第二章 ディープ・ドラゴン
「……さて、どーするかな、こいつら」
街道に面している大木の枝から両手を縛られてつるされている男たち五人を見上げながら、オーフェンは腕組みした。すぐ近くに彼らの馬車が停めてあり、野営の準備をしている跡も見えた──が、それは今の騒ぎの結果としておおむね目茶苦茶になっている。と、彼の背後からクリーオウがぼやき声をあげた。
「残酷ねー」
どうやら、襲撃者をつるし上げにしていることに対してらしい。オーフェンは振り返りもせず反論した。
「武器を持って襲撃してくるような連中に慈悲はいらねえよ。だいたい、お前だって一番最初に襲いかかってきたのを真っ先になます斬りにしやがったろ」
「なます斬りになんてしてないわよ!……そりゃまあ、あの人、指がちょっとちぎれかけて泣いてたみたいだったけど……あんなに斬れるなんて思わなかったんだもん」
クリーオウはどうやら思い出して、身震いしたようだった。オーフェンは嘆息して、
「あれ、俺が魔術でくっつけてやらなかったら、本当に取れてたぞ。ったく」
と、少女のほうに向き直って肩をこつんと小突いてやる。クリーオウは汚れたスパッツはもう履き替えて、いつものジーンズとシャツにもどっていた。シャツは濃いベージュの男物(つまりマジクの持ち物だ)で、返り血がついていたりしないかと、彼女はさっきからしきりに気にしていたようだった。
「そもそもなぁ、たかだかスリコギやら棒切れでしか武装してない連中に刃物振りかざすなんざ、それだけで十分残酷だぞ、お前こそ」
「くっくっ……あたいをこんな悪い女にしたのは、どこのどなただったかしらねぇ」
「だから、どこで習ったんだ、そーゆうせりふを……」
小柄な身体をくねくねさせながら言ったクリーオウを制しながら、オーフェンはまたため息をついた。クリーオウが、ムッとした様子で口を開く。
「オーフェンだって、そのスリコギでしか武装してない連中とやら相手に、森が十メートルも炎上するような魔術を使ったじゃない」
言いながら彼女は、左手の森を指さした。確かに数メートルはあろうかという巨木が根こそぎ吹き飛んで、地面が何メートルか焦土となっている場所がある。オーフェンはわざとそちらは見ないようにしながら、しらじらしい声を出した。
「お前を守るために必死だったんだ」
「そーゆう底の割れた嘘は聞いてて腹が立つわ」
クリーオウは実際腹を立てたようにオーフェンから少し離れた。と、ふと思い出したように地面に投げ捨てた自分の剣──人を斬ったら血がついたので驚いて投げ捨てたのだ──に慎重にそろそろ近づいていく。彼女は剣の一メートル手前でこちらを振り返り、
「あのさ、この剣、どうしてもわたしが血を拭かなきゃ駄目?」
オーフェンは即答した。
「自分のものは自分で管理」
「でも……血がついてるのよ?」
「人を斬れば当たり前だろ。いやなら捨てちまえ、そんなもん」
「いやがる乙女に無理やり血の後始末をさせようなんて、残虐趣味と思われても仕方ないわよ、オーフェン」
「なら、その乙女とやらが刃物なんて持つなっ!」
オーフェンが叫ぶと、クリーオウはぶつぶつ言いながら剣の柄をつま先でつついた。
「老人は若者の失敗を許してはくれない。それは嫉妬というのだ──BYお父様・死亡二時間前」
「つくづく口の減らねえ奴だな、お前は……」
オーフェンは半眼でぼやきながら、またつるし上げの五人を見上げた。全員気絶して──あるいは、気づいていてももう反撃する気力もないのか、ぐったりとしている。
まあそもそも、両腕を縛られて宙づりになり、なお元気に騒ぎ立てるような人間というのもそうそういないだろうが。
クリーオウはまだ頑なに剣には触れず、ぶつぶつと続けている。
「語るのをやめたとき、誰もが死ぬのだ──死去直前」
「お前の親父って……死ぬまでそーゆーコトを吐きつづけたのか?」
「唯一、有意義な死があるとしたら、それは遺言だけだ──これは、お医者に死を宣告された直後ね」
クリーオウはこちらにウインクしてから、とりあえず剣の血がついたところに砂をかけはじめた。
極めて奇異なことではあったが、彼は幸福を感じていた。あまりの安堵に死んでもいいと思ったほどだ。
安全!──確実!──寒くない──暑くもない──腹も減ってない──借金取りもいない!──思うに、これほどの好条件はこれまでの人生では決して望めなかったことである。
と……ひとしきり至福の涙を流してから、ドーチンはふと気づいた。
「これってひょっとして……当たり前のことだったんじゃなかったかな……」
そう思うと、どっと空しさが押し寄せてくる。柔らかい布巾でクリスタルの灰皿を拭きながら、ドーチンはふとした寒さに襟元をぐっと寄せた。
