「なんだ?」

「アンチョコを見てもいいですか?」

「不可」

 即答されてマジクは、嘆息してみせた。彼は仕方ないという表情で続けた。

「ぼくらの使っている能力は『魔術』──そして、そもそも世界のたんじようと同時から神々が持っていた万能の力は『魔法』と呼びます。だから『魔術』と『魔法』とでは意味が違うわけです。神々の力には、不可能はないとか。でも、ぼくらの『魔術』にはおのずとできることに限界があります。その限界には個人差があって──」

「その個人差を称して、俺たちは『才能』と呼んでいるってわけだ」

 マジクの後をついで、オーフェンは窓枠から腰を外した。と、ふと気づいたように、マジクに向かって手を振って、

「おっと──悪かったな。じやするつもりはなかったんだけどよ」

「いえ……まあ、つまりそういうことです。この力量の差には、なにが原因になってるのかっていうのは、まだ結論が出てません。体力には関係ないし、年齢にも関係ない……じゆくたつによって魔術の能力が強まるっていうのは、確かにあるけど」

 クリーオウがそれを聞きながら、少し考え込むようにくちびるに手を当てるのが見えた。彼女はしばらくそのポーズでこうちよくしたかと思うと、とうとつに口を開いた。

「強い魔術士っていうのをみんな並べてみてさ、その共通点をあげていけばいいんじゃないかしら」

「そいつは、俺だって考えてみなくはなかったけどな」

 オーフェンは微苦笑をもらしながら、

「チャイルドマン教室──《牙の塔》で俺が参加していた教室の魔術士は、俺もふくめて全部で七人いた。教師のチャイルドマンはまた別格だったが、それにしても全員《塔》の中ではトップクラスの実力を持っていた。七人全員が──」

 と肩をすくめ、

「まったくタイプが違う。共通点は、まあ、まるでないと言ってもいいだろうな。まあ、その話は忘れて、マジク、このへんはがいろんで、クリーオウも興味ねえだろ。先に進めっちまえよ」

「はあ……ええと、ぼくらが扱うのは音声魔術と呼ばれるもので、これは大陸でも一、二を争うくらいに強力な魔術ということになります」

「一、二は買いかぶり過ぎだな」

 オーフェンが口をはさむと、マジクはあっさりと言い直した。

「まあ、それほど弱い部類でもない、ってことなんだ」

「ごくごく一般論的にランクをつけちまえば、七種類の魔術のうち、最も強力だと言われているのがウォー・ドラゴン種族が用いる破壊魔術」

「はかい?」

 クリーオウが、すっとんきょうな声で聞き返す。

「そゆこと。文字通り、なにかを──あるいは、なにもかもを破壊するためだけの魔術さ。鋼鉄の軍馬ウオー・ドラゴンの名前のらいでもある。次に大きな効力を持っているのが、天なる人類ウイールド・ドラゴン──俺たちが俗に古代の魔術士と呼んでいる天人たちの用いる。次いで深淵の黒狼ディープ・ドラゴンの暗黒魔術ときて、俺たちの音声魔術は、この次ってところだ」

 と、肩をすくめ、窓を離れたオーフェンを継ぐように、マジクがクリーオウに向けて続ける。

「ぼくらの音声魔術の最もけんちよとくちようは、声──つまりじゆもんばいかいにして魔術を行使するってことなんだ。だから呪文の声のとどかないところには魔術の効果も及ばないし、効果だって永遠には持続しない。声をそのままの状態で保存することはできないからね。さらに、音声魔術っていっても二通りあって、ぼくやお師様が扱うのは、黒魔術と呼ばれているんだ」

「黒魔術は、熱とか、波動とかの物理的なエネルギーや物質──肉体そのものを扱う魔術のことだ」

 オーフェンは窓を離れ、部屋を横切るように歩いたあと、くるりときびすを返してまた窓のほうへ行きながら、講義口調で続けた。

「白魔術は逆に、時間と精神とを操る。まあ、黒は実在する事象を扱い、白は実在しない事柄を繰る、なんて言い方もあるな。一般的に白魔術のほうが技能的にははるかに高度で、またりよくも大きい……」

