第四章 フィエナの頼み
夜はほどなく訪れた。闇の中では、この塔の階段はひどく上りづらい──手抜き工事もいいところだ、と彼は胸中で毒づいた。もっとも──なにが望めたものか? こんな辺境の、しかも秘境の奥地の隠れ里だ。この村を造った当時、村にはまともな設計士がひとりしかいなかった。マクドガルがアレンハタムから連れてきた設計士──その男の設計で、村の施設はすべて造られた。この教団の塔も、そして──その隣の工房もだ。
それにしても、上りづらい階段だ。ハシゴに板を渡したのと、たいして変わらないほどの急勾配である。例の設計士の頭では、どうやら螺旋階段というものが発想できなかったらしい。
(まあ、俺の故郷とは違う、ということさ)
暗闇の中で、階段の縁にごつんとすねをぶつけて、サルアはにやりとした。うっすらと髭のある顎が、皮肉げな輪郭に歪んでいる。腰に下げている剣が、がちゃりと音を立てた。
(もっとも、故郷を離れたからこそ……楽しいコトもあるってもんだがな)
階段を上りきると、塔には部屋はひとつしかない。教祖のマクドガル以外は立ち入り禁止の──巫女の部屋。部屋の鍵はマクドガルが肌身離さずに持っているし、フィエナもマクドガルの声がかからなければ、内側から鍵を開けたりはしないことになっている。
が、サルアは無造作に扉をノックした。押さえた声で、
「俺だ──サルアだ」
ややしてから、扉が開く。扉を開けたのは、寝間着の上にガウンをかけたフィエナだった。彼女はつぶやくように、
「こんな時間に……どうしたんですか?」
「悪いが、今日は話相手になってやりに来たわけじゃねえ──証拠に酒瓶も持ってねえだろ。にしても、こんな時間といやあ、お前さんもよく起きてたな。鍵をこじあけなけりゃならんかと思ってたが。あの坊ちゃんとイイコトでも──」
と言いながら部屋をのぞいて、サルアは口ごもった。簡素な部屋の中をきょときょとと見回しながら、
「あのガキはどこだ? マクドガルの御大の脳天に蛇を落とした、傑作のガキ」
「マジクは……地下牢に行ってます。マクドガルは魔術士を嫌っているから、動けないままの先生をひとりにするのは危ないって」
「ふん……まあ、妥当な判断だな。マクドガルの御大も、あの拷問趣味だけはなんとかしてもらいてえもんだが……地下牢だな?」
と、サルアはさっさときびすを返して部屋を出ようとした。と──後ろから、フィエナが声をあげる。
「あの──」
「……ん?」
サルアは、肩越しに振り向いた。フィエナはまつげをぱちくりとさせてから、怯えた声で続けた。
「こんな夜中まで起きていたのは、理由があるんです。眠れなくて……」
「……例の計画のことか?」
サルアがなにげなく口にすると、フィエナはびくっとしたように顔を上げた。
「! なんで……あなたが知っているんです? マクドガルはまだ──」
「言ってない。俺が勝手に調べたんだよ。計画の実行は明後日、マクドガルも、御大の取り巻きも、この村を離れる──お前さんもだがな。村に残るのは女子供の、非戦闘員だけ。こんな機会は滅多にねえからな。利用させてもらうさ」
「あなたは……」
何者なんですか、と聞きたいのだろうが、フィエナは語尾を続けられないようだった。
だったら答えてやる義務もない──サルアは微苦笑をもらした。
「どのみち、マクドガル──偉大なる御大の『計画』なんぞ、うまくいくわけがねえんだ──そいつは、お前さんもよく知ってるんだろ?」
「……はい」
「なら、お前さんと世間話すんのもこれで最後ってわけだな──マクドガルもお前さんも、明後日には皆殺しだ」
「……………はい」
長い沈黙の後に、少女はうなだれるようにうなずいた。暗がりの中でよく分からないが、肌も蒼白になっている──怯えきっているのか、それともあきらめているのかだ。サルアは、チッと舌打ちした。
「ったく──『はい』ときたもんだ。半年前に、この村に迷い込んできたときからそうだったな。ンなこったから、御大なんぞにいいように利用されちまうんだ──見てらんねえから、話相手になってやってりゃ、ちったあマシになるかと思えば、そのまんまだしよ。俺だって当日は、いったんは御大にくっついていって、途中で抜け出すつもりなんだから、お前さんもいっしょに連れ出すくらいは簡単なんだよ。死にたくないから助けてくださいくらいのずうずうしいコトは言えねえのか?」
「……死にたく、ないんです……恐い……」
サルアとしては、別に怒ったつもりはなかったのだが、いらだちの口調はどうやらフィエナを怯えさせてしまったようだった──彼女は押し殺すように震え声をもらすと、そのまま目を閉じて、しゃくり上げはじめた。
はぁあ、と聞こえよがしに、サルアは嘆息した。
「まるで俺がいじめてるみてえじゃねえか……くそ、この際だから全部言っちまうぞ。あのよ、危険から護って欲しいなら、いくらでも護ってやるよ。そのくらいは無料でいいさ。幸せになりたいってんなら、それなりの代償を払えば──つまり、化粧したり媚び売ったり、なんやかやすれば、だまされやすい男はいくらでもいるんだ。だがよ、泣いてんのは、自力で泣きやまなけりゃ、どうしようもねえからな」
言ってから、彼はまた嘆息した。説教するのは嫌いなのだ。
(くそ──それが嫌だから、こんな辺鄙な村に取り入るような任務でも、我慢してやってるんじゃねえか。説法の免許なんて取るんじゃなかった)
そんなものを持っているから、ついつい口から出てしまう。
サルアは肩をすくめると、完全に彼女に背を向けた。フィエナは聞いていたのかいなかったのか、まだしゃくり上げている。
「じゃあな。助けてはやるから、当日になっても泣いてるんじゃねえぞ」
後ろに向かってそう言いながら、サルアはまた下りづらい階段に足をかけた。
階段を下りていき──やがて──
《まだなのだな?》
頭の上から、声がしたような気がして、彼は階上に振り返った。フィエナが、誰もいないはずの自分の部屋に向き直って、返事をしている。泣き止んで、巫女の顔で。
「はい……」
(…………?)
