第一章 集いたる愚か者たち
その事件が起きたとき──マジクは馬車の中から缶詰をみっつほど持ち出したところだった。地面にあぐらをかいているような薪の上でゆらゆらと踊っている焚き火の近くに腰を下ろし、とりあえず缶切りで缶詰の縁をたたく。意味はないが、癖だった。
ラベルに記してある文字は、どうやら料理の専門用語らしくマジクにはよく分からなかったが、多分ソースに溶かした肉の缶詰だろうとマジクは見当をつけていた。前にも同じことを予想して、開けてみたら女物の下着が入っていたことがあったが。
缶の蓋に缶切りをあてがいながらマジクは、夕闇に影が落ちはじめた周囲の光景を見回した──そこは街道から数メートルばかりそれた林間地で、街道に面したほうに馬車を停めている。その陰に隠れるように焚き火しながら、マジクはひとりでゆっくり早めの夕食をとろうとしていたとこだった。
「別にバチは当たらないよな」
と、独りごちる。愛嬌のあるあごを、かしげるように上向かせて、
「クリーオウの作ったモノは食べられたもんじゃないし──多分、ちゃんとした設備でマトモな材料を使えば上等な料理なんだろうけど──お師様は、ぼくが薪拾いからもどらなかったときは、真っ先にさっさと食べちゃう人だし」
どちらかといえば少女じみた面影の、紅顔の美少年である。年齢は十四くらい、短いくせに風にもたなびく金髪は、純粋に色が違うだけではなく、髪質が細いせいで金色に見えるのだろう。澄んだ碧眼は、まるでわざと隙を見せているように目元がおっとりとしている。なんにしろ、黒を基調とした黒魔術士の格好が似合う手合いではないのだが、彼はしっかりとそれを着込んでいた。さすがに暑いので、黒のマントは馬車の中にしまってあるのだが。
缶の蓋が開いた。中身は、どろどろした青豆のスープが入っている。まあいいやと思ってマジクは、焚き火の中にそっと缶を押し込んだ。数分すれば、暖まるだろう。
と──背後にいきなり足音が聞こえて、さらにかん高い叫び声があがった。
「あー!」
しまった──と、マジクは身をすくませた。恐る恐るふりかえると、やはり後ろに、ブロンドを腰まで伸ばした色白の少女がこちらを指さして憤然としている。
「クリーオウ──」
と呼びかけたところで、彼女は無視して続けた。
「なにやってんのよ! 今日はわたしが食事当番だって言ってあったでしょ! なに、わたしの作ったもんは食べたくないってわけ?」
多分お師様ならあっさり「そーだよ」とか答えるんだろうな、とマジクは胸中で、ややうらやましげに思った。あの人は手料理の類いが嫌いだから、クリーオウの食事当番の日にはいつも姿を消している──今日みたいにだ。
だが、マジクが答えたのは、それよりは当たり障りのない言い訳だった。
「あ、あの、ちょっと待ちきれなかったんだ──」
両手をあげて弁解しながら、彼女を観察する。林の中を歩いたせいか少し汚れているジーンズに、上は、暑いせいだろう、バタフライイエローの袖なしブラウスを着ているだけだ。これは両方とも自前(といっても代金を立て替えたのはお師様だが)のようだが、この娘はなぜか、マジクの服を勝手に物色しては借りていく悪癖があった。
「待ちきれなかったぁ? そう! わたしの段取りが遅いって当てこすってるわけね?」
「そ、そういうつもりじゃあ……」
「じゃあ、どういうつもりよ!」
「だ、だから……」
もごもごとつぶやきながら、地面に座ったまま後退りして、マジクはクリーオウのごく単純に怒った顔を見返した──いつもいつも感情一直線のこの女が、どうもマジクは苦手だった。すねれば何日かはそのまま口も利いてくれないし、怒れば容赦なく殴り掛かってくる。よくまあお師様は、対等に付き合えるもんだ。多分、似た者同士ってことなんだろうけど。
「んで?──ど・う・い・う・つもりだってのよ!」
