに戦慄に固まった顔を見合わせずにはいられなかった……。 菜央(私服): ぜ、前科って……あんた、忘れたの?前原さんを助けるために、梨花は嘘をついて彼の一家を村の外に出してくれたって! 震えた声で、なんとか絞り出した菜央ちゃんの反論。だけどそれに対して、美雪ちゃんは努めて冷静に答えていった。 美雪(私服): それが、前原くんの妄想だって可能性は? 菜央(私服): ……。は……? 美雪(私服): 前原くんはさ、分校のみんなを信じすぎなんだよ。……というより、信じられると思い込んでる。 美雪(私服): いや、裏切られた事実を信じたくないせいで妄想に逃げようとしてるように思えるよ。 美雪(私服): 信じ続けていれば、きっとわかってくれる……そんな子どもじみた願望を一度裏切った相手に期待し続けるなんて、無駄でしかないのにさ。 一穂(私服): な……何を言ってるの……? 美雪(私服): 相手が最初から、信じる気がなかったんだ。なら、こっちがどれだけ信用を得ようと努力したって、その思いが通じるわけないでしょ? 美雪(私服): 古手梨花は、前原くんを信用してなかった。だから村の連中を動かして、排除した……普通に考えれば、その可能性の方が高いよね? 一穂(私服): ……っ……! 美雪(私服): そう……誰も、古手梨花には逆らえない。逆らおうって発想すらない。……村の人全員がグルだと考えるべきだよ。 一穂(私服): そ、それって部活のみんなも……? 美雪(私服): むしろ尖兵と考えたほうがいいんじゃない?もっとも梨花ちゃんと近いんだから、言いなりになっててもおかしくないよ。 菜央(私服): レ、レナちゃんがそんなこと……! 美雪(私服): するはずない、ってなんで断言できるの?菜央はレナとは、短時間しか一緒にいないのに。 美雪(私服): ……菜央はさ、レナのことをどこまで知ってるの? 菜央(私服): そ……それは、……っ……! 菜央ちゃんの声が、震えて尻すぼみに消える。 美雪ちゃんは、この村の状況がおかしいと前からずっと言っていた。 もちろん、私だっておかしいと思う。でも、誰かのことを……住人をおかしいと言ったことなんてあっただろうか? ない、そんなこと言ってない!だからこそ、私も菜央ちゃんもこんなに動揺が止まらないんだ……! 美雪(私服): ほら、言葉にできない。それって、知らないと同じ意味だよ? 美雪(私服): 知らないのに信用できる、って言っちゃダメだ。……この村は、バケモノの巣窟なんだから。 一穂(私服): ……ぅッ……! 美雪(私服): 梨花ちゃんも、レナも魅音も沙都子も……前原くんだって、人間の皮を被ってるだけのバケモノの可能性を否定できない。 一穂(私服): ……ぇ、ぁ……。 菜央(私服): っ、美雪……!あんた、いつからみんなをそんなふうに見てたの?! 美雪(私服): ……じゃあさ、逆に聞くけど。この世界でいったい何が信じられるって? 美雪(私服): そもそも、神様の力を借りて、10年前の昭和58年の世界に来たって……その時点で、もうおかしいと思わない? 美雪(私服): で、バケモノを倒すための『ロールカード』?馬鹿馬鹿しいの大安売りだよ。 一穂(私服): っ……! 菜央(私服): なんて悪く言ってるこの「世界」で、あのカードに『ロールカード』って名前をつけたのも、確かあんただったわよね?! 美雪(私服): あぁ、そうだよ。そういう流れだったから、ひとまず従った……不自然な振る舞いをして殺されたくなかったからね。 一穂(私服): 殺されるって、部活のみんなに……? 美雪(私服): うん。 美雪(私服): そもそも時間を越えてやって来た原理とか、どういう状況なのか……その辺り、説明できる? 美雪(私服): というか、『ロールカード』って呼んできたこれが何なのか……キミたちはわかってるの? 一穂(私服): …………。 美雪(私服): これはね、武器じゃない……「兵器」だ。