 と、ベッドにいる生徒たちのほうへと振り返る。

「分かったか、クリーオウ?」

「……ぐー」

「あ、こら、なに寝てやがる!」

 オーフェンがベッドに駆け寄り、揺さぶって起こすと、むにゃむにゃと声を上げながらクリーオウは答えた。うつ伏せにベッドに寝っ転がったまま。

「だって、いまいち退たいくつなんだもん」

「ったく……だから無駄だって言ったのに。じゃあお前、いったいなにが聞きたかったんだよ」

 いきなり上体だけむっくりと起き上がって、クリーオウが言った。

「明日からできる魔術の使い方♥」

「できるかっ!」

「じゃあ寝る。ぐー」

「このクソアマ……」

 再びぽてんとベッドに倒れ込み、寝息を立てはじめたクリーオウに向かって、わなわなと両手を震わせながらオーフェンはうめいた。

「いいか──寝たふりしたまま聞いてろよ。時間を無駄づかいしたくなけりゃ、魔術士になりてえなんていごとは、とっとと忘れちまうこった。いくら努力したところで、素養のない人間には魔術は扱えない。人間の魔術の素質は、ごく純粋に遺伝的なものだ。そもそもドラゴンとの混血って形で取り入れたものなんだからな」

「ぐー!」

 わざとらしく、まくらを抱えてクリーオウが叫ぶ。

 その上にかがみ込むようにして、オーフェンは追い打ちをかけた。

「お得意の駄々をこねたトコで、無駄なもんは無駄だからな! お前がいくら無駄な努力をしよーが勝手だが、二度と俺にねだるんじゃねえぞ、めんどうだから。ざまみろ、へへーん!」

「お師様……」

 頭を抱えるようにして、マジクが聞いてくる。

「なんで口ゲンカになると、精神年齢が下がるんです?」

「うっせえな。相手のレベルに合わせてるんだよ」

 オーフェンがそちらに向き直ると、マジクは不思議そうに言った。

「ところで今思い出したんですけど、素養って言えばお師様は、ぼくのことを見ただけで魔術士の素質があるって見抜いたでしょう? どうしてなんです?」

「別に見ただけで分かったわけじゃねえよ。人間の資質を一目で見破ったら、化け物か神様だろうが」

 オーフェンは、まだがんに寝たふりをしているクリーオウの枕元に腰を下ろすと、ねこの背中をなでるように彼女の頭にぽんと手を置いて、

「バグアップのろうな、酒でも入ると、あのつらで結構ノロケやがるんだよ。で、奴のにようぼう──お前の母親──ほれ、今どこにいんのか知らねえけど、アイリス・リンとか名乗ってた女とうぞく。彼女が昔、魔術士にスカウトされかかった、みたいな話を聞いたことがあったのさ。で、お前は……なんつうか、どう考えても父親似じゃねえからな。多分、母親の血のほうが濃いだろうと思ったんだよ」

 持ちくずした海賊みたいなふうぼうのマジクの父親のことを思い出しながら、オーフェンは言った。と──手の中で、ぴくり、とクリーオウが身じろぎするのを感じる。見下ろすと、少女は寝たふりはやめて、せきれいが尾を振るような仕草で、まつげをぱちくりさせたところだった。恐る恐るというように、彼女が口を開く。

「……わたしは、魔術士の血をひいてないから駄目なわけ?」

「ま、そういうことだ」

 オーフェンは、気まずい思いで彼女の金髪から手をどけた。

「だがまあ……結局のところ、魔術の才能がないってところで、ただそれだけのことさ。その代わり、お前にゃクリーオウ・エバーラスティンって、ほかの誰にもできねえたいそうな素養があるだろ?」

 ぐるり、とあおけになってクリーオウが聞き返してくる。

「それってつまり、わたしの個性ってこと?」

「個性って言葉は──なんだか取ってつけたようで──あまり好きじゃねえんだけどな。ま、そういうことさ……ってマジク、お前なんでそんなに青ざめてあと退ずさりしてんだ?」

「いや、その……」

 信じられない、という視線で、マジクは答えた。

「まさかお師様がクリーオウをづかってなぐさめるなんて……」

「うるせえっ!」

 オーフェンは多少ほおを紅潮させてると、クリーオウの腕の中の枕を引っこ抜いてマジクの顔面にたたきつけた。

 

