第三章 らわれのオーフェン




 やみの中にたったひとり。彼は浮かんでいた。

 立っているのか座っているのかも自覚できない──体に感覚がない。指先になにかを感じているようでもあるし、背中がなにかなまあたたかいような気もする。かと思えば、たまらない寒さにふるえたりもした。

 と、目の前に、ぽうっと明かりがともる──自分の身体は見えないというのに、その光の中に浮かぶ人影は、はっきりと認識できた。ひらひらと光になびくうすぎぬしようを着た、まだ子供と言ってつかえない少女──

 彼女は、とうとつに口を開いた。

《あなたがオーフェン、ですね……?》

 …………

 返事は、声に出せなかった。だが彼はこんな事態でも、ひどく落ち着いていた。

 彼女が続ける。

《ごめんなさい……あやまりたくて、あなたの心に語りかけています》

 彼女の表情が、くつゆがむ。それを見て、彼はいらだったが、なにも言い返すこともできなかった。

《ごめんなさい、ごめんなさい──わたし、あなたをおそわせてしまった……》

 ……よく分からない。自分は襲われたのだろうか。なにも覚えていない─というより、思い出すというこうができなくなってしまったようだ。自分の名前さえ、分からない。思い出したいという欲求すら起こらない。

 だが彼女は、それについてなにも説明してくれそうにはない。

《あなたがマジクを連れもどそうとしているのが分かったから、ドラゴンにあなたを襲わせてしまった……わたしには、だれたよれる人がいないから》

 …………

《彼をつれ去って欲しくなかった。それともしつしたのかも。彼には助けが来たんだもの》

 彼女の声はめいりようだったが、言っていることの意味はよく分からなかった。

《でもドラゴンが、あなたをはいじんにしてしまうなんて思わなかったんです……》

 ドラゴン──その言葉は、なんとなくわずらわしいいんしようを自分に与えてくる。聞いただけで逃げ出したくなる。そんなかんしよくだ。

《わたしにできる限りの力で、あなたをいやします。少し時間はかかるかもしれないけれど》

 その言葉とともに、周囲の闇が少しずつうすくなっていく。

《あと、マクドガルには逆らわないで。彼を殺さないで。彼がいるから、この村は──》

 そのあとのせりふは、闇をこわしていく光にまぎれ、なにも聞こえなかった。


 ◆◇◆◇◆


(……なんだ?)

 ふと気が付くと、箱をひっくりかえしたみたいに大量の疑問が襲いかかってきた──質問する主は自分だし、自分に問いかけている。だから順番にあわてず答えればいいだろうとは思うのだが、質問は一向にとどまろうとしない。

 ここはどこだ──?

 おれは誰だ──?

 痛むのはどこだ──?

 息をしているのは、身体のどの部分だ──?

(くそっ……)

 彼は、がえりを打った。それだけの動作なのに、全身の力をしぼらなければ動けない。左肩が痛むんだ、と彼は自覚した。負傷している。

(なにも思い出せない……いや?)

 覚えていることもある。闇の中に現れた少女の姿──

 なにかを恐れてくつになっているそのまなし──

 彼は、目を開いた。暗い──が、光はある。うすぼんやりとした明かりは、どうやら彼の背後からしてきているらしい。彼は横向きに、かべに向かって寝ていた。壁は土壁で、彼が寝転んでいるのも地べたである。一瞬彼は、自分がどうくつかなにかにめられたのかと思った。が──

「目覚めたようだな、魔術士」

 声……が、自分を呼んでいる。ぼんやりとしたおくの中に、その声の主の顔が浮かんだ。自分に向かってはつぽうしたマクドガルとかいう男だ。教祖とか名乗っていた。

 彼は、また逆方向に寝返りを打った。

 最初に視界に入ったのは、くつだった──マクドガルとかいう男の銃が、寝転ぶ彼の目の前にある。そのよごれた登山靴の向こうには、またもう一組の靴がある。どうやら連れがいるらしい。靴のさらに向こうには、てつごうが見えた──そして、うっすらと光の射す、曲がった階段。

 それでだいたい、自分の置かれているじようきようが分かった。ろうに閉じ込められているのだ。鉄格子のとびらはわずかに開いて、その前に、マクドガルと、もうひとりの男がいる。ちらりと見上げて、その連れが、例の、自分にナイフを投げ付けた男だと分かった。帯剣しているのは相変わらずで、例のナイフもかくしているだろう──彼の左肩の傷には、もうナイフはさっていない。血をふくんだ服がに張り付いてほうたいの役目を果たしてくれていたようだが、それがなかったら失血死していたかもしれない。

(立てるか?)

