ボルカンはあっさりと態度をひるがえすと、いつの間に移動したのかという素早さでさっきのサイドボードをはたきがけしている。ドーチンは、ほっとあんいきをもらすと、みがきかけていたクリスタルのはいざらを持ち上げようとした──が、テーブルの上には灰皿がない。

「あれ……?」

 ドーチンはそうに見回し、そして兄のポケットが異様にふくらんでいるのを発見してたんそくした。膨らみは、ちょうど灰皿ぐらいの大きさである。

(いつの間に……)

 あれだけは尊敬してもいいかもしんない、と思う。

 とりあえず灰皿はやめて、となりの葉巻入れをきはじめたとき、がちゃ、と応接室のとびらが開いた。おばちゃんかな、と思って顔を上げると、そうではなくひょろりとした体格の若い男が入ってくる。

「よぉ」

 男はにやけた笑みを浮かべながら、声をかけてきた。よれよれのシャツの上に、ワッペンのないレンジャージャケットなどっている。腰に下げている剣は──ボルカンのものと違って──なまくらということはないだろう。

「あ。どうも──サルアのさん」

 ボルカンが、急にかしこまったような声を出す。ハタキの手を止めて頭を下げたほどだ。

「おう」

 サルアと呼ばれた男は、ほろいのような表情で部屋の中を見回した。別にこちらがなにかぬすんだのか確かめようとしているわけではなく、意味のないしぐさだろう──とドーチンは思いたかった。

 なんにせよ、灰皿がなくなったことには気づかなかったらしい。サルアはうすい笑みを浮かべて、けいはくな声を出した。

「ボルカンとか言ったか……お前さんの情報は正しかったよ──たった今、魔術士のガキをつかまえてきた」

「あ、そーですか」

 兄のせりふを聞きながら、ドーチンはマジクの顔を思い浮かべた。わいそうに。あらなことになってなきゃいいけど。

 そんなことを思いながらボルカンを見ていると、兄は、さらにへびみたいな表情を浮かべてサルアにねこなで声を出した。

「で……かんじんの、黒魔術士のほうは……? 生意気にも《きばとう》のもんしようなんぞぶら下げてる……」

「そっちは、ほかの連中が行った。報告はまだだが、まぁだいじようだろう。うでぷしの立つのが五人、くれぐれもしゆうでカタをつけるよう厳命しておいたからな」

 サルアはそう言って肩をすくめると、あごに手をやりながら続けた。

「ま、情報が本当だったんで、マクドガルおんたいがお前さんらに礼を言いたいそうだよ。夕飯の後になりそうだが──どうやら魔術士のぼうやを痛めつけたがってたみたいだからな。長くかかるだろうよ」

 と、にやりとしてみせる。

「あの御大がどれだけ魔術士をきらっているか、知りたいか?」

「い──いえ」

 答えたのは、ドーチンだった。見ると、どうやら兄はぜひとも知りたがっている様子だったが。

 ドーチンはざんこくな話というのはにがだった。

 へっへっ、とサルアが笑い声をあげる。

「ま、われ犬の俺にはどうでもいいことだがね──お前さんらも、これからもそうとしてここで働くつもりでいるなら、あの御大のしゆには──おっと、御大のごたいそうな宗教の教義、と呼ぶべきなのかね。とにかくまあ、そんなようなことにはさからわないほうが無難だぜ」

 そんなせりふを残すと、サルアは応接室から出ていった。ずり、ずりとくつぞこを引きずるような足音が遠ざかって聞こえなくなるのを待ってから──ドーチンは、ぽつりとつぶやいた。

「たった五人で、あの借金取りがどうにかなったとは思えないけど」

「…………」

 兄は無視してハタキがけを再開している。

「知らないよ。兄さんが口をすべらせて、魔術士が近くにいる、なんて言うもんだから……仕返しは、ぼくは無関係だからね」

「ま、まあ……あやまれば、大丈夫だろう」

 答えながらも、声がふるえている。ドーチンは冷たく言い放った。

「あの借金取りのが無事だったらね。もし、ここの人たちに責め殺されたりするようなことがあったら──ぼくら、あの借金取りに殺されるよ」

「ゔ…………」

 さすがにボルカンも、事の危険性に気づいたらしかった。うめき声をあげて、ハタキを取り落としそうになっている。兄はこちらに背中を向けたまま、また浅はかなことを言ってきた。

