オーフェンは、マジクの肩を思い切りつかんだ。
マジクがうめく。
「げ──い、痛いですよ、お師様」
「お前もつかまってろ。離れたら死ぬぞ」
「……え?」
「村の外まで、魔術で転移する。少なくとも、声のとどくところまではな」
オーフェンが言うと、マジクはほっと安堵の吐息を漏らした。
「なんだ──そんなことができるんですか」
「できるにはできる──万にひとつの奇跡が起きれば、生き延びることができるかもしれない」
「……はあ?」
「転移の魔術ってのは、よほどの熟練者が試みても、極端に成功率が低い──十メートルの距離を跳ぶのでやっと。その倍の距離になれば、数パーセントってところかな。声のとどくかぎりとなれば、コンマ以下だ」
「そ、そんなあ!」
マジクが悲鳴をあげる。オーフェンは無視して、視線だけで周囲を見回した──こちらを包囲した村人たちは、殺気立って手にした武器を掲げている。何人か、屋根に上ろうとしている者もいた。迷っている時間はない。
「失敗すれば、全身の細胞が沸騰して完全消滅を起こす。転移する間に壁やらなにやらの障害物が入れば、それだけで衝撃死する可能性も高いしな。それでなくても、大気摩擦だけでとてつもない熱量が発生する。身体がそれに耐えられなければ、一瞬で衰弱死する」
と、数百の村人たちに視線を転じて、続ける。
「あるいは、この連中と力つきるまで戦争するかだ。どっちを選びたい?」
「どっちも死ねって言ってるようなもんじゃないですか」
泣きそうな顔でつぶやくマジクに、オーフェンはかぶりを振った。
「いや、違う」
「は?」
「どちらにも生き延びるチャンスはある。くそ……せめてフィエナがいれば、彼女を人質にするってテもあったんだがな」
「させませんよ、そんなこと」
マジクがつっかかってくるが、オーフェンは無視した。意味のない口論をしても仕方ない。既に鍬を持った男がひとり、屋根に上がってきている。
「今までもロクなメにゃあわなかったが……こいつは極め付けだな」
オーフェンは拳を固めると、そちらに向き直った。やはり転移の魔術はリスクが大きすぎる──それでも最後の手段となれば、考えないわけにはいかないが。
「くそっ」
オーフェンは口の中で吐き捨てると、躍りかかってきた男を屋根の上から突き落とした。
「……よう。ちゃんと待ってたみたいだな」
サルアが声をかけると、薄茶色のマントをすっぽりと羽織ったフィエナは顔を上げた。この半年間で伸びた髪を後ろでポニーテイルにまとめ、マントの下も、巫女服ではなく普通のシャツの襟刳りがのぞいている。
村の、騒ぎからはかなり離れた一角である。喧噪と、魔術が爆発する音が聞こえてくる。だがそれも、遠い場所の出来事のように小さい……
彼女はまずこちらを見て、そして伏せるようにまぶたを落とした。
「あのひとは連れていかないんですか?」
「? どのひと?」
サルアがすっとぼけて聞くと、少女は少しためらうように肩をすぼめた。
「だから……マクドガルの使用人の。知ってるんです。あのひとと、恋人なんだって」
「俺とあの女?」
別に、そういった仲ではない。少なくとも、兄の逆鱗に触れるのを分かっていても、郷里につれていかなければならないほどの仲では──とはいっても、フィエナ相手にそれを説明できる自信は、サルアにはなかった。
(俺を、女ひとり片腕に抱いて凱旋できるヒーローだとでも思ってるのだかね? しがない、みじめな暗殺屋をよ)
サルアは剣帯をがちゃつかせながら、答えた。
「彼女は、この混乱だからな……はぐれちまった。どのみち、この村の人間なんだからよ、ここにいるのが幸せなのさ、彼女は」
正確には、彼女を連れてこの騒ぎを切り抜ける自信がなかったので、わざとはぐれるように足を速めたのだが……せりふの後半は、むしろ本心に近かった。
「行くぜ──あの魔術士が、みんなの目を引き付けてくれてる間によ。なあに」
と、サルアは安請け合いして手を振った。
「マジクとかいうガキのことを心配してるんだろうが、死にゃしねえよ──ああ、死ぬわけがねえ」
こっそりと目を光らせる。喜悦に。
「こんなところで死ぬわけがねえさ……特に、あいつはな」
フィエナは、それでも安心はできないようだった──不安げに、村の中心を遠く眺めている。彼女は、ぽつりと聞いてきた。
「わたし……逃げてしまって、いいんでしょうか」
ざっ──と、サルアの視線が彼女を撫でる。彼は、あっさりと答えた。
