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「ま、考えてみりゃ当たり前だけど──でっかい森だね」

 厚紙の地図を片手に、彼はそうひとりごちた。地図は大陸の地勢図で、このキエサルヒマ大陸と周辺の海がっている。大陸をちょうど東西に分けるようにして、その面積の二割までもせんりようして広がるのが、この《フェンリルの森》である。

「ありとあらゆるけもの、ありとあらゆる生命がここにむ──」

 地図のすみについているコメントを読み上げる。金髪にあわいグリーンのそうぼうの少年である。ととのった顔立ちをしているわりには、あいきようのようなものも目立った。まだ十五にはなっていない。黒いシャツに、これまたくろかわのズボンと黒ずくめだが、これがあまり似合っていないのは自分でも分かっていた。だが、とりあえず今は──

(ま、いずれ似合うようになるさ)

 と、楽観的に思っている。いつか──多分──一人前の黒魔術士になったら。

「伝説には女神が宿る地とされ、強力なドラゴン種族がこれを守護する……」

 ぶつぶつと続けながら、彼は顔を上げた。周囲の森を──深く、そしてあざやかな緑を見回して、軽く息をつく。

 と──

「へえ」

 思わず、声をあげた。

「泉なんてあったんだ」

 近くに川などはない──さわの近くを歩くのは危険だから、けてきたのだ。となると、この泉はき水だろう。

 うつそうとした木々や下草をかき分け、いきなり視界が開けるようにして、その泉はあった。水面にもんひとつなく、冷たく静まり返っている。泉というよりは、小さめの湖といった感じだった。水面から少し下は、水草でまっている。空の青と水底の緑がけ合って、みような色合いになっていた。

 彼はみずぎわに近寄ると、さっと指で水面をなぞった。傷ひとつなかった水面に、何重もの波紋がひろがっていく。おもしろがって、彼は水面をのぞき込もうとした。そのしゆんかん──

 どさっ。

 背後で、なにかが落ちた音。り返ると、すぐそこの地面に、数メートルはありそうなだいじやが転がっている。木の上から──落ちてきたのだ。

 すじが、さあっと寒くなる。彼はなんとなく、手をあげて口を開いた。

「は、初めまして──」

 その少年のあいさつにこたえて、というわけでもないだろうが──大蛇はかんはついれずに頭をね上がらせると、こちらに飛びかかってきた。森の緑色の中で、その大蛇の黒々としたうろこの身体が引き結ばれた線のように映る──

 反射的に彼は、両手を引きしぼって胸元に構えた。息を吸い──一瞬でき出す。同時に、大声でとなえた。

「我は放つ光のはくじん!」

 少年の眼前から一直線に放たれたねつしようげきは、ねらいどおり大蛇のしたあごあたりにさるとばくえんをあげた。燃え上がる熱波に吹き返されて、大蛇の身体が後方へと跳ね返される。頭のなくなった蛇が、落ちてきた木のみきにたたきつけられるのを見ても、少年はまだけいかいかなかった──そのまま、衝撃でけいれんしている蛇の死体が動かなくなるまで待ってから、ふうとあんいきをもらす。

「やっぱ危険だな、この森」

 そのわりには、あまり危機感がない口調だったが、本人としてはきようきようとしているつもりだった。額の汗をぬぐってから、ふと気が付いたように、蛇におそいかかられてからの自分の動きをもう一度再現してみる。

「こう、ぐるりと回って──我は放つ光の白刃、と……」

 最後に手をき出してから、彼はにっこりした。

「よしよし。今の対応はおさまみたいで良かったな。覚えとこ」

 満足顔でうなずいてから、またあたりを見回す。森の中で炎を使ったのはかなり危険だったが、水気をふくんだ夏場の森なら、そう簡単に引火するということもない。もっとも、燃えるときにはようしやなく燃えるだろうが。

 そんなことを考えていると、声がした。

「魔術士……」

「え?」

 少年は、声がしたほうへと向き直った。そして──ぽかんと口を開けたまま絶句した。

 彼の立っている位置から少しはなれた泉の水際に立って、こちらをじっとえているのは、女だった──いや、少女と呼んだほうが適当だろうが。ねんれいは、少年自身とほとんど変わらないだろう。意志の強そうな目をしているが──だが、なんとなくその強さは──

