第四章 告白するおろか者たち




 だれにでも過去はあるものだ。あるいは、過去を持たなければ人にはなれない。もっとも、さばけた人間であれば、それは単に時間という流れが過ぎ去ったというだけのことで、無理に意味を付け加えようとするのは感傷に過ぎないとでも言うだろうが。

 だが、これならばどうだろう、とオーフェンは思う──人には誰にでも、忘れ去られた部分がある。もちろん、忘れ去られていたい部分もある。

 しんとした、暗いホールを見回しながら、オーフェンはたんそくした。ふさがれた窓から、れ日のように細い光が打ち付けられた板のすきをぬってし込んできている。空気はむやみにほこりっぽい。床にも分厚いほこりの層が、足跡もなく積もっている。しきの入口──ホールの真ん中に、でんと見上げるくらいの高さの彫像がふうを構えていた。大陸ではあちこちですうはいされている、運命の女神たちウイールド・シスターズの彫像である。ほっそりとした、無表情な笑みを浮かべている女性の像。

「《現在の女神》……」

 誰にともなしに、オーフェンはつぶやいた。腕組みしていた手を解いて、舞い上がったほこりを正面からかぶったズボンを、ぱっとはたく。

 ん? と、彼のつぶやきに驚いたのか、かたわらにいたヒリエッタが聞き返してきた。

「なに?」

「いや……この屋敷の主人の人柄に感服したんだよ」

 オーフェンは、にやりとして言った。女神の彫像には、顔の真ん中に、ノミで一撃したようなしようこんが残っていた。そのせいで、女神は三つ目のように見える。優しげなそうぼうの真ん中に穿うがたれた、いびつな第三のまなし──

 ホールには、ほかに目立ったものもない。ヒリエッタが背後で、入口の扉を閉めると、屋敷の中はほとんど真っ暗といってもいいほどやみに没した。カチリ──という音とともに、ヒリエッタがけいたい用のかんガス灯をける。

 ぼんやりとした明かりが、再び彫像を浮かび上がらせた。

 誰にでも過去はあるものだ、とオーフェンは胸中でくりかえした──そして、それは神神も同様なのだろう。長女たる過去の女神──次女たる現在の女神──そして、末妹たる未来の女神。

 運命の三女神、運命の三姉妹には、どうやら未来もあるものらしい。人間にとっては、それはどうだか分からない。ひょっとしたら今日明日、いきなり死ぬことだってあり得るのだから。

 オーフェンは、感傷的になっていた自分をあざけるようにふっと笑うと、白いガスの明かりに浮かぶヒリエッタに向き直り、言った。

「ったく……結局、かんじんなことはなにひとつ聞かないまま、こんなところまでのこのこやってきちまうんだから、俺もたいがいおひとしだよな」

「あら、でも、一番肝心なところは話したじゃない? この件は、当事者のわたしのスポンサーに直接会わないかぎり、理解してもらえないだろうって。それで、今から彼のところに案内してあげるってんだから」

「俺がもっと聞きたかったのは──」

 と、オーフェンはガス灯の光のとどかないてんじようを見上げた。わだかまった、黒いだけの闇。影のかたまりのような、ちんもくするしつこくの水面。そのまま天井を見上げつつ、彼は続けた。

「俺が聞きたかったのは、なんで俺なのかってことさ。単に腕の立つ魔術士ってことなら、俺でなくともいくらでも強力な奴がいただろう」

「例えば……《きばとう》のキリランシェロ、とかね?」

 とうとつにヒリエッタの唇かられ出たその名前に、オーフェンは身じろぎする自分を感じた。視線を投げやると、ヒリエッタはからかうようにブラウンのひとみを輝かせている。

「オストワルドなんかと同じに考えないでね、わたしのことを──わたしが接触したかったのは、キリランシェロという男なのよ。大陸最強の黒魔術士チャイルドマンから、すべての暗殺技術を伝授された黒魔術士。チャイルドマンのっ子キリランシェロ。じやつかん十五歳にしてその名声は大陸の端にまでとどきかけた──」

「やめろ」

 オーフェンはこわばった声で制止しようとした。が、ヒリエッタは構わずに続ける。

「でも、今から五年前に彼は《塔》からしつそうした。理由については、暗黒街でもいろいろとささやかれたわね。師であるチャイルドマンと仲たがいしたとか、その力をあまりにも危険視した《塔》の長老たちにうとまれたのだとか、あるいは宮廷魔術士団《十三使徒》の長、大陸でゆいいつチャイルドマンとそうへきをなす、王都最強の魔人プルートーを暗殺しにいったのだとか。まあ、そんな理由はどうでもいいのよ。わたしに言わせれば」

 と、彼女はウインクした。

大陸西部では、あなたより強力な魔術士はいないわ。これまた失踪してゆく不明のチャイルドマンをほかにすればね。あなたと同じチャイルドマン教室の人間でも、数年前に急死した〝天魔の魔女〟くらいしか──」

「やめろと言っているんだ!」

 オーフェンは気短にると、ガス灯を提げる彼女の手首をぐいとつかんだ。口汚くののしりたくなるのを必死にこらえながら、なんとか言い返す。

「俺はキリランシェロじゃない。五年前からオーフェンと名乗っている。《塔》を出たのも、俺なりの理由があってのことだ。それに、名前は──」

 彼はせいいっぱいすごみをきかせたつもりだったが、ヒリエッタは臆する様子もなく、笑みを浮かべたままで冷静にこちらを見返してきている。オーフェンは意地がくじけそうになるのを感じながら続けた。

「名前には、意味があると思ってる。俺がオーフェンと名乗ってるかぎり、キリランシェロだった俺は死んだままだ。誰もそれを……無理に呼び起こすことはできない」

 するようにそう言って、彼女の手を放そうとする──が、それよりも早く、ヒリエッタのもう一方の手が、優しく自分の手に重ねられるのを彼は見つめた。

「人を殺せないさつりく者……鳴けない小鳥。そう言われてさげすまれてきたのよね?」

「そんなことはどうでもいいんだ」

 いらだたしく、オーフェンはうめいた。

「だいたい、人のことを言うんなら、君はどうだってんだ? けんヒリエッタか──決して依頼を断らないヒリエッタ。だが決して依頼をすいこうできないヒリエッタ! 無論、依頼を遂行できないほど腕が悪いってわけじゃない──君は依頼主を裏切るんだ。すべての依頼の九割がたな。人を殺せと依頼すれば、いきなりそいつをほかの街まで逃げ延びさせて、新しい仕事まで世話してやったりする。かと思えば、えいの任をほったらかして突然姿を消したりもする。君がゆいいつ遂行する仕事は──魔術士殺しだ」