「マクドガルを失った村人たちに捕まったら、お前、今度こそ逃げる隙なんぞないほど完全に監禁されちまうぞ。今度は巫女でなく教祖としてな。生き延びるのが最重要だろ──逃げもせずに打ち勝ちたい、なんてのはただの自己満足だ。悪いこっちゃねえけどよ」
「わたし……どこに連れていかれるんですか?」
「キムラックだ。とりあえずは、俺の養女になる。正しくは、俺の兄のな。まあ……あまり幸運なことだとは思わないでくれよ」
「あなたのお兄さん、会いたいです」
「そのせりふを後悔する日が、きっと来る」
サルアはため息混じりに、彼女の背中をぽんとたたいた。
ちらりと──ほんのちらりと──背後を見やる。オーフェンの魔術の声が、かすかに聞こえた。
「死ぬわけはねえよな……必ず来るはずだ。俺のところによ。それまでは……そうだな」
彼は小さく、つぶやいた。怪訝そうにこちらを見上げているフィエナにも気づかず。
「それまでは、退屈だな」
そしてサルアはフィエナを連れ、深き《森》へと出ていった。
十五人目で、さすがに息が上がってきた──おまけに、多少の手傷も負っている。屋根の上、マジクと背中あわせに、オーフェンは深々と息をついた。
「……あと、どれくらいもちそうだ?」
マジクは答えてこなかった。かぶりを振ったのが、気配で分かる。
(ま、善戦したほうだがな)
戦闘訓練などなにも受けさせていないのに、魔術だけで何人かの敵を撃退している。が──
「そこまでだ」
ふと気が付くと、屋根の上に、五人の男が上ってきていた──まだ若い、二十代の後半くらいの男たち。手に拳銃を構えている。
「マクドガル親衛隊の残党ってトコか」
オーフェンは、皮肉げな笑みを浮かべながらそう言った。五人の後ろからも、ばたばたと次々別の男が上ってきている。そいつらも、拳銃で武装しているらしい。
最初に声をかけてきた男が、続けた。
「罪ある魔術士よ──我らが心臓、我らがマクドガル様の仇を取らせてもらう」
オーフェンは、投げやりにうめいた。
「好きにしろよ。俺は疲れた」
「お──お師様っ!?」
マジクが、驚愕の声をあげる。オーフェンは無視した。
「しっかり狙えよ。一発で仕留めねえと、ほかの奴が俺の命を横取りするかもしんねえぞ」
「……横取り?」
鈍そうな声で、男。オーフェンはにやにやと続けた。
「おんや? 分かってねえのかな。どうせ、こんな田舎村のこった。教祖の仇を取った奴が、次の教祖──その程度のシステムなんだろが?」
「う……」
少し驚いたように、男たちが互いに視線を見合わせる──実際に暗黙の了解で、そういった取り決めはあったのだろう。なかったとしても、今の一言でその可能性を示唆できたはずだ。
(あと一息だ)
オーフェンは、続けた。
「おい、ほら──お前がぼさっとしてっから、後ろの奴が手柄を狙ってやがんぞ」
「なにっ!?」
男が慌てて振り返る。それに反応してか、反射的に後ろの男たちが拳銃を構えた──
(今だ)
オーフェンは、胸中で叫んだ。くるりと振り返り、マジクをはがい締めにする──そして渾身の力を振り絞り、彼は叫んだ。
「我は踊る──」
転移の魔術だ。ほかに方法はない──
「天の楼閣!」
「ひああああっ!」
さっきの説明を思い出してか、マジクが悲鳴をあげた。実際、さっきの説明通り、長距離を転移すれば、その成功率は極めて低い──ほぼゼロだ。だが、オーフェンが跳んだのは、通りをはさんだすぐとなりの小屋の屋根だった。すっ──と視界が開け、傾いた屋根の上に足を下ろしてから、オーフェンは続けて叫んだ。
「我は放つ光の白刃!」
渦巻く光熱波が、さっきまでオーフェンらの立っていた小屋の壁に突き刺さる。木製の壁はあっけなく撃ち抜かれて、小屋の中に溜まった熱衝撃波は、屋根ごと小屋を一気に炎上させた。絶叫じみた悲鳴をあげながら、男たちが転落する。
「やった──」
とマジクが歓声をあげるが、結局のところ、事態はさほど好転していない──包囲される小屋が、あちらからこちらに変わっただけだ。案の定、村人たちはすぐさまこちらの小屋の真下に殺到してくる。
「こうなりゃ──」
オーフェンは、汗をぬぐいながら声をあげた。
「とことんやってやる!」
構えをとる。魔術の構成を編み──全身から力を振り絞って──
──ふわっ──
とした感覚が、身体を包んだ。あまりにも静かに……優しく。
穏やかすぎて、それが爆圧であることなど気づかなかったほどだった。
しゅわ──!