身長百三十センチほどの『地人』──キエサルヒマ大陸でも南方の地人領にしか住んでいない土着民族である。伝統的な民族衣装である毛皮のマントですっぽりと身体を包んで(屋内でも脱がないのが礼儀である)、分厚い眼鏡をかけている。年齢は十七だが、体格が小さい分、もっと幼く見えるのは仕方がないところか。
と──ドーチンはちらりと、自分の背後を見やった。彼がいるのはとある部屋の中──それも適度に調度にも凝った応接間だった。もっとも、こんな僻地にあるせいか、それとも飾り付けた人間の趣味か、どことなく庶民的な居間を連想させる間取りだが。
その部屋に、もうひとり地人がいる。
「……この俺が……掃除など……」
もうひとりの地人はぶつぶつ言いながら、いいかげんな手つきでハタキを振っている。一応、サイドボードのほこりを落としているつもりなのだろうが、どちらかというと単に空中にほこりをばらまいているだけのようだ。
ドーチンは、はあ、とため息をついた。拭いている途中の灰皿をいったんもとのテーブルに置きながら、
「兄さん……それじゃいつまで経っても掃除が終わんないよ」
「なにぃ?」
兄さん、と彼が呼んだ地人が、じろりとこちらに視線を転じる。黒髪をぼさぼさにして、なんのつもりか腰に剣など下げている。毛皮のマントを着ているのはドーチンと同じだが眼鏡はしていない。その地人は、ハタキを持ったまま腕組みすると、ゆっくりと続けた。
「はっきり言うぞ、ドーチン」
「うん」
うんざりとドーチンがうなずくと、それはさらに続けた。
「なんで、この俺が──マスマテュリアの闘犬とも呼ばれたこのボルカノ・ボルカン様が、こぉんな地味な仕事をせにゃならんのだ!?」
最後のところで、びしとこちらに指を突き付けてくる。
ドーチンは自分のこめかみを押さえながら答えた。
「あのさ……兄さん、冷静に考えてみなよ」
「冷静に、だと!?」
地人──ボルカンと名乗った──は、激昂したように怒鳴った。そのまま、すたすたとこちらに詰め寄ってくる。
「この俺が──ハタキを持って──ぱたぱた掃除するなど──俺が今まで苦戦の末に葬り去ってきた強敵たちが聞いたら! あの世で涙するに違いない! あまつさえ、しょーが醤油でひたし殺されるやもしれんっ!」
と、ぐっとにぎった拳が鼻先に触れるくらいまで近づいてきて、ボルカンは止まった。見上げると(と言ってもほとんど身長は変わらないのだが)、虚空に向かって男泣きに涙している。ドーチンはうめくように聞いた。
「強敵──って?」
「例えばトトカンタ十三ストリートを根城にしていた峻烈の赤き魔王ダンデ・コプリーズJr.!」
「ああ……肉屋の飼い犬ね。犬のくせに豚肉のソーセージなんて食ってて生意気だ、て兄さんが襲いかかったやつ」
冷たい声でドーチンがつぶやくのだが、ボルカンはまったく聞こえていない様子で叫びつづける。
「さらには天空の黒き覇者マイケル・マグノリア・サミュエルズ!」
「ええと……多分、道に落ちてた銅貨の取り合いをしたカラスのことかな」
「深き淵より蘇りたる悪魔の頭脳! 狂気の博士ドク・サッペル!」
「……? あ! あの物まねが得意な九官鳥のことだ。鳥籠から餌なんか盗んだって美味くもないんだからやめなよって言ったのに、聞かないんだから」
「生命なき百の配下を持つ魔女! 希代の傀儡師ミード・レイン!」
「……最後まで人形劇を見てるとあめ玉くれるミード婆さんのこと? 別に戦わなかったじゃない」
「…………」
ボルカンは一筋の汗をたらしながらしばらく黙っていたが、やがて気を取り直したのか、芝居がかったしぐさで、ばっと横に振った。
「彼らにいったいどういう申し開きができようか!?」
「いや、まあ……申し開きができるか、と言われれば……申し開きしようがないけどさ」
でもそれは、申し開きする必要がないからじゃないか──
もごもごとドーチンがつぶやくと、ボルカンは大声で叫んだ。
「そうだろう!」
両手で拳をにぎりしめ、天井に向かって吠える。
「お前に言えるか? 壮絶に散っていった彼らに対して! この俺が──ハタキを持って──鼻歌なぞ唄いながら──かいがいしい新妻よろしく──パタパタ掃除するなど!」
「いや……いちいち強調しなくてもいいんだけど……」
だが、ぶんぶんとボルカンは首を振って、
「俺にはできん! 主義主張は違えど、奴らは戦士として最後まで勇敢だった! なのにこの俺がぱたぱたハタキがけなど──」
「あ。そー言えば、食堂のおばちゃんが掃除を早く終わらせたら空いた時間でパンケーキでも焼いてくれるって言ってたよ」
「さあ弟よ。ハタキがけのコツはリズムだ。ほこりが被るとまずそうなものには、あらかじめビニールをかけておくこと」