「ぢょっどお仕置きをずるだけっで言っだじゃないがああっ! 当てるつもりはないがらっで言っだじゃないがああっ!」

 涙でべたべたにれながら泣き叫ぶボルカンを、しばらくじっと見やってから、黒魔術士がぽつりとつぶやく。

「……涙でふやけたほうが、きっと矢がさりやすいよな。もうちょっと見てよう」

「なかなか科学的ですね、お師様」

とかねえのか、お前らはっ!」

 泣きまねをやめて、ボルカンがる。黒魔術士もまた、頭だけ起き上がらせると、怒鳴り声をあげた。

「なにが慈悲だ、この福ダヌキ! てめえがつまらん口すべらせたせいで、こちとらこのくそいまいましい地下牢で、ごうかいふついじゃねえかっ! 金も返さんと、ロクでもねえことばっかりしやがって、こんなもんで俺の気が晴れると思ってんじゃねえぞっ!」

「なにがだ、金貸し! ケガしよーがなんだろーが気がつきゃ治ってるゴキブリ体質が、もったいぶって根に持ってるんじゃねえっ! ヘアマニキュアでめ殺すぞ!」

だまごくらくダヌキ!」

「びっくり箱から飛び出し殺すぞ!」

 不毛に続くののしり合いを聞きながら、サルアは、とりあえずじようきようはおおむね分かったと判断した。それにしても……そろそろこっちに気づいてもらいたいものだが。

「なにやってんだ、お前ら……」

 ぽつりと、口にする。今さら、はっと気づいたように、ボルカンがこちらを向いた。ぶわっと涙を飛び散らしながら、わめいてくる。

「ああっ! あに助けてっ! 俺は全然悪くないのに──ちがっても、ちょっと口をすべらせて、この借金取りどもを頭のイカれた教祖に売り渡したりはしてないし、あまつさえ様子を見て身動きできないようならとどめを──もとい、心配していにきてやったってのに、こいつらときたら、ただの気晴らしで俺を殺そうと──」

 一方、平然とした口調で、黒魔術士。

「……実は、その通りなんだ」

「気晴らしで殺すなああっ!」

「あなたは、確か……」

 ふたりの口論は別に、じっとこちらを見て静かな声をあげたのは、例のマジクとかいう少年だった。もっとも、子供とはいっても、魔術を扱えるのは知っているから、油断はできないが。

 ろうかぎは開いている──地人たちを牢に入れるのに、魔術でかいじようしたのだろう。

(便利な能力だ)

 たまに、うらやましくなる──もっとも、こんなことをきようの兄が聞いたらそつとうするだろうが。

 サルアは、開けっ放しになっている牢のとびらをくぐり抜けた。

「俺はサルアだ──お前は、確かマジクとかいったな……あんたは?」

 と、これは地面に転がったままの黒魔術士に。昼間、マクドガルに連れられて見に来たときよりもひどくすいじやくしているようだったが、まあ……ドラゴンなどににらまれたのだから、当たり前といえば当たり前か。

 黒魔術士は、ぜんとした声で答えてきた。

「俺はオーフェンだ」

「へえ?」

 サルアはにやりと返事しながら、黒魔術士──オーフェンの横にかがみこんだ。手をばし、魔術士の胸元にあるペンダントを裏返す。

「剣と、一本脚のドラゴンのもんしよう──《きばとう》のものだな。なるほど、確かにオーフェンと名前が書いてある」

 ぴくり、とオーフェンの表情にどうようが走るのが見えた──無論、持ち主であるこの男が知らないわけはあるまい。紋章の裏側にはキリランシェロという名前がきざみ込んであった。

 サルアは肩をすくめて、ペンダントをもとにもどした。別に、名前をいつわったことをにくったわけではない──めいを使うのには、それなりの理由があるのだろうと思っただけのことだ。ならばその事情に従うのは貸しを作れることになるし、それに──なんにしろ、口に上らせるのもしんちようにならざるを得ない。《牙の塔》のキリランシェロ、その名には。

(チャイルドマン教室の〝サクセサー・オブ・レザー・エッジ〟キリランシェロ……)

 人類史上、ありとあらゆる面で最強の力を持つ黒魔術士チャイルドマン──そのこうけいしやもくされていた、チャイルドマン教室七番目の生徒キリランシェロ。少なくとも大陸で第一級の実力を持った黒魔術士である。五年前に《塔》からしつそうしたとは聞いていたが、こんなところで地べたに寝ているとは思わなかった。

