「まあ……いいか」

 コーゼンはその一言で済ませると、剣を鞘に収め、代わりに少女を抱き上げた。特に意味はないし、結局は彼には見当のつかない殺人方法があるというだけなのだろうとは思うのだが、仮に死体だとしても、顔見知りの女の子をこんな化け物屋敷に置き去りにするというのは寝覚めの悪いものがある。

 思ったより軽い少女を両手にかかえ、コーゼンは持て余し気味にあたりを見回した。部屋にはすぐに、出入口の扉がある。が──素直にそこから出ていってしまっていいものかどうか、確信が持てなかった。少女のわきの下のあたりで、彼の右手のしようこんが悩むように身動きをする。

 と──

 彼はふと、妙なものに気づいた。ガラクタにまぎれて部屋の隅に、室内にあるのでなかったら井戸と勘違いしそうな穴がある。近寄って、そちらをのぞいてみると──

 どうううううんっ!

 爆音と、せんこうのようなものがちらりと見えた。

「──魔術か?」

 彼がつぶやくと同時、

「そんなの、どれだって危険ですよ!」

 確かにこの少女といっしょにいた、あの見習い魔術士の少年の声がかすかに聞こえる。

「この穴の下で……戦闘が起こっている?」

 コーゼンは口早につぶやいた。

「深さからして……地下室、というところか。魔術を使ったということは、あの男がそこにいる──なんだっ?」

 どんっ!

 いきなり突き飛ばされてコーゼンは、二、三歩後ろに退いた。彼を突き飛ばしたのは──黒い霧!

 同時に彼を取り巻くように、ぞわっ──と、霧が拡がる。もともと暗い部屋の中が、今度は渦巻くような暗黒に呑まれた。混乱の中でコーゼンは、少女の死体を取り落としたのに舌打ちした。彼女を見捨てるのは忍びないが──逃げないと、自分がやられてしまう。

「くそっ!──」

 腰の鞘に手をやる──が、あるはずの剣がない。

「なんだと──?」

 悲鳴をあげる彼の眼前で、いきなり黒い霧がふたつに裂ける。その真ん中から、彼の剣がはくじんひらめかせて、持ち主である彼の胸元へと飛び込んでくるのが見えた──


 ◆◇◆◇◆


「……実力において、どうさかちしてもかなわない相手と戦わなければならないとき──さらにそいつらにどうしても勝ちたいときは、どうすればいいと思う? キリランシェロ」

 ゆっくりと、暗い影の奥から語りかけてくるのは、物静かで感情のない声──大陸最強の黒魔術士チャイルドマンの声……

 オーフェン、いや当時のキリランシェロは、分からないとだけ答えた。対して教師は、肩をすくめてあっさりと言ったのだった。

「イカサマするのさ」

 

 思い出しちまった──と、オーフェンは舌打ちした。積み上げられた十数の木箱を背後にこちらをえて並ぶサミイと『よろい』──そして唯一の出口をかため、こちらをはさんでいる『蛇』、そして姿のない『手』──四体のクリーチャーの気配にじっとえながら、彼はひとりごちた。

「思い出しちまったよ」

「は?」

 と、これはマジク。迷子になりかけた子供みたいに、ヒリエッタの腰にがっしとしがみついている。女暗殺者がわずらわしげに見下ろしてはいたが、マジクは気づいていないらしい。

 オーフェンは微苦笑を浮かべつつ、額のバンダナをむしり取った。

「思い出しちまったからには……しばらく俺はオーフェンじゃない」

 いぶかしげな視線を上げるを無視して、少年の手の中に無言でバンダナをほうり込む。次いでジャケットを脱いで、それも渡した。最後に……首からもんしようのペンダントを外す。

 剣にからみついた、一本脚のドラゴンの紋章──《牙の塔》の黒魔術士の証明。手にとってしげしげとながめてみる。羽根を広げたドラゴンの背中、つまり紋章の裏側には、持ち主の名前がきざみ込まれている。彼の紋章にはキリランシェロ──大陸の魔術士たちの間では奇怪な伝説になりつつある名前が記されていた。オーフェンはそれを見てにやりとし──その銀製のペンダントも、マジクに手渡した。

「お師様……?」

 いくつかの手荷物を両手に、マジクが聞き返してくる。オーフェンはサミイのほうへと視線を向けながら、

「俺が死んだら、その紋章を持って《牙の塔》に行け。少なくとも相手にはしてもらえる。《塔》では……チャイルドマン教室のフォルテ・パッキンガムを教師に選べ。俺の名前を出せば、にも断れんだろ」

「お、お師様っ!」

 まるっきりびっくりした顔で、マジクは声をあげた。緑のひとみを皿のようにして続ける。

「死んだらって、そんなえんでもない──」

「うるせえな。万一ってことだ。保険だよ」

 と、オーフェンはヒリエッタに向き直った。

「あの『蛇』は俺がなんとかする。奴が戸口から姿を消したらマジクを連れて逃げろ」

「……なんとかするって、どうするつもり?」

 ほおに汗をらして、ヒリエッタが聞き返してくる。オーフェンは答えなかった。

「言ったら、奴らにも聞かれちまうだろ。とにかく俺が連中を引き付けておく」

「ひとりでこいつら全員と戦うつもり?」

「まあ、そうなるな」

「サポートもなしに戦えると思ってるの?」

(……クリーオウと同じこと言いやがる)