「に……逃げ出すってのは、どーかな」

「こんな《森》の真ん中にある村から、どうやって逃げ出すのさ。道も分かんないのに」

 ドーチンはたんそくして、応接室の一番広いかべを見やった──そこには、村の周辺の地図がかけられている。

 広大なる戦士たちのきよう《フェンリルの森》──その中にぽつんと、赤丸が記してある。それがこの《偉大なる心臓》村だった。


 ◆◇◆◇◆


「ここ……のようだな。マジクがつかまってるってのは」

 夜のやみの中──

 オーフェンはしげみから顔を出して、ぼそりとつぶやいた。背後から、その肩につかまるようにして、クリーオウ。さっきの格好の上にながそでたいじんジャケットを着込んでいる。見るからに暑苦しそうだが、森の中をシャツ一枚で歩き回るよりはマシだと思ったのだろう。

 彼女はすぐ近くからじろじろとこちらに視線を当てつつ、

「みたいね──さっきオーフェンが宙づりから逆さづりにつるしかえて、その下でして煙責めにしたらよーやくゲロしたりよの情報によればねー」

「……なにが言いたい」

 目を閉じてオーフェンが聞くと、クリーオウはすっとぼけた声を出した。

「べっつにー。たとえあなたが非道のかぎりをくして世界中の全てを敵に回したときも、わたしは味方でいてあげるからね、って話♥」

「なにを言ってもづかいはやらんぞ」

 クリーオウのブーイングを無視すると、オーフェンは目を閉じたそのまま耳をました。すぐ近くにいるクリーオウの小さな息遣い以外は、森の中は静まり返っている──とはいえ、無音になることが決してないのも、森の中というものだった。特に、夜間はそうだ。虫の声……そしてけものの足音。れの音。村の近くなので、さわの音も聞こえてくる。

 時刻は──オーフェンのかんでは──そろそろ真夜中というころか。街道からここまで来るのにかなりの時間がかかったようだが、行動を起こすには、まだ早い。

 と、オーフェンは目を開けた。視界の中に──星明かりに照らされて、森の中にぽっかりと集落が広がっている。見張りの姿は見えなかったが、どこにかくれているのか知れたものではない。建物に関しては、こんな森の中なので馬をう必然性はないだろうが、ようとんじようやその他のちく小屋らしきものはかなり目立った。人間が住む家屋は質素なもので、造りの小屋が多い。もっとも村の中心のほうには体育館のような大きな屋根も見え、また背の高い家屋も建っていた。教会のせんとうを思わせるその屋根は、やはり似たような機能のものらしく──とがった頭頂にちようぞうえてある。ただしそれはキムラック教会の聖印ではなく──

「……ドラゴン!」

 オーフェンは小さくつぶやいた。

《フェンリルの森》をしようちようするそのまま──巨大なおおかみの姿が、ごていねいにしつこくられてそびえている。星の明かりがなければ、やみのカラスでのがすところだった。

「まずいな」

 オーフェンが毒づくと、後ろからクリーオウが聞いてきた。

「なんで?」

 オーフェンは尖塔の狼の像を指さして、

「ディープ・ドラゴンの彫像だ。あんなもんを祭ってるとなると……ここはドラゴンしんこうかくざとらしい」

「ドラゴン信仰? 聞いたことはあるけど」

 あまり理解してはいないような口調で、クリーオウが言う。オーフェンはクリーオウの頭をつかむと、はあ、と嘆息した。

「分かってねえみてえだな……ドラゴン信仰者にとっちゃ、俺みたいな魔術士はモロに天魔か天敵みたいなもんなんだぞ」

 クリーオウは頭をつかまれたまま、しばし考えこんでから返事してきた。

「さっきのあの五人にしたことを考えれば、天魔で十分なんじゃない?」

「あのな……まぁいいけどよ。俺はともかく、問題はマジクだ──この村の連中に取っ捕まったとなると──」

 と、クリーオウが近くにいるのを思い出して、にごす。ごうもんならまだマシで、へたをすれば問答無用で責め殺されている可能性もある。

 オーフェンは胸中で歯がみした。救出には時間をかけられない。実際、もうすでに遅いのかもしれなかった。

(くっそ……)