 それだけ分かれば──

「ふむ……」

 つぶやくと、サルアはレンジャージャケットのポケットのひとつから、小さな飛び出しナイフを取り出した。ぱちんと刃が飛び出し、サルアの手の中でおどる。げ、とマジクが声をあげた。

「な、なにをするんですか!」

 と、思いのほか素早く立ち上がって、こちらに飛びかかってくる──

しろうとだ)

 とサルアは思った。こちらがぞうに振った手になぐりつけられ、魔術士のかべまで吹き飛ぶ。土壁にがつんと頭を打って、うらめしげにこちらを見ながら、少年は動かなくなった。ボルカンがかんせいをあげた──

「助けてくれるんですね!? あに!」

 サルアはナイフをひらめかせると、地面に倒れているオーフェンののどめがけて、ナイフを突き下ろした。もし本当に身動きができないのであれば、キリランシェロの伝説はここで終わる。それも良かろうと思いながら、サルアはナイフにごたえを感じた。

 ナイフの刃は地面にさっている。そこには、オーフェンはいなかった。

 思わず笑みを浮かべながら、顔を上げる──オーフェンはすぐそばに立っていた。顔色はそうはくだが、目付きはするどい──こちらを切りきそうなほどに。

「身動きできねえってのは……しばか」

 サルアがつぶやくと、オーフェンは事もなげに答えてきた。

鹿こけ。本物さ──だが、それでも一日休んだからな」

「タフだねえ……」

 サルアはにやりとして、地面からナイフを引き抜いた。そのまま一挙動──いや半挙動で、オーフェンに向かってナイフを投げ付ける。黒魔術士はあっけなく避けて、ナイフはそのまま背後の、ボルカンの頭に突き刺さった。

「ひああああっ!」

 ──という地人の悲鳴──それが、開始の合図になった。

 相手に魔術を使わせるわけにはいかない──サルアは右手を抜き手にして、オーフェンの顔面をねらった。無論これはただのフェイントで、本命は、それに次いで放った左のボディブロー──でもなく、死角から仕掛ける左足のあしばらいである。

 だが、どれにしてもオーフェンは気づいていたらしい──抜き手は無視してこめかみをかすらせ、ボディブローはひじでブロックしている。足払いにいたっては、足首の急所を思い切りかれた。くつに針金の骨格が仕込んでいなかったら、その場でもんぜつしていたかもしれない。

(やはり──キリランシェロ! 本物だ!)

 サルアは胸中でかんせいをあげた──身体中に、はじけ飛ぶほどの快感が走る。

 フェイントであれ、抜き手がオーフェンの顔をかすったのは好機だった。オーフェンは反射的に左目を閉じている。その死角から、サルアは抜き手をそのままひるがえし、ぱっとオーフェンの顔の左半分を手でさえた。そしてげられないようにしてから、左拳を相手の顔面に放つ──

 その手がとどくよりも早く、オーフェンはまったく身じろぎすらせずに、こちらの身体を突き飛ばした──こうげきの手数を多くしていたこちらに対し、きようれついちげきのみで対処してきたわけだ。くつでは簡単なことだが、こちらの攻撃を無視してそれを実行できる技術を持っている者は、大陸でもそう多くはいないだろう──そんなことを考えながら、なすすべもなく後ろにてんとうする。

 が──

「へっへえ!」

 サルアは、さっとび起きた。一撃食らった下腹は、まだしびれるように痛んだが、そんなものはまったく気にならない。では勝てない、と反射的に思考して、サルアは腰の長剣のつかに手をかけた。

やつせんとうじゆつにおける大陸のエキスパートなら、俺はこいつにおける大陸の帝王だ!)