 しゃん……しゃん……しゃん……

 鈴の音? のような静かな、だがはっきりと聞き逃しようのない音が、遠くから聞こえてくる──目をすがめてみるが、それがどこから聞こえてくるのかは、よく分からない。周りはみようやみのようでもあり、また、ただ濃いだけのきりに閉ざされているのだとも見える。ただ、鈴の音だけが響き渡っている。耳の奥がうずき、のうずいが震えるようにして、その音にこたえている……

「────!」

 がば、とオーフェンは夢からめて、起き上がった。シャツが、寝汗でぐっしょりと湿っている。シーツをはねのけ、彼は簡易ベッドから飛び出すようにした。心臓がどうを告げている。たとえようもない恐怖が、むやみに自分をき立てていた。

(なんだ──?──この、感覚……?)

 星明かりだけがほのかに照らす部屋の中を、ぐるりと見回してみる。簡易ベッドをはさみこむようにしているベッドの上には、それぞれマジクとクリーオウが、すーすーと寝息を立てていた。きっちりと気をつけの姿勢で寝ているマジクと、それに比べれば少々いぎたないクリーオウのぞうとを見比べながら、オーフェンはの背にひっかけてあった自分のジャケットをひっつかんだ。それをりはせずに、右腕で抱き締めるようにして、目を閉じる。記憶を閉め出すように──あるいは、必死になって思い浮かべるように。

 オーフェンに限らず《牙の塔》の黒魔術士は、ある程度までなら自分の記憶や精神状態をコントロールできるよう、徹底的に訓練させられている。が──

(できない……?)

 オーフェンは、胸中でいぶかった。ただひたすらにかき乱されるままに、平常心がかき消えていく。呼吸すらが……できない。

(これは……白魔術……か……?)

 がくん、とひざから力が抜けて、彼はとっさに椅子の背をつかんでへいこうを保った。白魔術ならば、何度かかけられた経験がある。本来なら王室によって完全に外界とはかくぜつされているはずの白魔術士たちになど会えるわけはないのだが、オーフェンの古い仲間の中には白魔術に精通していた者がいたのだ。

 だが、いま感じているのは、その感覚とは違うものだった。

(違う……もっと……別の……身体からだが……自分のものではなくなるような……いや、それとも、俺が自分でなくなっていくような──)

 自我が消滅する感覚

 かん、そして嫌悪感が、全身を走り抜けた。次の瞬間、オーフェンはつかんでいた椅子をちからまかせにてんじようまでたたきつけると、ぜつきようしていた。

「ふざけるなあっ!」

 同時に、彼の身体の中心から爆発的なまでに魔力がぼうちようする──それは衝撃波となって、夜のしじまに爆音を鳴り響かせた。衝撃の津波が無差別に周囲にふくれ上がって、部屋の中にあった家具や調度を一撃する。クロゼットのとびらかんぼつし、コートハンガーが部屋のすみまで吹っ飛んでへし折れ、三台のベッドもなすすべもなくひっくりかえる。窓ガラスがくだけ散り、水差しが床に落ち、天井からだらしなくぶら下がっていたガス灯がひしゃげてつぶれるのが見えた。

「ひえええええっ!」

 ──というのはマジクがあげた悲鳴だろうが、今のオーフェンにはそんなことを確認しているひまはなかった。もう先刻までの奇妙な感覚はなくなっている。オーフェンはめちゃめちゃになった部屋の真ん中で棒立ちになり、ジャケットに腕を通した。そのジャケットのポケットからドラゴンのもんしようのペンダントを取り出すと、ぱっと頭から首に通す。

「な、何事なんですか、お師様っ!」

 裏返しになってふたつ重なっているベッドの下から、顔だけ出してマジクが叫んだ。その横ではクリーオウが、枕を抱き締めて寝ぼけまなこをむにゃむにゃさせている。

 オーフェンは声を低くして答えた。

「敵……だ」

 そのせりふには、確信はなかった──自分で言いながら、なにを言ってるんだといぶかったほどだ。敵だと? 悪夢にうなされて、起きてみてさくらんして暴発したってだけかもしれねえじゃねえか。だいたい、どこに敵がいるってんだ──