わけのわからない気持ち悪いブツを殺すためだけの、気持ち悪い「何か」。 美雪(私服): 正直、今すぐにだって捨てたいよ。捨てると戦う力がなくなるから、渋々持ってるけどさ……ははっ……。 菜央(私服): あ……あんた、どうしちゃったの……?! 菜央(私服): 変よ、変! あんたのお父さんが「見つかって」から、ずっとおかしかった! 美雪(私服): 父親の死体を見て、普通でいられると思う?ずっと疑ってはいたんだよ……けど、この前の事件で確信した。 美雪(私服): ……この「世界」は、おかしい。早く平成に戻らないと、私たちまで殺されるかもしれない。 菜央(私服): そんな、じゃあレナちゃんを見殺しにしろっ、て……! その瞬間。操り人形の糸が途切れたように、菜央ちゃんの身体がぐらりと大きく揺れて……。 派手な音とともに、彼女は椅子もろともリビングの床に叩きつけられた。 一穂(私服): な、菜央ちゃん?! 菜央ちゃん?!しっかりして、菜央ちゃん! 慌てて椅子を飛び降り、その身体を揺り起こす。でも、力が入らないのかピクリとも動かない……! 美雪(私服): ……悪いね、今までの会話は全部時間稼ぎだ。キミは何をしても#p雛見沢#sひなみざわ#rにしがみつくと思ったから、強硬手段を取らせてもらったよ。 菜央(私服): あ、あたしに……なにを……し、たの……? 美雪(私服): 大丈夫、さっきのご飯に睡眠薬を混ぜただけ。 立ち上がった美雪ちゃんは、黙って菜央ちゃんを、私を……見下ろす。 美雪(私服): 入江診療所で出してもらったやつだけど、自分の身体で何度かちゃんと確かめたから……毒ではないはずだよ。 菜央(私服): じゃ、じゃあ、最近よくあんたが寝こけてたのは……。 美雪(私服): 分量の実験。ただ、菜央にはちょっと量が多すぎたかもね……ごめん。 菜央(私服): そ、んな……。 菜央ちゃんのまぶたがゆるゆると閉じられ……かくん、と辛うじて持ちあげていた首が、折れた。 一穂(私服): な、菜央ちゃん……?!起きて、菜央ちゃん! 菜央ちゃん! 菜央(私服): …………。 ゆさゆさと肩を乱暴に揺すっても、菜央ちゃんが起きる素振りはない。 そうしている私の頭上で、美雪ちゃんはポケットから取り出した自分の財布と小さな紙片をテーブルの上に置いた。 美雪(私服): 一穂、私は出かけてくるから。万が一のことがあったら、タクシーを呼んで#p興宮#sおきのみや#rに移動して……すぐに逃げるんだ。 美雪(私服): で、新幹線の駅まで移動したら……ここに電話をかけて。 一穂(私服): ……っ……? 慌てて顔を上げ、紙片を見る。そこには、9桁の番号が書かれていた。 一穂(私服): これ、誰の電話番号……? 美雪(私服): 知らなくていい。その方が話がスムーズだろうし。……で、こう説明して? 美雪(私服): 記憶がなくて、自分の名前しかわからない。 美雪(私服): けど気がついたら、頭のおかしな連中がたむろってる村にいて、赤坂衛って男に逃がしてもらった……って。 美雪(私服): 赤坂衛の名前を出せば、電話の向こうの人は絶対話を聞いてくれる。……私がいなくても、できるよね? 一穂(私服): み、美雪ちゃんは……? 美雪(私服): 私は、平成に戻る手段があるか最後に確認しに行く。といっても確実性は薄いから、あまり期待しないで。 一穂(私服): な……ッ?! 平成に戻る手段。それを、私たちはあまり考えたことがなかった。 だって#p田村媛#sたむらひめ#r様が、無理だって言うから。だから私たちは、存在しない戻る方法よりも……! より、……も? 一穂(私服): (あれ……?) 最後に田村媛様から連絡が来たの、いつだっけ? ……私が菜央ちゃんにすがりついている間に、美雪ちゃんは滅多に開けない台所の下から大きなビニール袋を取り出した。 中に詰まっているのは……大量の、パン? 