 剣をけば、自分の正体はばれてしまうだろうが、そんなこともどうでもいい──

 と、ばつとうしかけた、そのとき──

 ぐっと、鼻先が押しもどされるような圧力を感じて、サルアは手を止めた。オーフェンがすぐ目の前で、右手をかかげている──こちらに向けて、ぴたりと。

 黒魔術士が、押し殺した声で警告してくる。

「悪ふざけですむのは、剣を抜くまでだぜ」

 魔術を使おうとしている。

すいなことをするねえ……」

 サルアは言って、剣から手を放した。オーフェンも、すっと手を下ろす。

「どっちがだ。ものなんぞ抜こうとしやがって」

「そいつはまあ、そうだが……素手じゃハンデがありすぎるだろ」

 つぶやいて、サルアはろうの中を見回した──ボルカンは額にナイフを受けて血まみれになって失神しているし、ドーチンも目を覚ましていない。うなされてはいるが。マジクも、いつの間にかのうしんとうで意識を失ったらしい。

「……おあつらえむきに、みんな寝ちまったようだな」

「お前があらかた眠らせたんだろうが──」

 と、オーフェンがつぶやく。同時に魔術士は、上げていた右腕を下ろした。サルアは、そのまますっと後ろに跳んだ。表情から笑みを消し、静かで──冷たい、へびのようなまなしで魔術士を見やる。

 もっとも彼の口から出てきたのは、先刻までとあまり大差ない、どうらくものの声音だった。

「あまりこうふんするなよ──死の教師というのを知っているか?」

 それを聞いてオーフェンも、サルアの変化をるように、すっと目を細めた。

 彼がつぶやくように言う。

「キムラック教会は、直属の暗殺者たちをっている……教会の意に沿わない者を、すみやかに地上からまつしようするために。彼らは死の教師と呼ばれている」

「死の教師サルア・ソリュード。暗殺者のぶんざいで、実家のソリュードせいなんぞ使うと、兄貴に殺されるかもしれんがね」

 そのままサルアは、すらっとばつとうした。さやばしりの、かすかな音。が、くらやみにさらされた刀身は、なにもなかった──

「死の教師の、ガラスの剣か……」

 オーフェンがつぶやいた。サルアの持っている剣は、つかの先に刀身がついていない──いや、ついていないのではなく、見えないのだ。わずかにしか光を反射しない、とくしゆこうしつガラスの剣。止まっていれば、まだしも刀身のりんかくくらいは見えるのだが、これを高速で振り回されれば、肉眼でらえることは極めて困難である。大振りするだけならまだしも、わざも混ぜて扱えば、かわされることはまずないと言っていい。キムラック教会の暗殺者の、しようちようともなっている剣──

 からかうように、サルアは言った。

「もっとも、〝サクセサー・オブ・レザー・エッジ〟──はがねこうけいキリランシェロとやり合うんなら、もっとな武器も欲しいところだがね……」

「…………」

 オーフェンが無言で腰を落とした。左腕を上に上げる──いざとなれば左腕をせいにして、魔術を放つつもりか。外れたら、今度は右腕を犠牲にする。

 黒魔術士は、神経にまで達する傷でなければ、その傷をいくらでもいやすことができる。もっとも、裏を返せば、致命的な傷は一切癒せないということになる。そこがディープ・ドラゴンなどの魔術との決定的な違いだ。

 サルアは剣を斜めに構えつつ、半歩ばかり右に移動した。

 オーフェンが、言ってくる──やぶにらみの目付きで油断なくこちらをえながら。

「なんでキムラックの死の教師が……こんなところにいる?」

「なら《きばとう》のキリランシェロが、その同じ場所にいる理由ってのはなんなんだろうな?」

 サルアは聞いて、にやりとした──この問いに対して、魔術士がちらりとでも底意を見せたなら殺さなければならない。それは多分、可能だろう。

 彼が聞いた限り──キリランシェロという黒魔術士は暗殺者ではない。いかにすぐれた魔術士であろうと……それならば怖くはない。

 沈黙──じっと──相手はこちらを見ている。けいかいし、きんちようしていた黒魔術士の黒いそうぼうはにわかにゆがめられ──

 そして、気がけたように、あきれた表情を見せた。

「てめえ……ンなかんちがいで俺を殺すつもりだったのか!?

「……あん?」

 サルアの構えた剣の先が、少しコケる。そして──

「なにやってんのよぉっ!」

 背後から子供っぽいり声。さらに、ざぐっ──というにぶい音と、後頭部にしようげきを食らって、サルアはそのままゆかたおれた。


 ◆◇◆◇◆


 あう……

 そんなうめき声が、のどかられる。オーフェンは額に手を当てて、すぐ足元にうつせに倒れた暗殺者を見下ろした。どくどくと血を流して気絶しているサルアを見て、悲鳴をあげたのは彼ではない──

「きゃあああっ!?