「にしてもあの馬鹿、ただの人間に捕まるなんざ、連れもどしたら補習のあらしだ」

「既にこの前、自分にもできないくせにスクワット千回とか言って、泣かしたばっかりじゃない」

「……あいつが泣きながらスクワットやってるすきに、ひとつしかないももかんふたりで食べたんだから、お前もどうざいだろ」

「そーいやそーだけど」

 クリーオウはぼやいてから、

「……でもオーフェン、なんでドラゴンしんこうしやが魔術士を目のかたきにするわけ?」

「…………」

 オーフェンはしばしもくして村のほうをながめてから、さらにトーンを落として口を開いた。

「ドラゴン種族ってのがどういうもんかは、前に話したよな?」

「うん……大昔、神様から魔法の力を盗み出した種族のことでしょ?」

「ああ……」

 たいの時代──せきなどで発見されるドラゴン種族の年代記によれば一千年以上の昔。巨人の大陸ヨーツンヘイムと呼ばれる神々の国に、神の持つ『魔法』という全能の力の一部分を、全能ならぬ自分たちにもあつかえる術──つまり『魔術』──として盗み出した種族があったのだという。全世界のけものたちの中で最もこうかつだった六の種族──ウォー・ドラゴン種族、ウィールド・ドラゴン種族、ディープ・ドラゴン種族、フェアリー・ドラゴン種族、レッド・ドラゴン種族、そしてミスト・ドラゴン種族。

「六ドラゴン種族は神々のついげきを逃れて、このキエサルヒマ大陸にやってきた……ちゆう、神々の放ったはいやらしたやらとげきれつな戦いもしたらしいがな。それら全てを退しりぞけて、ドラゴン種族たちはこの大陸をすみとした。彼らにおくれること何百年もって、俺ら人間の祖先もこの大陸に入植してくる。これが三百年の昔……」

「人間は、ウィールド・ドラゴンから魔術の力をもらったんでしょ? 前に言ってたけど」

「そう──人間とほとんど容姿の変わらなかった、ウィールド・ドラゴン=ノルニル──天人と人間が混血することによって、魔術士──人間の魔術士、という大陸でも特異な存在が生じた。ドラゴン種族ではないのに、魔術を扱う能力を持つ種族ってわけだ」

 と、オーフェンは視線でディープ・ドラゴンのちようぞうを示した。

「ドラゴン信仰者は、それをそんと考えるのさ。実際に過去、魔術士発生のげんきようたるウィールド・ドラゴン種族が、人間の魔術士を地上からほろぼそうとしたって事実もあるからな。ドラゴン種族が俺たち魔術士をじやと考えるその理由は明らかじゃないが──いつだったかアレンハタムの地下で、天人ののこしたデク人形がしゃべり散らしてたことはあまりアテになりそうにねえしな」

「……でも、つまり魔術が使えるってことが問題なわけでしょ? だったら、ドラゴンって魔術士をどくせんしておきたいんじゃないかしら」

「そいつは、どうだろうな。俺たち魔術士が扱える力は、ドラゴン種族が持っている魔術の一番低いレベルに達したか達していないかって程度のもんなんだ、まあ、人間の魔術はすでにいくつかのドラゴン種族の魔術をりようした、なんて言い切る魔術士もいるにはいるが……確かにな、ミスト・ドラゴン種族の持っている大気魔術やレッド・ドラゴン種族のじゆう魔術と、俺たちの音声魔術──特に高度な白魔術までも含めた音声魔術とをかくすれば、俺たちの魔術のほうが上かもしれない。だが、それにしたって人間という種族の総合力とミスト・ドラゴン種族のそれとを比較してみれば──人間はミスト・ドラゴン種族のような、地上のいかなるかんきようでも生存できるようなきようじんな身体も生命力も持ち合わせてはいないし、レッド・ドラゴン種族のようなきわめて高度な知能も、自然体系知識もない。ドラゴン種族が人間の持っている力を危険視するってことは、まずないだろうな。しつってのは……可能性としては、あるかもしれねえけど」

