◆◇◆◇◆
「ま、考えてみりゃ当たり前だけど──でっかい森だね」
厚紙の地図を片手に、彼はそう
「ありとあらゆる
地図の
(ま、いずれ似合うようになるさ)
と、楽観的に思っている。いつか──多分──一人前の黒魔術士になったら。
「伝説には女神が宿る地とされ、強力なドラゴン種族がこれを守護する……」
ぶつぶつと続けながら、彼は顔を上げた。周囲の森を──深く、そして
と──
「へえ」
思わず、声をあげた。
「泉なんてあったんだ」
近くに川などはない──
彼は
どさっ。
背後で、なにかが落ちた音。
「は、初めまして──」
その少年のあいさつに
反射的に彼は、両手を引き
「我は放つ光の
少年の眼前から一直線に放たれた
「やっぱ危険だな、この森」
そのわりには、あまり危機感がない口調だったが、本人としては
「こう、ぐるりと回って──我は放つ光の白刃、と……」
最後に手を
「よしよし。今の対応はお
満足顔でうなずいてから、またあたりを見回す。森の中で炎を使ったのはかなり危険だったが、水気を
そんなことを考えていると、声がした。
「魔術士……」
「え?」
少年は、声がしたほうへと向き直った。そして──ぽかんと口を開けたまま絶句した。
彼の立っている位置から少し
(なんだか、追い
なぜそんなことを思いついたのかは分からない。なんにしろ、彼が
少女は表情に少し
(
そうも思えるのだが、それではなおさらこんな秘境に
そんなことをいぶかっていると、少女のほうから問いかけてきた。
「あなた、魔術士ね?」
「え? うん──あ、いや、実は
あわてて返事する。少女──巫女? が少し首をかしげるようにしてみせる。どうやら、彼が吹き飛ばした蛇の
「そんなに……力があるのに、見習いなの?」
「成功しないことも多いんだよ、実は。それにぼくのお師様は、もっととんでもないよ」
「そう……連れがいるの……」
彼女は遠い目でそんなことをつぶやいて、そのまま
(なんか……
そんなことを思いながら、聞いてみる。
「あ、あのさ、君──あ、名前なんていうの?」
「フィエナ……」
「いい名前だね」
なんというか、あてずっぽうな気分で彼がお世辞を言うと、彼女はくすっと笑って見せた──もっとも鼻から笑ったような息がもれたというだけで、表情に変化はなかったが。
「ありがとう。あなたの名前は?」
「マジク」
「あなた、貴族に
と、彼女──フィエナは気にするようにこちらの髪を見た。金髪は、
「いや、ぼくのは貴族とは関係ないよ。生まれつきこうだったってだけ」
貴族だって『生まれつきこうだったってだけ』ということには違いなかろうとは思うのだが、マジクはいつも説明するときにはそういう言い方をしていた。たいていの人は
フィエナが、こちらに向かって歩きだした。マジクもとりあえず、そちらに近寄っていくことにする。
彼女は歩きながら口を開いた。
「……なんで、こんなところにいるの? ここは奥地よ。人間の世界じゃないわ」
彼女が動いたせいでふわっと空気になびいた肩のあたりの
「散歩のつもりだったんだけど、道に迷っちゃって」
言いながら、役に立たない地図を折り
「そう……なら、街道に出る道を案内してあげるわ。この森は危険よ。人が……夢を見てしまうの」
「ありがと──でも、夢って?」
マジクもつられて立ち止まり、おうむ返しに聞き返す。彼女は肩をすくめただけで、なにも答えてはこなかった。
「ひとつ聞きたいんだけどさ」
マジクは腕組みして、なにげない口調で聞いた。
「君は、こんな森の中でなにしてんの?」
彼女は
「わたしの力は《森》に
「……へ?」
フィエナは
「《森》にいるから、わたしは力が使える。
「そんなことができるの?」
マジクが聞くと、彼女は、あっさりと首を縦に
「ええ。わたしは……力に支配されているの」
「へー。じゃあやっぱり、君は
森の中をいっしょに歩きながら、マジクは
(お
マジクにしてみれば、そういった信仰は個人の勝手である。部屋の
「巫女ってのも、いろいろ大変そうだね。よく分からないけど」
のんきな声で言う。
「力を得たの。わたしは……」
感情のこもらない、ぽつりとした声で彼女がつぶやいた。
「力、ねえ……」
マジクは頭の後ろで腕を組んで、ぼんやりと言った。
