「でも──」
と、なにやら圧倒されたように少し退いていたヒリエッタが聞いてくる。
「なんでそんなことで、この娘もとにもどったわけ?」
「ああ。ま、あくまでただの
オーフェンは髪を
「さっき、こいつの攻撃に俺が対応できなかったのは、なにも俺が勘を鈍らせてたってだけじゃねくてね。こいつ、呼吸をしてなかったんだ」
と、しりもちをついた格好できょとんとこちらを見上げている少女を示す。オーフェンは肩をすくめて続けた。
「だから、なんて言うか……タイミングがつかめなくて、危うくやられるところだった。で、俺も昨夜、サミイの奴に取り
彼が
「つまり推測で、わたしのこと殴ったわけ?」
オーフェンは彼女をじろりとにらみやった。
「どうしろってんだよ。あのままほっとけってのか? クリーチャーが肺の中に取り
クリーオウは、しばし
「後で、あざになったトコ見てくれるって約束したら、許してあげる」
「……お前な、
「でも──」
と、割り込むようにヒリエッタが言った。
「サミイの正体が気体……酸素? だったとして、どうやって戦うつもりなの?」
「……簡単だよ。正体さえ分かっちまえば、奴を
オーフェンは
「フォノゴロスはそれを知っていたから、助手だけじゃ
「…………」
ヒリエッタは無言になり、深く吐息してあたりを見回した。なにかを探すように。
オーフェンも同じように、嘆息した。
「さて、と──屋敷を出ようぜ。サミイを倒すのに、ちと準備が必要だ」
言いながらオーフェンはクリーオウが起き上がるのに手を貸すと、
「そーよね。この家、埃っぽくて、やんなっちゃう」
「……ふたりとも、出ていくなら先に行っていてくれる?」
──というヒリエッタのせりふは、オーフェンはなかば予想していたから、驚かなかった。クリーオウはびっくりしているようだったが。オーフェンは、ああいいよ、と
「なあ、クリーオウ、頼みがあるんだが」
「……なあに?」
クリーオウが、血のついたオーフェンの手から、少し嫌そうに身を退いているようだったが、オーフェンは気づかないふりをした。
「お前だけ先に行って、マジクを見つけて伝言して欲しいんだ」
「先に行って──って、オーフェンはどうするの?」
クリーオウの問いに、彼は事もなげにヒリエッタのほうを示した。
「この屋敷にまだ、クリーチャー──ええと──ほれ、例のバケモンがまだ一体、残ってるんだ。そんな中を、ヒリエッタひとりでいさせたら危険だろ」
「…………」
クリーオウが半眼でにらむのを、オーフェンは少し視線をそらして後を続けた。
「マジクを見つけたら、あいつに、この屋敷の周辺に油をまいて火をかけろっつってくれ。そんだけでいいから」
「火?」
少女はすっとんきょうな声を張り上げた。
「この家を燃やしちゃったら、中にいるオーフェンたちはどうなっちゃうのよ」
「ちゃんと逃げるよ。心配すんなって」
オーフェンは答えると、クリーオウの肩から手を放し、彼女の額をぽんと押した。クリーオウが面食らっているうちに、うながすように少女の細い肩をつかんで回れ右させる。向かせた先には、玄関出口があった。
「いいけど──」
と、背中越しにクリーオウは恩着せがましい声を出した。
「あんまり不自然に遅いようだと、逃げ道がないくらい本格的に火をかけちゃうからね」
「なんなんだそりゃ……」
オーフェンはうめきながら、彼女の背中を押した。一歩出て、そして立ち止まり──クリーオウはぽつりとした口調で聞いてきた。肩越しに振り向いて、
「ねえオーフェン、わたしって足手まといなのかな」
「まあ……おおむね足手まといだが……」
オーフェンは、それを聞いた瞬間傷ついたように
「いいんだよ。足手まといでな。俺みたいな奴は、お前とかマジクみたいな足手まとい……つうか、重しみたいなのがいねえと、どこに流されちまうか知れたもんじゃねえからな」
「…………?」
クリーオウはどうも分からなかったらしく、
「わたし、どうしても魔術士になれない? 絶対に無理?」
「無理だし、ならないほうがいい」
「……なんで?」
「どうも最近、俺は魔術士が嫌いになってきたみたいだ」
クリーオウはそのあとは、なにも言わなかった。とっとっと、やや速足でホールを歩いていく少女の背中を見送りながら、オーフェンは、妙な気分で