 ──いや──

「敵だ」

 オーフェンはくりかえして、左手でそっと、胸元のペンダントをにぎった。

(今、俺の身体から出ていったのは……暴発して放った魔力だけじゃなかった)

 ぞっとしながら思い起こしてみる。もっと別の、異質なものが、ばくれつする魔力に押し出されて、彼の身体から出ていったのだ。

(となると──そいつは、今は俺の魔力に引きかれて部屋中にくだけ散ってるかもしれねえが……)

 と、じっと汗をたらしながら視線を鋭くする。部屋の隅々から、なにか黒い霧のようなものが、ふらふらとただよいだしてきている。夜のやみにまぎれて、空間に溶け出すようなその霧は、じよじよに部屋の中央へと──窓を背にしてオーフェンがじっとえる、ちょうど彼とマジクらの中間点ほどのところへと集まりはじめている。

「おいっ!」

 声。そして──どんどんどんっ! 激しく扉がノックされた。

「魔術士! コラ! なんのさわぎだ! 静かに寝られねえってんなら、月の光でし殺されちまえ!」

 騒ぎを聞きつけて上がってきた──どうやらボルカンらしい。となれば、ドーチンもいっしょだろうが。

 霧はすでに半径五十センチほどの球形の空間に集まって、形を取りはじめている。扉を開けてあの地人たちに事態を説明しているような時間などなかった。もっとも、事情を説明しようにも、なにがなんだか分からないのはオーフェンにも同様だったのだが。

 と──霧が、声をあげた。

「──ニ・テ・イ・ル──」

 ぎょっとして、オーフェンは半歩ばかりあと退ずさりした。いったんは球形に集まった霧は、徐々に縦長に伸びて、人型へとへんぼうしようとしている。

 霧は、続けて声をあげた。それは確かに、空気を振動させる、生の『声』だった。

「オハエハ──ヤ・ツ・ダ──」

 どんどんどんど……

 ノックの音だけがひたすら、無意味に続く。

「なん……だと?」

 オーフェンは、がくぜんとうめいた。その視線が、半透明のその人型を通り抜けて、ベッドのしたきになっているマジクのかたわらできょとんとしているクリーオウへとぶつかった。彼女は、ようやく気づいたようで、あっけらかんとした声を出した。

「あ。ゆうれい

(幽霊……お化け……ぼうれい?)

 その、あまりにも唐突といえば唐突な単語に、オーフェンは面食らったような思いだった。確かに、りんかくはぼやけているとはいえもう完全に人間の形になったその霧を呼ぶのならば、その単語が一番適切であるように思える。が……

「ふざけんな、この世に亡霊なんているか──」

 その毒づきが、合図になったかのように、霧──いや〝亡霊〟は、金切り声にも近い声音で絶叫した。

「オ・マ・エ・ハ──フォノゴロス! ツイニミツケタ──」

 亡霊は、いまだりんかくはかすんでいるものの、若々しい風貌の若者の姿を見せていた。気の弱そうな、だが陰に回れば険を強くしそうな細い目尻の、せた若者。安っぽいがけつぺきなまでに清潔な白衣をまとった、研究員風の男である。

「フォノゴロス?」

 オーフェンが聞き返した瞬間、ボルカンが扉をやぶった。壊れた扉がちょうつがいを羽ばたかせるようにぶらつかせて、勢いよく亡霊の背中にぶち当たりそうになる──

「────!」

 オーフェンは瞬時に、身体を投げ出すようにして横に跳んだ。その横を、すさまじい速度で亡霊が飛び抜けていく!