炭酸水が弾けるような音が、耳の中に響く。同時に視界を押し潰した光量に、オーフェンは悲鳴をあげた。熱風が、汗を含んだ髪を一気に乾かす。すべてが終わったとき──
オーフェンは、目を開けた。なにも変わっていない。いや……
恐る恐る、彼は振り向いた。マジクがぺたんと尻餅をついている向こう──村の中心に、なにやら巨大なクレーターができている。そこにあったはずの教団の塔も……工房も、一瞬で蒸発してしまっていた。
「今のは……」
オーフェンは、うめいた。なにもなくなったクレーターの真ん中に……すうっと、空気から現れいでるように漆黒の巨体が姿を浮かばせる。ディープ・ドラゴン=フェンリル。
おお……と、村人たちから感嘆の声が漏れた。
ざっ──と、背筋が粟立つようなプレッシャーを覚えて、オーフェンはあたりを見回した。いつの間にいたのだか……村の外輪を、ずらりとドラゴンが埋め尽くしている。
「オーフェン!」
いきなり、黄色い声が静寂を破った。よく見ると、村の中心に現れたディープ・ドラゴンの背中にクリーオウが乗っかっている。なぜか小さなドラゴンを胸に抱いて、その後ろで固まって、レンジャーの装備をしている三人の男が真っ青になって震えていた。
あっけにとられるオーフェンや村人たちの表情にも気づかずに、クリーオウがさらに続ける。
「大変なの──大変なのよ!」
と、ぶんぶんと剣の鞘を振ってみせる。それにあわせて、抱いている子ドラゴンも首を動かしていた。
「このドラゴンねえ──なんていうか──ものすごく怒ってるみたいなの!」
「……あん?」
「なんだか、ここの村の人をみんな殺すって言ってるの!」
彼女の声を、そのまま肯定するように──ディープ・ドラゴンが双眸を見開く。
瞬間、すべてを焼き尽くすような純白の炎が膨れ上がった──あまりの光量に、その規模も分からない。またなにかが蒸発する音──ちゅん、ちゅんっと小さく弾かれているのは、金属が沸騰する音だろう。すさまじいまでの光の中で──オーフェンは両腕で顔をかばった。吹きつける熱風で、肌がそのままはがれてしまいそうな激痛を覚える。
今度の光が消えると──村の半分が、消えていた。
沈黙──そして──
「きゃあああっ!?」
泣き出すような、クリーオウの悲鳴。
(たった一瞥で──村を消し飛ばしただと!?)
