第五章 対決するおろか者たち




 くだけた水槽から流れ出た汚水が、床に落ちてね返り、また落ちる。ヒリエッタが開けた出口へと向かって流れていく水流の上で、オーフェンは無言で立ちつくしていた。ただじっと『亡霊』──サミイをにらみえ、ひどく冷静に考える。

(フォノゴロスの話だと、クリーチャーは全部で四体……)

 彼のまったくの無反応が少し意外だったのか、ヒリエッタがやや声を大きくする。

「フォノゴロスは数多くのクリーチャーを造り出したわ。動物や……あるいは無生物を基にして。でも彼が究極の目標としていたのはね、オーフェン、人間を改造することだったのよ」

「で……しらの矢を立てられたのが、こいつってわけかよ」

 オーフェンはマジクを背後に追いやりながら、ゆっくりと聞いた。眼前のサミイはゆらゆらと、そのりんかくくずしかけてはまたもとにもどすことをくりかえしている。

 ヒリエッタが前に出てくるのが、れた床をみしめてくる固いくつおとで分かった。彼女はオーフェンの横に並ぶと、さっとさやから短剣を抜いた。

「ええ。彼の名前はサミイ。フォノゴロスの助手として、この屋敷に住み込んでいたのよ。今ではフォノゴロス作の最後のクリーチャーよ。最後にして……最悪の」

「……奴には、まともな思考能力が残ってるのか?」

 オーフェンは右手をサミイに差し向けてかくしながら、静かに聞いた。ヒリエッタの表情がピクリとゆがむのが見える。彼女はしばししゆんじゆんし……かぶりを振った。

「あるわけないでしょ。肉体も、脳もないんだから。とうに発狂して、魔術士と見るや襲いかかるだけだよ。フォノゴロスと勘違いしてね──来るわよ!」

 彼女が叫ぶと同時──オーフェンは背後のマジクの肩をつかんで、くだけた水槽のほうへ跳んで逃げた。ヒリエッタも部屋の反対側へと同じようにして跳び退っていく。それを見ながらオーフェンは、彼らの間をすさまじい勢いで通り抜けていく黒い霧にせんりつした。霧──サミイがしつぷうそのもののように地下室の空気を切り裂くと、入口わきの壁に激突し、四散する。爆音と──その壁に、ハンマーで打ち付けたような無数のひび割れを残して。

 たんそくを混ぜつつ、オーフェンはつぶやいた。

「どうやら、ゆっくり事情を聞いてるひまはねえみてえだな。後回しだ」

 が、そんなものをつぶやいている暇すらないらしい。ぶわあ……と部屋中にひろがっていた霧は、またゆっくりと部屋の中心に集まっていき──人の姿を取るやいなや──

 再びこちらへと向かってはしる!

「我は放つ光の白刃!」

 オーフェンは向かってくる霧の真ん中へとえた。熱波をき散らす光のうずがサミイの霧を吹き散らかす。さんしたサミイは海をたゆたう魚の群れのようにゆったりとほうこうし……たび、部屋の中心に集まっていく。

「お、お師様……」

 後ろから、マジクの震え声。オーフェンはサミイをえながら、めんどくさそうに聞き返した。

「あんだよ」

「どうやって倒すんです? あんな幽霊なんて……」

「奴は幽霊なんかじゃねえ。戦闘用のクリーチャーだ」

「だ、だから、そのクリーチャーってのはどう倒すんです?」

「そこの魚に聞けよ」

 言ってオーフェンは、床に転がるフォノゴロスの死体を指さした。皮肉のつもりで言ったのだが、マジクはどうやら本気に取ったらしかった。はあ、とため息をつきつつのろのろとした足取りでそちらへと向かう──

「危ねえっ!」

 オーフェンは、はっと気づくと、後ろからマジクを突き飛ばした。小柄な少年はそのまま数歩ばかりつんのめるようにして、汚水まみれの床に転んだ。がばっと起き上がり、非難じみた表情をこちらに向ける。

「なにするんですかお師様──」

 だが、叫びかけてマジクも気づいたらしかった。一瞬前まで彼が立っていた床から、短い腕を精一杯伸ばすようにして、ナイフをくくりつけられた『手』が──ケンクリムが姿を見せている。

「げ……」

 マジクが気味悪そうにうめく声が、空気のしけった地下室に響く。オーフェンは素早く自分の腕を引きしぼるように構えると、叫んだ。

「我かかげるはこうの剣!」

 叫ぶと同時、手の中に、実際に剣をにぎっているような重みがかかる。彼は息もつかず、その見えない『剣』を床のケンクリムが姿を見せているあたりに打ち下ろした。『剣』がごうおんを立てて、コンクリートの床を数センチほども穿うがつ──が、手ごたえはなく、太った『手』はれつの走った床へと、ゆっくりと沈み込んで消えていった。