「……ええ」

 ヒリエッタは同意してみせた。重ねられていた手が、力が抜けたようにすっと落ちる。

「そのことは、歩きながら説明するわ。この屋敷の……地下へ行きながら、ね」


「落ちこぼれ……外れ者」

「…………?」

 いぶかしげな視線を彼女に返すと、ヒリエッタは、照れるようにして微笑を見せた。ガス灯の明かりを頼りに、ほこりだらけの無人のやかたを進みながら。

「わたしのことよ。ようするにわたしは、それだったの」

 館は、話によれば十年前に放棄されたのだそうだ。当時は使用人の手によってすみから隅までワックスがけされた、清潔でシックな屋敷を気取っていたらしい。館のあるじは家族もなく、まり込みの使用人を数人と──助手を家において生活していた。

 が、なんにしろ──今となっては当時のおもかげなど見る影もない。暗闇の中で、かん高い鳴き声と足音を引きずりながら、ネズミの群れとおぼしき集団が走り抜けていく。はたのクモの巣を払いのけながらオーフェンは、黙って彼女の話を促した。

 ヒリエッタが、軽い調子で続ける。

「ここからちょっと西に進んだところにね──地図に名前も載ってない、小さな村があるの。地元の人間は、レインダストって呼んでいたわ。わたしたちは時代の屑レインダストだってね。ようするに、何十年か前にあった、ごくささやかな戦災で故郷から焼き出された人間が、誰にもたよらずなんとか生き延びて……そして時間がったら、いつの間にか村になっていた。そこが、私の故郷」

 それを聞いて、オーフェンはぽつりとつぶやいた。

「……俺の生家があるのも、確かそのあたりだな」

「家があるの? 孤児オーフェンなんて名乗ってるくせに」

 ヒリエッタは、少し意外そうに聞き返してきた。オーフェンは息をつくと、

「今は君の身の上話をしてるんだろ? 続けろよ」

「ま、いいけど……いるわよね。れたくない話題になると、すぐに人にバトンを押し付ける人って」

 彼女は肩をすくめると、また話を再開した。

「わたしが村を出たのは、十五のときだったわ。村の中のことが、なにからなにまでなんとなくおもしろくなくなって──平たく言えば家出したのよ。簡単な手荷物だけまとめて、最初にたどり着いたのが、街道沿いのこの村だった」

「十五ねえ……」

 オーフェンはかたわらのヒリエッタを、頭から腰下あたりまでざっとながめて、年齢をすいそくしてみた。

「つうと、それがだいたい十年前ってトコか?」

「残念。九年前」

「どっちでもいいさ」

 オーフェンが言うと、ヒリエッタは、くすと笑い──

「それが、よくないのよ」

 答えて、表情に暗い色を落とした。わずかに視線を下げた彼女を見返しながら、オーフェンは自分の頭をかいた。天井から虫が落ちてきたのだ。

「もし、わたしが村を出るのが一年遅かったら……わたしは彼に出会わずにすんだわ」

「彼?」

 オーフェンは髪の間でじたばたしているクモをつまみ上げ、聞き返した。

 ヒリエッタの声は、虫歯の痛みをまんしているようにゆがんで響いた。

「ええ。この村で行き倒れになったわたしをかいほうしてくれたのが……サミイ。彼よ」

 彼よ。

 それだけで、その男のすべてを語りくせるとばかりに、彼女は唐突にせりふを区切った。オーフェンはあえてなにも言わず、聞き流すままにしておいたが、名前だけははっきりと記憶した。サミイ。

 同時に、つまんでいたクモを後ろに放り投げた。放り投げたあたりでばたばたと、ものねらって飛びかかるネズミたちのけんそうき起こる。

 そのまましばらく屋敷の中を進み──ホールの奥の通路を抜け、台所らしき部屋をくぐり抜け、地下の酒蔵へと続く階段を前にしたとき、オーフェンはなにげなく聞いてみた。

「なんで、この村に着くのが一年後だったら、そのサミイとやらには出会わずにすんだんだ?」

 ヒリエッタの返答はごく短かった。

「死んだからよ。出会って一年後に」

(……いるよな。触れたくない話題になると、いきなり口数が少なくなる奴ってのも)

 オーフェンは仕返しのつもりで胸中でつぶやくと、なんのあいもなく階段を下りはじめたヒリエッタの後を、ゆっくりとした足取りで続いていった。

 雨季が過ぎたばかりのせいか、階段は妙に湿っぽかった──湿っぽいだけでなく、し暑い。手をついたへきめんにじっとりとした感触を覚えて、オーフェンはかわのズボンで手をぬぐった。一段、また一段と石造りの階段を下るたび、湿気が増していくような気がする。

 と、オーフェンはふと自分の忍耐が切れかけているのを悟った。

「で、そのサミイってのがどうしたってんだ」

 ヒリエッタはふりかえりもせずに答える──だから、どんな表情をしているのかはこちらから見えない。

「彼は助手だったのよ。この屋敷の主──《牙の塔》から追放され、この村に流れ着いた黒魔術士フォノゴロスのね」

 階段は、彼女の返答とともに、いきなり終わった。

 階段の下はちょっとした踊りの場のようになっていて、真正面に一枚、鉄製のとびらが構えている。プレートもなにもない、味も素っ気もないただの扉である。ヒリエッタがガス灯の火を消した。

 あたりが真っ暗になる。

「……どういうつもりだ?」

 オーフェンは気にもせず、聞いた。ヒリエッタが肩をすくめるのが、はいで分かる。

 彼女はそのまま手探りで扉をさがし当てると、そのまま扉を押し開けた。重い扉がきしむ音とともに、気圧の高まっている地下室から、ぶわっと空気が流れ出てくる。

 流れ出てきた空気は、水のにおいがした。それも──腐りかけた水の臭い。

 開いた扉から流れ出てきたのは、空気だけではなかった。部屋の中から、淡い光もれ出してきている。のぞいてみると、部屋の真ん中になんの支えもなく、巨大なほたるのような光の球が宙に浮いていた。

