かつん……かつん……かつん……
ゆっくりと、ややぞんざいな足音が聞こえている。真っ暗で、そして妙に
かつん……かつ。…………
足音は、地下室の入口で
「我は生む小さき
ぽうっ……
彼は、ゆっくりと口を開いた。
「ひょっとして、と思ったんだがな……」
問いかけるような
「……わたしのことか?」
応えたのは、床に横たわった巨大な魚の死体だった。もう身動きもしない上、腹を
「やっぱ、生きてたか。フォノゴロス。質問がある。みっつほどな」
若者──オーフェンは、
「まず、聞きそびれたことがあったよな。広間の女神像。なにか意味があるというようなことを、お前は言っていた」
「…………」
フォノゴロスは、しばし沈黙していた。だが、
「わたしは
「だからって、わざわざホールの女神像に傷をつけるかね。宗教結社の集会所じゃあるまいし。あんたは神を
フォノゴロスは返答しなかった。オーフェンはいらいらと腕組みすると、次の質問を口にした。
「じゃあ、第二の質問だ。どうしてクリーチャーなんぞ造ろうと考えた。ドラゴン種族を越える戦闘能力の持ち主と言ったところで、そんなもん戦争のない現代じゃ売り物にもなりゃしねえだろ」
「……その答は、第一の問と同じだよ。わたしは恐れていた……だから、それに対抗する力を持ったものを生み出さなければならなかった」
「お前は……なにを恐れていた?」
「言えない。言えば、わたしは死ぬ。死ぬのは──どうせこんな身体だ。かまわないが、奴らの手にかかるのだけは
彼は、
「お前自身で知るがいい。わたしはそれを、キムラックで知った」
「
オーフェンは聞き返したが、フォノゴロスはまた答えない。最後に嘆息して、オーフェンは、お前はキエフ・フォノゴロスなのかラモン・フォノゴロスなのか聞こうとした──が、それがまったく無意味なことに気づいた。
彼は代わりに、別のことを聞いた。
「……さっきからお前、どっから声を出してんだ?」
魚の身体はぐったりと横たわっているだけで、声を出すときに動きすら見せない。まるっきり死体のように見えた。だが声は確かに響いているのだ。この地下室に……
フォノゴロスの答はない。だがオーフェンはふと、腹を裂かれた魚の死体の上に、ぼんやりとした人影──ローブのようなものを着た、くたびれた老人、
……ひょっとして、本物の
彼はそう胸中でつぶやくと、黙って右手を
「……あばよ、フォノゴロス」
オーフェンはそれだけ言うと、くるりと背中を見せた。彼の去りゆく足音が、また地下室に響き渡る。
あとには
◆◇◆◇◆
「よし、今だドーチン! 奴はいない!」
妙に力を入れた声でボルカンが叫ぶ。宿を出、村を出る道を
「……そんなに
ようするにあの黒魔術士が宿から姿を消した
つくづく、ハンマーなみに
「ところで兄さあん!」
後ろから追いかけつつ、ドーチンは呼びかけた。足は止めないまま肩越しにふりむいて、ボルカンが応じてくる。
「なんだあっ!」
「この村を逃げ出したら、どこに行くのさあっ!」
「決まっているだろう!」
ボルカンは、きっぱりと言いきった。あさっての方向を指さして。
「希望の明日へ! マスマテュリアの
「よーするに、なぁぁんも考えてないんだねえっ!」
ほぼ
「ところで兄さあん!」
「今度はなんだぁっ!」
「えーとねーっ!」
「おーっ!」
「少し先のおーっ!」
「おうーっ!」
「足元にさあーっ!」
「足元がどしたあーっ!」
「ロープが引いてあるんだけど……あ」
ドーチンがそれを言うころには、すでにボルカンはえらく
「早く言え馬鹿者……」
「ごめん。ぼくが間に合うタイミングでしゃべってたもんだから」
ドーチンは答えながら、ロープの手前でぴたりと足を止めた。
「だがしかし、
兄がのろのろと起き上がっていると、引いてあったロープの端っこを持って(もう一方は、道端の木の根元にくくりつけられてある)、黒ずくめの人影が現れる。
「ふふふふふふふふふふ」
「し、借金取り!」
兄がオーバーアクションぎみに叫ぶと、その人影──オーフェンは相変わらずの根の深そうな陰険な笑みを浮かべ、言った。
「てめえらの考えなんざ、お見通しなんだよ」
「く、くそ──だからドーチン、こんな穴だらけの計画が上手くなんかいくわけないと言ったろーがっ!」
「いつだよ……」
ドーチンはシラけた目でつぶやいたが、誰も聞いてくれなかったらしい。
借金取りが妙に生き生きした目で、腕まくりする。
「さあて! 積もり積もった貸金に利子! 問答無用で返してもらうからなっ! とりあえずここらで