美雪(私服): これ、東京に移動する間の食料。休んでる間に、焼いておいたから。 美雪(私服): 今日のご飯もだけど、興宮で買った水と材料で作ったやつだから、たぶん安全なはず。 美雪(私服): これ以外は、絶対口にしないで。飲み物もできる限り我慢して、自販機で。……どこで何を混ぜられるか、わからない。 一穂(私服): 混ぜられる……? 美雪(私服): 他人の作ったものは、もう口にしちゃだめだ。食べ物に、何を盛られるかわからない。あるいは水道も細工されてるかもしれない。 美雪(私服): おにぎりも考えたけど……どうしてもパンの方が日持ちするからね。一穂には悪いけど、我慢して。 一穂(私服): ……み、美雪ちゃん……! 美雪(私服): もうこの村は、誰も信じちゃいけない。レナも、魅音も沙都子も……梨花ちゃんも。 美雪(私服): お父さんの遺体も、沼に浮いてたけど……ひょっとしたら食べものに毒を混ぜられて殺されたのかもね。 一穂(私服): っ……それも、梨花ちゃんがやった……の? 美雪(私服): あの人は、私の知ってる梨花ちゃんじゃない。おじさんが教えてくれた、お父さんを助けた古手梨花じゃない……。 美雪(私服): あれはきっと、偽物だ。本物の古手梨花なら、私のことを知ってるはずなんだよ。 美雪(私服): なのに、私のことを知らないって言って……お父さんの死体を見ても、全然動揺してなかった! 一穂(私服): で、でもこの「世界」の梨花ちゃんが、美雪ちゃんのお父さんと会ってたとは限らないんじゃ……! 美雪(私服): ……15年前、本物の梨花ちゃんは私のお父さんに予言をしたんだよ。 美雪(私服): 今すぐ東京に帰らないと、後悔するって。そして予言は的中し、お母さんは階段から落ちて死ぬ運命から免れた。 美雪(私服): その時、梨花ちゃんはこうも言ったんだよ。5年後に私は死ぬ運命にある、って。 美雪(私服): 助けを求めたんだ……だからお父さんは、約束通り10年前の今、雛見沢に戻ってきた。 美雪(私服): そうじゃなきゃ、管轄外のこんな村に来るはずがない!なのに、なのになのにっ……! 美雪(私服): 一穂も見たよね?!梨花ちゃんの、お父さんの死体を見る顔! 美雪(私服): ゴミを見るみたいな目をしてた!本物の梨花ちゃんなら、できるはずがない!! ゴミを見るような目? ……知らない。そもそも鬼ヶ淵沼で梨花ちゃんなんていた?! 少なくとも、私は見てない!でも美雪ちゃんは見たと言う!この差は何っ? 何なの?! 美雪(私服): 遺体を見ても動揺しないなんて、偽物だって証拠だよ! 美雪(私服): いや……もしかしたら、あいつの存在がこのおかしな「世界」そのものを作り上げているのかもしれない! 美雪(私服): そして、誰かが平成に戻る手段を知ってるとしたら……あいつしか、考えられない! 一穂(私服): そ、それは……! 美雪(私服): ……一穂。キミは私のこと、信じてくれる? 一穂(私服): し、信じてるよ! でも、でも……だったらなおさら、美雪ちゃんだけ置いて東京には行けないよ! 美雪(私服): …………。 美雪(私服): ……あぁ、そうか。一穂も、私を信じてないんだね。 一穂(私服): え……? 言ってる意味がわからない。言っている意味が繋がってない。 一穂(私服): し、信じてるよ?! 美雪(私服): いや、いいよ……私なら任せられるって、自分で証明できなかったってだけだから。 美雪(私服): ……うん、知ってる。もともと『私』のことなんて、誰も信じてないって。 美雪(私服): 『私』を信じてくれたのは、お母さんと千雨?社宅の連中はみんな、私のせいでずいぶんと嫌な思いをしたからな……。 美雪(私服): なんだろ……短い時間しか一緒に過ごしてなかったのに……2人は、信じてくれるって思っちゃったんだよね。 美雪(私服): これからも、一緒にいられると思ってたけど……まぁ、信用できないんじゃ無理だよね。 