サルアは暗闇でひとり、変な顔をした。さっきの声は、確かにフィエナの部屋の中から聞こえたような気がしたが──
(気のせい──か? いや──)
それ以上は考えないことにして、彼は速足になって階段を下りていった。
「ひいいいいいいいいいいっ!」
悲鳴を聞いてサルアは、ぴたりと足を止めた。教団の塔の、地下へと続く階段の入口である。
あの魔術士の拷問が始まったのだろうか──と一瞬サルアは思ったが、本格的な拷問が始まっているなら、あんな力いっぱいの悲鳴など、普通はあげられない。責められて衰弱した人間は、ほとんど声すら出せないものだ。
「うひいいいいいいいいいいいいいっ!」
また、悲鳴。いつもなら地下牢の入口にいるはずの見張りも今夜はいない──教祖の取り巻きたちはすべて、例の『計画』の打ち合わせに、マクドガルのところにいるはずだ。この機会をまっていたのだ──サルア自身は、とりあえず腹をくだして寝込んでいることになっている。
「さて……」
かちゃり、と剣の柄に指で触れる。傷を負っているとはいえ、相手は魔術士である。なにかの拍子に、向こうが飛びかかってくるようなことがあれば、油断はできない。
サルアは階段を下りはじめた。
塔の地下は土肌むきだしだが、いちおう手で触れるようなところは薬品で固めてある。そのため階段の中は、奇妙な臭いが充満していた。あまり息をしないようにしながら、彼はゆっくりと歩を進める。やがて、短い階段は終わりを告げた。
階段を下りるとすぐに、鉄格子が待ち構えている。牢を目の前にして、サルアは、ぽかんと口を開けた。
「のおおおおおおおっ!」
また悲鳴。同時、すばしゅっ!──と、土壁に、鉄棒が突き刺さる。鉄棒は、どうやら格子の一部をもいで、先端を尖らせたものらしい。それがすさまじいスピードで宙を飛び、壁に突き立ったのである──そしてその鉄棒が刺さったところから、数センチと離れていないところに……地人の頭があった。
「おおっ! 耳っ! 耳にかすったぞ、コラ!」
泣きながら、地人──ボルカンが叫ぶ。彼は、やはり格子を壊して作ったものらしい、かすがいの形に曲げられた鉄棒で、土壁に張り付けにされている。弟のドーチンのほうは、失神したみたいにその足元に転がっていた。表情からするに、恐怖で倒れたようだった。
そして、地人たちとは反対側の壁に、頭痛でやつれたような表情で寝っ転がっている、黒魔術士──それが、のんきな声をあげた。
「ほおう……だんだんと狙いがシャープになってるみたいだな」
「シ、シャープってコラ! まさか、本気で当てるつもりじゃねえんだろうな!」
蒼白になって、ボルカンが悲鳴じみた声をあげる。
(こいつら、なにやってやがんだ?)
サルアは頭をかきながら、そんなことを考えた──そういえば、この地人たちの情報で、この黒魔術士は捕まったんだよな。なら、知り合いってのは分かるが。
と──地べたに横たわっている黒魔術士が、はっはっと気のない笑い声をあげる。
「馬鹿を言うなよ、ボルカン。本気だなんて──」
と、彼は口調をまったく変えずに、全然違うことを口にした。
「無論、是が非でも当てるつもりだ」
「おおおうっ!?」
「もどれ」
そのつぶやきが、呪文なのだろう──先刻壁に突き立ったばかりの鉄棒が、手も触れていないのに、ふいっと抜ける。鉄棒はそのまま宙を真っすぐ移動して、黒魔術士の上までもどっていった。
どうやら、魔術で鉄棒を飛ばして地人を的にするという意趣(?)らしいが、魔術士は地面に寝転んでいるから、狙いはほとんど定まらないだろう。もちろんそれは、間違いで命中しかねないという可能性も含んでいるわけだが。
「あのー……お師様あ」
いきなり、声。地人たちの悲鳴に気をとられて気づかなかったのだが、牢の隅っこに、例の魔術士の見習い──マジクといったっけか──がちょこんと座っている。少年は冷や汗を垂らして、内容のない笑みを浮かべていた。
そのマジクが続ける。
「一刻も早く体調を回復させなけりゃならないってときに、こーゆう力の無駄遣いをするっていうのは……」
「そ、そのとーりっ! いいことを言うぞ少年っ! 魔術士、休め! お願い──」
「マジク──」
黒魔術士が、ひどく冷静な声をあげると、牢の中は静まり返った──騒ぎ立てていたボルカンすら、ごくりと唾を飲んで沈黙する。黒魔術士は、目を閉じ、嘆息混じりに続けた。
「もうちょっとで当たりそうなんだ」
「…………」
しばらく、マジクが虚空を見上げる。ややしてから、少年は口を開いた。
「じゃあ、当たったら終わりにしてくださいよ」
「こらこらこらあああっ!」
ボルカンが叫ぶ。