(なんだか、追いめられた力みたいだ。いのけもの……みたいな)

 なぜそんなことを思いついたのかは分からない。なんにしろ、彼がおどろいたのは、そんなことではなかった。

 少女は表情に少しきようがくを残して、こっちを見つめている。笑ったら、もっとあいきようがありそうなのに、と彼は思った。くせのあるくろかみを無理にストレートにして背中までばしている。みようなのは、彼女のかつこうだった──ひらひらしたうすぎぬを、よくのように身体に巻き付けているだけ。サイズがたっぷりしているので、強い風でも吹けば服の下がのぞいてしまいそうである。こんな森の奥には似つかわしくないし、機能的でもない。

ふく……?)

 そうも思えるのだが、それではなおさらこんな秘境に相応ふさわしくない気がする。

 そんなことをいぶかっていると、少女のほうから問いかけてきた。

「あなた、魔術士ね?」

「え? うん──あ、いや、実はちがうんだった。その、見習いなんだけどね」

 あわてて返事する。少女──巫女? が少し首をかしげるようにしてみせる。どうやら、彼が吹き飛ばした蛇のがいを見ているらしい。彼女がまゆをひそめたのが見えた。

「そんなに……力があるのに、見習いなの?」

「成功しないことも多いんだよ、実は。それにぼくのお師様は、もっととんでもないよ」

「そう……連れがいるの……」

 彼女は遠い目でそんなことをつぶやいて、そのままだまり込んでしまった。少年は、心持ち手持ちぶさたになりながら頭をかいた。

(なんか……うきばなれした調子のだなあ。ふくそうもだけど)

 そんなことを思いながら、聞いてみる。

「あ、あのさ、君──あ、名前なんていうの?」

「フィエナ……」

「いい名前だね」

 なんというか、あてずっぽうな気分で彼がお世辞を言うと、彼女はくすっと笑って見せた──もっとも鼻から笑ったような息がもれたというだけで、表情に変化はなかったが。

「ありがとう。あなたの名前は?」

「マジク」

「あなた、貴族にゆかりがあるの?」

 と、彼女──フィエナは気にするようにこちらの髪を見た。金髪は、つう平民には生まれない。

「いや、ぼくのは貴族とは関係ないよ。生まれつきこうだったってだけ」

 貴族だって『生まれつきこうだったってだけ』ということには違いなかろうとは思うのだが、マジクはいつも説明するときにはそういう言い方をしていた。たいていの人はなつとくしてくれる。

 フィエナが、こちらに向かって歩きだした。マジクもとりあえず、そちらに近寄っていくことにする。

 彼女は歩きながら口を開いた。

「……なんで、こんなところにいるの? ここは奥地よ。人間の世界じゃないわ」

 彼女が動いたせいでふわっと空気になびいた肩のあたりのうすぎぬを見ながら、マジクは答えた。

「散歩のつもりだったんだけど、道に迷っちゃって」

 言いながら、役に立たない地図を折りたたんでポケットにしまう。手をばせばとどくくらいのきよで、ぴたりとフィエナは足を止めた。

「そう……なら、街道に出る道を案内してあげるわ。この森は危険よ。人が……夢を見てしまうの」

「ありがと──でも、夢って?」

 マジクもつられて立ち止まり、おうむ返しに聞き返す。彼女は肩をすくめただけで、なにも答えてはこなかった。

「ひとつ聞きたいんだけどさ」

 マジクは腕組みして、なにげない口調で聞いた。

「君は、こんな森の中でなにしてんの?」

 彼女はそくとうした。まるで──すきがあればそれを言おうと待ち構えていたみたいに。

「わたしの力は《森》にしているのよ。ここからは出ていけない」

「……へ?」

 フィエナはがおで続ける。

「《森》にいるから、わたしは力が使える。たとえば、さっきのあなたみたいに」

「そんなことができるの?」

 マジクが聞くと、彼女は、あっさりと首を縦にった。

「ええ。わたしは……力に支配されているの」


「へー。じゃあやっぱり、君はなんだ」

 森の中をいっしょに歩きながら、マジクはかんたんの声をあげた。大陸でもっともポピュラーな運命の三女神ウイールド・シスターズしんこうには、巫女という資格の神官はいない──女神そのものが、なんらかの神にささげられた巫女のようなものだと言われているからだ。となればこのフィエナが参加しているのはなんらかの辺境信仰ということになる。