 部屋に再び、爆音が響いた。衝撃と爆風が吹き荒れ、亡霊が飛び出したままの勢いで、窓のある壁をぶち抜いて吹き飛ばした──

 と、オーフェンは思った。

「…………?」

 だが、亡霊が通り抜けていったその壁は、まるっきり傷ひとつなく──もっとも、先刻オーフェンが与えた損傷は別としてだが──取りまして静まり返っている。

「な、なんだ、今の?」

 壊れた扉を踏み越え、人間サイズのをひきずるようにして、ボルカンとドーチンがひょっこり部屋に入ってきた。ベッドの下から、マジクがぼやくように応じる。

「……ユーレイ、だそーです」

「幽霊?」

 疑わしげに、ドーチン。眠そうに眼鏡めがねの位置を直しながら、

「やめてくださいよ、そゆこと言うの。兄さんすぐに本気にして、またロクでもない商売にしようとするんですから──」

「おい」

 オーフェンは、それらの会話を後ろ耳にしながら、おさえた声音でつぶやいた。

だまってろ、お前ら……」

 と窓の外を凝視する。ほかの連中の視線も、彼の視線を追うようにして、同じところに集まっていくのがはいで分かった。割れた窓ガラス──砕けた窓わくの向こうには、静かな夜のキンクホール・ビレッジと、はるか遠くアイーデン山脈。動物たちの声の響く深い森の影。夜空。星──そういった風景の中に、ぽかんと浮かび上がるひとつの影があった。

 ちょうど窓のすぐ外に立ち──二階にある、この部屋をのぞくようにして、かいぎようそうをした影がある。平べったいえん形の頭に、横長のひとみまたたきもせずじっとさせて、月明かりを反射させるのは、ぬめっとしたうろこの肌──

「蛇……ですか? あれ」

 マジクの声に、うなずく余裕をオーフェンは持っていなかった。それは確かに蛇だった。だが、蛇ではなかった。蛇の頭の下──細長い首の下に、なで肩の、人間の肩が見える。

「蛇人間!」

 勝手な名前をつけて、ボルカンが叫んだ。寝間着のままで、剣を抜きにかかっている。ついでに、どさっと物音がした。オーフェンがちらりと振り向くと、ちょうどクリーオウがそつとうしたところだった。

「我は放つ──」

 オーフェンは身構えて、魔術を放とうとした。が、それよりも早く、蛇人間の姿が闇に消える。まえれもなく、ただかき消えるようにして。

「なに?」

 そして、蛇人間の消えた夜闇の中から、大気を切り裂いてなにかが飛び込んでくる!

「うわああああっ!」

 オーフェンはしりもちをついて、それをかわした。

 が──

「ぎあっ!」

 背後で、マジクの悲鳴があがる。見てみると、マジクの上にのっかっているベッドのクッションに長弓の矢が突き立っていた。

「よっしゃ──!」

 オーフェンは、自分がいきなり元気づくのを感じた──矢ならば、人間の武器だ。わけの分からない亡霊やら蛇人間やらと違って、人間が相手なら、それを片づける方法を知っている。

 ぱっと跳び起きて、一気に窓から身をおどらせる──地面まで落下するわずかの時間、弓矢でねらわれているというのにひどく危険なことをやらかしているような気もしないではなかったが、闇夜の射的ならば、そうそう当たるものでもあるまい。

 だんっ! と、足からの衝撃をひざで受け流し、オーフェンは地面に降り立った。りーん、りーんと気の早い虫たちの鳴く声。それを耳に受けながらオーフェンは、あたりを見回した。

(もし、いま俺をねらったのが殺し屋だとしたら──)

 オーフェンは、くるりと宿の入り口のあたりにあるしげみに右手を突き出した。

(入口近くで待ち伏せて、俺が飛び出してきたところを狙う!)

「我は放つ光の白刃!」

 闇にほとばしる光熱波が、宿のポーチを囲むようにしている植木を燃え上がらせた。が、それと同時に、野太い地声で叫ぶ声がする──

「消えろ!」

 と、こうこうと燃え上がっていた熱波と炎とが、ふっとかき消えた。

(魔術──殺し屋たちの中に、魔術士がいる?)