 彼は、自問した。多分、立てるだろう。が、今はそんな体力が残っていることは隠しておいたほうがいい。

 マクドガルが、れいたんな目でこちらを見下ろしながら、口を開いた。

「名前を聞いておこうか、魔術士」

「…………」

 彼は、なにも答えなかった──というより、答えられなかった。

(名前?)

 思い出せない──頭が混乱して、なにひとつ。夢を見ていたんだ──

 と、なにも言えずにいると、やがてマクドガルがたんそくした。

「だんまりか」

「そりゃ、進んで答えたくはないでしょうねえ」

 顔の通り、にやけた返事をしたのは、剣を下げた男である。昨夜と同じ、ひどく乱雑なふうにレンジャージャケットを着ている。マクドガルが、そちらに聞いた。

「どういう意味だ? サルア」

 どうやら、レンジャージャケットの男の名前らしい──サルア、と彼は胸にきざみ付けた。

 サルアとやらは、軽く肩をすくめて答えた。

「この男は《きばとう》のもんしようをつけています。黒魔術の最エリートですよ。それがざまらわれたとあっちゃ、そりゃ名乗れんでしょう」

「ふん……しょせん魔術士だ」

 マクドガルは、鼻で笑った。が──

(──《牙の塔》……)

 その単語には、彼も胸にひびくものがあった──そう。彼は人生のほとんどをそこで過ごしたのだ。

 と──マクドガルが続ける。

「多少痛め付ければ、しゃべらんではいられんさ」

ごうもんですか? 魔術士に? たい拷問の訓練も受けている連中ですよ」

 サルアが言いながら、かぶりを振る。じろりと、マクドガルがにらみやった。

だれがボスか、忘れたのではあるまいな?」

「まさか」

 へっへっと笑いながら、サルア。

「あなたが心臓ですよ、この村のね──」

 それを聞いて、マクドガルは満足したらしかった。うなずいて、こちらを向く。

「聞きたいのは、名前だけではないぞ、魔術士──お前をむかえにいった村人は、どうなった? お前が殺したのか?」

 殺す? その単語は鹿鹿しい。彼は思わずしようをもらした。

 ──が、それは、マクドガルの気にはさなかったらしい。ほんのいつしゆんで、マクドガルの顔面がこわばるのが見えた。

「なにがおかしいっ!」

 同時に、教祖の靴が、彼の顔面を打つ。

 反撃しようと思えば、いくらでもできた──それこそ、足首を取ってじんたいをねじ切ることだってできただろう。倒れた教祖のがんをかかとの角でくだき、眼球ごと脳をかいする。わざわざそんなことをしなくても、一言さけべば済むことだ──魔術の一撃で、この教祖はおろか、後ろに立っている男もこの世からまつしようできる。

 彼が師から教わった技術でならば、それはできたはずだ。が──

 彼は地面の上から、だまってマクドガルを見上げた。

 マクドガルは、その沈黙を服従の意ととったらしい。静かなえつの光をそうぼうにたたえ、満足げな口調で言ってきた。

「わたしはマクドガル──そしてここは《だいなる心臓》の聖地だ。世界の真理──心臓を探求する者たちのみやこだ。お前たちまがいものとは違う、真に強き力、本物の魔術を持つドラゴンにつかえる戦士たちのきようだ」

「…………」

 彼はなにも言わない。サルアが、マクドガルの背後で肩をすくめるのが見えた。マクドガルは、ひとりで続けた。

「この場でお前をしよけいするのはたやすい──が、それはしない。なぜ《牙の塔》の魔術士がこの村に現れたか、お前から聞き出さなければならない。お前の生徒も捕らえてある。どちらかが逃げ出せば、残ったほうを殺すぞ」

 生徒?──思い出せない。が、そんなものもいたのかもしれない。

「今は休め──体力を回復させたら、それをこうかいさせてやる。すいなしで歯を抜かれたことがあるか?」

 どうやら、それが捨てぜりふであるらしかった。勝ちほこった笑みを浮かべ、マクドガルはこちらに背を向けた。

 マクドガルとサルアは出ていく。もうなにも言い残していかない。がちゃり、ととびらかぎがかかる。

 彼は魔術で肩のそうしよういやし、再びそのまま眠りについた。小一時間ほどち、眠りから覚めたときには、もう記憶は回復していた。


 ◆◇◆◇◆


「……なんでこんな部屋でひとりでらしてんの?」

 その問いかけは、彼女を苦しめたようだった──窓から外をながめていたフィエナの横顔に、小さな感情のしわが寄るのが見える。それそのものは一瞬で消えたが、そのいんしようは、しばらく記憶に残りそうだった。