「嫉妬?」

 クリーオウが聞き返してきたのを、オーフェンは苦笑しながら答えた。

「なんだかんだ言ったところで、大陸で最もはんえいしているのは人間だ。もっとも、それを言うんなら──」

 苦笑は消さないまま、続ける。

「それにもかかわらず、あくまで大陸の支配者なのが、ドラゴン種族だがな」

「ふうん……でも──」

 クリーオウは、どうもげんそうに口をとがらせた。

「結局、なんでドラゴン信仰者が魔術士を目の敵にするのかが、ピンとこないんだけど」

「まあな。俺もよく分からん」

 オーフェンがそう言うと、クリーオウは少し肩をコケさせたようだった。フォローするように、オーフェンは続けた。

「ドラゴン信仰者は、ドラゴンを信仰する──大陸の先住者であり正統な支配者たるドラゴン種族をな。そしてドラゴン種族のいくつかが、俺たち人間の魔術士をきらっている。君主の言うことは聞かなければならない──だからドラゴンを信仰する者たちは、魔術士をけんする。この程度の論法なんじゃねえかな」

「なんか主体性を感じないわ」

「まあ……人間なんてもんはあんまり主体性があり過ぎても、それで思い上がって自分が世界の支配者だとかさつかくし、たいていはめつしちまうんだけどな」

「そんなもんかもね」

 クリーオウが、あっさりとなつとくした声を出す。

 そんなもんなんだよな、とオーフェンも、胸中であいづちを打った。

 

 夜闇にまぎれて、足をみ出す──夏場の森の中は、夜になると異様にし暑くなる。手をればすいてきでもつきそうなほどの湿しつの中なら、少し足をしのばせれば音はほとんどひびかない。

 ──だといいんだが、と、平気な顔してぺたぺた足音を立ててついてくるクリーオウを横目で見やりながら、オーフェンは思った。

 村の外れのしげみから、手近なちく小屋──明かりのいていない小屋──ゴミ捨て場に続くなどをつたいながら、村の中へとせんにゆうしていく。見張りにもう見つけられている可能性はあった──しょせん、小さな村である。すきなく見張ろうと思えばいくらでも手段はあるだろう。もはや開き直って潜入するしかない。

 クリーオウは真っ黒──というかむらさきたいじんジャケットの胸に、ぴったりと剣のさやを抱くようにして、落ち着いた様子でついてくる。どうもこの娘は細かいことが好きなのか、この前買ってやったばかりのそのジャケットの左胸に人型のもんしよう──剣とたてを持った、かなり図案化された印章をしゅうしていた。聞いてみたら、商家であるエバーラスティン家には家紋はないが、同家と数代前に親族関係を持ったというなんとかいう貴族が、この家紋を持っていたのだという。貴族のようぼうを持つクリーオウが身に着けているから、というわけでもないだろうが、その紋章はかなりえがした。エバーラスティン家にほぼ押しかける形で輿こしれしたそのれいじようは、死ぬまで自分のせいを明かさなかったというが、案外、名のある家系のものなのかもしれない。

 オーフェンは素早く路地をけると、小屋の死角づたいに村の奥へ奥へと進んでいった。マジクがらえられている場所に見当がついているわけではないが、敵地でものを探すときにはいつも中心から始めるのが彼のやり方だった。そうすれば、たんさくと同時にとうぼうのリズムもとれる。

 村の中心に見えるのは、やたらに大きな円屋根の建物──屋根のあちこちからえんとつき出ていて、こうぼうのように見える。工房にりよを閉じ込めるという話は聞かないから、あやしいのはそのとなりに建っている教会のようなせんとうだろう。いつぱんの信者にごうもんの場を見せたりはしないだろうから、マジクがかんきんされているのは地下か、あるいは塔の上か──

 小屋のものかげに身をひそませて足を止めると、オーフェンはひとりごちた。

「やっかいだな──見張りがいないわけはないだろうし、出入口にかぎくらいはかかってるだろう。単純な鍵なら魔術でなんとでもなるけど」

「……見張りから鍵をうばえない?」

 クリーオウも同じ物陰に入ってきて、小声でつぶやく。オーフェンはかぶりをった。

「奪うのは簡単だが──さわぎを起こさずに、てのは難しいな。多少の訓練も受けているかもしれない相手を、声もあげさせずにもんぜつさせるなんてのは至難のわざだ。かといって、魔術を使うにはどうしてもじゆもんが必要だし……いっそのこと、村中に火の手をあげて、混乱に乗じて建物に入るか。それなら、とびらを魔術で吹っ飛ばしても分かりゃしねえだろ」