 部屋の右手には、大きな木箱が三段重ねくらいになって整然と積み上げられている──高さ一メートルほどの、がんじようそうな木箱である。どれも厳重に封がされていて、開封厳禁の注意書きがしつこいくらいにされている。そして……

「製造年月日? 赤光帝三十八年……今から十年前……?」

 オーフェンはいぶかしげに読み上げたが、ヒリエッタは表情をこわばらせ、なにも答えてはこなかった。真っ赤なルージュのひかれた口の端を、実際にかたきでもみ殺しているみたいに引きつらせている。

 彼女の表情にはひっかかるものがあったが、オーフェンはあえて無視して入口から部屋の中を見回した。木箱が並べられているせいで、もとは広かったらしい地下室もかなり狭苦しくなっている。そして、部屋の奥のほうに、ひときわ大きい木箱が置いてあり──

 いや、違った──と、オーフェンはきょとんとした。奥にあるのは、木箱ではなく、巨大なガラスのすいそうだった。

 壁にぴったりと押し付けられるようにして、高さにして二メートルほどはありそうな、巨大な水槽がしつらえてある。ガラス面はこけでまんべんなく汚れていたが、ところどころ何度かふき取ったような跡があった。水槽はさめだって入れそうなほど巨大だったが、その中にはなみなみと水がたくわえられているようだった。

「ここが──」

 ヒリエッタはしばがかった口調で言いながら、すたすたと部屋に入っていった。光球の上に手をかざしながら、

「ここがフォノゴロスの……安置所よ」

「安置所?」

 聞き返す。と──

「その通り」

 返事は、水槽の中から響いてくるようだった。

「よく来たな。待っていたよ……わたしがラモン・フォノゴロス──《牙の塔》を追放されたキエフ・フォノゴロスの研究を……いだ者だ」


 ◆◇◆◇◆


『ボルカン商会の記念すべき第一回大会──落ちている金物を集めてお金持ちになろう!』

 シーツとおぼしき白い布に、でかでかと青いペンキで書かれたそのはたは、物干し竿ざおの先にくくりつけられて大きく風にはためいていた。物干し竿を高らかに掲げているのは先頭をいくボルカンで、その後を、けんめいに道端に血走った視線をらしているのは五人の子供たちである。そして最後尾を、ドーチンはとぼとぼとくっついて歩いていた。

 さんさんと日が照る昼下がり、宿屋の客の残り物をひとりであらかた片付けたボルカンが思いついた新商売が、これだった──説明するのも馬鹿馬鹿しい、とドーチンが思うくらいで、ようするに道端に落っこちているかなくずたぐいを集めて、そのへんの行商人にいくらかで買ってもらおうというのである。

(ま、『せんりつ! へびおとこ』よりはマトモな発想かもしれないけど……)

 と、前方の行列を見やる。兄はなにやら商会員──つまり子供たち──をしているつもりかダミ声をがなりたて、ばたばたと旗を振り回している。その次に、子供たちのうちふたりが例の拾った木箱を抱えて進む。その木箱の中に、ちまちました針金やら曲がったくぎやらを拾っては投げ入れるのが、後続の三人の子供と、ついでに言えばドーチンの役目だった。もっともドーチンは、こういった鉄屑の相場がいくらほどのものか知っていたので、とてもではないが積極的に参加する気にはなれなかった──とはいえさっさと隊列を抜け出して宿に帰るというのも、恐らくはその後何日も続くであろうボルカンのイビリを考えれば、実行できるものでもない。

 そんなわけで、特になにもしないのだが、とりあえずお義理でつきあってやっている、というわけだ。見つかったらげしげしになぐられるだろうが、先頭を歩いている兄からは、こちらは死角になっている。

 と──彼は、道の向こうから見知った顔がふたつ、並んで歩いてくるのに気づいた。Tシャツの上に、男物の色があせたブルーのシャツをひっかけた、いつものジーンズ姿のクリーオウと、何度か顔だけ見たことがある、黒ずくめの格好をした少年。ドーチンは、なんとか記憶の底からかすれた名前を思い起こした。マジク。そう──あの金貸し魔術士のだとかいう、マジクだ。

 ふたりもこちらに気が付くと、道を横切ってこちらに駆け寄ってきた。なにやらねているような気配のクリーオウが、ほっそりした右手をあげる。

「ハアイ」

「……こんにちは」

 ドーチンは立ち止まって、あいさつを返した。ボルカンたち『商会』は、彼を置いてのろのろと進んでいく。

 それを横目で見送りながら、ドーチンは眼鏡めがねの位置を直しつつ、クリーオウに聞いた。

「お散歩ですか?」

「ううん……オーフェンを探してるの。彼、いきなりいなくなっちゃって」

 言いながら、クリーオウはため息をついた。その後ろでマジクがごこ悪そうにしている。よくは分からないが、複雑な事情があるのかもしれない。

「ぼくは、今日は見かけてませんけど。今朝はけんかんのところに出向いてたんでしょう?」

「昼前に帰ってきたわ。で、また出てっちゃったみたい。殺し屋といっしょに」

 最後の一言には、妙な迫力がこもっていた。これ以上その話につきあうのはどう考えても得策とは思えなかったが、とりあえずドーチンは聞き返した。

「殺し屋?」

 答えたのは、マジクのほうだった。

「あ──ええと──そうじゃなくて、背の高い女の人。髪の長い、ほら、昨夜は同じ宿に泊まってたはずですけど」

「それなら、覚えてますけど……」

 というか、あれだけ目立つ人間をそうそう忘れられるものでもない。

 じろりと後ろ目でマジクをにらみつけ、クリーオウがうなるようにつぶやく。

「早く見つけださないと、オーフェンが危険なのよ──あの女、彼を殺しにきた殺し屋なんだから。ナイフを持ってたの、見たでしょ?」

(どう考えても、殺し屋なんかより魔術士のほうが怖いと思うけど……)

 ドーチンは胸中でぼやいたが、口には出さなかった。なんにしろ、目の前のこの人間の女に逆らうとロクなことがない。

「じゃあ、ぼくも気を配っておきますから──」

 ドーチンは言いかけた。そのとき──

「うわああああああっ!」

 悲鳴があがる。

 見ると、ボルカンが旗を抱えたままひっくりかえったところだった──じんを突き飛ばし、その後に続く子供をらしてこちらに突進してくるのは──ぱっと見ではイマイチ年齢の分かりづらい男である。剣に腰を下げていた。口元を引きつらせ、どうもさっきの悲鳴はボルカンではなくこの男のもののようだったが──

「どけえっ!」

 男は、こちらに向かってそう叫んだ。ドーチンは、さっと道のわきにどき、改めて落ち着いてその男を見やった。しようひげのせいで、見ようによってはひどくけて見えるが、酒場の奥の暗がりにでもひっこめば、かなり渋く見えるのではないだろうか。目付きは鋭く、それだけは、どことなくあの金貸し魔術士に似ている。鼻はとがっていて、顔の真ん中にはくつが──

(靴?)