 かん高い悲鳴、そして、剣が、からんと床に落ちる。その刀身に、ほんのわずかについたのりを見て、剣の主──腰までブロンドを伸ばしたがらな少女──はまた声をあげた。

「大変、血が出てる!」

 当たり前だろ、と胸中で毒づきながら、オーフェンはうめいた。

「お・ま・え・は・なぁ~!」

 と、びしと指をき付け、

「どこからえた、どこからっ!」

「どこって……そこの入口から、こっそり入ってきたんだけど」

 クリーオウが、背後の階段を指さした。

「こっそりって、お前……」

 どうやら、サルアとたいしていたときに入ってきたので、気づかなかったようだった。

「なによぉ。オーフェンが、レンジャーを連れてこいっていうから、大急ぎで連れてきたんじゃない。村の外れで待たせてあるわよ。とにかくオーフェンを助けようと思って、わたしだけせんにゆうしてきたんだから」

「ふつーは、お前が待機してレンジャーが潜入してくるもんだろ。大体俺は、レンジャーを連れてこい、つった覚えはねえぞ。レンジャーの詰め所で待ってろっつったんだ」

「なによぉ」

 クリーオウが口をとがらせる。

「ま……お前が俺の言うことを聞くとも思ってなかったけどよ」

 オーフェンはぼやきながら、ろうの中を見回した。ぜまな地下牢は、六人もの人数を中にかかえて、いっそうせまくるしくなっている。かべに張り付いたボルカンと、その下に転がるドーチン。壁に頭をぶつけて白目をむいているマジクに、頭から血を流して失神しているサルア──その後ろで、こくして教室に入ろうとしたところを教師に見つかった生徒のような顔で、クリーオウが自分の胸をいている。彼女のたいじんジャケットの胸元の、しゅうされたもんを見つめて、オーフェンは深々とたんそくした。

「ったく……にしても、こんなに早くもどってくるとはな……」

 それを聞いて、びくん、とクリーオウがまゆねさせる。

「あ、あーっ! やっぱり、わたしをのけ者にするつもりだったのね!」

「当たり前だろ! お前がからんで事態が好転したことが一度でもあったか!?

「う…………」

 きっぱりと言い返されて、クリーオウが言葉を飲む。オーフェンはさらに続けた。

「今だって、いきなり後ろから人をるか? へたすりゃ即死だぞ、こんなもん!」

 と、うつせに倒れたサルアの後頭部を指さす。クリーオウが言い訳がましい顔を見せた。

「だ、だって……こんなあやしげな地下牢で、みんな死んだみたいに倒れてるし……それでオーフェンが剣なんて突き付けられてたから……ああ、なにはともあれこれはピンチだなって思って……」

「…………」

 言われてオーフェンは、再び牢の中を見回した。ボルカンなどは頭にナイフがさっているし──まあ確かに、そう思うほうが自然かもしれない。

(しかし……『なにはともあれ』で倒すか? 死の教師を……)

「なんにしろ、こいつはいやしといてやらねえとな」

 オーフェンはごまかすようにクリーオウから目をそらすと、サルアの上にかがみこんだ。後頭部の傷に手を伸ばす。不意をついた一撃とはいえ、しょせんは腕力のないクリーオウのものだ。出血はかなりのものだが、骨折などのめいしようにはいたってない。

「我は癒す──」

 となえかけて、ふと、動きが止まる。

「…………」

 オーフェンは、呪文を取りやめて顔を上げた。クリーオウも、その視線に気づいてきょとんとした顔で振り向く。彼女の背後──階段に、ひとかげが立っている。たいまつれる明かりに照らされて、足音もなくその人影は階段を下りてきた。うすぎぬふくを着た少女。

「フィエナ……」

 オーフェンは、つぶやいた。ここが地下とはいえ、あれだけ大騒ぎしたのだから、同じ塔の最上階にいる彼女が物音に気づいて下りてきたとしても、さほどおかしくはないのだが──

 オーフェンは、なにか違和感を覚えていた。それは、その少女の、どこかぞくを超越したような顔付きのせいだったのかもしれないが──昼間、マジクといっしょに顔を見せたときには見せなかった表情だ。

だれ?」

 クリーオウが聞いてくる。オーフェンはぽつりと答えた。

「巫女だ。この村の……」

「へえ……」

 と間の抜けた声をあげて、クリーオウがフィエナを見やる。

「可愛い服♪ さわってもいい?」

 彼女のあげた気楽な声を、フィエナはさっと無視した。そのまますたすたと、牢の中に入ってくる。クリーオウの横を通り過ぎ、彼女はオーフェンの手を押しのけるように、サルアの傷に手を伸ばした。