はは、と美雪ちゃんが笑う。 私は彼女の、笑った声が好きだった。でもそれは、こんな乾いた笑いじゃなくて、あったかくて明るい笑顔で……! これは、……違う! 絶対に違う! 一穂(私服): そ、そうじゃない……! そうじゃない! 美雪(私服): ……ごめんね。信用してもらえるほど、2人に何もできなくて。……でも私は、ここで一穂と菜央まで失いたくないんだ。 美雪(私服): 2人は、私にとって友達なんてレベルじゃない……命綱だ。いなければ、とっくに壊れてた。 美雪(私服): だから、絶対に失いたくないし何も欠けさせたくない。……けど、2人がいたら私は深い場所に潜れないから。 一穂(私服): っ?! ぐらり……と世界が歪んだような感覚に陥り、菜央ちゃんの身体の上に倒れ込む。 小さな彼女を潰してしまうという危機感は確かに存在しているのに、なのにどうして私は手足を動かすことすらできないの……?! 美雪(私服): あー、やっと効いてきた?一穂の方には菜央よりも多めに睡眠薬を入れたんだけど、なかなか効かないから焦ったよ。 一穂(私服): み、美雪ちゃ……。 美雪(私服): ……ちょっと計画変更かな。こんな村を出て行くなら、戦わなくてもいいし。 美雪ちゃんの手が、私の頭を撫でる。その手つきが酷く優しくて、……恐ろしくて。 美雪(私服): ……腕は、やめておくよ。菜央は裁縫ができなくなるかもだし……自分で見つけた夢は、大事にしないとね。 一穂(私服): あ、ぅ……、ぁ……。 声すら、もう出ない……まぶたが落ちて、目の前が暗くなる。 美雪(私服): ごめんね。痛いと思うけど……せめて、可哀想な被害者でいさせてあげるから。 美雪(私服): ……ごめんね。生きて。 頭上から、酷く優しい声が聞こえて……。 Part 03: ――それから、どれくらい経ったのか。 激痛で、たたき起こされた。 一穂(私服): ……あぐっ?! とっさに鈍痛の元をたどる。右足のすねの辺りが、赤黒く腫れ上がっていた。 ……疑う余地はない。美雪ちゃんがやったんだ。 一穂(私服): な、菜央ちゃ……菜央ちゃん……!! 慌てて跳ね上がり、自分の身体の下にいた菜央ちゃんを揺さぶる。 でも、私と同じように足を腫らせた彼女はまだ薬が効いているのかまぶたはピクリともしない。 一穂(私服): そ、そうだ、梨花、ちゃん……梨花ちゃん……! 私は痛む足を引きずりながら立ち上がると、電話へと近づいた。 かける相手は……決まっている。今はとにかく、「あの子」に……ッ! 沙都子: 『もしもし?』 一穂(私服): さ、沙都子ちゃん?! ぐ、ぅ……!り、梨花ちゃん……梨花ちゃんは、いる?! 沙都子: 『梨花でしたら少し前に出かけましたわよ。少し前に美雪さんから同じことを聞かれましたが、一緒にいるのではありませんの?』 一穂(私服): ど、どこに……?!梨花ちゃんは、……どこ、行ったの……っ? 沙都子: 『……#p興宮#sおきのみや#rと言ってましたわ。喫茶店で、どなたかにご馳走してもらうとか』 一穂(私服): ……ッ……?! 痛みと睡魔をこらえながら、私は自転車をこいで興宮まで最速で向かう。 もう二度と足が動かなくなっても構わない。それより、それより……! 一穂(私服): ……あっ! 沙都子ちゃんに教えてもらったお店が見えた瞬間、自転車を投げ捨てて駆け寄る。そして、窓ガラスつきのドアにとりついて――。 ――瞬間、悟った。 美雪(私服): 返して、返して、返せぇええええええ!! 美雪ちゃんを、見つけた。目を血走らせ一心不乱に足元の肉塊をさらに細切れにしている。 服から見て、わかる……あれは、梨花ちゃんだ。 いや、もうあれは梨花ちゃんじゃない。いくつもに細切れにされた梨花ちゃん「だった」モノだ……! 周囲には、美雪ちゃんを止めようとして巻き添えになったのか、大人の男の人が何人も血を流して床に転がり、うめき声をあげている。 