 ドーチンがいぶかった瞬間、どげし! という音があたりに響いた。同時に、走っていたところを真正面からなにかにじやされ、のけぞるようにして男が倒れる。見ると──どうやら男のすぐわきから、クリーオウが後ろ回しりなど見舞ったらしい。上げていた足をすっと下ろしながら、クリーオウはフン、と鼻息を吹いた。

 そのとなりで、あ~あ、とばかりマジクが頭を抱えている。

「うおおっ? 真っ赤な血ィが!」

 男は、鼻血のき出る鼻を押さえながら、叫び声をあげた。

「なにをする!」

「うるさいわね!」

 クリーオウは、まだ地面に倒れて上体を起こしたままの男に、ずいと詰め寄るようにして指を立てた。

「そっちこそ、なにをするってのよ! いきなり現れて、子供まで突き飛ばして!」

「どー考えても、いらだってるところにたまたま現れた通行人に八つ当たりをしたとしか思えないけど……」

 後ろでぼやくマジクも、クリーオウがじろりとにらみやるとすぐにそっぽを向いて口をつぐんだ。

 ドーチンはあえて黙って見ていたが、どちらかといえば、マジクに賛成だった。

「こ、小娘──言っておくが、今はそれどころではないんだぞ!」

 男は立ち上がると、ぱっと腕を水平に振った。どうやら、走ってきたほうを指し示しているつもりらしいが。

 つられて見ると、ひっくりかえった箱からこぼれた鉄屑を、いつしようけんめいになって子供たちが拾い集めていた。ボルカンは旗を振り回し、無意味に応援だけしている。

 なんにしろ、ケガだけはなかったらしい。と──クリーオウが叫ぶのが耳に入った。

「それどころじゃないのはこっちもご同様よ! あのいんらん暗殺者からオーフェンを守らなきゃならないんだから!」

「淫乱……?」

 師とそっくりの疑わしげな半眼で、マジクがぼやく。

 だが誰も聞いていなかった。男は、いきなりぐいとクリーオウの手首をつかみ上げると、警戒顔のクリーオウに顔を近づけ、

「なにが暗殺者だ! 子供のお遊びにつきあってるひまは──」

 と、そこで口ごもる。はっと気づいたように、

「オーフェン、だと?」

 そのすきが、命取りだった。つかまれた手首を引き寄せつつ、クリーオウが叫んだ。

「さわんないでよ、鼻血男!」

 ごし! とクリーオウのきが男の顔面にさくれつする。

「うおおおお?」

 再び倒れる、ミスターしようひげ

「あー。やだ、髪に血がついちゃったんじゃない?」

 見るとクリーオウはそんなことを言いながら、マジクに頭を見せている。

「だ、だいじようですか?」

 ドーチンはとりあえず、男のほうに駆け寄った。なんとなく、彼のほうが被害者のように思えたのだ。

 男は、また鼻を押さえつつ、うめいている。

「く、くそ──小娘が、このせきえいのコーゼンに二度までも──」

 どうやら、この男はコーゼンというのが名前らしい。ドーチンは男に近づいて、くりかえした。

「大丈夫ですか?」

「う、うむ──できればちり紙なんか、ないか?」

「すいません。ないです」

「むむむ」

 コーゼンとやらはうめくと、立ち上がってばつとうした。さすがにクリーオウも、げ、とつぶやいてあと退ずさりする。

「ち、ちょっと──なんのつもりよ。そんなモン抜いちゃって」

「女子供を手に掛けるのは本意ではないが、聞き捨てならないことを聞いたのでな」

 と、ついでにもと来た道を見やり、続ける。

「どうやら、追っ手もいたようだし、ちょうどいい──」

「き、聞き捨てならないことって、鼻血男のこと? や、やーね。冗談じゃない」

「ンなことでいちいち剣を抜く奴がいるかっ!」

 コーゼンは、片刃の軍刀をぶんっと振ると、

「貴様が言っただろう──オーフェン、とな! お前らがあの黒魔術士の仲間だというなら、ちょうどいい。人質にしてくれる!」

「って──」

 ドーチンは、コーゼンを見上げるようにしてつぶやいた。

「白昼堂々そんなことを叫んじゃっていいの?」

「ゔ……」

 痛いところを突かれたらしく、コーゼンは、ひくりとほおを引きつらせたが、それだけだった。どうやら、その辺のことはもうあきらめているらしい。

 見回すとあたりでは、ざわざわとやじ馬が集まりはじめていた。中には、ボルカンが引き連れている子供の親の姿もあるようで、ひときわ悲痛な叫び声をあげている。いつの間にか安全なところ──つまりそのやじ馬たちの中にまぎれているボルカンが、だいじょーぶ! 商会員の安全はあの眼鏡小僧が保証します! と叫んでいるのが聞えた。

(ぼくのことかよ、おい……)