「現金なもんだな」
「……そうね。あなたに『いいんだよ』って言われると、たいてい
ヒリエッタが、からかうように同意する。オーフェンは、あえて彼女の勘違いを正しはしなかった。
彼が言ったのは、クリーオウのことではなかった。自分のことだった。
(俺はキリランシェロに──戦闘芸術品と呼ばれた黒魔術士にもどったつもりだった。なのにクリーオウが生きていると知れば、いつの間にか、もとの金貸し魔術士になってたな)
ま、そんなもんなんだろうけどな、と思いながら。
「……ここか?」
と、オーフェンは腕組みして聞いた。二階の、少し奥まったところにある一室である。少々
「ええ。忘れ物があるのよ」
ヒリエッタが、うなずいてすたすたと入っていく。彼女に続いて部屋に足を踏み入れながら、オーフェンは続けて聞いた。
「ここは、君の部屋か?」
「そうよ。ここに……ほら、あった」
彼女が取り上げたのは、机の上に置いてあった、それなりに高価そうな
オーフェンが興味を持ったのは、そのダイアリーの横に置いてあった、スタンドのほうだった──モノクロの古びた写真の中から、背の高い気の良さそうな若者と、心持ち緊張ぎみの少女がこちらを見つめてきている。少女は──一見して知れた。ヒリエッタだった。特に外見にさほどの変化があるわけでもないのに、今のはすっぱな印象が、写真のほうにはほとんど感じられない。どちらかというと、少々ヒネたご
彼女と並んでいる若者は、少女の肩に手を載せて気楽に笑っていた。こちらも、外観はさほど変化していないというのに、今の印象からは掛け離れている──サミイだ、とオーフェンは気づいた。
「こっちの写真はいらないのか?」
「……いらないわ」
ヒリエッタはあっさり言って、くるり──とこちらに顔を向けた。身体の線をぴったりとなぞるボディスーツの身体が、挑発するようにふらふら揺れている。
彼女は一度皮肉るように唇を
「聞きたいことがあるんでしょう? わたしに」
「いや、別に」
オーフェンはあっさりと肩をすくめた。体力が回復してから、左腕のケガも
「俺は、ようするに、君を見張りについてきたんだよ。なんとなく……ほっとくと、君は、この屋敷から出てこないんじゃねえかと思ってな」
「……どうして、そう思うわけ?」
「全焼するこの屋敷に居残って、サミイと心中するつもりなんじゃないか?」
オーフェンの一言で、わずか──ほんのわずかだけ、彼女はほおをぴくりとさせた。
「別にそんなつもりはないわ。確かに、屋敷に火がかけられるまではここにいようと思ってたけど。でもそれは、彼の死に
「それは、彼を愛していたから?」
「……ええ」
「当時、たった十五だった少女が?」
「少女だったからこそ、かもね」
彼女はダイアリーの表紙をなでて──そして、座るところを探すように視線をあちこちに投げると、
「彼は、サミイは、わたしによくしてくれたわ──
「サミイの
オーフェンは、多少の下心を込めてそう言った──ヒリエッタは案の定乗ってきた。いや、もともと自分から話したかったのかもしれない。彼女は
「でなけりゃ、あのケチ野郎が縁もない人間を衣食住つきで世話してくれるもんですか」
「やっぱり、フォノゴロスは、サミイではなく君をクリーチャーの試験体にするつもりだったんだな?」
それを聞いても、ヒリエッタは皮肉げな笑みを浮かべるだけだった。彼女は
「そうよ。常識で言って、いきなり自分の助手を
と、
「フォノゴロスの奴が、わたしのクリーチャーとしての表皮にするために造ったものなのよ。十五のときの身体に合わせてあるから、かなりサイズがきついけどね。これを見たとき、わたしは思ったわ。これを使えば魔術士を……フォノゴロスを殺せるって」
(まさかフォノゴロスをクリーチャーに改造したのは、ヒリエッタなんじゃねえだろな)
オーフェンは思いついたが、聞かないことにした。代わりに、別なことを聞いた。
「君は結局、クリーチャーに改造されたのか?」
彼の問いに、彼女は吹き出した。
「いいえ──
彼女は顔を上気させて、ベッドの縁をたたいた。
「わたしには、なにもできなかった──毎日毎日、培養槽の中でサミイがクリーチャーに変化していくのを