 もない──ただ彼女がいちべつしただけで、あっという間に暗殺者の傷が消える。

 フィエナはそのままその場を動かず、マジクのほうを見やった。気絶したままのマジクの呼吸が、ただ眠っているような、深くゆっくりしたものに変わる。彼女はまた牢屋の中を見回し──少し迷ってから、ボルカンとドーチンの傷も癒した。ボルカンの頭から落ちたナイフが、とっ、と湿しめった音を立てて床に刃先を立てる。

 傷が癒えても、誰も目覚めるはいはない──恐らく傷を癒すと同時に、眠りの効果ももたらしたのだろう。ろうを回復させるためにあえて眠らせたのか、それとも誰にも聞かせたくない話をここでしようとして、眠らせたのか……

 後者だ、とオーフェンは直感した。そう思ったことがあいになったように、さっとフィエナがこちらを見やる。サルアの後頭部に、でるように手をえたまま。

「あの……」

 と、彼女は口を開きかけて、ぎょっとしたようにまたつぐんだ。いつの間にかすぐ横から、指をくわえるようにしてうらめしげにクリーオウがじっと見つめている。

 その無言の圧力に押されるようにして、フィエナは言った。

「あ……どうぞ。触っていいですよ」

「きゃ♪」

 クリーオウはかんせいをあげると、ものじもせずぺたぺたとフィエナの巫女服に手をれた。

 オーフェンは嘆息まじりに、

「どっちが年下だか、分かりゃしねえな……」

「む」

 と、クリーオウがこちらをにらみつけてくる。オーフェンは素知らぬ顔で、クリーオウが落とした剣を拾い上げた。刃についた血をハンカチでぞうにぬぐって──このハンカチは後で捨てようと思いながら、剣をクリーオウの手に押し付ける。

「クリーオウ、たのみがあるんだけどよ──」

「ちょ──ちょっと、ストップ」

 クリーオウはあわてるようにして、手で制してきた。剣をさやにしまいながら、

「最初に言っておくわよ──『安全なところで待ってろ』とか『先に行っててくれ』とかいうのは、きやつだからね。いつもいつも、ていよく追い払われたりしないんだから」

「じゃ、退路を確保しといてくれよ。村の外れに待たせてるとかいうレンジャーたちと」

「それも。オーフェン、わたしのこと鹿にしてるでしょ。忘れちゃいないでしょーね、わたしはオーフェンのあいぼうなんだから──」

「そっか。じゃ、俺が退路を確保しておくから、あとよろしくな」

 と、オーフェンはフィエナの肩をつかんで牢を出ようとした。後ろから、クリーオウがわめくように、

「あ──そんじゃ、わたしも退路を確保する」

「……ふたりで退路を確保してどーするんだよ。ほれ、相棒っていうからにゃ、役割はぶんたんしねえとな」

 オーフェンはさとすように指をった。が、それでもなつとくしないように、う~、とクリーオウがうなり声を出す。

「オーフェン、ひょっとしてわたしのこときらってない!?

「そーゆー問題じゃなくて、ただ単にじゃまなんだ」

「オーフ──」

 と、けんあくぎようそうでなにかを言おうとしたクリーオウの前に、そっとフィエナが身を乗り出した。顔を近づけ──ほとんど鼻が触れるほどに接近すると、ほんの一瞬、かく、とクリーオウの頭がれたように見えた。

(目をのぞきこんだ)

 とオーフェンは気づいた。また、なんの音もなくすっとフィエナが顔を離すと、クリーオウの表情は一変していた。なんの表情もなくうつろに──読み上げるように口を開く。

「分かった……わたし、言うことを聞く」

 クリーオウがそうつぶやくと、さっと牢を出て、階段を上っていった。彼女のスニーカーが立てる音を聞きながら、オーフェンはフィエナに聞いた。

「君の魔術か?」

「はい……あまり時間がないので。すみません……」

 彼女はおびえた視線でこちらを見上げ、言った。オーフェンは頭をきながら、

「いや、いい。手間がはぶけた……別に、すぐにけるものなんだろう? 今の暗示は」

「ええ。朝までには」

 そう答えてから彼女は、きゅっとこぶしをにぎりしめ、続けた。

「あの……わたし、お願いがあって来たんです」

「だと思ったよ。なんだ?」

 聞きながら、オーフェンはフィエナの顔をのぞき込み、そしてふと、気づいた──マジクが言っていた、この少女の〝巫女の顔〟。

 さっきのクリーオウの虚ろな表情が、それによく似ている……

 フィエナの頼みとやらは、簡単だった。

「明日の朝までに、この村を逃げ出して下さい──サルアと、マジクを連れて」

 