 まあ、どのみち見るかぎり、子供たちは木箱をかついで、こちらとは少し離れたところにいるから、このコーゼンとかいうのが血迷って変に暴走しないかぎりは危険はあるまい。

 マジクの後ろに隠れるようにして、クリーオウが叫ぶのが聞える。

「あ、あなたなのね──オーフェンが言ってた、その他大勢、じつひとからげの殺し屋っていうのは!」

「お師様は『複数の殺し屋にねらわれてる』って言ったんだけど……」

 背後に回ったクリーオウに、困ったような視線を投げて、マジク。

 いいかげん怒ったようで、コーゼンが叫んだ。

「人を勝手にわきやく扱いするんじゃないっ! 俺はその道じゃあ、ちょっとは知られた──」

「ちょっとしか知られてないのね」

「やかましいっ! 俺はかいじんようへい、海岸に走る影と恐れられた、コーゼン・ウァイセツ様だぞっ!」

「あのう……」

 ドーチンは、コーゼンの戦闘服のすそをひっぱりながら、言った。

「これから人をしようってときに、いちいち名乗るっていうのは……」

「うるさいっ! 顔を見られれば同じことだ!」

「ええと……」

 疲れたようにマジクが、つぶやいた。

「もういいや。死なない程度に──十、九、八、七、六……」

「…………?」

 きょとんとして、殺し屋がマジクのほうを見やる。そのうちにもマジクは、目を閉じてややゆっくりめのカウントダウンを続ける。

「五、四、三、二、一──」

 カウントが三を過ぎたあたりから、ふわっ──と少年の金髪が風に吹き上げられたようになびく。その瞬間、コーゼンが悲鳴じみた声をあげた。

「魔術だとぉ! 資料にはなかった──」

「我は放つ光のはくじんっ!」

 かっ──!

 突き出された少年の手の先から、純白の輝きがほとばしった。光の帯は大気を駆け抜けると、そのままコーゼンの真正面に突き刺さり──そして、通り抜けた。

 風ひとつ起こらない。

「……へ?」

 顔の前で両腕をクロスさせて、とっさにガードの姿勢をとっていたコーゼンが、間の抜けた声をあげる。なんともない。まぶしいだけだった。

「あれぇ?」

 マジクは、不良品をつかまされたようなおもちで、自分の右手をのぞきこんだ。

「うまくいかないなあ。時間をかけて集中すればなんとか、って思ったのに」

「この役立たず!」

 少年の肩につかまっている格好で、クリーオウが言うのが聞こえる。口をとがらせて、マジクが反論した。

「役立たずはないだろ。少なくとも光が出たんだから、今日はきゆうだいてんだよ」

「おちょくっとんのか、貴様らあああっ!」

(やばいっ!)

 怒鳴り声をあげたコーゼンの横で、ドーチンは身をすくませた。殺し屋が、とうとう切れたらしい。剣を片手に構えて、正面のマジクとクリーオウ目がけてりかかっていく!

 その後ろ姿を見送りながらドーチンは、自分になにができるかと自問していた──時間はあまりない。数秒のうちに殺し屋はふたりのところにたどりつき、ばさり──どっちかを斬り倒すだろう。殺し屋は自制を失っているようだから、一撃でめいしようにはならないかもしれない。剣で人を殺すのは、ほうちようで刺し殺すのより難しいのだと、なにかの本で読んだ覚えがあった。なんてぶつそうな本なんだ。書いたの誰だったっけ──いや、そんなことはどうでもいいんだ。

 以前、クリーオウが剣を使うのを見たことがある──それなりの技量だった。だが今は彼女は丸腰だし、どちらにしても、マトモな殺し屋と正面からやり合うほどの腕前があるわけでもなかったはずだ。となると、彼女がこの場で自分の身を守れる可能性はほとんどない。ましてやあのマジクとかいう少年は、自分に向かってくる刃物をかわすことができるようにはとても見えなかった。一言で言えば、絶望的というやつだ。

 でもだからって、ぼくになにができるってんだ。殺し屋はものすごい勢いで突進していくし、後ろから追いかけて、それに追いつけるとはとても思えない──石でも投げようか? 当たるわけないけど、まあ小石を拾うだけは拾ってみて、とりあえず努力はしたのだと言えば周りもなつとくしてくれる──

(あれ?)

 とドーチンは、道にかがみこんで石を拾い上げながら、殺し屋のほうを見やった。もうとっくに数秒は過ぎた。いいかげん、斬り殺されたマジクかクリーオウかの悲鳴が聞こえてもいいころだろう。

 見上げてみると、殺し屋の後ろ姿は消えていた。いや正確には──彼が見上げた瞬間、殺し屋のいたあたりの空間をなにか黒い影が通り過ぎて、殺し屋が横にはじき飛ばされたのだ。馬にねられたように宙を跳び、横倒しになって、殺し屋コーゼンは道端に落下した。どう、と身体をバウンドさせてから、殺し屋が叫ぶ。

「くそ──やはり、追ってきやがったか!」

「え……?」

 ドーチンは、殺し屋がにらみやるほう──彼がもと逃げてきたほうへと、視線を投げた。もとより子供たちはとっくに逃げ出していたようだったが、例の木箱がころんと横倒しになって転がっている。そして、そのすぐわきに──たいの知れないモノが立っていた。

「な、なにあれ」

 クリーオウがうめくのが聞こえる。誰も答えなかった。答えようがない。

 かつちゆう、のように思えた。よく貴族の応接間とかにかざられている、あれだ。ただしそこに立っているのはつや消しのしつこくられたしろもので、手にはたても剣もやりげてはいない。ぶらんと両腕をわきに落として、面ぼおの奥から、ひとみのない顔でじっとこちらを見ている。

 がちゃん……と、甲冑は右腕をあげた。同時に、そのよろいすきからなにやら黒くて細い、むちのようなものが走り──

 殺し屋が倒れている地面をえぐった。ただのひものようにも見えるその影は、どうやらじんじようでない威力を持っているらしい。爆発するような音を響かせると、殺し屋が横に跳んでかわしたその地面のあたりを、数十センチもえぐって弾きとばした。

「食らえ!」

 これは、コーゼンの叫び声。殺し屋の右手から、稲妻が走る。電光は真っすぐに甲冑を撃ち抜いた。ショックを受けたように振動し、大きな音を立てて、甲冑が倒れる。が──すぐに甲冑は、何事もなかったようにむっくりと起き上がった。

 そして、今度は腕をあげずに、少しだけ身体を震わせる。

 ぴうっ──鋭い音が響き、今度はなにも見えないというのに、いきなりコーゼンの肩口に傷口が開いた。深手ではないようだったが、殺し屋が身をよじったので、その勢いであたりに血が飛び散る。