詰め寄ってくるクリーオウに、牽制するように右手をあげながら、マジクは、ほぼ絶望的に天を仰いだ。
その事件が起きたとき、オーフェンは森の中にいた。馬車を停めたあたりから、数百メートル離れたところである。
彼が森の中にいる理由はといえば、別にクリーオウの手料理から逃げ出すためというわけではなかった──実際、彼はクリーオウの用意するものを、マジクが言うほどひどい代物だとは思っていなかった。彼が自炊していたころは、もっとひどいものを食べていたのだから。
だから彼は、もっと別の用事で森の中にいたのだった。
やぶにらみのように目のつりあがった、どうにも皮肉っぽい造作の若者である。黒髪をバンダナでとめるようにしている。黒い、戦闘向きの格好をしているが、武装はしていない。腕のいい黒魔術士にとっては、武器による武装というのは、さほど必要性のあるものではなかった──自身の魔術が最大の武器となり、防具となる。もっとも、腕がよくてなおかつ隙のない魔術士であるなら、普通は身体のどこかに隠し武器のひとつふたつは忍ばせているものだが。
彼の服装は、普通の魔術士たちの戦闘用のスーツとはだいぶ趣を異にしていた。彼が着ているのは革をなめしたジャケットのようなものだ。普通、魔術士は全身をぴったりと覆うような格好を好む。つまり、服の下に防御用の鎖を仕込むこともでき、また森の中でも寄生虫の類いに餌食にされない装備というわけだ。もっともオーフェンは別に傭兵ではないし、戦闘能力を商売の道具にしているわけではない。彼が唯一、大陸の魔術士たちと接点を持っているとすれば──それは胸元にぶら下がっている、剣にからまった一本脚のドラゴンの紋章、大陸中の黒魔術士の最高峰《牙の塔》出身者の証しのペンダントだけである、とも言える。
と──
オーフェンは足を止め、あたりを見回しもせずに言った。
「来たぜ」
「見れば分かるわよ」
がさ……と、森のしげみの左側のほうから、物音がする。下草をかきわけて進み出てきたのは、身体の線をぴったりとトレースするように張り付いた、全身革スーツの女だった。
「あなたが、オーフェン?」
「見れば分かるんだろう?」
オーフェンは鼻で笑いながら、現れた女の全身を見やった──やけに艶っぽい黒髪が、それ自体が別個の生命体だとでも言いたげに、ゆるやかに、そして自然に女のスーツを包んでいる。痩せこけたほおの間に縮こまっているみたいな真っ赤な唇が、わずかに舌の先端を見せつつ、開いた。
「わたしがヒリエッタ。招待状はとどいたみたいね?」
「数キロ前の村で、ガキが持ってきたやつだろ?」
オーフェンは答えつつ、それまでズボンのポケットにつっこんでいた手を出した。
女──ヒリエッタは楽しむようにうなずいてみせた。
「ええ」
「なら受け取った。で、読んだ。だからここにいる」
「あらあら。色気のない返事ね」
「用件はなんだ?」
「分かってるんでしょ……?」
ヒリエッタがそう言った瞬間──オーフェンは後ろに跳んでいた。そのすぐ後を、銀色の閃光が追いかけるように走る!
いつの間にか彼女の手の中に現れていた大型のナイフを見送りながら、オーフェンは身構えた。
(こいつ──)
内心舌を巻きながら、踊りかかってくるヒリエッタの身体のわきをすりぬけ、避ける。彼女は攻撃に二度失敗してもさほど動揺した気配もなく、再度こちらに向き直ってきた。右手に逆手で構えたナイフが、木々の間を縫ってとどいてきた夕日を反射して、血の色に染まっている──
オーフェンは、すっと息を吸い、胸中でうめいた。心当たりなら、ないこともない。
(オストワルドの傭った始末屋ってトコか?)
それは図星だったのだが、それが確認できるわけでもなかった。
(なんにしろ、殺し屋に狙われてしまった俺がいるのですってか──くそ、ゴシップ紙の見出しじゃあるまいし!)