その中には……大石さんもいた。頭から血を流しながら、必死に美雪ちゃんに手を伸ばそうとして……でも、届かない。 大石: や、やめなさい……!その子は、赤坂さんの死因を突き止めようと……! 美雪(私服): うるさいっ! あんたも騙されてるんだ!目を覚ませ! こいつは古手梨花じゃない! ガン、と手にした武器が梨花ちゃんの肉を分断する。 美雪(私服): 返して! 返してッ! 返せ、返せ、返せッ!! 美雪(私服): お父さんを、お母さんを助けてくれた、5年前の、古手梨花をッッッ! 美雪(私服): 私をッ……私を生かしてくれた、助けてくれたッ!! 本物のッ!! 美雪(私服): 梨花お姉ちゃんを返せぇぇええええええ!!! 一穂(私服): あ、ぁ、あ…………! びしゃり、と血が窓に飛んで。目の前が、真っ赤に染まり――。 一穂(私服): あぁぁあぁぁあああああああぁあああああ!!!! 美雪(私服): 一穂、一穂……。 美雪(私服): ……一穂ってば、起きてよ! 一穂(私服): ……ぅ……。 目を開けると、そこはいつもの教室で。 美雪: ほら。知恵先生が呼んでるよ? 梨花: みー……一穂、大丈夫ですか? 視界の中に、いつもの美雪ちゃんと自分の席に座ったままこちらを振り返る梨花ちゃんがいた。 一穂: (……生きてる。2人とも、生きてる) 一穂: う、ぁ、うぁ、うぁぁぁぁ…………! 理解した瞬間、涙がぼろぼろとこぼれて2人の姿が見えなくなった。 一穂: うぁああああああぁあぁぁああああぁあ!!!ごめんなさい美雪ちゃんごめんなさいごめんなさい! 美雪: えっ?! 一穂: ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいうぁぁあぁぁああああああぁぁああああぁあああぁあああああああぁああああああ!!! 魅音: えっ、なになに?! レナ: は、はぅ……一穂ちゃんどうしたの? 知恵: き……公由さん、大丈夫ですか? 美雪: えーっと、すみません、先生!一穂のこと落ち着かせてくるんで、こっちに構わず授業続行してください。 知恵: 本当に、大丈夫ですか? 美雪: 大丈夫でーす! 美雪: ほーら、一穂。私にしがみついてでいいから立って?外に新鮮な空気吸いに行こーっ! 一穂: うぅ、うぅ、ぅうっ……! 菜央(私服): …………。 ……美雪ちゃんに抱えられるようにして連れられてやってきたのは、分校の裏庭だった。 少し湿った空気が漂うそこに辿り着くと同時、私は堰を切ったように喋り続けた。 そして、自分が今の今まで見ていた夢の内容を言葉にすればするほど、……美雪ちゃんは顔をしかめていく。 美雪: お、おう……。うたた寝中にとんでもない夢見ちゃったね。 一穂: うっ……ぅぅっ、うえっ、うぇえぇんっ……! 途切れ途切れの説明を理解してもらったことを悟った瞬間、再び涙が溢れてきた。 美雪: お父さんが殺されて、私が梨花ちゃんを偽物って叫びながら惨殺する……?うーん、ちょっと自分で想像ができないや。 一穂: うぐっ、えっ、ぐっ、うっぐ……! 美雪: よしよし、泣くな泣くな。 美雪ちゃんが私を抱きしめながら、優しく背中を撫でさすってくれる。 ……いつもの彼女の、優しい手。それがとても安心できて……余計に涙が止まらなくなってしまった。 美雪: よく寝てるから、先生に見つかるまではいいかなーって思ってたんだけど……起こせばよかったね。ごめん。 一穂: ち、違う……違う、違うの……! ごめん、という言葉が夢の中の彼女の声のトーンと重なり、急に恐ろしくなって慌てて首を横に振る。 まだ、今が夢の続きなのか現実なのかが区別できない。……というより、さっきのは本当に夢と思っていいのだろうか……? 一穂: ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!もう、パンは嫌なんてワガママ言わないから……! 