 やじ馬たちの中から、悲鳴の声があがった。

 と……

 ぶわっ──と、空気が揺らめくように、音を立てる。

 ただぼうぜんとする観衆の視線の中、マジクとクリーオウの真正面に、それは出現した──昨日見た、例の亡霊だ。黒い霧がゆっくりと形をとり……人の姿へとへんぼうする。

 やじ馬たちの誰かが、叫ぶのが聞こえた。

「出た──また出たぞ! フォノゴロスののろいだ!」

 それを合図に、クモの子を散らすようにやじ馬たちが逃げ出していく。わーきゃー言う騒ぎの中で、ドーチンは、はっきりとその亡霊のつぶやきを聞いた。

「キサマ──キノウ・ハ──キヅカナカッタ──キサマモ──マジュツシ・カ!」

 神経質そうな若者の姿で、マジクに向かって亡霊は続ける。

「イツニナッタラ──ミツカルノダ! フォノゴロス──!」

「ぼ、ぼくはフォノゴロスなんかじゃ──」

 マジクが反論する。が、亡霊は聞いていないらしい。なおもぶつぶつと何事かをつぶやくと、両腕を広げて絶叫した。

「キサマノシタコトヲ──オモイシルガイイ!」

 ごうんっ!

 風が、吹き荒れる──たつまき状の気流にじんが巻き上げられ、ドーチンは両腕で目をおおった。悲鳴、せい──それは村人たちのものなのか、クリーオウらのものなのか、よくは分からなかったが──

 風が収まったとき、その場に残っていたのはドーチンひとりだけだった。

 ぽかん……と、やじ馬たちの逃げ去ったその場で、彼はあたりを見回した。逃げ遅れた村人や、逃げる群衆にさんざ踏み付けられたらしいボルカンが、地面に倒れているが、あの殺し屋もクリーオウも、マジクの姿もない。そして、黒いかつちゆうも、亡霊もだ。

「ど……どうしよう」

 ドーチンはぺたんと地面に座り込んで、うめくように言った。ずり落ちかけた眼鏡の位置を直しつつ、

「昼日中に暗殺者が現れたり幽霊が出てきたり、なにかが間違ってるぞお」

 そういう問題ではないような気はしたが、とりあえずドーチンが思いついたのは、その程度だった。

 よたよたと、ボルカンのほうに近寄っていく。兄は、足跡を全身にくっきりつけながら、うつ伏せのままなにやら毒づいているようだった。

「くそ……いきなり踏切板扱いしやがって……こうなりゃ赤ん坊で夜泣き殺して──」

「に、兄さん兄さん」

 ドーチンはボルカンを揺り起こすと、

「ど、どーすんのさ。クリーオウも、あのマジクってのも、いなくなっちゃったけど」

 むくり、と起き上がりつつこめかみのあたりを手のひらでさすり、ボルカンもうめく。

「むむ……どうやらあの幽霊にさらわれたらしいな」

「うん……」

 とドーチンは、あたりを見回した。そして、適当に見当をつけた位置で視線を止め、

「……なんにしろ、あの借金取りに言うしかないけど──でも──」

 口ごもる。ボルカンにも分かったらしく、いやそうな顔を見せた。

「あの金貸し魔術士、絶対に今回のことが俺たちのせいだと決めつけるに違いないぞ。今までみたいに」

「いや、今までのは実際兄さんがほつたんだったんだけど……」

 だがボルカンは無視して、ずんぐりした指を立てて提案してきた。

「頭丸めてそこにすみで『ごめんネ』って書いて、くつをなめながらあやまるってゆーのはどうかな」

だいじやまれながらのほうがいいんじゃないかな……」

「俺のせいじゃないのに」

「ぼくのせいでもないのに」

「不条理だな」

「ねえ?」

 と最後の一言はお互いに同時につぶやきあって、地人の兄弟は天を見上げた。


 ◆◇◆◇◆


「ラモン……フォノゴロス?」

 オーフェンはあごに手を当て、聞き返した。こけおおわれ、中が見えない水槽をじっとえて。

「わたしの父──キエフ・フォノゴロスのことは知っているのだろう?」

 声は、水槽の中から聞こえてくるのではなかった──よく見ると水槽の上に、伝声管らしき細い筒が突き出している。オーフェンは据わったまなしでそれを見つめ──

 ふりかえって、ヒリエッタに言った。

「悪いが、席を外してもらえないか」

「どうして?」

 と聞きながらも、彼女は、彼がそう言いだすのを予期していたふうだった──片目をすぼめて笑みを浮かべるようにして、いたずらっぽくこちらを見ている。

 オーフェンは、ゆっくりとたんそくした。

「ここから先は《牙の塔》の魔術士同士の話になる」

「オーケイ」

 彼女はあっさり同意すると、部屋から出ていった。重い扉が、ぎいい、と閉まる。

 オーフェンは水槽のほうに向き直った。

「フォノゴロスのことは、聞いたことがある程度だ。《塔》の長老たちは、その男のことを特級のきんとしていた。もっとも──」

 胸元のペンダント──《塔》の魔術士のあかしであるドラゴンのもんしようをもてあそびながら、続ける。

「俺の先生は、フォノゴロスの研究について、ほんの一時期興味を持っていたようだった。俺も資料を見たことがある」

「ほんの一時期?」

 ラモン・フォノゴロスの声は、驚いたように響いた。

「ああ。すぐに興味を失った。残った資料は不完全だったし……そもそも彼には必要ないことだった」

「ほう……必要ないとは、どういうことだ?」

 オーフェンはいらだたしげに頭をかきながら、

「フォノゴロスの研究は、人間を人間以上の存在にすることを命題としていたらしい。チャイルドマン教師は──」

 一度言葉を切り、適当な表現を探す。

「彼は、生まれたときからすでに人間以上だった。何百年にひとりの天才だったのさ」

「なるほどな……」

 ラモン──いや、その声はおもしろそうにくつくつと笑い、

「それならば、父の研究は必要のないものだったかもしれん。だが君はかんちがいをしているな。父の研究は、決して人間以上の存在を造るものではなかった」

「なんだと?」

「そしてそれこそが、キエフ・フォノゴロスの研究結果を《塔》が認めなかった理由だ──父は毎晩のように、わたしにっていたよ。なぜ理解してもらえないのかと。彼は」

 声は、たんたんと告げた。

「彼は、ドラゴン種族にまさる戦闘生物を造ろうとしていたのさ」

「ドラゴンに勝る生物、だと……?」

 オーフェンは聞き返した。

「ドラゴン──」

 ラモンは詩歌でもうたうように続けた。

「かつて伝説の時代──巨人の大陸ヨーツンヘイムにて神々から『魔法』の秘儀を盗みだし、『魔術』として自らの力にしたという、六種類のけものたち、人間はもとよりドラゴン種族ではなかったが、そのドラゴン種族のひとつ、てんじんたちと混血することにより、魔術の力を得た──そのまつえいが、君や父のような……人間の魔術士というわけだ」