オーフェンは絶望的に、ディープ・ドラゴンを見据えた。群衆が、悲痛なざわめきを発する──今の一撃で、村だけではない、村人もかなりの数がその魔術に巻き込まれていた。
「暗黒魔術──か」
太刀打ちできるような次元のものではない……
オーフェンは、ぼやくように言った。ぺたんと力つきたように、彼のひざに背をもたれているマジクが、しゃっくりのような悲鳴をあげている。
「な、な、な……」
と震えるマジクの肩をつかんで、起き上がらせてやりながら、オーフェンは叫んだ。
「クリーオウ! お前はなんでドラゴンの背中なんかに乗っかってるんだよ!」
「だって──」
少女が、半泣きになって叫び返してくる。抱いている子ドラゴンを示しながら、
「この子の親がさ、この村を滅ぼすから、下がっててって言うから──止めようとしたら、いっしょにこんなところに跳んじゃって──」
「ったく──」
オーフェンは毒づきかけて、やめた。なにかが、頭の中に割って入ろうとするような気配を感じたのだ。
勘に任せて視線を転じると──自然、視線はドラゴンと合った。ディープ・ドラゴンの緑色の瞳が、輝きを発する。
《汝らは、禁忌を侵そうとした》
その声──空気を振動させる声ではないが──には、オーフェンは聞き覚えがあった。最初にこの村に潜入した夜、彼に精神攻撃をかけたドラゴンと同じ感触である。
ディープ・ドラゴン=フェンリルは続ける。偉大なる心臓と名乗る村で。
《よって処分する》
群衆の間に、不理解の沈黙が降りた──が、やがてドラゴンの言葉が浸透していくにつれ、徐々に……ヒステリーの波が、沈黙にとってかわる。
あまりにも迅速な殺戮が始まろうとしていた。
(禁忌……?)
訝しみながらオーフェンは、屋根から飛び降りた。ドラゴンの視線の一閃が、三度とてつもない熱量を噴き上げる──
その光の中に、十数の人影が消えるのを、オーフェンははっきりと見ていた。天まで焼き焦がす真白き炎が、大気に散る。
「お──」
地面に降り立って、オーフェンは胸元のペンダントをつかんだ。どうしようもない衝動が──肺を震わせる。
「おあ──あああああっ!」
ペンダントの鎖を引きちぎり、オーフェンは、それがそのままなにかの武器であるかのようにドラゴンに向けて構えた。こちらを無視して、また緑色の視線を放とうとしているディープ・ドラゴンに叫ぶ。
「我は踊る天の楼閣!」
叫んだのは、転移の魔術だった──だが、転移を行うのは自分ではない。手の中の、冷たい銀のペンダントだ。銀細工のドラゴンの紋章は、一瞬にして彼の手の中からかき消え、鋭い音を立ててドラゴンの向こうの空間へと現出した──つまり、ドラゴンの身体を突き抜けて向こうに現れいでたことになる。
空間転移といったところで、文字通り空間を跳躍できるわけではない──魔術で質量をごまかして、絶大な加速をかけるといった意味でしかなかった。つまり、目に見えなかろうと壁があればぶつかるのだし、そんな加速状態で衝突したのならば、すさまじい衝撃を受けることになる。しかも、質量的には存在していないわけだから、転移した物質自体はまったく破壊されずにエネルギーだけが破裂するわけだ。
爆発はドラゴンの、喉のあたりで起こった。爆衝とでも呼べばそれらしいかもしれない衝撃波が、ディープ・ドラゴンの身体を横倒しにする──背中に乗っていたクリーオウやレンジャーたちが、悲鳴をあげて落下するのが見えた。
ぴぃぃぃぃ──ぃん──と一瞬遅れて、空中に跳ねたペンダントが、かん高い音を立てた。それを合図にするように、ゆっくりと黒いドラゴンが……首を起き上がらせる。
(あれすらも通じねえのか……)
オーフェンは、愕然とした気分でよろめいた。
今のは、一種の切り札だった。普段はまずやらない──人間相手なら、抵抗も防御もさせないまま、問答無用で殺してしまうことになりかねないからだ。
もっとも、ディープ・ドラゴンは、その爆発をも魔術で押さえ込んだようだった。