(おさまだったら、未開信仰だ迷信だとか言って、鼻で笑うんだろーけど)

 マジクにしてみれば、そういった信仰は個人の勝手である。部屋のかべが自分の話をぬすみ聞きするのだとノイローゼの学生がはんきようらんになったときも、ゆっくり八時間あまり相談相手になってやったくらいだ(女生徒だったのだ)……まあこれと、目の前のフィエナをいつしよくたにしてしまうのは乱暴だが。

「巫女ってのも、いろいろ大変そうだね。よく分からないけど」

 のんきな声で言う。

「力を得たの。わたしは……」

 感情のこもらない、ぽつりとした声で彼女がつぶやいた。

「力、ねえ……」

 マジクは頭の後ろで腕を組んで、ぼんやりと言った。

「そんなに必要なものかな?」

「わたしには、ね」

 フィエナの口調はあいまいに聞こえた。すっとき通るような視線でこちらを見やり、続ける。

「あなたには連れがいるから、その人たちにたよれるんでしょう?」

「まあ……ね」

 師──オーフェンの顔を思い浮かべながら、マジクは同意した。

 フィエナが、ふとひとみかげらせて、続ける。

「わたしには、いないのよ。だからわたしは……従うことにしたの」

「え……?」

 なにを言っているのだか、よく分からない──マジクはげんな視線で彼女をながめつつ、とにかくその後をついていった。と──

 とうとつに、彼女がこちらにり向いた。胸元を、ぎゅっとめるようにしながら、

「あなたは外から来たんでしょう? この外から」

「外……って、森の外のこと? なら、そうだけど」

 きょとんとしてマジクが答えると、フィエナは光のなかった目をにわかにかがやかせてみせた。振り向いた動作のせいで、くせのあるくろかみが、ふわっとう。

「外はどうなっているのかしら。この森の近くにソリチアンって村があるんだけど、通った?」

「いや……それは多分、これから通る予定だったんじゃないかな。ぼくら、南のほうから来たから」

「南──アラバルト? キンクホール? レインダストなんて村もあったかしら」

「キンクホールのほう。にしても、ずいぶんくわしいみたいだね。この辺のこと」

「地元人だから」

「ふうん……」

 話題が変わったらいきなり彼女の口調や表情まで変わってしまったことにみように感心しながら、マジクは鼻をかいた。もう一方の手で、さっきの地図を取り出して広げる。

「ぼくらは、トトカンタから来たんだ。街道をずっと北上して、アレンハタムと……このキンクホールを通ってきたってわけ。一月半くらいかかったかな」

 地図を見せながら説明すると、フィエナが、地図をのぞき込むために身体を寄せてくるのが分かった。彼女のむき出しの腕がこちらのひじれているのを気にしていると、フィエナはきようありそうに聞いてきた。

「そのコースだと《きばとう》に向かってるみたいね。やっぱり、そこに留学するの?」

 と、こちらの黒魔術士然とした格好を見やってくる。マジクは肩をすくめて地図をたたんだ。

ちがうよ。ぼくのお師様は、なんて言うか……金貸しなんだ。借金の取り立てのために旅してるんだよ。もっとも──」

 と、付け加える。

「実際お師様は《牙の塔》に向かおうとしてるみたいだけど。別に入門はしなくても、ぼくのことを《塔》に登録しておきたいんだって」

「なんで?」

「助成金が出るらしいんだ。『これで三か月はしのげるはずだ!』ってさわいでたな。お師様らしいよ」

 と、マジクがあきれた様子でたんそくすると、フィエナは口元に手を当ててくすくす音を立てた。

「さっきの話だと、あなたの先生はものすごい魔術士だって言ってたのに」

「それは間違いないと思うよ、実際」

 とりあえず、こっからここまで、というように指を動かして、

「あまり昔のことを話さないから、よく分からないけど──いや、まあ、たのめば話してはくれるんだけど、なんかウソくさいんだ。きゆうてい魔術士の候補にもなったとか、《牙の塔》で首席を取ったとか。いくらなんでも、そこまですごいわけはないと思うんだよな」