「俺や……父のような?」

 彼の不自然な物言いを、オーフェンは問いただした。

 ラモンは笑みをふくんだ声で、

「そうだよ。わたしは魔術士ではない……父の子なのだから、魔術の素養はあったのだろうがね。父はわたしに訓練をほどこすことができなかった。自分の研究に手一杯で」

 そしてその声は、ちようするように変じた。

「だからわたしには……あのクリーチャーを処理することができなかった、というわけさ」

(クリーチャー……)

 オーフェンの脳裏に、あの神経質そうな若者の『亡霊』であるとか、奇怪な蛇人間のシルエット、そして──暗殺者の頭を握りつぶした『手』の姿が浮かんだ。

 だが──あれがそのクリーチャーとやらであるとしたら──

「ハッ!」

 オーフェンは、鼻で笑った。

「馬鹿げてる──確かにあれは、いちいち意表をついた格好はしてるようだがな、あんなもん、ドラゴン種族の魔術には通用しねえぜ。奴らの戦闘能力は、人間にははかることすらできるもんじゃない。俺は何度か奴らの魔術と張り合ったことがある──」

「そうして、生き延びてきたのだろう?」

 冷静なラモンの声に、オーフェンはぴたりと言葉を止めた。一瞬静まり返った部屋の中に、明かりだけが揺れている。ラモンは、ゆっくりと続けた。

「あのクリーチャーたちは、試作品なのだ……父は段階的に、より強いクリーチャーを造っていくつもりだったらしい。じんてきに進化させていくのだ、とか言っていたな。こんな話を知ってるかね? 昔──人間が魔術の力を得た当時は、その力はどうというほどのものでもなかったらしい。だが時を置くと、その力は次第に増していった……で、どうだ。現在では、いくつかのドラゴン種族をりようするまでになっているではないか?」

「だがおのずと限界があるだろう、とも言われている。ここ最近では、強力な力を持った魔術士はむしろ減少傾向にあるくらいだ」

とうされているのだ、とわたしは思うのだよ」

 ラモンの口調はどうも、静かな研究室で議論でもしているように落ち着き払っていた。オーフェンはいらだちを覚えながら、伝声管をにらみつけた──と、ふと気づいたのだが、伝声管の上、水槽の上の天井に穴が空いている。ダストシュートのような四角い穴が、水槽の上にぽっかりと口を開けていた。

 だがそれをいぶかるよりも早く、ラモンが続ける。

「人間の進歩の仕方というのは、過去を保存しようとはしない……むしろ、現在においてより効率のいいなにかを得た瞬間、過去のなにかがせいになる、という方法をくりかえしてきた。もし魔術士の能力というのにある段階を設定できるとするならば、今より一段階上の魔術士が生まれた瞬間、それより一世代前のレベルの魔術士は死滅するのではないかと思うのだよ。その進化のペースが速まれば、これは悲劇にもなり得るがね……」

「そいつは、あんたの父親の見解でもあるのかい?」

 腕組みしてオーフェンが聞くと、ラモンの声は、同意の気配を見せた。

「ああ、そうだ。父は、あえてその悲劇にいどもうとしたのだ。つまり、進化のペースを速めてみよう、とな」

「……とりあえず言っておくが、俺にはあまり興味深いとは思えんね。もしそのくつで、ホールにある《現在の女神》の像に傷をつけたんだとしたら、まあ、もったいないと思うだけだな。あれはそれなりのこつとうひんなんだろ?」

「……あれには、また別の意味がある」

「なんだと?」

 特に意味もなく言った皮肉に、トーンを落とした答が返ってきたので、オーフェンは面食らった。だがラモンは今のところ、その説明をするつもりはないらしい。断りもなく少し前の話題にもどっていった。

「結局のところ父は、失敗したのだよ。まあもともと、人間の手で人間以上の存在を造ろうなどと、しようもないナンセンスだ。できたのはせいぜい、こちらの制御すら受け付けない化け物どもだけ。父はクリーチャーと呼んでいたがね。わたしはひそかに失敗品フオールスと呼んでいた。父の研究は、よく言ったところで、まったくの見当外れだったな」

「……悪く言えば、どうなる?」

こうだ」

 ラモンの声にはよどみがない。

「もしくは、犯罪だ。何人かの犠牲者を出して、自らも命を絶った」

 オーフェンは、宿屋の屋敷を建てた名士──村外れで変死したとかいう名士のことを思い出した。どうでもいいと思うようなことを、あえて聞く。

「犠牲者……ってのは、どのくらいいたんだ?」

「そこの木箱の数を数えてみるんだな」

 オーフェンはふりかえって、部屋に積んである木箱を見上げた。ざっと見て──十数個といったところか。二十はない。

「ひとつの箱に、一匹の動物──蛇とか、ウサギとかが入っていてな。その身体に最高みっつの《要素》がめ込まれている。平たく言えば、バケモノの卵がふたつかみっつ、生物の死体にくるまれて入っているのさ。《要素》の生成法まではわたしは知らないが、父はどうもクリーチャーの戦闘能力を調べるために、極秘に人体実験までしていたようなフシがあった。《要素》は箱が開けられると同時に肥大し、寄生していた死体を食って成体に成長する。せいぎよできない化け物を保管する、唯一の方法というわけだ」