一穂: だ、だから、だから……!置いて行かないで、美雪ちゃん……行かないでっ……お願いぃ……っ! 美雪: あー……一穂。私に合わせて、復唱!いーち、にーぃ、さーん、しーぃ、ごーぉ、ろーく、しーち、はーちっ! 一穂: え……っ? 何を言い出したかわからず目を白黒させていると、美雪ちゃんがにっ、と笑って続けた。 美雪: はい、復唱! いーちっ! 一穂: い、いち……に……さん……し……ご……ろく……しち……はち……。 美雪: はい、おしまい!どう? ちょっと落ち着いた? 一穂: ……うん。 ……不思議だけど、確かに数字を追いかけているうちに、少しだけ自分が戻ってきた気がした。 美雪: よしよし。落ち着いたから言うけど、私は一穂たちを置いてどこにも行かないよ。 美雪: そもそもパンが脱出用の非常食云々は、一穂の夢の中のお話。 美雪: 言い方は悪いけど、それは一穂の妄想。そんな事実はありません。おーけー? 一穂: で、でも……でも……! 美雪: ご飯にパンが多いのは、私がパン好きなだけだよ。 美雪: まぁ、日持ちがするからお腹空いた時にすぐ食べられるとか、片付けが便利とかお米より利点は多いとは思ってるけどね。 美雪: んー……まさか一穂にそこまでの悪夢を見せるほどの負担をかけてるとは思ってなかったよ。……ごめんね。 一穂: じゃ、じゃあ#p雛見沢#sひなみざわ#rのこと……梨花ちゃんたちのこと、し、信じてる……? 美雪: ……そもそも、一穂が現実で私が梨花ちゃんたちを疑ってるな、って思ったことがあった? 一穂: な、ない……。 美雪: 沼に浮かぶ、お父さんの死体を見た?私は見てないけど。 一穂: み、見てない……。 美雪: じゃあ全部ただの夢だよ、夢。 ぽんぽん、と私を抱きかかえる手が優しく背中を叩いてくれた。 一穂: よかった……本当に、よかった。う、っ、うっ……! 美雪: おー、泣かない泣かない。大丈夫大丈夫。一穂たちを残してどこにも行かないし、梨花ちゃんを殺したりもしないから。 一穂: うん…………うん。 美雪ちゃんの胸に顔を押しつけ、何度も頷く。やがて息苦しくなって顔をあげると、私を見下ろす彼女と目が合った。 美雪: ちょっと落ち着いたなら、あっちの水道で顔を洗ってきなよ。 美雪: 一穂。キミの顔、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだよ?ついでに私の制服もだけどね。 一穂: ご、ごめんなさい……。 美雪: あはは、こっちは帰ってから洗うよ。ほら、ハンカチ。顔洗うなら1枚じゃ足りないでしょ? 一穂: う、うん……ありがとう。 美雪: ここでちゃんと待ってるからさ。ゆっくり顔洗って、落ち着いたら戻っておいで? 一穂: …………うん。 そして私は水道の方へ行こうとして、角を曲がる寸前にもう一度振り返る。 こちらを見て手を振る美雪ちゃんは、いつもの彼女で。 私はその姿に安堵を覚えるとともに、夢程度で大騒ぎした自分を恥ずかしく思いながら水道へ向かった……。 美雪: ……にしても、なんで一穂はそんな夢を見たんだろ。梨花ちゃんとお父さんの関係は、まだ誰にも言ってないはずなのに。 美雪: ひょっとすると一穂は、私が無意識に持ってた村への疑いを感じ取って、今回の夢を見た……って考えると辻褄は合う、かな? 美雪: もしそうだったら、悪いことしちゃったな……。 …………。 美雪: けど、少し気を引き締めたほうがいいかもね。最近平和だったこともあって、ここでいきなり不意打ちでもされたら、私の心が折れかねない。 美雪: だから、……嫌だけど、お父さんが殺される可能性も考慮して動くことにしよう。 美雪: 一穂にあぁ言った手前、私が猜疑心をこじらせるわけにはいかないからね。 美雪: ……大丈夫。うん、まだ大丈夫。 美雪: 今の状況で、私は狂ったりしない……狂うわけには、いかないんだ……。