「あんたの取り立てに、いつ慈悲があったんだよう」
ドーチンはうめいた。兄もうなずきながら、
「そーだそーだ。もーちょっと待ってくれてもいいじゃないかっ!」
「
「え……で、でも、せめてほんの少しくらいは……」
「やだ」
にっこりと、黒魔術士。その表情に、兄はだいぶビビったようだったが、
「あ──ええと、じゃあ
「肉屋に売ってもいいか?」
満面に浮かべた笑みはそのままに、魔術士が
さすがにボルカンも、ゔ……と声を
と──
道の向こうから、ひょっこりと姿を見せた者がいる。黒髪を
「あんまりいじめちゃ
と、オーフェンに向かってウインクする。思わぬ助け
「女神様!」
そのまましがみつくように彼女のほうに飛び込んでいったが、彼女はあっさりとボルカンを横に
「これ、渡そうと思って探してたのよ。わたしのこと
「なんだ、それ? ヒリエッタ」
両手を腰に当てた姿勢で、魔術士が聞く。分かるでしょ? とばかりに彼女──ヒリエッタが肩をすくめた。
「
「おお……」
この声を
──ましてや、借金取りにそれが分からなかったはずはないが……
ほんの少し迷うような顔付きをしてから、魔術士は、かぶりを振った。
「いらね」
「……え?」
「な・にぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
おおげさな悲鳴を、ボルカンがあげる。もっとも、この場合それほどおおげさでもないかもしれない。
「人をさんざ、ぼてくりまわして借金返せだなんだと
「なんでよ! ああ……後ろ暗いようなお金じゃないわよ? ほら、わたしが家出するときに家から持ち出したやつだもの」
「十分後ろ暗いんじゃありませんか?」
ドーチンはぼやいたが、ヒリエッタは完全に無視した。オーフェンは、少しつまらなそうに目をそらし、
「別に、ンなことを心配してるわけじゃねえよ」
「じゃあ、なによ」
「……俺は便利屋じゃねえんだ。ああいう仕事で金はもらわねえ。だから、あんたも、これからも俺を便利に利用できるとは思って欲しくないね──」
と、そのとき──
「今だ!
ごきん! と、借金取りの足元で、ボルカンがそのなまくら剣で、オーフェンのすねを思いっきり打ちすえている。見る間に魔術士の顔色は
「痛ええっ!」
「行くぞ、ドーチン!」
ボルカンは叫ぶと、
「なんとなく最近、瞬間の連続で生きてるような気がするなあ……」
と、走りだそうとしたところを、道に倒れた魔術士に足首をつかまれた。恐る恐る
ドーチンは続けてぼやいた。
「
「しゃあああああっ、きぃぃぃぃん、かぁぁえぇぇせぇぇぇ──」
「そんな夜中に聞いたら子供がトラウマ残しそうな声で言わなくたって……」
「……やっぱこれ、もらっといたほうがいいんじゃない?」
もはや悲壮ですらある魔術士の目の前にかがみこんで、ヒリエッタが言った。目の前に革袋をちらつかせて。オーフェンは、しかし、
「こっちのほうが楽しい」
「そーゆうもんなんですか……?」
ドーチンは疑わしげに聞き返した。横で、ヒリエッタが笑い声をあげる。
「いいわ、あんたって──腕が立つくせに、どうしようもなく頭が
「いや、それもいい。相棒なら間に合ってる」
と、オーフェンはきっぱりと答えて、
「…………?」
つられて見やると、ちょうど、またもや数刻前とまったく同じくやたら大きなモーションでボルカンがひっくりこけたところだった。やはりまた、道にロープが引いてあったらしい。そのロープの端を持って、道端から小柄な人影が姿を見せる──背中までブロンドを伸ばした、生きるエネルギーを無意味に『元気さ』につぎ込みまくっている少女。彼女が借金取りそっくりの口調で叫ぶ。
「あーまいわよっ! あんたの考えることなんて、このわたしがお見通しってわけよ! マジク!
「へーい」
道の反対側に立っている木──その木の根元に、ロープのもう一方が結び付けてあるわけだが、その木の上からマジクの返事。同時に、ばさああっ、と投げやりな感じで
「
とかなんとか、ボルカンがわめいている。ほかにも色々と口汚く
オーフェンが、少し得意げにつぶやくのが耳に入った。
「最高だろ? 最低にして──最高だ」
なにを言っているんだかドーチンにはよく分からなかったが、ヒリエッタには分かったらしい。彼女はけらけらと笑うと、革袋を後ろに引っ込めた。
ドーチンは、もったいない、と思いながら天を見上げた。雲の浮かぶ青空──そしてその空の下に広がる郊外の静かな農村は、子供たちに聞かせるための他愛もない幽霊話など多少残しつつ、ごくごく平和にたたずんでいた。