 オーフェンは、さっと身構えながらつぶやいた。が、今の魔術の波動──魔力とイメージの構成から感じるに、さほどの腕を持った魔術士ではない。恐らく、修業なかばでせつした手合いだろう。

 しげみから、がざっと人影が飛び出して逃げるのが見える。

「逃がすかよっ!」

 と叫びながら、追いかけはしない。飛び出した人影が複数なのが、ちらりと見えていた。だとしたらその中のひとりを追っている間に別の暗殺者に待ち伏せを食らう可能性が高い。

 とは言え、逃がすつもりがないのも同様だった。彼らがオストワルドのやとった殺し屋たちだとしたら──先刻の亡霊や蛇人間とどういう関係があるのか聞き出さなければならない。

 オーフェンは、すっと息を吸うと、頭の上で腕を交差するようにして叫んだ。

「我は呼ぶ破裂の姉妹!」

 同時に、差し上げていた腕を地面に向かってたたきつけるように勢いよく下ろす。

 ぐわっ──空気がひしゃげ、無差別な衝撃波がそこら中で破裂音をあげた。

「ぐうっ!」

「うおっ!」

 といったようなうめき声が、近くの樹上から聞こえた──数メートルほど離れたところにある、葉のつきがいい木の上からである。一瞬後、枝から弓矢を持った男がふたり、地面まで真っさかさまに落下した。

(捕まえるのはひとりでいい)

 オーフェンは胸中で満足げにつぶやくと、しっかりとけいかいしながら、落下した男たちのほうへと近づいていった。

 まず手前にいたほうの男のみぞおちにようしやなくかかとでりを入れてもんぜつさせると、もう一方の男へと歩み寄る。そのわきにひざをつくとオーフェンは、落下した際の打ち身にうめき声をあげている男の胸倉を、ぐいとつかみあげた。

「お前らを傭ったのはオストワルドだな──トトカンタのザナドュ・オストワルドだ」

 オーフェンはすごみをきかせたが、弓だけを右手に持ったその殺し屋は、長髪に汗をにじませて、恐怖のまなしでこちらを見返してはくるものの、口を開こうとはしない。

 オーフェンはあきれたようにたんそくしながら、

「ま、そりゃそうだろな。プロの暗殺者なら、自分が殺されたところでやとぬしの名前をあげたりはしねえだろ。たとえそれが、逃げ遅れれば仲間にも見捨てられるような、三下程度であってもな」

 それが殺し屋と、ただのちんぴらとの違いだったし、その違いは絶対だった。

「なら、こっちの質問ならどうだ──? いったいあの亡霊と蛇野郎はなんなんだ」

「ぼ、ぼう──?」

 不意つかれたように、殺し屋はすっとんきょうな声を出した。

 ん? といぶかって、オーフェンは続けた。

「亡霊だよ。お前らの少し前に、部屋に現れた──」

「なんの話だ? 俺たちは──」

 殺し屋は、どうやら左肩を骨折しているらしかったが、持っている弓を視線だけで示した。そして続ける。

「俺たちは、お前が眠ったところにしゆうをかけて、とにかくお前が窓の近くに姿を見せたら、それをげきする計画だったんだ。だからお前が顔を出したときに矢を射ったのに、くそ、あいつらまだ夜襲をしかけてなかったのか──」

 殺し屋は無念そうに唇をんでいる。その表情には、どうにもうそをついている気配は見えなかった。

「夜襲はあったんだよ」

 オーフェンはにがにがしく、

「ただし、ポーチの陰に隠れていたお前の仲間どもじゃなくて、わけの分からん亡霊のだ。くそ、お前らが知らねってんじゃ、いったい誰が──」

「ぎゃあああああああああっ!」

 悲鳴──

 はっとして、オーフェンはさっき悶絶させた男のほうへ肩越しに振り向いた。殺し屋の片割れは、地面にあおけに倒れたままの姿勢で、大口を開けて絶叫している──その開いたこうがいしか、オーフェンの位置からでは見えなかった。殺し屋の顔の上半分は、地面から突き出してきている一本の手──その指の一本一本にキッチンナイフのようなものが細いこうせんでくくりつけられている真っ白なもちはだの男の『手』で、がっしとつかまれている。ちょうど、子供がおふざけで背後から「だーれだ」と目隠しするような感じだった。だが違うのは、その手が少し力を入れるたびに、くくりつけられたキッチンナイフの刃が殺し屋のほおと言わず目と言わず、顔中に食い込むということ──