と、彼女は薄寒い笑みを口の端に凍りつかせた。
「その瞬間から、彼は〝
「少し……思い
オーフェンが言うと、彼女は鼻で笑った。
「わたしを馬鹿にしないでちょうだい──ねんねじゃないのよ。そりゃね、サミイのことは、わたしにとってはしょせんはただの──そうね。初恋の思い出ってやつに過ぎないのよ。ただ、ちょっとばかり
「俺には……理解できかねるね」
と、オーフェンは表情を
「気になってるんだが……君を逃がしてから、サミイの姿が見えなくなってるんだ。クリーオウに取り
「彼はこの屋敷にいるわよ。用がないときは、いつだってここのどこかにいるわ。もっとも、彼がどこかに隠れるつもりになったら、わたしたちには絶対に探し出せっこないけどね。どんな
「どうして、俺を襲いにこないんだろうな」
「
まるで、
「奴が屋敷中に
つぶやきながら、部屋の中の、内側から木板で打ち付けられた窓へと歩み寄り──
そして開いた窓から、黒い煙が入り込んできた。
煙を手で払いながら、オーフェンは言った。
「始まってるようだな。おっと──クリーオウの奴、マジクやボルカンにも頼んでたみたいだな。ボルカンの奴が火だるまになっているように見えるが……まあ毎度のことか」
「火で、サミイが殺せるの?」
ヒリエッタが聞いてくる。オーフェンは、当たり前だろ、と答えた。
「奴の身体は気体で出来てるんだ。しかも性質が酸素に近い。モノが燃えるってーのは、ようするに酸素がほかの物質に化合する反応だからな。この屋敷は木造だし……熱せられれば、サミイはそこらの可燃性の物質に化合して封じ込められることになる。まんべんなくな。で、いずれは土に
「…………」
ヒリエッタは、ごくりと
「屋敷の外へは、俺の魔術で脱出できる。サミイの
挑発のつもりで言ったのだが、ヒリエッタは小さくうなずいただけだった──そのまま、なにも答えてこない。もしかしたら、本当にこの場にとどまるつもりなのかもしれないと、なかば信じられない思いでオーフェンは悟った。
「ヒリエッタ──サミイは八年前に死んだんだよ。それを
「止めないんじゃなかったの? ああ、そうだ」
「……なんだよ」
「お礼を言おうと思っていたのよ」
「なんのだよ」
オーフェンが聞くと、ヒリエッタは達観したようなしぐさで肩をすくめた。
「フォノゴロスからサミイのことを聞いたとき、あなた、怒ってくれたでしょう? すごく
「……あのなあ……」
オーフェンは、ぐっと
「どうしてもここに残るってんなら──本当に止めねえからな。死にたがりにつける薬はねえんだよ──かける言葉も魔術もない。が、あくまで個人的な意見を言わせてもらうなら──」
「言わせてもらうなら?」
聞き返されて、オーフェンは一瞬だけ言葉につまった。なにを言えばいいのか──
「あんたみたいなひとには、死んでもらいたくない」
思わず真顔で、そう言っていた。と──
ヒリエッタはのけぞり、大爆笑を始めた。仕方なくオーフェンは、
◆◇◆◇◆
「はぁーっはっはっはあっ!」
無意味に腕組みして、ボルカンの
得意げに、ボルカンは叫びつづけた。
「これだ! この瞬間を待っていたのだ、俺はっ!」
「…………」
あからさまに『
「ほらそこ! 火に近づいちゃ
妙に
「なに?」
ドーチンは、不安げに言った。
「いや……ええと、その……いーのかな、と思って。村の人たちに勝手に、こんな、家燃やしちゃったりして……」
「いいわけないと思うけど……」
言いつつも、そうは思っていないようなあっけらかんとした表情で、マジクが答える。ドーチンはうめいた。
「どうしよう。兄さんじゃないけど、ここであの借金取りも燃やしておいて、全部の責任をひっかぶってもらおうか」
「こっそりと、けっこうひどいこと言うんだね……」
マジクも少し手を休めて、ちらり、と火の手が回ってきた屋敷の屋根のほうを見上げた。
「お
「無責任だなあ」
とドーチンが言うと、マジクは心外だというように顔をしかめた。
「なに言ってるのさ。無責任なんじゃなくて、そーゆうのはすべてお師様に任せておこうという、実にリーズナブルかつフレキシブルな態度なんじゃないか」
「フレキシブル……?」