起き上がった漆黒の獣と、オーフェンはじっとにらみあった──ディープ・ドラゴンの魔術の炸裂がなくなったわけではない。村を取り囲んでいた数十ものドラゴンたちが、ゆっくりと行動をとりはじめていた。ときおり、光が大気をかきまぜ、振動が地面を震わせる……村はもうパニックで、今さらオーフェンに構う者もいなくなっていた。村人たちみんなが、散り散りになって逃げようとし、そして爆光の中に消える。
オーフェンは身動きできずに、じっとドラゴンの双眸を見据えていた。大陸最強の戦士……《森》を守護するドラゴン種族。
(ひとにらみされただけで──俺はこの世から消滅する)
オーフェンはふと、自分が失禁しそうなほど怯えているのに気が付いた。勝てるわけがない──
「オーフェン!」
呼びかけられて、彼はびくっと身体を震わせた。どこをどう走ってきたのか、背後からクリーオウが近づいてくる。まだ腕に子ドラゴンを抱いたままで、マジクもいっしょのようだった。振り返らずにいると、クリーオウは、さっととなりに並んできた。
「サポートするわ!」
と、きっぱりと言ってから、ふと困ったように聞いてくる。
「……どうすればいい?」
オーフェンは、なんだか無意味に笑い出したくなってきた。なにもかも投げ出して、やめにしてしまいたい──その一方で、ひどく静かに決心する自分の姿も見ている……
(……まだだ……)
まだ彼になにかできると信じているらしいクリーオウや、マジクの顔を見ながら、また──強い眼差しで、ドラゴンを睨めかえす。
キリランシェロだった頃とは違う……今ここであきらめることの意味が、あまりにも大きすぎる。
視線はそらさず、オーフェンは言った。
「これだけの数のドラゴン種族を相手に、勝つことは無理だ。奇襲も奇策も、ハッタリもきかねえ──奴らはこっちの心が読める」
「じ、じゃあ……どうするの?」
クリーオウが聞いてくる。オーフェンは、ため息をひとつついた。少女の腕の中の、きょとんとした顔のドラゴンの首を、むんずとつかむ。
「人質だ」
「オ──オーフェン!」
クリーオウが悲鳴をあげた。マジクも、なんだか驚いたような顔でこちらを見ている。どうも、相手の子供を盾にとることを予想していなかったらしいが、あまり奇麗事を言っていられる場面でもなかろう。
「俺が本気だってことは、分かるはずだな、ディープ・ドラゴン──」
心を読まれていることは承知で、オーフェンは言った。
「突然襲いかかってきた理由は聞かない──さっさとこの村から消えるんだ」
ディープ・ドラゴンは言葉を解する──というか心を読むのだが、眼前のディープ・ドラゴンの瞳が、躊躇するように揺れるのを見て、オーフェンは内心ほっとした。クリーオウやマジクを守るためなら、いかに子供だろうとドラゴンの首をへし折るのにためらいはしないが、実際にそれをやったら当のクリーオウらに八つ裂きにされそうではあった。
張本人(?)たる子ドラゴンは、事態が分かっていないのか、首根っこをつかまれても、気持ちいいと思っただけのようだ。
そのドラゴン──彼女? が、このディープ・ドラゴンの群れ全体のリーダーなのか──彼女が動きを止めると、ほかのドラゴンらも攻撃をひかえた。唐突にまた静かに、そして痺れるほど緊迫した空気が立ち込める。
「このまま立ち去れば、このガキは解放する。早く決断しろ……俺は暗殺訓練を受けた魔術士だ。やると言ったらやるぞ」
言うオーフェンの手首に、子ドラゴンが小さな頭をすりよせてきている。
答えはない……すっと、眼前のドラゴンの双眸が、細くなる。
長い沈黙の後に、彼女は告げた。
《好きにするが良い》
「──なに?」
信じられない思いで、オーフェンは聞き返した。ドラゴンは平然と、
《我らの魔術を侮るな……死したものも蘇生させる。我らは戦士だ。傷を与え、傷を癒すことが能力──》
そして、緑色の瞳が見開かれる。
《スレイプニルが無を──原初を支配し、ノルニルが創造と管理を司る。そして我らフェンリルは効果的に敵を排除する。我ら種族は、無意味に存在しているのではない──汝らとは違うのだ。自らを無意味に、無価値にしてしまった汝らとは》
「無価値……だと?」
歯をぎしりと鳴らしながら、オーフェンはつぶやいた。