 オーフェンは苦笑しつつ、

「ああ」

 彼が事もなげにあっさりとうなずいたので、意表をつかれたのだろう。ヒリエッタが一瞬絶句するのが見えた。と、その横からマジクが口を挟んでくる。しようそうのような表情を浮かべて、早口に。

「なんとかなるわけがないじゃないですか、こんな連中相手に!」

「なるんだよ」

 オーフェンは、無表情の静かな笑みを浮かべた──

「刺し違えてでも、こいつら全員スタッブしてやるさ」

 暗殺スタツブ、と言ったのだが、マジクはそんな単語は知らなかったらしい。不理解の眼差しを投げ返してきたが、すぐにそんなことはどうでもいいと気づいたようだ。

「なんでそんなことをする必要があるんですか! こんな連中、お師様には関係ないでしょう!」

「お前が言ったんだぞ。クリーオウがこいつらに殺された、てな」

「な……!」

 マジクが、きようがくの声を出す。

「ひょっとしてお師様、かたきをとるっていうんですか?」

「こいつら、クリーオウを殺したんだ。それ相応のむくいは受けてもらう」

 言って、オーフェンは駆け出した。地下室の奥──サミイへと向かって、一直線に。彼の動きを見て『鎧』がゆっくりとかんまんな動作で動き出す──

「オーフェン!」

「お師様!」

 背後から追いかけてくるふたりの呼びかけを無視して、オーフェンは大声で叫んだ。

「俺はここだぞ、サミイ!」

 すぐ前に迫ってきた『鎧』のしつこくの面ぼおに向けて右手を突き出しながら──

俺がフォノゴロスだ!」

 その声をじゆもんにして、魔力を放出する。きん距離から放たれた光熱波が、真正面から『鎧』の顔面を打ち倒した。特にいた感触はないのだが、それでも爆発の衝撃で、二百キロはあるだろう巨大な鎧の人影は、数メートル後ろまで吹き飛ばされた。ぐわしゃん、と重々しい響きが地下室にこだまする。

 オーフェンは足を止めず、そのまま走り込んでいった。

 その正面でサミイが──見るからに表情をこわばらせ、叫ぶ──

「フォノゴロスハ──ココダ! コロセ──!」

 きしゃあああああっ!

 背後、部屋の入口あたりから声があがる。『蛇』がのどをきしらせる音──思ったとおりだ、とオーフェンは胸中でつぶやいた。

(やっぱりこのクリーチャーども、サミイにすべてコントロールされてやがんだ!)

「我は放つ光の白刃!」

 こんしんの力を込めた光のほんりゆうが、サミイの中心に突き刺さった。爆音とともにサミイの霧の身体が、文字通り霧散する。

 同時にオーフェンは、くるりと背後に向き直った。入口に待機していた『蛇』が、ひょろりとした足取りで、だが異様に素早くこちらへと向かってきている。マジクとヒリエッタの横をすりぬけて──正面から見たらラグビーボールのような形の頭部が、あぎとを開き──

 しゃっ!

 短いぶきの音がすると、その口の中央から黄色がかった液が吹き出されてきた。とっさに横に跳んでかわすが、床にかかった液は異様な音とにおいを発して白い煙をあげた。じゅうじゅういいながら、コンクリートの床が溶解していく。

(毒液!)

 すべり込むようにして『蛇』の身体のわきをすりぬけ、背後へと回り込みながら、オーフェンはそう気づいた。ぽん、と軽く手を置くようにして、『蛇』のうろこだらけの背中に右手を当てると、

「我は見るこんとんの姫!」

 超重力の渦が蛇人間の身体を取り巻き、長細いたいを問答無用で床へとたたきつぶす。

 沈没する船のような格好で倒れる『蛇』を見送る間もないまま、なんとなく次の攻撃を予想して、オーフェンはジャンプしていた──見下ろすと、やはり床から出てきたケンクリムの指先が、ものらえそこなって無念げにまた床へと消えていくのが見えた。

 たん、と着地してオーフェンはクリーチャーたちへと向き直った。部屋の中には、もうマジクとヒリエッタの姿はない。急いで階段を駆け登っていく足音が、ぱたぱたと響きつづけているだけだ。

 じっと見やると──それぞれ一撃ずつの攻撃を受けたにもかかわらず、クリーチャーたちはまったくダメージを見せていなかった。『鎧』は何事もなかったようにむっくりと起き上がっているし、『蛇』もきちきちと音を立てながら肩越しにこちらを見ている。いったんは四散したサミイも、やはりまた同じ位置に集結しつつあった。『手』は、どこにも姿を見せていない。

 戦闘生物たちと部屋にひとり残って、オーフェンは腕組みした。そのままたいして──サミイがまたもとにもどるのを見ながら、彼は告げた。

「調子に乗るなよ。俺は本気だ。念のため言っておくが……」

 と、じりり上がらせ、続ける。

「俺は怒り狂ってんだぜ」