「もし、本当だったら?」

 からかうように、彼女。マジクは苦笑した。

じようだんでしょ──そうだとしたら、ぼくは大陸でも最高の黒魔術士にりしたことになっちゃうんだよ。それはいくらなんでも、出来過ぎだよ」

「そうね」

 彼女はあっさり同意してから、

「でもどうせ生徒になるのなら、そのほうがいいんじゃない?」

「やだよ」

 マジクはそくとうした。そんな魔術士、厳しそうじゃないかと胸中で付け足す。

 フィエナが、ぽつりと言う。

「あなたはあまり、上を見ないのね」

 そのそうぼうには、また先刻のような、とうめいな色がもどったようにマジクには思えた。が、それも、すぐにただの少女のそれにもどる。

つうの娘の、二枚看板なのかな──)

 それならばそれで、付き合いやすいほうと話をすればいい。マジクは気楽に考えると、彼女に聞いてみた。

「この地元の人だって言ってたけどさ、君──あ、フィエナって呼んでもいい?」

 彼女がこくりとうなずいたので、マジクは気を良くして続けた。

「フィエナも、別にこの森の中に住んでるわけじゃないんでしょ? 近くの村かなにかにいるのかな」

 もしそうなら、オーフェンにたのんでその村に立ち寄ってもらおうとマジクは思っていた。だが彼女はかぶりをって、また巫女の声で答えてくる。

「この森の中に、村があるの。地図にはってないけど」

「そ、そうなの?」

 マジクが聞き返すと、彼女はさっと手であたりを示し、

「森の力を信じる人たちの村……わたしたちは《だいなる心臓》って呼んでるけど」

「《偉大なる心臓》……」

 マジクは口の中でその名前をり返した。

 辺境しんこうというのは、なにも文字通り都市外の辺境にだけしかないわけではない──実際、トトカンタにだって辺境信仰からしんこう宗教まで、いくらでもあった。だがそれを言うならいかなる時代、いかなる場所にだって新興宗教というのはあったし、そもそもキムラック教会のそれだって、何百年か前には新興の教えだったには違いないのだ。

 だが、それにしても新興宗教というのはいつだってセンスのない名前をつけるよなぁ、と、どうでもいいことをマジクは思い浮かべていた。

(《偉大なる心臓》ってのも、なんだかねんざいの三流芸術作品みたいだし)