(今の彼女はじゃない)

 と、マジクは思った。

 その彼女が、こちらを向く。着ているのはただの、白っぽいあさの上下である。彼女は、どこかじるように、

「わたしは、あまり人前に姿を見せてはいけないの……ぼろが出るといけないから」

「ぼろ?」

 マジクが聞き返すと、フィエナは笑った──ちようするように。

「わたしは、道具なのよ──この村の人たちをまとめるための。大事なしきにだけ顔を出して、決められたとおりのことを言って、それで……せきを起こすの」

「奇跡……ぼくのケガをいやしたみたいな?」

 フィエナは答えなかった。そのまま、なにかを探すように部屋の中を見回す。

 マジクもつられて、あたりを見回した──村の中心に建っている、教団のとうの最上階に、ゆいいつある部屋。地上十メートルの高さにあるだけあって、さほど広くはない。せいぜい、数歩ではしから端までたどり着ける程度だ。塔そのものが木造のため、部屋のかべもすべてむき出しの板になっている。部屋の中には、集会場に声を伝える伝声管のえられた台と、小さな丸テーブルに、たった一個の、そして今マジクが横になっているかんなベッドがあるだけだった。

 マジク自身は、女物のを着せられて、ベッドの上で身動きとれずにいる──寝間着の下は、どうたいに包帯を巻いてあった。マクドガルにたれた傷は、なぜか痛まないものの、まだふさがってはいない。彼女の話では、もう立って歩くくらいのことはできるだろうが、あまり無理はしないほうがいいとのことだった。

 彼女が探していたものは、テーブルの上にあったらしい──彼女は木の丸テーブルに歩いていくと、その上に置いてある水差しとコップを取り上げた。コップの中に水をぎながら、口を開く。

「傷は痛まない?」

「え? うん……全然。身体を動かそうとすると、なんか筋肉が突っ張る感じだけど」

「まだがつながってないからだと思うわ。お医者じゃないから、よく分からないけど。でも、やっぱり魔術士って身体がじようなのね」

「そうかな。まあ、おさまはむやみにがんじようだけどね……」

 と言いかけて、ふと、そのである自分も、いずれあの人のようになるのだろうかと思いついてしまう──良いところも、悪いところも。マジクはぶるいしてから、そのわすれることにした。

「にしても、なんでぼく、こんなの着てるの?」

 と、自分が着ている、だぶだぶのネグリジェのようなものを示す。コップのふちに口をつけながら、フィエナが、ようやくおもしろそうに笑うのが見えた。

「だって、あなたが女の子だってことにしておかないと、わたしの部屋で世話なんかできないじゃない」

「うう……まあ、そーいやそーだけど」

 つぶやくように言いながら、マジクは胸中でうめいた。

(こんなかつこう、お師様に見られたら、どんなことになるやら……ましてや、クリーオウなら──)

 そこまで考えて、そうはくになる。考えたくもない。

「それはそうと、この寝間着さ、誰のものなのかな」

 マジクが聞くと、フィエナはあっさりと、

「食堂のラーザおばさんの」

「……まあ、世の中そんなもんだよな」

 なんとなくさとった声で、口の中でマジクはつぶやいた。

 と──

 ばたんっ!

 とうとつとびらが開く。扉を開けたのは、きびしい顔をしたマクドガルだった。取り巻きも、サルアとかいう用心棒も連れていない。ひとりである。彼を見て、フィエナがびくりと身をすくませるのが見えた。

 マクドガルが現れたのも唐突なら、口を開くのも唐突だった。ちらとこちらを見やってから、魔術士などまるっきりいつだにしないという態度で、

「まだ準備をしていないのか、フィエナ」

「なにを……ですか?」

 フィエナが、いつの間にか〝〟の顔になっている──マジクは、ふと気づいた。これは、彼女の防御態勢なのだ。

 マクドガルが、いらだたしげにほおを上げる。

「言っておいたはずだ──しゆつたつは近いとな」

「……はい」

 フィエナがうなずく。マクドガルは、しんぼうづよく息をつきながら、

昨日きのうも言ったはずだ、お前には。一昨日おとといもだ」

「わたしは──……です」

 つぶやいた彼女のせりふは、マジクにはほとんど聞き取れなかった。だが、マクドガルには聞こえたのか──あるいは、最初から予想していたのか、まなしに理解の色を浮かべている。