 クリーオウが、それを聞いて燃えたというように、ぐっとこぶしをにぎる。

「なるほど……じやあくな人さらい教団をみなごろしにするわけね。すごい決心だわ、オーフェン」

「馬鹿たれ──そりゃまあ、この程度の規模の村なら、ゲリラ戦にてつすればなんとか渡り合える自信はあるけどよ」

「わたしだってじようだんよ。でも、村を燃やしちゃったりしたら絶対に死人が出るわよ?」

「ここの教団がちゃんとした組織なら、なんもできずに焼け死ぬ者もいないさ。それに、火をかける前にばくおんでも立てて、村中をたたき起こせばいい」

「……騒ぎを起こすのだけが目的なら、火事にしなくてもいいじゃない。たとえば──いきなり村中の鏡の中から全身バナナ男が現れる、ていうのはどう? きっと大騒ぎになるはずだわ」

「……いまいちどんなもんか分からんが……きやつ

「じゃあ……オーフェンがぜんでけたたましい笑い声をあげながら村を縦断する。そのすきに、わたしがかつやくするから♥」

「……却下」

「村の人たちが寝ている間に、みんなにこっそり鼻輪をつけちゃうっていうのはどう? 朝になったら大騒ぎ──」

「……お前、ことの深刻さを理解してないだろ。マジクを救出せにゃならんのだぞ」

「あの子ならだいじようよ。前に、わたしが体育倉庫に閉じ込めたままうっかり忘れて家に帰っちゃって、そのまま連休にとつにゆうしたときも生き延びてたもの。ボールの綿をかじってえをしのいでたんだって」

「そ、それもかなりエグいが……あのな、あいつは今この村で、拷問受けてっかもしんねえんだぞ」

「拷問!?……なら、連れかえったらマッサージくらいしてあげないとわいそうかもね」

 かなり本気で言っているらしいクリーオウに、オーフェンはたんそくした。

「いや……お前のじんたいだんれつマッサージは、あいつにはこくだろ。俺でさえ悲鳴あげたくらいだから」

「人のマッサージに、変な名前つけないでよ。まあオーフェンが泣き出したときは、ちょっと驚いたけど」

 クリーオウがぶつぶつ言うのを、オーフェンは手で制した。なんにしろ、この娘に『狂信者にされて責め殺されているかもしれない不幸なマジク』のビジュアルを理解させるのは不可能らしい。

 などと思いつつ、さらに村の奥に進もうとしたとき──

 くうぅぅ──おおうぅぅぅぅぅ──……

 ぼうだいな量の空気が、どこか一点に吸い込まれていくような音が風に流れ──

 かっ!──

 村の中心に、天までがすような火柱がき上がる!

「な──!」

 オーフェンは絶句するような声をあげ、爆風から顔をかばった──後ろでクリーオウが、きゃあと悲鳴をあげている。爆風は地面の砂を巻き上げ、あたりの小屋のかべに当たってぱちぱちと音を立てた。火柱はまだ消えず、村の中心──ちょうど煙突のある巨大な建物の正面でこうこうと燃え上がって、こちらまではいくらかきよがあるというのに熱波をとどかせていた。村全体を白く照らし、くるうあのほのおの色は──

(ガス爆発のたぐいじゃあ、ない──油が燃える色でもない──)

 純白の火柱──白い炎は地上自然界には存在しない。何物もしよくばいにしていない真白き光は──

「あれは……魔術の炎だ!」

 我知らずオーフェンは、声を出していた。村の中がにわかにざわめきはじめ、あちこちの小屋からばたばたと人が飛び出してくる。もっとも、いきなり燃え上がった火柱に気をとられて、オーフェンらのことをとがめ立てする者は、まだいないが。

「魔術? じゃあ……あれ、マジクがやってるの?」

 頭からかぶった砂ぼこりをばたばたと落としながら、クリーオウが聞いてくる。オーフェンは、ぞっとしながら答えた。

「あいつがあれほどの魔術を使いこなせるってんなら、もう俺が教えてやれることなんざなにもねえよ」

「……え?」

「あれ……は──人間の魔術なんかじゃねえ──!」

 オーフェンはのどの奥でうめいた。魔術士には、力をあやつるための力──魔力というものがえる──魔術が発動したならば、空間に解き放たれた魔力の構成を読み上げることもできた。そして、そのまれた構成から、術者の力量を読み取ることも。

「なぁに? また、あの人形!?