 さすがに目の前にフィエナがいるので言葉にしはしないが、正直な感想はそんなところだった。

 フィエナが続ける。

「あなたも来てみない?」

「まあ、おもしろそうだけど……」

 マジクは口ごもった。と、さそうようにフィエナが続ける。

「村には女の子が少ないから、あなたもきっとかんげいされるわよ」

「……え?」

 マジクはしゆんかん、目を点にして聞き返した。だがフィエナは構わずに続ける。

「あなた、とってもきれいだから、みんながえたがるかもしれないし」

 それを聞いて、マジクはその場でヘッドスライディングするようにして、思い切り地面にした。

「あ、あのねぇ」

 土をはたいて落としながら起き上がる。必死のぎようそううつたえると、フィエナは病気かと思うくらい赤面した。

「あ、あなた、女の子じゃなかったの?」

「ご、ごくたまにちがえられることもあるけどさあ。声変わりもしてないし」

 ショックを受けた口調で、ぶつぶつとぼやく。フィエナもなんだかしようげきを受けたようではあったが、何度もあやまりながら、立ち直ったようだ。

「ごめんなさい。でも男の子でも、歓迎はしてくれるわよ。きっと」

「うう……まあ、それにしても、こんな森の中に村があるなんて、おもしろいね」

 マジクが言うと、フィエナはにっこりした。

「そうね。わたしも初めて見たときは、少しおどろいたけど……わたし、あの村で生まれたんじゃなくて、最近そこにいるようになったの。半年……前から」

「そ そう」

 言葉のちゆうからいきなり無感情になったフィエナにされながら、マジクはあいづちを打った。と、いきなり、フィエナが立ち止まる。また例の巫女の顔のままで。

「ど、どしたの?」

 マジクが聞くと、彼女はあたりの気配を見回すようにしながら答えた。

「ごめんなさい」

「……は?」

 彼女の言っていることを理解しかねて、マジクは棒立ちで聞き返した。と、フィエナの目がびるようにかげる。

「今からげれば、間に合うかも……」

 彼女がぼそぼそと口の中でつぶやくのをようやくのことで聞き取っていると、がさり、と周囲の森がざわめいた。そのざわめきとともに、声が聞こえてくる。

をかけるのは美徳だが、裏切りはいかんな、フィエナ」

「──え?」

 マジクはぎょっとして、その声が聞こえてきたほうに向き直った。森のしげみから長身の身体を引きくようにして、ひとりの男が姿を現しているところだった。

 と、その男に続いて、ふたり、三人と農夫風の男たちが姿を見せる。おのおの、手にナタやら棒やらのものを持っていた。

 しゆんかん、つつもたせとかいう単語がマジクののうをよぎった。

「ど、どゆこと?」

 マジクの問いに、フィエナはかぶりを振って答えなかった。だがその代わり一番最初に現れた長身の男に視線を向けて、

「逃がすべきでした。この魔術士は、連れがいるというようなことを言っていましたし、合流したところをらえれば──」

「二倍お得、か。合理的なことは考えんでいい。フィエナ」

 男はきっぱりとそう言うと、ゆっくりした足取りで、こちら──というよりフィエナのほうへと近づいてきた。とがったあごにひげを生やした厳しい顔付きの男で、年齢は三十から四十のどれでも通用しそうだ。眼光がするどく、正面に立たれると苦痛に感じそうだった。登山服のようなものを着ているが、多少くずして身軽にしている。ほかの連中と違って手ぶらだが、その身のこなしにはどことなく訓練を受けた兵士のようなものを連想させた。

 男はフィエナのほぼ真正面に位置すると、にやりとして続けた。

「魔術士にはばつあたえる。ひとりたりとも逃がしてはならない」

「それにな──」

 また別の声がしたので背筋をぞっとさせる。振り向くと、まったくの真後ろから別の男が姿を見せていた。こちらはもっと若くて、よれよれのシャツと革製のレンジャージャケットを着ている分、先の男よりひんそうに見えた。レンジャージャケットは、本来ならバッジのついているはずのところがナイフでけずられたようになっている。こそぎ落としたあとらしい。レンジャージャケットにはナイフやら方向板やらを入れておくポケットが山ほどついているが、この男が着ているそれには、なにも入っていないようだった。

 代わりにズボンをめるベルトの上に、剣のさやをグリップできる帯剣ベルトをしていて、そこには明らかにせんとう用の長剣がぶら下がっていた。無論こんなもの、レンジャーの標準そうではない。

 男はにやけた感じの表情を鹿にするようにかしげさせると、続けた。

「それに、その連れとやらにも、ちゃんとお迎えは出しておいたさ」

 と、それに続けて、長身の男。

「この森はわたしたちのものだ。勝手に入り込んだのだから、むくいは受けてもらわんとな」

「この森──《フェンリルの森》の管理は、キムラック教会が王室と責任を分け合っているんでしょう?」

 マジクは反射的に言ってしまってから、失言に舌打ちした。あんじよう、その長身の男やレンジャージャケットはもとより、農夫らしき連中もぎょろりとこちらをにらみやってくる。なぐられる、と思った瞬間──長身の男が笑い出した。