彼は右腕だけを無造作に女に向け、叫んだ。
「我が指先に琥珀の盾!」
刹那、彼が手をかざした空間に空気が圧縮されていく──たたけば音でも跳ね返ってきそうな空気の壁にぶつかって、ヒリエッタが数歩ほど押しもどされるのが見えた。普通なら、なんの能力も持たないただの人間が武器を持って襲いかかってきたところで、魔術士に指一本触れられるものでもない。が──
(職業的暗殺者となると、話は別だ。どんなテを使ってくるか知れたもんじゃねえ)
というか正確には、そういった職能者は、勝算がないかぎりは行動を起こしたりはしないものだ。だから、彼らに襲われたときは、必ず罠があると思っていたほうがいい。
そして罠というのは、かけられればほぼ確実にひっかかってしまうものだし、そうなれば十中八九、死は避けられない。だからオーフェンはなによりも──魔力に勝れたドラゴン種族などよりも──暗殺者を恐れたし、いつも十分に注意を払っているつもりだった。
(つっても……警告もなしに殺されるとは思ってなかったからな。一人でのこのこ来ちまったのは失敗だったか)
オーフェンは舌打ちしながら、その場に踏みとどまった。空気の壁に弾き飛ばされて向こうに背中から転ぶヒリエッタを見ながら、本能はとにかくこの場から逃げ出せとせっついてくるのだが、下手に動くのは危なかった。
(罠にかからないための心得──できるかぎり、身動きするな)
自分で自分に言い聞かせ、動かないまま、倒れた女暗殺者に向けて指さす。
「我導くは死呼ぶ椋鳥!」
ゔゔん……と、衝撃をともなった音波が大気を伝播して、周囲の地面ごと暗殺者のしなやかな身体を包み込んだ。地面そのものが細かい振動にブレるように揺れて──起き上がりかけていたヒリエッタの身体も、電流を通されたように衝撃を受けて、びくんと跳ね上がる。
そしてそのまま、動かなくなった。
しん……と静まり返った森の中で、オーフェンはまだなお身構えたまま、だらりと地面に横たわる暗殺者を眺めていた。白目をむいてぴくりともしないが──
「おい、本当に気絶したわけでもないんだろが?」
オーフェンは油断なく呼びかけた。
「そうでないんなら、あまりにもお粗末すぎるぜ──それとも、こっちをなめてたのか?」
案の定、数秒もすると、彼女はむっくりと起き上がった。口元ににじんだ血を革のスーツのそででぬぐいながら、取り落としていたナイフを拾い上げる。
「ひっかからないものねえ……でも本当に何秒かは気絶しちまってたみたいだわ」
「威力は抑えたが、直撃したんだ。しばらく身動きはとれねえよ」
「どうかしら?」
ヒリエッタは不敵にそう言うと、ぱっと跳ね起きた──こちらが唖然としているうちに、もうナイフを構えて斬りかかってくる。じゃっ──という音が確実にしたわけでもないが、鋼鉄のナイフが風を斬る気配は、だいたいそんな感じだった。
後方に身体を倒してそれを避けながら、オーフェンは悲鳴をあげた。
「ンな馬鹿な──!」
(魔術の直撃をくらえば、馬だって昏倒するんだ。人間が動けるわけがねえ──)
だが現実に、女は立て続けに鋭い切っ先を繰り出してきている。オーフェンは攻撃をすりぬけつつ、素早く彼女の懐に飛び込んだ。右手を彼女の下腹あたりに当てて、叫ぶ。
「我は裂く大空の壁!」
ざむっ──! 彼が手を当てたあたりの空気が、鋭い真空へと変わる──と、その真空へと急激に空気が流れ込み、衝撃となって女暗殺者の身体を吹き飛ばした。本来なら、少し太めの木の枝くらい両断するほどの切れ味があるはずだ。が──
衝撃で数メートルも吹き飛ばされ、木の幹にたたきつけられた彼女の革のスーツには、傷ひとつついてはいなかった。もっとも、後頭部から木に激突した彼女自身は、軽い脳震盪でも起こしたらしく、頭を振りながらふらついているが。
(もしかして……)
オーフェンは思い当たり、つぶやいた。
「死んでも恨むなよ」
と、右手を彼女に向けて突き出す。
「我は放つ光の白刃!」
かざした右手の先から、純白の光の奔流がほとばしる。威力をしぼった光熱波は一条の槍のようにヒリエッタの下腹に突き刺さり、轟音をあげて爆発、炎上した。ぶぉうっ……と熱された空気が舞い上がり、砂塵を吹き散らす。が──やはり、暗殺者は無傷で立っている。爆発の衝撃がきいたのか苦しげに腹を押さえてはいるが、やはりスーツそのものには傷どころか焦げ目すらついていない。
「くそ、やっぱり──」
と、オーフェンは毒づいた。