 クリーオウは、さけびかえしながら剣を抜こうとした──それをとどめながら、オーフェンはつぶやいた。

「やめろ。ンなもんが通用する相手か」

「な──なによ、自分だけ事態が分かっちゃって、ずるいわね」

 クリーオウが、少しねたように言う。オーフェンは、一瞬なかば本気で、きかなにかの一発で、相手に思考を伝えることはできないものかといらだった。

「見ろよ!」

 と、火柱のほうを指で示す。もう純白のほのおは、とっくに消えていた──が、火が消え、また月下のやみとなった暗闇に、なにか、うすぼんやりとシルエットが映っている。

 その場所──村の中心までは、まだ数百メートルはある。そのきよからでもそのシルエットは、はっきりと判別できた。月の下に映える巨大なおおかみのシルエット──

「ディープ・ドラゴン=フェンリル!」

 オーフェンは、全身ぞっとふるわせながらその名を叫んでいた。ほんの一瞬前までは、ドラゴンなどいなかったのだ。昔聞かされた、ディープ・ドラゴンについての伝説が、ずらりと頭の中をくしていく──

「くそ、確かに、フェンリルなら、空間転移の能力も持っているかもしれねえ……」

「な、なになに?」

 こんな事態でも、なにやらおもしろそうにクリーオウが目をかがやかせた。オーフェンは、なんだか無意味に泣きそうになりながら続けた。

「だ・か・ら──ディープ・ドラゴンだよ! ドラゴン種族でも有数の力を持った!」

 叫びながらオーフェンは、遠くにそびえるシルエットを見やった。しつこくの毛並みを持つ巨大な狼は、月明かりでもなければまったく夜闇にけ込んでしまうのではないかと思える。ディープ・ドラゴンは決してたけびなどあげない──足音すら立てず、言葉も使わない。言語思考を行っているであろうというのに、だ。音のないドラゴン。その巨体ゆえだんは水中にらすが、別に地上にいてもなんらごうはない。むしろ地上にいるときのほうがこうげきせいが増すくらいである。

 人間が出会った場合、危険なドラゴン種族は二種類あると言われている──最悪なのがミスト・ドラゴン。そして、最悪を通り越してもうどうしようもないのが──魔術にけたディープ・ドラゴンである。

「う~!」

 それだけの情報を、口に出せずに頭の中でずらずらと並べ立てながら、オーフェンはうめき声だけあげてクリーオウをにらみやった。無論、伝わるわけがない。自分でも分かっている。

 だが、説明の間などないほど、ディープ・ドラゴンは危険すぎる。

 オーフェンは、ぐっとクリーオウの肩をつかんだ。こっそりとドラゴンのいるほうへと進みかけていたクリーオウは、いたずらを見つかった子供みたいな表情を見せた。

(こいつは……全っ然分かってねえ!)

 と思いつつ、じっと彼女のブルーのそうぼうをのぞき込む。

げろ!」

「…………はあ?」

 クリーオウは、しばらくきょとんとしてから、間の抜けた声をあげた──そう言われる可能性を、まったく考えていなかったらしい。オーフェンは、しようそうられながらあたりを見回した。今の爆音で、村人たちが目を覚ましたらしい。あちこちの小屋から、ざわざわと人の気配が現れはじめた。もうすでに家を飛び出し、ドラゴンだ、と叫び声をあげている者もいる。

 だが、まだオーフェンらのことに気づいている者はいないようだった。気づいたとしても、村の真ん中にドラゴンが現れたとなれば、それどころではないだろうが。

 オーフェンはもう一度クリーオウの目をのぞきこんだ。ここ二か月近くの経験から、このむすめに言うことをきかせるコツは、とにかく反論の機会をあたえないことだとさとっていた。

「森の中につけてきた目印をたどれば、お前ひとりでも馬車のところまで帰れるな?」

「え? あ──うん。でも──」

「もどったら、通りがかりのだれでもいいから、かくしてある馬車を動かしてもらって、一番近くのレンジャーしよに行くんだ。レンジャーに事情を話して、そこで待ってろ。いいな?」