「はあはあ! あんな連中になにができる?」

「なにがって──」

 の権勢は、各地にある教会という形で大陸のほぼ全土にわたっている。王室──貴族連盟の力については、言うまでもない。

 だが男は、そんなことはいつだにしないというようにおおぎようりをした。

「我々には、フィエナがいるのだ」

 と、フィエナの肩をがっしりとつかむ。彼女がおびえるように身をすくませるのが分かった。男の仕草とともに、ほかの男たちもふくみ笑いのようなものを表情に上らせている。

(こいつら、どうかしてる……きようしんしや、ってやつだ)

 マジクはあっさり判断を下した。だとしたら──

げんしなくてもいいよね。もしいたら、おさまだってしなかったろうし)

「ところでさ」

 マジクはひようひようとした声を出した。

「……なんだ?」

 マジクが話しかけたのは長身の男のほうだったのだが、聞き返してきたのはレンジャージャケットの男だった。まあ、どちらでもいいのだが。

 マジクはなにげないふうをよそおって、

「大声を出してもいいかな」

「……あん?」

 レンジャージャケットがすっとんきょうな声をあげる。横から、長身の男。

「助けを求めても、だぞ。このあたりにいるのは、我々の同志だけだ」

「まあ、そうだろうけどね」

 マジクはちらちらと上を見上げながら、いかにもじやな表情を作った。

「ちょっとだけだよ。さけびたいだけ」

みようやつだな……なにを叫ぶというんだ?」

「だからさ──」

 と、マジクはすっと長身の男──というより、その手の中のフィエナのほうに近寄った。すっと息を吸い──頭上を見上げて──

「お師様のアホたまにはいいもん食わせろーっ!」

 思い切り叫んでから、身をすくませているフィエナの腕をぐいとつかむ。男の手の中から彼女を引き寄せながら、マジクは二、三歩こう退たいした。

「……なんだ、今のは?」

「意味なんかないよ」

 マジクは、にこっと肩をすくめた。

 そのしゆんかん──きょとんとこちらを見ている男の上に、なにやら黒いかたまりが落下してくる!

「うわあああああああ!」

 男たちが、口々に悲鳴をあげた。木の上から落ちてきたのは、数メートルはある巨大なへびである──樹上からこちらをうかがっていたのを、枝が折れたので落ちてきたのだ。無論、枝を折ったのはマジクだが。

「うおおおっ!」

 とつぜんの落下にのたうちまわっている蛇のしたきになって、長身の男がたけびのような悲鳴をあげる。レンジャージャケット始め、男たちがそれを救い出そうとパニックになっていた。男のひとりが叫ぶ。

「マクドガル様っ!」

 どうやら、あの長身の男の名前らしいが、マジクにとってはどうでもいい。

「さ、げるよ──」

 マジクはフィエナの手を取って、引っぱりながらそう言った。彼女はいきなりの出来事に目をぱちくりさせながら、

「な、なに、これは──?」

「魔術だよ。さっきの叫び声をじゆもんにして、枝を折ったんだ」

 黒魔術士に限らず、大陸の人間が用いる音声魔術は、すべて声をばいたいにしている。つまり呪文の声がとどかないところには魔術の効果は及ばないし、その効果も声が消えてしまってからはさほど長くは継続しない。呪文の内容についてはどうでもよく、マジクが今したように意味のない叫び声でも、声さえとどけば魔術はきちんと効果をはつする。もっとも──あまり妙なことを叫ぶと、自分自身のコンセントレーションを失いかねないが。

 へびと取っ組み合いをしている男たちをしりに、マジクはフィエナの腕を引っぱった。

「とにかく、逃げるよ! お師様のところにもしゆうげきしやがいってるみたいだから──まあ、あの人のことだから心配なんていらないけど……」

「で、でも──」

 フィエナは、引かれる自分の腕を、他人のものを見るような視線で見下ろしながら、

「わたしは、無理よ──」

「なにがさ!」

 マジクは思わず叫び声をあげた。

「ぼくの魔術はそんなに成功率が高くないんだから! 二度と同じテは使えないよ! 早く逃げないと、もうチャンスは──」

「でもそれなら、あなただけ逃げればいいじゃない」

 分からない、というように、フィエナが声をあげる。マジクはかんしやくを起こしかけて、さらに強く彼女の腕を引っぱった。