「ち、ちょっと待て──」

 オーフェンは少々思い当たり、あわてて手をあげた。

「まさかと思うが──肥大とか言ったか? その蛇だかなんだかも巨大化しやしねえか?」

「……するが、それがどうかしたか?」

「あああああっ!」

 オーフェンはわめいて、昨日、ドーチンがこの部屋にあるのと同じ木箱と、けたはずれにでかい蛇の抜け殻を引きずっていたのを思い出した。

 そのことを言うと、ラモンは、事もなげに応じた。

「なるほど……ヒリエッタから聞いてはいたが、村に出没するクリーチャーが増えているとか……」

「つ、つまり──」

「木箱──クリーチャーズ・パンドラと父は呼んでいたが、それは、ここにあるものがすべてではない。父の死の騒ぎで行方が知れなくなったものや、あるいはとうぞくが金になると勘違いして持ち出したものもある……この部屋で、目の前で持ち出されようと、わたしにはどうしようもないからな。そのひとつが森に放置されていたのだろう。君の友人が開けたのか、それとも既に開いていた箱を見つけただけなのかは知らないが……」

「ああああああ」

 オーフェンは両手で頭を抱え、その場にうずくまった。半泣きになってうめく。

「くそ……話は聞くだけ聞いて、協力は断るつもりだったんだけどな……これで、無関係じゃなくなっちまった」

 ちくしよう──あの福ダヌキども、いつか絶対に殺す!

 もちろん、貸金を取り立ててからだけど。

 かたちかいつつ、指折りながら言う。

「……俺が見たクリーチャーとやらは、全部で三匹だ。幽霊みたいなのと、蛇人間と、あと、手」

「最初の一匹は、サミイだ」

「……なに──?」

「そして蛇人間というのは、キキュイームのことだろう。手は……ケンクリム。とすると同じ木箱パンドラに、アクセルも入っていたはずだが」

「そんな……名前なんてどうでも──」

 言いかけて、オーフェンはこめかみのあたりがうずくのを感じた。ぐるぐると単語が駆けめぐる──サミイ──彼にかいほうされたの──わたしは落ちこぼれで──

 彼はフォノゴロスの助手──

 父は──人間以上の存在を造ろうとしていた──失敗だったがね。その見当外れで──多くの人が犠牲になった。犠牲。人知れず。人体実験。犠牲!

 思い出す──神経質そうな、白衣姿の若者。フォノゴロス! キサマノシタコトヲ! オモイシレ!

「フォノゴロスは、自分の助手までクリーチャーに改造したのか!」

 我知らず、オーフェンは絶叫に近い声を張り上げていた。

 ラモンは答えない──苔だらけの水槽に取り付いて、オーフェンはそのガラスをどんとこぶしで打ち付けた。

「答えろよ! 人間を、戦闘のための生物に改造したのか!」

「父は──」

さるしばはやめろってんだ、フォノゴロス!」

 オーフェンは、本当にたたき割りかねない勢いで水槽を殴りつけた。拳のが裂けて、わずかに血がにじむ。

「なにがラモン・フォノゴロスだ! 貴様はフォノゴロス当人だろうが!」

 なんの根拠もないあてずっぽうだったが、水槽の中のフォノゴロスは反論してこなかった。オーフェンは、さらに続けた。

「フォノゴロスに家族なんかいるか! お前は人間がきらいだったから、人間を別の存在にするような研究だってできたんだろうが! 貴様はサミイを戦闘生物に改造したんだ!」

「……それならば、君は純粋に戦闘のための訓練を受けた魔術士なのだろう、キリランシェロ?」

 ひどく冷静なままの水槽の声に、ぎくりとしたようにオーフェンは手を止めた。ぞっとして、一歩後退りする。声は、挑発するように続ける。

「ヒリエッタに、君の資料を読み上げてもらったのだ……君が本当に、わたしの用意した役目──クリーチャー処理に適任のの人材かどうかを確認するためにね。君は《牙の塔》で徹底的に戦闘と暗殺のスタッフとして育て上げられた。いかなる武器をも用い……あるいは素手ででも、人を殺せるようにだ。当人は忘れたつもりでも、身体からだははっきりとその技能タレントを記憶している。それはクリーチャーと同じことではないのかね?」

「先生は……」

 オーフェンは、胸元のペンダントをぐっとにぎり、うろたえながらもはっきりした声を出した。

「俺の教師は、天才だった。化け物じみた天才だった。俺たちチャイルドマン教室の生徒全員がたばになっても足元にも及ばないくらいにだ。彼の技術すべてを、誰かひとりに受け継がせることは、不可能だった……」

 ごくり──とつばを呑んで、続ける。

「だから彼は、生徒ひとりひとりに違うことを教えた。俺は、たまたま彼の戦闘技術を学ぶことになった。だが、それでも、彼は俺を育て上げたんだ。造り出したわけじゃない。それに──」

 オーフェンは、最後の一言を、かみしめるようにつぶやいた。

「俺は、もうキリランシェロじゃない。オーフェンだ」

 そう言った、その瞬間──

 天井から、なにかが聞こえてきた。

 …………ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ…………

(悲鳴?)

 そう思った次の瞬間には──

 どぼおおおおおおおおんっ!

 ダストシュートかと思った天上の穴からなにかがすべり落ち、水槽の中に落下する。

 こけにごった水が天井まで跳ね返り、ガラスの中も濁り水がひっかきまわされるようにうず巻くのを見て、オーフェンはとっさに叫んでいた。

「我は放つ光の白刃!」

 放たれた光熱波は、水槽の正面に命中して爆裂した。四散するガラスを呑み込むようにして、汚れた水があふれ出す。部屋中に流れ出した水の中には、見知った姿がひとつと、流線形の奇妙な物体がひとつ──

 だがまずは、見知ったほうだ。オーフェンはそちらに駆け寄り、

「マジク!」

 金髪を苔だらけに汚した弟子の腕を取って、オーフェンは少年を水の中から引き上げた。マジクはひとしきりき込んでから、澄んだそうぼうに涙をためて、

「おさま! なんでかんじんなときにいないんですっ!」

 そう叫んだ。わけが分からなかったが、とにかく謝ったほうがいいらしい。ほとんどの気迫にされるような形で、オーフェンは頭を下げた。

「あ、ああ。悪りィ」

「悪りィ、じゃないですよっ! クリーオウが死んじゃいましたよ!」

「……あん?」

 あまりにもとうとつな言い方に、オーフェンの脳はその言葉を理解することをこばんだ。なにも聞いていなかったふりをして──彼は、つと自分の足元を見やった。

 マジクもまた、その視線につられるようにして、それを見たらしい──はっと息を呑む音が聞こえた。