 殺し屋の身体が苦痛にのけぞり、『手』の指の間から血があふれ出る──

「うっ──ぎゃああああっ──!」

 少し間をおいてから、殺し屋が再び悲鳴をあげた。ごく、とびんが割れるような音を立てて、殺し屋のがいが割れた──白い骨が肌からはみ出て、その正体がなんであるか知りたくもないような色の体液が、ほんの一瞬だけ、ふんすいのようにあたりに飛び散る。

 そして『手』は、つぶれた殺し屋の頭蓋を通り抜けるようにして、地面の中へと引っ込んでいった。あとも残さずに。

「う、わわわわわっ!」

 と、悲鳴をあげてあと退ずさりしたのは、『手』に殺された殺し屋の相棒ではなく、オーフェンだった。ちょうど気管と食道の中間点あたりから、熱い胃液がこみあげてくる──おうだけはしないようにひたすらに自制しながらも、彼は、自分がヒステリーの波に押し潰されそうになるのを感じた。人が死ぬのを見たことは何度かある──が──これはあまりにも、異常きわまっていた。

 のように後ろ向きに逃げていくと、数歩もいかないうちに、背中に、どすんとなにかが当たる感触がした。木の肌のように、どこか生暖かいが、硬い感触である。

「…………?」

 地べたに座り込んだまま、恐る恐る振り仰ぐと、彼の背後にのっそりと、背の高い人影がある。夜空に向かってそびえる、しつこくのその人影の右手には、包丁のように肉厚の大型ナイフが握られていた。

「おのれ──!」

 なかばきようこう状態になって、オーフェンは飛び起きざまにその人影ののどもとに向けてしゆとうを放った。が、それをその人影はナイフの背で受け止める──だがオーフェンは気にせずに、ほとんど密着するように人影に左肩を寄せると、ぐるりと敵の後頭部をけいするように左腕をせんかいさせて、突き立てた親指で相手の左目をねらう!

 が──その指は、標的のまぶたをかすめるあたりで、ぴたりと動きを止めた。 

(…………?)

 オーフェンはとにかくわけが分からず、目をぱちくりさせた──自分の視界いっぱいに、人間の顔が広がっている──目を閉じるべきだ、と狂気じみた本能が告げた。だが──と彼は、自分に問いかけた。殺し合いの最中に目を閉じるだと?

(これが殺し合いか?)

 頭の中のどこか──遠い、暗いふちの中から、そんな答が返ってくる。

 オーフェンは目を閉じた。

 目を閉じてからは、それほど長い時間はかからなかった。彼を抱き締めている手──そう、それは女の手だった──が、彼の背中をひととおり、軽くあいすると、ぽんと腰をたたき、身体を放す。オーフェンは再び目を開けた。ヒステリーを起こしかけていた頭の中は、いつの間にかすっきりとしていた。どうかと聞かれれば、冷水を浴びせられたような感覚ではあったが、不快ではない。

 なんにせよ、落ち着いた心中でならば、彼女がいま自分にキスをしていたのだと判断できた。

「ヒリエッタ……?」

 我ながら間の抜けた、と思える声で、オーフェンはつぶやきかけた。彼女は、まるで今の感触を味わいなおすように真っ赤な唇を舌なめずりすると、心底おかしそうな笑みを浮かべた。

「とんでもない体術を使うのね、あんたって……今のって《牙の塔》で習ったわけ?」

「たいじゅつ?」

 オーフェンは、きょとんとしてから、

「あ、ああ──いや。い、今のは──体術、なんてもんじゃない……」

 尻すぼみに声が小さくなるのを自覚して、赤面する──恐慌状態になって失態を見られたというよりも、今とにかく心臓のどうが収まらないことのほうが、自分をあわてさせた。

「あれは──その、殺しの技だ。まだ俺にできるなんて、思ってなかった……」

「ふうん?」

 ヒリエッタはこめかみをナイフのでかきながら、

「あんたもその技で、人を殺したことがあるわけ?」

「まさか」

 オーフェンは、汗でぐっしょりになった額をぬぐって否定した。

「単に、覚えさせられただけだ。ふだんはめつにやらない。しんの手段としちゃ、それほど有効なもんじゃないし。護身の手としちゃ──手──」

 と──、思い出す。