 それは簡単なことだった。クリーオウですらようしんにゆうできてしまう程度の警備だ──死の教師たる暗殺者の助けまで借りられるというのなら、それこそ脱出ついでにこの村をかいめつさせることだってできるだろう。ついでに言うのなら、ディープ・ドラゴンの魔術を扱うこのむすめまで味方につくのなら、できないことなどなにもない……

「いえ」

 と、すべてをかしたように、フィエナがかぶりをる。

「わたしは行きません……わたしは、ここに残ります」

 それを聞いて、オーフェンは少なからずしようげきを受けた。が、別に彼女が言った内容に関してではない。

「……君は……俺の心が読めるのか?」

 ディープ・ドラゴンの暗黒魔術でなら、それは容易なはずだ。が、その問いに、彼女は再びかぶりを振る。

「いえ。でも今のは、なんとなくそう思ったんです」

「だが……ここに残る? それは君の勝手だろうが、マジクの話では、どうもマクドガルは君を利用してみようなことをたくらんでいるとかいう──」

「それは本当です。でも……」

 そのまま、フィエナの声はかすれて消えた。オーフェンは、まだ頭痛の残る頭をさすりながら、

「どうやら、事情があるみてえだな……もっとも、事情もなく、暗黒魔術なんぞほいほい使われた日にゃ、大陸がめちゃくちゃになっちまうけどよ」

「はい……」

 フィエナは小さくうなずいて、ゆっくりした動作でサルアの横にひざをついた。さっと暗殺者の肩に触れて、ぐい、とうつ伏せになった彼をあおけに直す。サルアのまゆについた土を指先ででて落とし、彼女は、とうとつに口を開いた。

「彼の正体を知っていますか?」

「ああ」

 と、オーフェンはあっさりと言った。

「キムラックの死の教師──となれば、大陸でもかなりの実力を持った暗殺者ってことになるな。いや──暗殺者ってことなら、十本の指に入る奴かもしれねえよ。大陸でも八振りしかないガラスの剣を帯剣してるくらいだからな」

 床に落ちている、刀身の見えない剣を見やる──フィエナも、同じものを見つめているようだった。

「わたしも、知っていました。彼が話してくれたんです。って口をすべらせたような感じだったから、うそかもしれないって思ってましたけど。本当みたいですね」

 と、視線を剣から、暗殺者の顔へと移す。その目付きを見て──クリーオウとかくして、余計にそう思えるからいうわけではないのだが、オーフェンは、この少女が実年齢よりかなり大人おとなびて見えることに気づいた。ついでに考えつく。

(マジクの奴、失恋ブレイクだな)

 フィエナは、そのまま聞いてくる。

「あなたは、彼の目的も分かっているんですか?」

「いや。だがこいつは、俺も自分と同じ目的でこの村にやってきたものと誤解してたらしいな。だからりかかってきやがった」

「わたしも……魔術士がこの村の近くに来ているって聞いたとき、同じことを考えました。だから散歩をよそおって、マクドガルより先にマジクに接触したんです。彼を見たとき、ただのまいなんだってすぐに気づきましたけど……」

「こいつの目的ってのは、なんなんだ?」

 オーフェンが聞くと、フィエナは意識のないサルアの顔を見下ろしたまま、

「マクドガルの暗殺です。マクドガルは、何年か前までキムラック教会の教師だったんですよ」

「キムラック……教会総本山……」

 大陸の北端──大陸全土の教会をしようあくする、巨大な聖都。王都に次ぐ巨大都市でもある。

 キムラック教会は人間の魔術士を極端にきらっている。その理由はオーフェンの知るところではないが、とにかく、運命の三女神ウィールド・シスターズほうじる彼らは、魔術士に関しては存在すら認めない部分があった。

 教会総本山は、独自の暗殺者部隊である死の教師をようする目的を、主要な魔術士の暗殺のためと公言してはばからない。もっとも、あくまで公然の秘密としてはばからない、という意味だが。