 と──

「うわあっ!」

 再びマジクの悲鳴が響いた。見ると、なにやら黒いむちのようなものが数本、天井のダストシュートから姿を見せている。鞭は触手のように不気味な動作を見せると、唐突に跳ね飛び、勢いをつけてマジクの足元にさくれつした。ざむっ!──と肉をえぐる音と、黒っぽい血が肉片とともに飛ぶ。命中したのはマジクにではなく、その足元に転がっていたフォノゴロスの死体にだった。巨大な魚の身体が、冷たい血をはね散らかしながら両断される。

「我は放つ──」

 オーフェンはダストシュートの穴にねらいを定め、右手をふりあげた。が、それよりも早く鞭がこちらの気配に気づき、標的をこちらに変更するのが見える──

(間に合わない!)

 オーフェンは胸中で悲鳴をあげた。

 魔術が発動するよりも、向こうがこちらの首をねるほうが速い──が──

 ぎいん!

 鋭い金属音に首をすくめると、彼のすぐわきで、黒い鞭の先をヒリエッタがナイフの背で受け止めていた。彼女の顔──緊張した笑みを浮かべるせた表情から目をそらして、オーフェンは叫んだ。

「我は放つ光の白刃!」

 かっ!──

 真っ白なせんこうが地下室を斜めに横切り、穴を含めた天井の一角を打ち砕いた。れきとともにしやくずれ落ち、同時に──ダストシュートの通路に挟まっていたらしい人影が、重そうな音を立てて床に落下してくる。床にまだ残っていた水に混じった土砂にまみれて、むっくりとその人影──真っ黒なよろいが起き上がった。

 ヒリエッタがナイフを片手に警告してくる。

「……あれがアクセル。気をつけて。危険な奴よ」

「そんなの、どれだって危険ですよ!」

 マジクがかん高い声をあげつつ、こちらに駆け寄ってきた。

(ま、確かにな──)

 オーフェンは胸中で同意しながら、もう既に部屋の真ん中で人型を取ったサミイを見やった。

「どこから顔を出すか知れない『手』に、とんでもないスピードで鞭だがこうせんだかを投げてくる『鎧』、あげくの果ては熱も衝撃波も効かねえ『亡霊』ときた。こいつらを打ち倒そうってんなら、腕きの魔術士が一部隊は必要だよ。俺にどうしろってんだ」

「彼を殺して」

 ヒリエッタが即答する。

「……なに?」

「できないとは言わせないわよ。なんのかんの言ったところであんたは、この大陸で最も人を殺すのがじような男のはずでしょ? 黒魔術士チャイルドマンのっ子──《牙の塔》のキリランシェロは、ね!」

「?」

 マジクには、彼女の言ったことのうち、なにひとつとして理解できなかっただろう──こちらと彼女とを交互に見やり、きょとんとしている。オーフェンは、歯がみする思いで彼女をにらみやった。ヒリエッタは油断なくクリーチャーたちに向けナイフを構えながら、こちらの反論を予想して身構えている。が──オーフェンは、反論はしなかった。

 代わりに、負けしみをひとつだけ言っておくことにした。

「……奴らが人間だったら、の話だろう」

「サミイは人間だったのよ」

「知ったことかよ」

 オーフェンは低く毒づいた。ひどく胸がムカつく。当のサミイは『鎧』の背後にひかえるようにしてこちらを見──しやの中から立ち上がったしつこくの『鎧』アクセルは無表情で棒立ちだ。どこにいるのか知れない『手』は、その気配だけが四方八方から伝わってくる。このまま連中とやり合ったところで、いずれはこちらがしようもうして自滅するのは間違いない。

(最良の手は、逃げることだ。が……)

 オーフェンは額の汗をぬぐうと、こっそりとつぶやいた。

「怪物になるなんてのは、アザリーひとりで十分だったんだよ」

「……え?」

 自分で思っていたよりも大きな声を出してしまっていたらしい。マジクとヒリエッタが同時に聞き返してきた。

 オーフェンは無視して静かな──静かな目付きで、真正面からマジクを見やった。

「……おい。クリーオウが死んだ、てのはホントか」

「あ……」

 開いた口に手を当てて、マジクが絶句する。言ってしまったことをこうかいしているのだろう。だが、そのまま無言で見つめつづけると、彼は汚れた顔に神妙なかげりを見せてうなずいた。