「そんなに必要なものかな?」
「わたしには、ね」
フィエナの口調は
「あなたには連れがいるから、その人たちに
「まあ……ね」
師──オーフェンの顔を思い浮かべながら、マジクは同意した。
フィエナが、ふと
「わたしには、いないのよ。だからわたしは……従うことにしたの」
「え……?」
なにを言っているのだか、よく分からない──マジクは
「あなたは外から来たんでしょう? この外から」
「外……って、森の外のこと? なら、そうだけど」
きょとんとしてマジクが答えると、フィエナは光のなかった目をにわかに
「外はどうなっているのかしら。この森の近くにソリチアンって村があるんだけど、通った?」
「いや……それは多分、これから通る予定だったんじゃないかな。ぼくら、南のほうから来たから」
「南──アラバルト? キンクホール? レインダストなんて村もあったかしら」
「キンクホールのほう。にしても、
「地元人だから」
「ふうん……」
話題が変わったらいきなり彼女の口調や表情まで変わってしまったことに
「ぼくらは、トトカンタから来たんだ。街道をずっと北上して、アレンハタムと……このキンクホールを通ってきたってわけ。一月半くらいかかったかな」
地図を見せながら説明すると、フィエナが、地図をのぞき込むために身体を寄せてくるのが分かった。彼女のむき出しの腕がこちらの
「そのコースだと《
と、こちらの黒魔術士然とした格好を見やってくる。マジクは肩をすくめて地図をたたんだ。
「
と、付け加える。
「実際お師様は《牙の塔》に向かおうとしてるみたいだけど。別に入門はしなくても、ぼくのことを《塔》に登録しておきたいんだって」
「なんで?」
「助成金が出るらしいんだ。『これで三か月はしのげるはずだ!』って
と、マジクが
「さっきの話だと、あなたの先生はものすごい魔術士だって言ってたのに」
「それは間違いないと思うよ、実際」
とりあえず、こっからここまで、というように指を動かして、
「あまり昔のことを話さないから、よく分からないけど──いや、まあ、
「もし、本当だったら?」
からかうように、彼女。マジクは苦笑した。
「
「そうね」
彼女はあっさり同意してから、
「でもどうせ生徒になるのなら、そのほうがいいんじゃない?」
「やだよ」
マジクは
フィエナが、ぽつりと言う。
「あなたはあまり、上を見ないのね」
その
(
それならばそれで、付き合いやすいほうと話をすればいい。マジクは気楽に考えると、彼女に聞いてみた。
「この地元の人だって言ってたけどさ、君──あ、フィエナって呼んでもいい?」
彼女がこくりとうなずいたので、マジクは気を良くして続けた。
「フィエナも、別にこの森の中に住んでるわけじゃないんでしょ? 近くの村かなにかにいるのかな」
もしそうなら、オーフェンに
「この森の中に、村があるの。地図には
「そ、そうなの?」
マジクが聞き返すと、彼女はさっと手であたりを示し、
「森の力を信じる人たちの村……わたしたちは《
「《偉大なる心臓》……」
マジクは口の中でその名前を
辺境
だが、それにしても新興宗教というのはいつだってセンスのない名前をつけるよなぁ、と、どうでもいいことをマジクは思い浮かべていた。
(《偉大なる心臓》ってのも、なんだか
さすがに目の前にフィエナがいるので言葉にしはしないが、正直な感想はそんなところだった。
フィエナが続ける。
「あなたも来てみない?」
「まあ、おもしろそうだけど……」
マジクは口ごもった。と、
「村には女の子が少ないから、あなたもきっと
「……え?」
マジクは
「あなた、とってもきれいだから、みんなが
それを聞いて、マジクはその場でヘッドスライディングするようにして、思い切り地面に
「あ、あのねぇ」
土をはたいて落としながら起き上がる。必死の
「あ、あなた、女の子じゃなかったの?」
「ご、ごくたまに
ショックを受けた口調で、ぶつぶつとぼやく。フィエナもなんだか
「ごめんなさい。でも男の子でも、歓迎はしてくれるわよ。きっと」
「うう……まあ、それにしても、こんな森の中に村があるなんて、おもしろいね」
マジクが言うと、フィエナはにっこりした。