「うん、話は分かったんだけどさ、でもオーフェン──」

「じゃあ、行け! 俺もなんとかマジクを助け出してから、後を追うから!」

「あの──」

「いいから行けえっ!」

 オーフェンが腕を振ってると、さすがにクリーオウも、ちょっとムッとしながらあと退ずさりしはじめた。うらめしげな目付きで、こちらに恩を売りながら、後ろ向きに走り出す。

「オーフェン──」

 捨てぜりふも忘れない。

「貸しひとつよ──今度はわたしの言うこと聞いてもらうからね」

「やかましいわ、あほたれっ!」

 ったく──と、オーフェンは胸中で毒づいた。あのアマ、ちいとも自分の立場ってモンを分かってねえんだからよ、くそ。

(俺ひとりでも、生き延びられるかどうか──)

 オーフェンは胸元の、ドラゴンのペンダントをにぎりしめて、なにかにいのるような手つきをした。なにに祈ったのか、自分でもよく分からないが。

(マジクの馬鹿、貸しひとつだ──俺の代わりにクリーオウの言うこととやらを聞いてもらうからな!)

 勝手にさいやくを押し付けると、オーフェンは全力でドラゴンのいるほう──村の中心へと走りはじめた。なんとなく、マジクがらえられているのもそちらのような気がしていた。

 

 ドラゴンは動かない。姿を現した場所そのままに、じっとたたずんでいる。なにかを見つめるように──と、シルエットの頭の角度から、オーフェンは気づいた。ドラゴンは、とうの近くにじっとしている。その鼻先は、じっと塔の上を見つめているらしかった。

(マジクがつかまってるのが、あの塔だとしたら、ドラゴンの目の前に出なけりゃなんねえってことか……)

 にわかにそうぜんとしだした村をけながら、オーフェンは考えた。

(死ぬかな)

 村の中は、もうやみではなかった。たいまつの明かりがあたりを照らしている。起き出した村人たちがけたものだろう。耳をかたむけるに、村人たちはディープ・ドラゴンの出現にさほど騒然とはしていないようだった──いや、さわぎ立ててはいても、パニックにはなっていない、というところか。

(さもありなん──ドラゴンはやつらの守護神だからな……つうか、奴らはそう思ってるってだけだがよ)

 と──声。

《……だ……なのだな?》

「…………?」

 オーフェンは耳を疑って、足を止めた。今なにか、確かに、耳元で声がしたような気がしたのだが──

(なんだ?)

 まゆをひそめて、耳をます。小屋と小屋の間の、小さなである。たまたま通路になっていないのか、村人の姿はない。ほかの通りとの交差点で、ちらちらと松明をかかげた村人の姿は見えたが、彼らもこちらには気づかずに通り過ぎていく。みんな、ドラゴンのところへ向かっているようだった。

(立ち止まっても、いられねえか……)

 オーフェンは舌打ちして、また走りはじめた。村人がドラゴンのもとに集まっていっているのでは、ディープ・ドラゴンだけでなく、村人からも逃げなければならない。マジクを救出するのは、ますます絶望的であるような気がした。

(あの馬鹿、手間ばかりかけさせやがって──連れもどしたら、どうするか見てろ──)

 と、また、声。

まだなのだな?》

 今度は、はっきり聞こえた。

(──気のせいじゃない!)

 その声は、肉声ではない──大気をふるわせずに、ただ空間にはじけ飛ぶような声だった。頭に無理やりねじ込んでくるような……

(ディープ・ドラゴンの暗黒魔術だ……俺は標的になってないはずなのに、それでも聞こえるのか!?

 ディープ・ドラゴンの魔術は、精神を支配する術だと言われている──それだけなら人間の白魔術も同じだが、決定的なちがいは、フェンリルのそれは生物だけでなく非生物にまで作用してしまうことである。つまり、森の木々はもちろん、土や大気、水、果ては空間にまで精神支配が及んでしまうのだ。

 先刻の火柱も、空間を支配してしんどうさせた結果、生じたものだろう──あるいは、振動を利用して転移した、その余波で起こったものかもしれないが。

(にしても──知ってはいたが、とんでもねえりよくだな)

 ぞっとしながら、認める。

 人間が声をばいたいに魔術を用いるのと同様に、ディープ・ドラゴンの魔術は、視線を用いる。だがドラゴンは今、こちらを見てなどいない。つまり、オーフェンはドラゴンの魔術のえいきようになどいないのである。それでも、念話の影響を受けてしまう。

(こりゃますます、ちできるような相手じゃねえぞ……にしても、なんでいきなりドラゴンが現れたりするんだ、この村は?)