「え──ええ」

「そうか……」

 オーフェンはそれだけ答えて、今度はヒリエッタへと向き直った。

「この場は退却だ。こんな密室じゃ、いずれ追い詰められる。合図をしたら出口に飛び込むんだ。君が最初で、次がマジク──」

「……一応、あんたの意見には賛成だけどね」

 ヒリエッタは、真っ赤なくちびるみながらこちらのせりふを制止してきた。

「大事なことを忘れてるんじゃない? クリーチャーは全部で四体いるのよ」

 彼女のつぶやきにぎょっとして、オーフェンは扉が開いたままになっている出口へと視線を転じた──

 そこには、ひょろりとしたたいの半人半蛇──キキュイームが、なにをするでもなく、ただぼーっと突っ立っていた。


 ◆◇◆◇◆


「う……」

 長く、細いうめき声をきしるようにのどもとから押し出し──コーゼンは意識を取りもどした。がいの奥から波が押し寄せるように、頭痛が響く。落ち着いてくると、痛みが頭だけではないことが知れた。左肩の傷口も、出血は止まったようだが、どんつうを残している。

「くそっ──たれが」

 つばきながら、上体を起こす。痛む頭を押さえて、彼は周囲を見回した。いまだかすんで見える視界は、あまりにも暗い──失明したのかと、ぞっとするねんが浮かんだ。が、ややすると、ゆっくりと目がくらやみに慣れてくる。

 そこは、部屋の中だった。窓もなにも内側から打ち付けられた、物置小屋のような一室である。もっとも、ちらとでも見回してみれば、その部屋が物置でないことは容易に知れた。彼が倒れていたのは床の上だが、部屋の中央にはしっかりとベッド──と言うより、手術用の寝台がえ付けられている。天井に照明器具のたぐいはなかったが、ガス灯のフックだけは、引っこ抜けそうになりながらも付いてはいる。まあ部屋には明かりがまったくないわけではなくて、天井に大穴が開いており、そこから昼下がりの青空がのぞいていた。

 部屋はかなり広く、ばくぜんとした気配から、二階にあるのだと知れた。部屋の片隅にはガラクタとしか思えないざんがいに混じって、キャビネットやら手術用具? のようなものものぞいている。

「手術室、か……」

 ごく単純にコーゼンは、そう思った。とすると、ここは病院かなにかなのか……

 腰に下げているさやから剣を抜いて、コーゼンはさらに注意深くあたりを探った。記憶は定かではないが、自分はあの得体の知れない『亡霊』どもにここに連れてこられたのだ──確か。『亡霊』の起こした突風と、小型のたつまきに乗せられて。あの天井の穴からこの部屋へと落とされたのだろう。そんな方法で長距離を移動できるわけがないだろうから、この場所というのは村からそう遠くに離れているはずはないのだが。

「待てよ」

 と、コーゼンはひらめいた。

「そう──フォノゴロスだ。そう言っていたな。異端者フォノゴロスの屋敷が、このあたりにあると聞いたことがある。ひょっとしたら、ここがそうか……」

 歩きだして彼は、ぐにゃりとした感触を足の下に感じた──いやな表情で、そちらを見やる。と、それは巨大なほこりかたまりだった。踏みつぶした塊のあちこちから、細い白骨がはみ出すように突き出ている。どうやら猫の骨らしいのだが──ところどころ、猫のものとは思えないかいな骨も混じっている。

「完全にしよくして、埃になったのか。にしても、なんだこりゃ。猫って手足が五本もあったっけか?」

 あるわけないのだが、そんなことはどうでもいい。コーゼンはそう判断すると、顔を上げた。中央の寝台のことが気にかかっていた。ぐったりと誰かが横たわっている──

 近づくとそれは、さっき村で会った──どころかりまでもらった少女のものだと知れた。目を閉じて胸元で手を合わせ、身動きひとつしないで横になっている。呼吸をしている動きすらない。

(外傷はないようだが……?)

 コーゼンはいぶかしみつつ、少女の首筋に指を当てた。しばらくしてから、嘆息する。

「死んでいる──いや……? なんだ?」

 分からない。が、確かに脈はない。体温も、室温よりは高いがかなり冷えている。

 だが、違和感がある。この少女の胸元にナイフでも突き立っていたなら、コーゼンもさして気にはしなかっただろうが──まったく死因が見当つかないのだ。ちつそくなら、こんなれいな顔で死ねるはずがない。せきついのあたりを骨折した様子もない。ショック死なら、目を閉じているのはおかしいような気もする。ガス中毒死やとうならこういう状態で死体が発見されることはあるだろうが、こんな夏も近い陽気で凍死もくそもないし、ガスだったら自分も同じように死んでいるはずだろう。ゆいいつあり得るとしたら病死だが、ひんの病人に自分がああまでに蹴りを食らったとは考えたくない。