 だが実際に機能するのは、むしろ教会総本山の意に沿わない動きを始めたたんの教師をまつさつする場合においてのほうが多い──実際、少しでも名の知れた魔術士が、死の教師によって暗殺されたという事実は、ほとんどない。それは、彼の教師であるチャイルドマンがしよさいすわったまま、客人を装ってたずねてきた暗殺者を一撃でほろぼすのをの当たりにしたことがあるオーフェンには、容易になつとくできた。魔術士は、おおむね魔術士同盟などの組織にようされているし、いざとなれば常人には考えもつかないような武器──つまり魔術を持っている。やすやすと暗殺できるものではない。

(もっとも──俺みたいに無防備にひとりでぶらついてるようなのは、どうだかしらねえけどな)

 いらだちまぎれにたんそくし、聞いてみる。

「マクドガルは、じゃあ、異端の教師だったわけか。キムラックの。それがなんで、ドラゴンしんこうの教祖に収まってるんだ?」

「…………」

 その質問を聞いたしゆんかん、フィエナの表情がこわばるのが見えた。

「キムラックで、なにかを見たらしいんです……」

「なにか?」

「分かりません!」

 と、強すぎる口調で叫ぶ。驚いてオーフェンが絶句していると、彼女は、はっと気づいたように赤面した。

「ごめんなさい……大声を出してしまって……」

「いや……別に、いいんだけどよ」

 オーフェンはせきばらいした。

「にしても、マクドガルが異端の教師だとしたら……俺が──つうか、魔術士がやつを暗殺しにやってくる理由がないんじゃねえか? なんで俺を、マクドガルへのかくだとかんちがいしたんだ?」

「……それは……マクドガルの目的が……」

 フィエナはそこで、口ごもった。彼女はしばししゆんじゆんしたようだったが、やがて顔を上げて、続けた。

「マクドガルの目的はご存じありませんね? この村は、もとよりドラゴン信仰者の住むかくざとでした。先祖代々《森》の中を転々として……レンジャーや、ドラゴンに見つかるたびに逃げ回ったんだそうです。彼がこの村にやってきたのは三年前──そのとき彼は、キムラックから技術者を連れてきていたんです。そして、この塔と、工房を建設しました。けんじゆうの製造工房を」

「……拳銃の製造法は、王都の最機密事項のはずだ。王都の軍隊にしか、帯銃はゆるされていない」

「マクドガルは王都のから拳銃をうばって、それを分解したんです。火薬も合成して──でもサルアの話では、そんなものはとっくにキムラックでもごくに研究されているとか。どのみち、マクドガルは拳銃という武器を村にもたらしたことでえいゆうになったんです。教祖となり、村の名前を《だいなる心臓》村と名付けました」

「……で?」

 オーフェンはうながした。拳銃の製造というのは、確かに大それたことではあるが、その程度では魔術士に命をねらわれるような理由にはならない──王都の秘密を盗み出すのに成功しているのは、なにもキムラックだけではない。《きばとう》でも、秘密裏に拳銃の製造は行われている。

「でもマクドガルの目的は、この村をしようあくすることなんかではありませんでした。実際、ドラゴンをあがめることでは、彼はもともとのこの村人たちなんかよりはるかに信仰が深かったですから、彼がかんになったところでさほど不都合もなかったんです。でも……彼は」

 と、フィエナは目を閉じた。

「彼は宣言しました。拳銃は、魔術士たちと戦うための武器だって。そして、もっと強い武器を手に入れるのだって。マクドガルは……その武器を手に入れるためには《森》の中心──ドラゴンの聖域たる、本物の《偉大なる心臓》に行く必要があるって、村人たちにきました」

「聖域をまもるディープ・ドラゴンの存在を知らなかったわけじゃないだろうな?」

 オーフェンは、腕組みしてそう言った。《森》の深部に立ち入った人間は、過去、例外なくディープ・ドラゴンによって滅ぼされている。

「知っていました……だから彼は、ディープ・ドラゴンに対抗するためのなにかを見つけようと、やっきになっていました。そこに……わたしが、この村にやってきたんです」

「君の……魔術で、ドラゴン種族に対抗しようと?」

「そうです」

鹿げてるな」

 なんということもなく、オーフェンはつぶやいた──フィエナが、ドラゴン種族の魔術を扱えるのはちがいない。が、だからといって、それがドラゴン種族以外にたくみに扱えるのかというと、オーフェンには、とてもそうは思えなかった。一昨日おとといの夜にこの村に現れたディープ・ドラゴン──それが使った魔術の構成と比べてみれば、フィエナのそれは、あまりにもせつでたどたどしい。あるいは、借り物の力をなんとかせいぎよしている、といった感じだ。