 ディープ・ドラゴンは《フェンリルの森》を守護していると言われている。《森》に入ってきた人間にはようしやがない。だがもし、ドラゴンがこの村をほろぼそうとして現れたのなら、遠くから一分間もぎようしてやれば、この程度の集落など、ほどなくかいじんに帰すのである。なのにドラゴンは村のわざわざ真ん中に現れて、しかも、なにをするでもなくじっとしている。

(まさか──本当にこの村の守護神だとでもいうんじゃねえだろうな?)

 まさかまさかとくりかえしながら、路地を出て通りを曲がる。と──

だれだ、お前は!」

 すいの声に、オーフェンは足を止めた。小さく舌打ちして、わずかに腰を低くする──飛びかかられたときの用心である。振り返ると、そこに長身の男が待っていた。

 男は、右手にたいまつを、左手にさい用のしやくじようのようなものを持っている。松明の明かりが、男の姿を照らしていた。ひげを生やした、がっしりした中年の男。

 その男の背後に、取り巻きのように、また数人の男たちがいる。ただの村人のようだが、いちいち体格のいい連中がそろっているところを見ると、文字どおりの取り巻きなのだろう。もっとも、一番後ろにいる若い男だけは、みようふんが違っていた──しかもそうしている。腰に長剣を下げて、ワッペンのないレンジャージャケットを着た、にやにや笑いの青年である。年は、二十二、三というあたりか。

 錫杖の男が、まず声をあげる。野太い、しっかりした声だ。

「何者かな? この村の者ではないようだが」

「……俺かい? 俺は──」

 と、オーフェンはなにかごまかそうと口を開いたときには、もうすでに錫杖の男は動きを見せていた──錫杖が、からんと地面に落ちる。

 同時に、空いた左手で、男はふところから黒っぽい鉄のかたまりを取り出している。オーフェンは、とっさに後ろにんだ。その後を追うように、男の取り出した塊が、ぱんっ! とはじけた。

けんじゆう!」

 オーフェンは、短くさけんだ。弾丸は夜目のせいか、もともと外れていたようで、弾丸が身体の近くを通るときの無言のしようげきも感じはしなかった──もっとも、使っている火薬があくであれば、弾丸が衝撃波を発するほどの威力は出せないだろうが。

「ドラゴンの次は拳銃かよ──王室令で取りまられてるはずだろうが?」

 オーフェンがうめくと、拳銃を構えたまま、男は笑った──ひげり上がらせただけの、顔の下半分だけの笑み。目は笑っていない。

「人界の法など、我が《森》では通じぬ! わたしはドラゴンの使つかい、《心臓》の教祖マクドガルだ!」

 教祖──マクドガルとやらが、また引き金を引く。マクドガルが使っているのはごくいつぱんてきな造りのもので、銃身がない。普通知られているかぎりでは、拳銃というのは単に近接せんとうふだとして用いられるものだ。だから左手で使う。それ以外の拳銃の運用方法も習ったオーフェンは知っていたが、少しでもきよをおけば当たるものではなかった。

 が、それでももちろんまぐれ当たりの可能性はいつでもあったし、当たればめいしようにはなり得る。幸い、二発目も外れはしたが、オーフェンはあえて三発目をたせるつもりはなかった。

「我は放つ──」

「やはり魔術士か!」

 マクドガルが、叫んだ。取り巻きたちが、ざわっと押し寄せてくる。オーフェンは構わず魔力を練り上げた。

 どうせ、こちらの名前も聞かずに拳銃で撃ってくるような連中だ。

(この際、ひとりやふたり大ケガをしようと知ったことか──!)

「光の──」

 完全に間に合うタイミングで魔術が発動しようとする──が、じゆもんは突然ぼうがいされた。

「くっ──!?

 左の肩口に、するどい痛みが走る。いつの間にか、ナイフが突き立っていた。魔術を放つために身をよじっていなければ、のどさっていただろう。