「そうね。わたしも初めて見たときは、少し
「そ そう」
言葉の
「ど、どしたの?」
マジクが聞くと、彼女はあたりの気配を見回すようにしながら答えた。
「ごめんなさい」
「……は?」
彼女の言っていることを理解しかねて、マジクは棒立ちで聞き返した。と、フィエナの目が
「今から
彼女がぼそぼそと口の中でつぶやくのをようやくのことで聞き取っていると、がさり、と周囲の森がざわめいた。そのざわめきとともに、声が聞こえてくる。
「
「──え?」
マジクはぎょっとして、その声が聞こえてきたほうに向き直った。森の
と、その男に続いて、ふたり、三人と農夫風の男たちが姿を見せる。
「ど、どゆこと?」
マジクの問いに、フィエナはかぶりを振って答えなかった。だがその代わり一番最初に現れた長身の男に視線を向けて、
「逃がすべきでした。この魔術士は、連れがいるというようなことを言っていましたし、合流したところを
「二倍お得、か。合理的なことは考えんでいい。フィエナ」
男はきっぱりとそう言うと、ゆっくりした足取りで、こちら──というよりフィエナのほうへと近づいてきた。とがったあごに
男はフィエナのほぼ真正面に位置すると、にやりとして続けた。
「魔術士には
「それにな──」
また別の声がしたので背筋をぞっとさせる。振り向くと、まったくの真後ろから別の男が姿を見せていた。こちらはもっと若くて、よれよれのシャツと革製のレンジャージャケットを着ている分、先の男より
代わりにズボンを
男はにやけた感じの表情を
「それに、その連れとやらにも、ちゃんとお迎えは出しておいたさ」
と、それに続けて、長身の男。
「この森はわたしたちのものだ。勝手に入り込んだのだから、
「この森──《フェンリルの森》の管理は、キムラック教会が王室と責任を分け合っているんでしょう?」
マジクは反射的に言ってしまってから、失言に舌打ちした。
「はあはあ! あんな連中になにができる?」
「なにがって──」
だが男は、そんなことは
「我々には、フィエナがいるのだ」
と、フィエナの肩をがっしりとつかむ。彼女が
(こいつら、どうかしてる……
マジクはあっさり判断を下した。だとしたら──
(
「ところでさ」
マジクは
「……なんだ?」
マジクが話しかけたのは長身の男のほうだったのだが、聞き返してきたのはレンジャージャケットの男だった。まあ、どちらでもいいのだが。
マジクはなにげないふうを
「大声を出してもいいかな」
「……あん?」
レンジャージャケットがすっとんきょうな声をあげる。横から、長身の男。
「助けを求めても、
「まあ、そうだろうけどね」
マジクはちらちらと上を見上げながら、いかにも
「ちょっとだけだよ。
「
「だからさ──」
と、マジクはすっと長身の男──というより、その手の中のフィエナのほうに近寄った。すっと息を吸い──頭上を見上げて──
「お師様のアホたまにはいいもん食わせろーっ!」
思い切り叫んでから、身をすくませているフィエナの腕をぐいとつかむ。男の手の中から彼女を引き寄せながら、マジクは二、三歩
「……なんだ、今のは?」
「意味なんかないよ」
マジクは、にこっと肩をすくめた。
その
「うわあああああああ!」
男たちが、口々に悲鳴をあげた。木の上から落ちてきたのは、数メートルはある巨大な
「うおおおっ!」
「マクドガル様っ!」
どうやら、あの長身の男の名前らしいが、マジクにとってはどうでもいい。
「さ、
マジクはフィエナの手を取って、引っぱりながらそう言った。彼女はいきなりの出来事に目をぱちくりさせながら、
「な、なに、これは──?」
「魔術だよ。さっきの叫び声を
黒魔術士に限らず、大陸の人間が用いる音声魔術は、すべて声を
「とにかく、逃げるよ! お師様のところにも
「で、でも──」
フィエナは、引かれる自分の腕を、他人のものを見るような視線で見下ろしながら、
「わたしは、無理よ──」
「なにがさ!」
マジクは思わず叫び声をあげた。
「ぼくの魔術はそんなに成功率が高くないんだから! 二度と同じテは使えないよ! 早く逃げないと、もうチャンスは──」
「でもそれなら、あなただけ逃げればいいじゃない」
分からない、というように、フィエナが声をあげる。マジクは