 本物のディープ・ドラゴンとたいすれば、たちまち殺されてしまうだろう。ドラゴン種族の用いる魔術は、はっきり言って人間のしやくではいっさいはかれたものではない。

 だが、その言葉が彼女に与えたいんしようは、そういったものではなかったようだった。

 彼女は、急にそうぼうを苦しそうにゆがめ──

「そうです……馬鹿げているんです。そんなことを思いつくべきじゃなかったのに──彼は、その計画にわたしを参加させようとしたことで……」

 フィエナはのどがからまったように息をまらせると、強くかぶりを振った。

けつを……ったんです」

「墓穴?」

 だがオーフェンの問いかけは無視して、フィエナは続けた。

「明日、村はしようめつします。それにはさからえません。だから……あなたは、逃げてください。マジクと、サルアを連れて」

 オーフェンは、じっと彼女を見やった──双眸に涙をかべて決然とこちらを見ている。追いめられた強さだ、とオーフェンは無言でつぶやいた。

 彼女は続ける。

「サルアは、この村でゆいいつ、わたしの友達でいてくれたんです。多分、ドラゴン信仰者でもない彼にしてみれば、わたしくらいしか話相手がいなかったんでしょうけど。でもわたし、とてもうれしかった──わたしには、だれもいないから……」

 誰もいないという感覚は、オーフェンにも理解できた──《牙の塔》の魔術士は、ほぼ例外なくである。また競争もはげしいから、気の置けない友人などはあまり作れない。だがそれでも──彼には、そういった『気の置けない』連中とは意味が違うが、仲間はいた。現在は──

(そういった仲間を捨てて、俺は友人を作った。どちらが良かったとも言えない。だが少なくとも、俺はひとりじゃなかった……)

「断る」

 と、オーフェンは告げた。フィエナの表情が、いぶかるように引きつるのが見える。

「君のたのみは、いっさい承服できない。君をこの村に残すつもりはないな。特に、この村がほろびるとか聞かされたんじゃな」

「そんな……でも、わたしは……」

 フィエナはどうようしたようなまなしで、こんわくしている。オーフェンは、さっと彼女に近寄ると、少女の手首を強くつかんだ。

「痛っ……」

 小さな悲鳴を、フィエナがあげる。オーフェンは構わずに言った。

「いいか──ひとつ忠告しといてやるぞ。人にものを頼むときは、説得力ってもんを気にかけておくんだよ。こんな、自分をつかんだ手をはらうこともできないような子供ひとり、危険があるらしい村に残していけるわけがねえだろうが」

 それだけ言ってから、手を放す。フィエナは赤くなった手首をさすりながら、じっとこちらを見上げている。ふと、彼女が自分よりも数倍は強い魔術を持っていることが信じられなくなって、オーフェンはたんそくした。

(なんでまた、いつもいつも、俺をめんどうに巻き込むのは女なんだよ!)

 だが、そんなむずかしい問いに答えを用意するためには、朝はもう近づき過ぎていた。

 

 フィエナが立ち去って、一番最初に目を覚ましたのはサルアだった。よほどつかれているのか、あるいはこれもフィエナの魔術の効果なのか知らないが、彼はなにも言わずにガラスの剣をさやに収め、気絶したままのボルカンとドーチンを引きずって、マクドガルていの使用人部屋に帰っていった。

「言っておくが、俺はマクドガルの命になんざきようはねえよ」

「だろうな……キリランシェロ、て名前を見たしゆんかんに、それは分かったさ」

「なら、なんで俺におそいかかったりしたんだ」

「へっ──」

 と、どこかちようするような笑みを浮かべ、

「そのほうが、おもしれえじゃねえか。ま、気絶したあとなにがあったかは、フィエナに聞けばいいんだろ? 帰りに寄ってくか」

 ──交わした会話は、そんなものだった。マジクが目覚めるまでには、もう少し時間がかかったが、この生徒に事態をなつとくさせるには、さらに時間がかかった。

 とりあえず、フィエナに関しては見込みがねえかもしんねえぞ、とは言わないでおいてやった。