疑わしげに聞き返すと、突然、背後で悲鳴があがった。兄の声である。
「うわぉぉぉぉぉぉっ?」
ふりかえって見ると、さっき追いかけ回された報復か、子供たちが背中からボルカンに油をぶっかけたところだった。火の粉が飛んで、引火する──
「火だるまだねえ」
「だねえ」
山火事から焼き出されたタヌキそのままの姿で、背中で燃える火から逃げようと無駄な努力をしているボルカンを見ながら、ドーチンとマジクはぼんやりとつぶやいた。
なんだか、クリーオウもそれを見て騒いでいる。
「ああ! カウフマン、水持ってきて!」
「はい、姉ちゃん」
「えい! って、ああ! これは油じゃないのっ!」
と──さらに火だるまになって狂乱状態のボルカンのわきを通り抜けて、コーゼンがこちらへと近づいてくる。殺し屋は戦闘服にあちこち血の
「もういいだろう。帰らせてもらうぞ」
「は、はあ……」
と、マジク。
「でも、そもそもなんであなたが手伝ってくれたりしたんです?」
「…………」
コーゼンは、一瞬無視したかに見えた。が、しばらくしてから口を開いた。
「いや、別にな」
視線が、ちらりとクリーオウのほうをさまよっている。
げ、とマジクがうめくのが聞こえた。
「あ、あの──クリーオウに気があるっていうんなら、やめたほうがいいですよ。断言しますけど、ロクなことありませんって」
「べ──別に、
ドーチンはコーゼンを見上げて、言った。
「まあなんにしろ、行くんでしたらごきげんよう。ミスター・ウァイセツ」
「
「そうだよ」
と、マジクが横から口をはさむ。
「たとえ、なんの特技も特徴もない
「……誰もそこまでは言ってないけど……」
横目で恐る恐るコーゼンを見上げながら、ドーチンはマジクに言った。コーゼンは、もはやあきらめたのか、嘆息するとそのまま無言できびすを返していった。黙々と、燃える屋敷を後にする……
「ひょっとして……」
マジクがぼやくのが聞こえる。
「あの人、影が薄いもんだから世を
(そんなわきゃないと思うけど)
だがドーチンは答えずに、コーゼンの後ろ姿を見送った。本格的に燃えはじめた屋敷の
◆◇◆◇◆
彼に、人間としての感覚が残っていたわけではない──
だから、苦痛というのは、別に感じなかった。思いつきすらしなかったほどだ。
ただあるのは、自分が『
奪われた彼の身体が、いったいどこに行ってしまうのか──それは分からない。
ただ分かるのは、このままであれば彼のすべてが、どこかに行ってしまうということだった。自分の『すべて』がどこかに行ってしまえば、最期に残るのはなんなのだろうという
彼の身体は大部分が『どこかに行ってしまった』ようだったが、意識は消えていなかった。
…………
「長い一日だったな。この村に来てから」
というつぶやきが、聞こえてきた。何度か聞いた覚えのある声。そのうちの何度かは、彼に絶望的な恐怖すら与えたこともある声のような気がするのだが、よく覚えていない。なんだろう。フォノゴロスだろうか。フォノゴロスは、いったい何人いるのだろう、この世の中に。
「お礼はするつもりよ、オーフェン」
こちらの声にも、聞き覚えはある──なぜだか、聞くと猛烈な悲しみに襲われる声。
「別に、ンなことを期待してたわけじゃねえさ」
「
「古くて
「……どうしたの?」
「ほれ、あれさ」
「…………」
声はどうやら、驚いて絶句したらしい──
「燃え残っちまったみたいだな、サミイ」
「でも……ほんのちょっとよ」
「再生する可能性がある……にしても、もうこの辺に可燃性のものなんざ残ってねえよな。みんな燃えちまった」
「いいえ……残っているわよ」
「って、おい? ヒリエッタ──」
彼女は背中のファスナーを器用に下ろし、ボディスーツを一気にはだけさせると、空中を
「ヒリエッタ!」
と、彼女の後ろから悲鳴じみた声があがる。
だが彼女には、それにかまっている余裕はなかった──彼には、自分がどうなっているのかすら自覚できなかったが、ともかくも、急速に自分と彼女の思考がごっちゃになりつつあるのだけは感じていた。彼の『視界』に、彼女の見ている光景がダブって混在する。その新たな視界の中で、燃える鉄棒が、彼女の
(これであなたのことは忘れない──)